雲の上。空には星と月が輝く中。あたしとアンジェラは、待っていた。
 コツコツコツ。
 その音が、する時を。
 コツコツコツ。
「久しぶりね、死喰い。まして、貴女から私を呼ぶなんて」
 コツコツコツ。
 あたしとアンジェラの前に、女の子が歩いてきた。
 白い長髪。純白のワンピース。透き通るような白い肌に、ただ瞳だけが深紅の色をたたえている。
 コツコツ。
「一体、どういう風の吹き回しかしら」
 あたしたちの前に悠然と立つ少女。死導者の始祖、零番目の死導者――聖なる母。
「貴女に聞きたい事があるの」
 あたしの隣に立つアンジェラは、どこか緊張しているような気がした。無理もないかもしれない。あたしと一緒に克服するまで、アンジェラは聖母を見ただけで震えていたんだから。
「私に、聞きたい事? 何かしら」
「貴女は、どうして死導者という存在を生み出したの?」
 くすりと笑い、母は答えた。
「どうしてそんな事を疑問に思うのかしら? 貴女は貴女の役目に従い、死導者を狩り殺せばそれでいいの。貴女が疑問を持つ必要はないわ」
 想定していた通りの答え。母が素直に答えるなんて、あたしもアンジェラも思っていない。
「では、この名前には記憶があるかしら」
 一度、言葉を切り。アンジェラは、その名前を口にした。
「マリア・K・ウェーバー」
 母の動きが止まった。
 手の動き、足の動き、まばたきすらもしない。時間が止まったように、母は全てを硬直させていた。
「……、何故?」
 ようやく搾り出された声は、たった一言だけ。
「貴女たちが、どうしてその名前を知っているの!?」
「知っているのね、マリアという名前を」
 アンジェラが確認した途端、
「その名前を口にしないでッ!」
 弾けるように、母が飛び出す。
「させないわ」
 母が、マリアが振り上げた剣を、あたしは剣で受け止めた。
 雲を強く踏み、マリアはあたしたちから距離を置いた。
「アンジェラ。やるよ」
「――母が私たちの言葉を聞かないのであれば、仕方ないわね」
 チリン――
 あたしとアンジェラは、同じように剣を握った。
 アンジェラの能力は、物質の具現化。イメージすれば何でも作れるような便利な能力。マリアの能力も同じようなもの。けれど、あたしはそんなに器用じゃないから、ふたりみたいに色々なものは作れない。
 あたしが作れるものは、この刀身のみ。誰かを殺す、能力。
 でも。
「アンジェラは、あたしが守るんだから」
 助けてくれた。殺す事しかできなかったあたしを。
 だから。あたしは、アンジェラのためだけに剣を振るうと決めた。アンジェラの敵を倒し、アンジェラの望みを叶え、アンジェラに手を振り上げる相手をなぎ払う。それが、あたしの剣!
「この! 私に! 逆らうなんて! 絶対に認めないから!」
 マリアの白剣と、あたしの光剣がぶつかる。確かにマリアの能力は強い。けど、ただの斬り合いなら、あたしは負けない!
「はッ!」
 気合一閃。あたしはマリアの剣を切り飛ばした。
 あたしの斬撃を、マリアは紙一重でかわす。その先に、
「乱れているわよ、マリア」
 宝剣を握るアンジェラが迫っていた。
 アンジェラは剣を振るう。狙いは甘い。誘われるまま、マリアは上方に逃げた。
 チリン――
幻想顕現ファンタジア・マテリアライズ
 アンジェラの作り出した鎖が、逃げたマリアを捕らえた。
「なめ、ないでッ!」
 マリアの放つ炎。それを、あたしは剣で切り裂く。以前の強さが、息苦しいほどの密度がない。
「う、ああああああ!」
 鎖を引きちぎり、マリアは突っ込んできた。甘い。甘すぎる。
「正面からあたしらに仕掛けるなんて、馬鹿にするにもほどがある」
 再び生み出された剣を斬り飛ばし、あたしはマリアの腕を掴んだ。
 マリアって、こんなに弱かったっけ?
 あたしの知るマリアは、あたしとアンジェラのふたりでも苦戦するような相手だった。それが何? こんなの、あたしだけでも負けないわよ。
 これが、あの、聖なる母?
「もう、落ち着きなさいよ。あんたの名前がわかったから、あんたが人間だったから、それが何だって言うのよ?」
「うるさい! うるさいうるさいうるさい! 貴女たちに、私の事がわかるものか! 私の、私の事が!」
 マリアは、子供のように暴れている。以前のマリアからは考えらなれない行動。
 前のマリアは、アンジェラと似ていた。大仰な台詞に余裕の態度。見た目は子供でも、中身は老人のようなところがあった。
 なのに、今のマリアは見た目のまんまな子供。まわりの意見には耳を貸さない、わがままな子供だった。
「あんたさー、何をおびえてるの? 別に食いついたりはしないわよ?」
「うるさい! 離しなさい!」
 あたしはちらりとアンジェラを見た。アンジェラが頷くのを確認し、あたしは手を離す。
 マリアは、あたしたちを怖れているかのように、大きく距離を開いた。
 肩で息をし、髪を振り乱すその姿には、いつもの威厳がなかった。
 なんだか、マリアが哀れに見える。
 こいつのせいで、アンジェラは苦しむ事になった。アンジェラが『死導者を殺す』という役割になったのも、こいつが決めたからだった。
 だから、あたしはマリアが好きじゃなかった。ううん、どっちかと言えば、嫌いだった。あたしにとって誰より大事なアンジェラを、救いようのない螺旋に叩き落した、この子供が。
 けれど。今のこの子供は、憎めなかった。ぷるぷると震える子猫のような子供を、憎めるはずもなかった。
「貴女は、何をそれまで怖れているの? 貴女の経歴、貴女の名前。それらは貴女を作り上げる要素だけれど、貴女自身ではないでしょう?」
「知った風な口を利かないで。貴女なんかに、私の何がわかると言うの? 何もわかりはしない。私の事を知る者は、私の事を理解できる者は、世界でたったひとりしかいないんだから!」
 理解できる、者?
「……なんだ」
 欲しいんだ。自分を理解できる人が。
「いつも偉そうな口調のくせに、あたしたちと何も変わらないんじゃない」
 どこにでもいる、普通の子供なんだ。
 そりゃそうよ。十歳にもならない間に人間でなくなっちゃって。その時点で、止まってしまった。
 だから、いつも偉そうだし、いつも余裕ぶっているけど、まだまだ見た目通りの子供なんじゃないの。
「この、私を、愚弄するつもり?」
「ぐろー? そんなつもりはないわよ。要するに、あんたも人並みに悩みがあるのねって、そういう事よ」
「それがすでに愚弄と言うのよ」
 少し落ち着いたのか、マリアは背筋を伸ばした。
「いい? 私はこの世で最も神に近い、最も尊き存在。貴女たちと同列に比べるだけでも失礼に値するの。わかるかしら?」
「わかんないわよ。あんたとあたしたちと、何が違うの?」
 あたしとマリアの視線がぶつかり、火花を散らす。
 あたしにはマリアの意見は意味不明。でも、マリアにもあたしの意見はわからないんだと思う。
 でも、尊いとか、そういうのに上下はないと、あたしは思うから。だから、あたしはマリアの意見に頷けない。頷くわけがない。
「――まあ、いいわ」
 くるりとあたしたちに背中を向けて、マリアは言った。
「貴女たちに私を理解できるとも思っていないし、期待もしていない。所詮、貴女たちなど、私の気分ひとつで作れる程度の存在に過ぎないのだから」
「どうだか。自分が万能って思わない方がいいわよ? 神様だってミスするんだから」
 反論は、来なかった。
 あたしたちから逃れるように、マリアは歩いていく。追った方が、いいのかな?
「ケイ。放っておきなさい」
 考えてたら、先に答えが来た。
「少し、落ち着いて考える時間が必要よ。彼女にも、私たちにも。何事も、その場の感情で考えてはいけない。一時の激情で全てを決めれば、後悔する時が来る。焦らなくてもいいわ。私たちには無限の時間があるのだから」
「りょーかい。よかったわね、マリア。命拾いしたわよ?」
 マリアは目線だけを後ろに送り、一言だけ返した。
「その名前を、口にしないで」
 ふっと、マリアの姿が消えた。
 近くに気配はない。たぶん、どこかにテレポートしたんだと思う。
「アンジェラ。何か、変わると思う?」
「変わらずにはいられないでしょうね。あれだけ魂を揺るがしたんだもの。もう、元には戻れない」
 それが良い事か、それとも悪い事かはわからないけれど。そう、続けた。
 良い変化が、起きるといいな。
 遠く、朝日が昇ろうとしていた。


 早朝の清い空気の中を、ふたりの少女が歩いている。ひとりは夜空色の小さな少女、ひとりは桜色の強い少女。
「ねー、アンジェラ。これから、どうするの?」
「まずは、しばらく待つわ。仮に母が変わり、死導者という存在ゲームが終わりを告げるのなら、私の夢は達成される」
「そうしたら、どうするの?」
 どこか不安げな桜色の少女に、夜空色の少女は微笑んで答えた。
「私は変わらない。私が私である限り、今までと同じように在り続けるわ。
 苦しむ人がいれば、手を差し伸べたい。
 生きる道を迷う人がいるなら、可能性を示したい。
 死を選ぶ人がいるなら、その手助けをする事もできる。
 そして、何より。世界が忘れてしまう人の思い出を、永遠に記憶し続けたい。人々の死を、いつまでも覚えている存在でありたい」
「なら、そうしなよ。あたしはアンジェラの手助けをするから」
 ふと、夜空色の少女は立ち止まった。隣に立つ桜色の少女を見上げ、首をかしげる。
「貴女は、それでいいの?」
「ふぇ?」
「貴女の道は、貴女が決めるべき。今の貴女は死者になりたての、混乱し、迷う人ではない。貴女がやりたいと思える事を、していいのよ?」
 桜色の少女は呆然と見つめ、そして、笑った。
「あは、何を言ってるのよ、アンジェラ。あたしがしたい事って言えば、ひとつしかないに決まってるでしょ。あたしはアンジェラを助ける。それが、今のあたしの夢なんだからね?」
 だから、そんな事は言わない。言って、桜色の少女は明朗に笑った。
 その様子を呆れたように見つめ、夜空色の少女は漏らす。
「……世界は、変わりつつある。おそらくは、良い方向へ」
「その結末。あたしも、見届けさせてもらうからね?」
 仕方ないとばかりに首を振り、夜空色の少女は頷いた。
「望めば、叶うものなのね」
「ずっと努力してきたもん。当たり前よ」
「――ありがとう」
 チリン――
 言って、夜空色の少女はくるりと回る。その刹那、その姿がかき消えた。
 桜色の少女は腰に手を当てため息ひとつ、後を追うように姿を消した。
 陽光が、明るく道に降り注いでいた。
 チリン――



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