まっすぐ道を進むだけじゃ、見えないものもある。
 寄り道して、時にはルートを外れて。
 そうして得たものは、決して無駄にはならないって、そう思うんだ。


 高校に入ってできた友達と、僕は駅前の通りを歩いていた。
 暇はあるのに金はないという不遇な状況である以上、僕らに可能なのはただうろつく事だけ。つまり一言で言い表すと、最高に暇だった。
「あれ?」
「ん? どうかした?」
 友達のひとりが、人混みに目を向けたまま足を止めた。
「あ、いや。あれ」
 あごで指す先。高校生らしい人がひとり、ぶらぶらと生気のない目で歩いていた。
「あいつさ、たぶん、俺らと同じクラスだぜ」
「え?」
 よーく見てみる。どこでも売ってそうなTシャツにジーンズ。顔にも見覚えはない。
「いたっけ? あんな人」
「ああ、わかんなくても無理ないな。たしか、四月の後半くらいから学校に来てねーから」
 四月から、来ていない?
「ああ。例の不登校君」
 僕らのクラスでは、ちょっとばかり有名だった。
 学校に来なくなったのは、四月の終盤に入ってから。それから、一度たりとも学校には来ていない。典型的な不登校児だった。
 僕自身、高校に入ったばかりで知り合いでもなかったから、その不登校君の顔も名前も、全く覚えていなかった。道理で見ただけじゃわからないわけだ。
「あいつさ、桂木っつーんだけど、俺と中学が同じなんだよ。だから覚えてるんだけどさ」
「どうして不登校になったんだっけ?」
「確か、部活の先輩と折り合いが悪くなったからって聞いたな」
 友人いわく。桂木君は、入学早々に文芸部に入ったらしい。
 中学の頃から小説が好きで、自分でもよく書いていたとか。そういう経緯もあり、中学時代にはなかった文芸部に対して憧れのような気持ちもあって、張り切って入部したらしい。
「それがよ、あいつが書いた小説、先輩に酷評されたらしくってな。それからちょっとしてからだよ、あいつが学校に来なくなったのは」
 自信作を否定された、ってところか。
 なんとなく、わかる気がする。自分が自信を持って作り上げたものを、頭から否定される。それは、自分自身を否定されるにも等しい事だ。
「中学ん時はたまに遊んだけどよ、不登校になってからは一度も連絡してなかったなぁ……。大丈夫かな、あいつ」
「大丈夫そうには見えないね」
 やる気のない目。歩き方。特に目的があるようにも見えないし、たぶん、ふらふらと歩いているだけなんだろう。
 まるで。今すぐにでも、死んでしまいそうな気がする。
 ――昔の、僕みたいに。
「はげましたり、できないのかな?」
「気になるのか?」
 僕は素直に頷いた。友人は苦笑を浮かべ、
「お前って本当に素直だな。でも、あいつには関わらない方がいいぜ」
「どうして?」
「わかるだろ。今のあいつにとっちゃ、周囲の全てが敵みてーなもんだよ。下手に関わると痛い目に遭うぞ?」
「う、ん」
 そこうしている間に、桂木君の姿は人の波に消えていた。
 それでも僕は、桂木君のいた方を、じっと見つめていた。

 夕方くらいになって、僕は友人と別れた。
 帰路につきながら、脳裏に浮かぶのは生気のない瞳。
 桂木君は、僕に似ている気がした。
 中学に入ったばかりの頃、僕も周囲と折り合いが悪かった。小学校の頃はなんでもトップだったのに、進学校に入ったら、そうもいかなくなった。それが面白くなくて、クラスメイトにやつあたりして。学校を無断で休んだ事もある。
 何もかもが下らなく思えて、自殺すら考えた。
 結局、僕は自分が悪かったという事実に気付いた。学校に行って、みんなに謝って。そして、許してもらえた。
 桂木君も、同じなんじゃないかと思う。
 僕は桂木君の小説は読んでいないし、そもそも普段から読まないから、書評なんてのもできやしない。
 でも、先輩たちが酷評したってのは、もっと面白い小説を書かせるためなんじゃないかと思う。
 本当に面白くて、自分でも自信がある作品なら、他人にちょっと否定されたくらいじゃ折れない。むしろ、これがわからない先輩はバカだって思う気がする。
 桂木君が折れてしまったのは、自分でも強い自信がなかったからじゃないかな? 先輩の指摘が図星だったからこそ、余計に悔しくて。でも、認めたくもない。だから、学校や世間から逃げて、不登校になったんじゃないだろうか。
「――全部、推測だけどさ」
 証拠なんてひとつもないけど、何故だか、自分の考えが真実のような気がした。
 だとしたら、誰かが教えてあげないといけない。君が変わらなきゃいけないよって。僕はそうしてもらえたから、こうして普通に生活できているんだから。
 でも、その誰かが、桂木君にはいないんだ。たぶん、誰も。いれば、もう戻ってきているだろうから。
「どうしようもないのかな……」
 ため息が漏れる。こんな事を考えていても、何の解決にもならないのにな。
 チリン――
 ん? 鈴の、音?
「どうしたの」
 少女の声に、僕は顔を上げた。
 僕の前に、少女が立っている。夜空色のワンピースを着た、長く美しい黒髪の少女。ただその肌だけが、雪のように白かった。手首には、小さな鈴のついた、簡素な腕輪。
 僕は、その姿に、見覚えがあった。
「君は、あの時の死神!?」
「アンジェラ・ウェーバー。それが今の私の名前」
 アンジェラは小さく笑い、その名前を口にした。
 僕が中学の時、僕が悪いと気付かせてくれた死神の少女。こうして会うのは、三年ぶりだった。
「久しぶりね、ワタル。どうやら生きているようで、嬉しいわ」
 アンジェラはくすくすと笑った。僕も、苦笑いを浮かべる。
「嫌味だね」
「貴方が死のうとしていた事は事実よ?」
 本当に事実だから、否定もできない。
「そうだ。ちょうど良かった、君に相談したい事があるんだ」
「そのようね」
 お見通し、ってわけか。
 本当に。この子には、敵いそうもないな。
「では、聞かせて貰いましょうか。私への相談事、とやらを」
 僕は頷き、桂木君の事を話した。
 アンジェラはふんふんと真剣に聞いてくれた。僕の話が終わるまで、アンジェラは一言も口を挟まなかった。
「それで。貴方は、どうしたいの?」
「うーん。できれば、桂木君に気付いて欲しいんだ。世界が悪いんじゃない、君が悪いんだって」
「なら、そうすればいいだけでしょう?」
 って、ずいぶんとあっさり言うね。
「動き出さなければ世界は変わらない。貴方は、それを身をもって経験したはずよ」
「それは、そうだけど。でも、僕と桂木君には何の関係もないし、連絡のしようもないよ?」
「本当に?」
 じっと見上げるアンジェラの瞳。深紅の瞳は、吸い込まれてしまいそうだ。
「貴方が全力を出せば、会う方法などいくらでもある。彼を変える方法だって皆無ではない。それは、貴方もわかっているはずでしょう?」
「――それは、そうだけど」
「今の貴方を縛っているものは何? 目には見えない、『普通の行動』かしら? それが、何の意味を持つと言うのかしら」
 チリン――
 風もないのに、鈴が揺れた。
「ワタル。前に踏み出さなければ、世界は停滞する。今の貴方は、どうすべきかという簡単な事をすでに理解している。後は、踏み出すだけ。世界を変えるたった一歩の勇気、貴方は持っているかしら?」
 世界を変える、たった一歩の勇気。
 僕の前にある道を踏み出すための一歩。踏み出してしまえば、後は走り出せる。ただ、スタートの踏ん切りがつかないだけなんだ。
 そして。その一歩目は、助けてもらった。
「あり、がとう。アンジェラ。ようやく足が動き出したよ」
「それはよかったわね。さあ、後は全力で走り抜けなさい。過去の貴方と違って、今の貴方には、それだけの力があるわ」
 僕の力、か。
 こんな僕でも、力になれるなら。僕は、力になりたい。
 チリン――
 いつの間にか、アンジェラの姿は消えていた。
 それでも、僕の決意は、揺るがなかった。

 翌日。僕は、とある民家の前にいた。
 昨日の夜、友達に電話して、桂木君の家を教えてもらった。そして僕は今、ここにいる。
「とは言ってもな……」
 クラスメイトです、中に入れて下さい。
 ――無理だ。絶対に無理だ。だいたい、クラスメイトって何? 友達ですらないじゃん。しかも、もう夏休みだって。クラスメイトを尋ねる用事がある時期じゃないって!
 ……どうしよう。何も考えてこなかった。
 僕が呆然と立ち尽くしていると、家の扉が開いた。僕は慌てて隠れる。
 家の中から出てきたのは、桂木君だった。昨日と同じ生気のない目で、足を駅の方に向ける。
「チャンス!」
 僕はそっと桂木君の後をつけた。人通りがそこそこ出てきたところで、何気ない風を装って声をかける。
「桂木君!」
 名前を呼ばれ、桂木君が振り向く。目で知り合いを探しているけど、僕を知らない桂木君は当然ながら見つけられない。だから僕は駆け寄り、さらに声をかけた。
「桂木君、だよね?」
「誰? 君」
 問う桂木君の目には警戒の色が濃い。当たり前だけど。
「僕は野上ワタル。君のクラスメイトだよ」
「野上? 覚えてないけど」
「うん、だろうね。一ヶ月も学校には来てなかったんだから」
 桂木君の目にはまだ警戒の色が残っている。けれど、僕の素性がわかったからか、多少は警戒を解いてくれたらしい。
「で、何か用事?」
「まあね。ゆっくり話したいし、あそこで話さない? おごるよ」
 僕はちょうどあった、ファーストフードの店を指した。桂木君は“おごり”の響きにひかれたのか、僕の提案に乗ってくれた。
 そのまま桂木君と一緒に店に入り、適当に注文して席につく。
「さて、と。これでゆっくりと話せるね」
「ゆっくりと話すのはいいけど、何を話したいわけ」
 ジュースを飲みながら、桂木君は聞いてきた。
「僕の体験談、かな」
 だから、僕も本音で話す。
「僕もさ、昔、クラスメイトと折り合いが悪かった。みんなと喧嘩して、不登校になりかけた時期もあったんだ」
 不登校、という単語に、桂木君はぴくりと反応した。
「それで?」
「うん。結局、僕は自分が悪かったって事実に気がついた。気付かせてくれた人がいたからね。そのおかげで、僕は戻ってこれたんだよ」
 平和な、日常に。
 僕は自分の目を覆い、耳を塞ぎ、自ら全てを拒絶していた。そんな僕にも届いた光は、声は、アンジェラのものだった。
 今ならわかる。あの頃の僕は、考えなしのバカだったって。世界の全てと、自分ひとり。僕は世界が間違っていると思っていたけれど、そんな事はなかった。間違っていたのは、僕だった。
 桂木君は、しばらく黙っていた。ジュースを飲み干す頃になってようやく、口を開いた。
「なあ。どうしてそんな話をするんだ?」
「どうして?」
 桂木君は頷き、
「俺と君はただのクラスメイト。特別に親しいわけじゃないし、そもそも俺は学校にすら通っていない。なのに、なんでそこまで俺の事を気にするんだよ?」
「もし桂木君がきちんと学校に来ていたら、話さなかったよ」
 他の、大勢のクラスメイトと同じように、当たり前の生活ができるなら。こんな話、する必要はない。
「桂木君が、迷っているみたいだったから。昔の自分に似ているなって思っちゃって、そうしたら、ほっとけなくなったんだよ」
 桂木君の立っている、その場所の暗さは知っている。独りでは這い上がれないほどに暗く、重い場所だ。
 だから、誰かが手を差し伸べないといけない。そうしないと、いつまで経っても外に出られない。
 自分の作り出した、檻の中から。
「桂木君、よく考えてみて。謝るべきなのは誰なのか。そりゃ、謝っても、もう遅いかもしれないけどさ。でも、手遅れならなおさら、謝らなきゃいけないんだ。そうしないと、前には進めない」
 本当なら、ぶん殴られても文句を言えないほどに失礼な事を言っている。よく事情も知らないのに、君が悪いんだって断定しているんだから。
 なのに、桂木君は怒らなかった。余計なお世話だと突っぱねる事もなかった。
 ただ、一言。
「――野上ってさ、バカだな」
 やっぱり、桂木君も気付いていたんだ。そして、誰かに言って欲しかった。『お前が悪いんだ』って。昔の僕のように。
「よく、言われるよ」
 桂木君は、もう大丈夫だ。

 店を出ると、夏の日差しが暑かった。
「ふー。暑いね、桂木君」
「そうだな」
 くるりと僕に背中を向けた桂木君。僕は、その後姿に問う。
「桂木君。新学期に、学校で会おうね」
「俺は不登校児」
「もう止めるでしょ?」
 僕が言うと、桂木君は首だけを後ろに向けた。
「何でそう決まっているんだよ」
「違うの?」
「……さーな」
 イエスともノーとも言わず、桂木君は歩き出した。
「待っているからねー!」
 その背中に叫ぶ。桂木君はちらりと振り返り、軽く手を上げた。
 これで、僕にできる事は終わりだ。後は、桂木君が自分で掴まなければいけない。
 時間がかかるかもしれない。でも、桂木君なら、きちんと道を見つけられると思う。
 それに、時間ならいくらでもあるんだ。だって、
「夏休みだからね」
 呟き、僕も歩き出した。
 夏の日差しは、どこまでも強く、暑く、輝いていた。


 チリン――
 晴天の下、光に反抗するような夜空色の少女が、空を歩いていた。
「彼は、特別。痛みを知るからこそ、他人の痛みを包み込むだけの度量を持っている」
 チリン――
 眼下には街並み。炎天下の中、休日を楽しむ学生たちが楽しげに歩いている。
「堕ちた者だけが見える世界を、彼は知っている。そして、それは彼にとって、大きな武器とも財産ともなる」
 チリン――
 風もないのに、鈴が鳴っていた。
「そうね、そろそろ行きましょうか。ケイを、探さないといけないわね」
 チリン――
「ふふ。また叱られそうね」
 楽しそうに笑い、少女は姿を消した。
 残るものは、ただ、鈴の音色のみ。
 チリン――



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