本当に大切なものは、知らぬ間に失われるって言うけど。
 何が大切なのか知らなければ、失った事にすら気付かない。
 あるのは、ただ空虚な感じ、それだけ。


 ぴぴぴぴぴ。
 ――うるさい。
 全力で目覚ましに手を下ろしまして、はいおやすみ。
 ……とは、いかないか。学校も、あるし。
 起こした体が重い。夢のせいかな。
「……夢?」
 どんな夢だっけ、と考えても、欠片も思い出せない。冬くらいから、そんなのが増えた。昔は気持ち悪いくらいにリアルで、詳細まではっきりと覚えていたのに。
 思い出せそうなのに思い出せないのは、とても気になる。どうにかして思い出そうとして、数分。
 ――結局、また思い出せなかった。
「あーあ。学校、休みたいな……」
 なんとなく、そう思う。
 前はそんな考えなんてなかった。日々は輝いていなかったけど、絶望するものもなかった。
 それが、この頃は特に、世界が灰色に見える。何もかもが魅力を失ったように。
 世界は一夜にして変わるものじゃないから、変わったのはあたしなんだろうけど。でも、心当たりがない。
 世界は一夜にして変わらないように、あたしだって一晩くらいじゃ何も変わらないはずなのに。
 この空虚な、何かが物足りないような感じは、何なの?
「――あ」
 気付けば、現在時刻はいつも家を出る時刻になっていた。
「……はあ」
 それでも急ぐ気力が起きず、あたしはノロノロとしか動けなかった。

 結果、遅刻した。そりゃそーだ、と我ながらにして思う。いつもより遅くに起きたのに、一秒たりとも慌てなかったわけだし。
 休み時間になってもダルくて、動きたいと思えない。だから、席に座ってボーッと教室の中を眺めていた。特に意味はない。
 扉の方を眺めていると、見知った顔が入ってきた。
 それだけで。どきん、と、心臓が跳ねた。
 彼の、祐也の顔を見ると、やる気のない感じとか物忘れしている感じとかが強くなる。理由は、やっぱりわからない。
「よう、メグミ」
「ん、おはよ」
 祐也は勝手にあたしの前の席に座った。
「珍しいな、お前が遅刻するなんて。何かあったんか?」
「ないよ、何も」
 最近、祐也と話していると落ち着かない。誰かに対して悪い事をしてるような、そんな気がする。あたしが幼馴染みと話しても何も悪い事はないはずなのに。
「……そっか」
「――?」
 祐也も変だと思う。前なら、あたしが元気なかったら、間違いなく心配した。うぬぼれとかじゃなくて、本当に。
 それが、最近はすぐに引っ込んじゃう。まるで、あたしに対して後ろめたい何かでもあるみたいに。
 やっぱり、それにも心当たりはないんだけど。
「用事がないなら、ひとりにしてくんない?」
「あ? ん、わかった」
 じゃあな、と告げて、祐也は教室を出て行った。やっぱりおかしい。あたしがあんな台詞を吐いたら、過剰に反応するのが祐也なのに。
 何かあったのかもしれないけど、それが聞けない。聞いちゃいけないような、そんな気がする。根拠はない、けど。

 学校からの帰り道。友達と一緒に帰る気にはなれず、かと言って、なんとなく家にも帰りたくなかった。けど、お金に余裕があるわけでもなく。
 あたしは仕方なく、公園のブランコに腰かけた。誰でもできる、お金を使わない時間潰し。
「はぁ……」
 どうしたんだろう、あたし。どこかがおかしくなっちゃったのかな?
 考えるほどに暗くなる。それじゃあ駄目だと思っても、自分を鼓舞する力も沸かない。結果、泥沼にはまっていく。そんな感じがした。
「どうかしたの」
 聞き慣れない声に顔を上げると、あたしと同い年くらいの女の子が立っていた。
 和服と洋服を組み合わせたような独特のファッションだけど、よく似合ってる。でも、そんな事より気になる事があった。
「似てる……」
 あたしに。
 初めて会うのにそんな気がしないのは、この人の顔が、あたしによく似てるからだ。生き別れの双子に出会うのって、こんな気分なのかな?
「隣、座るわね」
 ブランコに座り、女の子はあたしを見てニコリと笑った。
「一応は初めまして、かな。あたし、ケイ」
「初め、まして。志野メグミです」
 ――なんで挨拶なんかしてるんだろう。完璧に飲まれてる。
「んで、どしたの、悩みぃ? あんたにそんな顔は似合わないわよ」
 似合わない、か。
 初めて会う人に言われるほど、ひどい顔をしてるのかな?
「あたしでよければ、相談してみない? 力にはなれないだろうけどさ、何が問題なのか、話していればわかるかもよ?」
「そんな、悩みってほどのものじゃないですよ。大した事じゃ、ないんです」
「敬語なんかいらないよ。名前も呼び捨てでいい」
 ブランコをきしませながら、ケイさんは続けた。
「いいから言いなさい。ほらほら、ズバッとスキッと言っちゃえって」
 馴々しいくらいの態度。なのに、嫌な感じがしないのは、あたしに顔が似ているからかな? ……関係ないか。
 ――話して、みようか。ケイさんなら、ううん、ケイなら、話してもいい気がする。
 決めたら実行。考えをまとめながら、あたしは口を開いた。
「……最近、やる気が出ないの。理由はわからないんだけど、こう、世界が灰色って感じで。何か、大切なものを忘れているような気がして」
「ふんふん、それで?」
「今朝もそれで遅刻しちゃったし、友達と話していても、誰かを傷つけているような気がしてさ。生活に変化はないし、心当たりもないんだけど」
「ふーん、なるほどね」
 ケイは、うんうんと頷いた。
「ズバリ、その友達って男でしょ?」
「え? あ、うん、そうだけど」
「でもって、無気力感とか、何かを忘れている感じってのは、その兄ちゃんと一緒にいると強くなる」
 違う、とばかりにケイは首を傾げた。あたしは頷いた。どうして、そこまで細かいとこがわかるんだろう?
「答えは簡単。あんたが優しすぎるのよ」
「優しい? あたしが?」
 ケイは深々と頷いた。長い黒髪が、はらりと揺れた。
「あんたが何かをすれば、それは他人にも影響する。あんたが得すれば誰かが損するし、あんたが想いを通せば誰かが傷つく。それは、避けられないの」
「それは、そうだけど」
「そんな、他人についていちいちゴチャゴチャと考えていたら、身動きなんか取れなくて当たり前。あんたはあんただけを想えばいいの。他は気にしないでよし! あたしが保証したげるわ!」
「でも……」
「でも、じゃないの」
 ずずいと迫り、ケイは続けた。
「それともあんた。その男を他の女に盗られたっていいの?」
「ふぇ?」
「だからッ! 好きな男が他の女と付き合うの、指くわえて眺めるのかって聞いてるのよ!」
 好、き? あたしが、祐也を?
「何、違うの?」
「え、あの、違うとかじゃなくて、その、考えた事もないって言うか……」
「ほんとーに?」
 ――本当に?
 あたしは、祐也をどう思っているのか。考えた事は、一度もないって?
「あんたって嘘が下手ね。顔に出てるわよ」
 ……そう。あるいは、意識的ではないかもしれないけど。
 祐也はあたしの中で大切な人で、誰より大きな部分を占めていて。あたしは、あたしは、祐也が――!
「はい、そこまで」
 ぽん、と。頭に暖かい感触。ケイの手が、あたしの頭を優しくなでていた。
「一度に考えない方がいいわよ。良い事も悪い事も、人間の脳みそが考えられるには限度があるの。ゆっくり想いを休めて、しばらく置いた方がいいものよ」
 チリン――
 ケイはふと顔を上げた。わかった、と言わんばかりに頷く。そして、ブランコを揺らし、勢いに乗ったケイは飛び下りた。軽々と着地し、くるりと回る。
「んじゃ、あたしはそろそろ行くわ」
「……もう?」
「ん。夜の方が忙しいから」
 ――夜間のバイトでもしてるのかな? ちょっと似合わないけど。
「また、会えるかな?」
「難しい、かな」
 ケイは笑みを崩さず、けれど残念そうに言った。あたしも、残念。
「なんだかケイと一緒にいると、すごく安心できるの。また、会おうよ」
「そりゃそうね、十数年も一緒だったんだし。でも、あたしがあんたに会うのはズルだから。だから、次はダメ」
「そういえば、さっきも――。どこかで会ったっけ?」
「会った事はない、わね」
 会った事はないのに、十数年の付き合いなの?
 ……変なの。
 でも、なんだろう。ただの冗談にも聞こえない。正しい事を言っていて、真実は言っていないって感じかな。
「それじゃ、じゃね、メグミ」
 ケイは大きく手を振り、駆け出した。
 公園の入口まで一気に走って、そこで振り向いた。
「あんたも幸せになりなさいよー! あたしだって幸せを見つけられたんだから!」
 最後に大きく手を振って、ケイは公園から飛び出して行った。
 消えた後ろ姿を見つめていて、ふと思う。
「――帰ろ」
 気付けば、陽はほとんど落ちていた。

 眠って起きたら、久しぶりに体が軽かった。昨日までの暗い気持ちが嘘みたいに、今朝はとっても気分がいい。
 足取りも軽く、あたしは学校に向かっていた。
 祐也に会ったら、なんて言おうかな。まずは、ごめん、かな。つい昨日も、ひどい態度だったし。
 その後は、どうしよう。たまには一緒に遊びに行くのもいいし、意味なんてあんまりない無駄話をしてもいい。
 とにかく、今まであたしが無為に過ごした時間を埋めたい。ずいぶんと長かったけど、この先はもっと長いんだから。
 自分に素直に、か。なれるかなあ?
 口を開いたら、つい憎まれ口とか叩いちゃいそう。うん、それも悪くないかな。それが“あたしらしい”ってコトだし。
「おーう、メグミじゃんか!」
 間の抜けた声に振り向くと、特に慌てるでもなく歩いて来る祐也の姿が目に入った。
 祐也は、いつも自然体。あたしより、ずっとずっと強いんだ。
「今日は早いんだな」
「祐也こそ」
 あたしと肩を並べ、祐也は歩く。目は決してあたしに向けず、口を開いた。
「もう大丈夫なんだな?」
「……うん。昨日ね、あたしにそっくりな人に会ってさ。励ましてもらっちゃった」
「そっくりな人?」
「うん、まるで双子みたいに。ケイって言うの、知ってる?」
「――ケイ!?」
 ぐりんと振り向いた祐也の顔は、わかりやすいくらいに驚いていた。
「何よ、知り合いなの?」
「あー、まあ、知り合いって言えば知り合いだけどよ」
 明後日の方を見ながら頬をかく祐也。怪しい。
「だったらどーして今まで何も言わなかったのよぉ? あんなにそっくりな他人なんてそうそういないわよ?」
「ん、それよかよ。ケイは今、どうしてるって?」
「ん? 今?」
 んー、なんて言ってたっけ? そういえば、そういう話はあんまりしなかったなぁ……。
 たしか、ひとつだけ。
「――幸せを見つけた、って」
 祐也の反応を伺う。
 祐也は驚いたような、安心したような、微妙な目をしていた。
「そう、か。見つけられたか」
「何よ。あたしに隠し事すんの? 言いなさい、何をしたのかなぁ?」
 ぐにーと頬を引っ張ってみる。祐也はあたしを引き剥がし、駆け出した。
「あー! 待ちなさい!」
「黙秘権を行使する!」
「祐也にそんな権利はなぁい!」
 あたしも後を追って走り出す。
 決めた! 捕まえたら、言っちゃおう。後の事は後で考える! それが、あたしの答え!
 誰にも、文句なんか言わせないんだから!


 道を駆け抜ける少年少女。そのほほえましい光景を、空から眺める影がふたつ。
 チリン――
 小さな鈴を鳴らし、黒衣に身を包んだ少女は問う。
「満足したかしら、ケイ?」
「うん、バッチリ」
 その隣には、桜色の衣で着飾る少女がいた。人として生きられず、悪魔に墜ちかけ、異端なる死導者に救われた眷属。
 桜色の眷属は自らの半身を眺め、呟くように言う。
「――メグミになら、託せるんだから」
「想いを?」
 眷属は頷く。
「あたしはもう、祐也には会えない。触れられない。あたしと祐也は、生きている世界が違うから」
「それでも想いは残る。愛し愛され、生きた証は他者の内に残る」
「ん。あたしの想いは、メグミに託した」
 眷属は空を見上げた。青く澄み切った空が広がっている。今日は、いい天気になるだろう。
「幸せに、なるといいなぁ……」
「なれるかどうかは、彼女たち次第。貴女の片割れは、なれるかしら?」
 眷属は隣に立つ少女を見つめた。夜空色の少女は、意地の悪い笑みを浮かべていた。
「アンジェラも言うようになったわね」
「たまには、いいでしょう?」
 つられたように、桜色の少女も微笑んだ。
「そう、ね。たまには違った事もしないと、飽きちゃうもんね」
 チリン――
 夜空色の少女はくるりと回った。
「それでは行きましょうか、ケイ。私たちを待つ人々はとても希少で、とても多い」
「はいはーい」
 チリン――
 死導者の姿がかき消える。桜色の少女は一度、振り向いた。眼下には、笑い声が満ちていた。
 桜色の眷属は嬉しそうな笑みを浮かべ、風の中に消えた。
 残るものは、見る限り何もない。在るはずのないものは、形に残る何をも残せない。
 死者が残せる数少ないものは、目では捉えられない、大事なものだけ。
 チリン――



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