何かのために生きるってヤツは、本当に脆い。
 その何かが壊れたら、そいつまでもが壊れちまう。
 自分がなって、俺っちはようやくそれを理解した。


「今さら自由にしろったってなぁ……」
 昼間っから空の上での昼寝。そもそも死導者は眠る必要もないわけなんだけど、こうして人間のように転がるのは、なんとなく心地いいから好きだ。
「どうすっかね。これから」
 聖母――マリアと会ったのは、ほんの数日前。
 死導者の始祖、全ての始まり。どこからともなく現われたマリアは、死導者というルールを解する、と言った。
 今まで俺っちたちは、狩る者と狩られる者という、サバイバルゲームを楽しんでいた。いや、そりゃ正確じゃないわな。楽しんでいたのって、傲慢と憤怒くらいなもんだし。
 それが、急にゲームは止める、なんて言われてもな。
 俺っちの称号は『強欲』。その名前のまま、欲するものを手に入れるためだけに活動してきた。
 そのために人を殺した事もあるし、そのせいで狩る者しくいに殺された事もある。
 そういう在り方を後悔した事はない。何故って、そりゃ俺っちが楽しいからだ。
 何よりも楽しい事を優先する。そうやって生きてきた、けど。
「ゲームが終わりになっちまったんじゃ、無意味だな」
 興が醒めた、ってところか。
 色々な術式は、ただ集めるだけでも、もちろん面白い。生きている者が死んだ者に対抗するために考え出した、様々な策。そいつはもちろん、面白いさ。
 だけど、術ってのは使うともっと面白い。ルールに従って術式を組み上げ、発動させる。相手をはめたりすると、もっと面白い。やった、って感覚を得られる。
 けど、俺っちはもう、戦う必要がなくなった。だから、これらの術式を使う時は、もう来ない。変魂あくりょう相手なんかじゃ、これほどのもんを使うまでもないし。
「だーッ、くそッ! 考えるのは性に合わないってーの!」
 ガバリと起き上がった、俺っちの耳に。
 チリン――
 鈴の音色が聞こえた。
「あー、死喰いか。今はあんたに構うような気分じゃないんだぜぃ?」
「つれないのね。それと、今の私の名前はアンジェラ・ウェーバーよ。覚えておきなさい」
 俺っちの前に立つ、黒髪長髪の少女。マリアとそっくりな、子供みてぇな外見だけど、純白のマリアに対し、こいつを象徴する色は夜空色。暗く黒く、何をもってしても染める事はできない色合い。
 死喰い。死導者を狩る死導者。今まで俺っちたち、死導者と敵対していた、異端の死導者。
 死喰いは頭の上にオコジョを乗せていた。黒い毛並みのオコジョ。死導者たる死喰いが連れているんだから、普通の動物霊なんかじゃないんだろう。見ただけじゃ、違いはよくわからんが。
「で、死喰い。何の用事なんだよ? もうゲームは終わったんだろ?」
「ええ。だから、もう私は貴方を殺さなければいけない、というわけではないわ」
「はッ! 何をぬかしやがる。前に会った時だって殺さなかったくせによ」
「あの時は、貴方は誰も殺していなかったから」
「あー……そういや日本がゲームポイントになってからは、まだ殺してないな」
 それは単純に、それだけの相手――術式を使わせてくれるような相手がいなかったから、なんだが。日本人のオカルトレベルは、低すぎて相手にするまでもない。
「私が憎む者、殺す者は、生きる者の妨げとなる存在。貴方は誰の生をも邪魔していない。だから、殺す理由もない」
「そうかい」
 そんな話、興味がなかった。死喰いの行動理念なんて、俺っちとは全く違う。そんなもんを聞いたって実感はできないし、面白くもなんともない。
「私が貴方に会いに来たのは、別の理由からよ」
 前置きし、死喰いはじっと俺っちの目を見つめた。深紅の、吸い込まれそうなほどに純粋な瞳。
「マモン。ひとつ、お願いがあるの」
「――、言ってみろ」
「もう、誰も殺さないで欲しい。生きる者を、妨げないで欲しいの」
 なるほど、な。死喰いらしい願いだ。
「つまりは、俺っちが誰かを殺せば、お前は俺っちを殺さなければならなくなる。それが、お前が決めたルールだから。けど、殺しが趣味じゃないお前としては、俺っちと戦うのも嫌だ、ってところか?」
 死喰いが頷く。やっぱりか。
「んー、まあいいけどよ」
 俺っちが言うと、死喰いは少しだけ驚いたように目を丸くした。
「そんなにあっさりと決めてしまっていいの?」
「あ? 何か文句でもあるのかよ」
「文句などはないわ。けれど、貴方には貴方のルールがあるでしょう?」
 ああ、あるともさ。『欲しいものはどうやったって手に入れる』。それが俺っちのルールだ。
「実を言うとな、死喰い。今の俺っちにやりたい事ってないんだよ」
「……? あれだけ様々な人間の術式を覚えていた、貴方が?」
「ありゃ、お前と戦うために得たようなもんだ。俺っちも、仮にも死導者。本気で戦える相手なんてそうそういない。お前でなきゃ駄目なんだよ。だけど、もうお前と戦う理由もない」
「貴方ならば、術式を試したい、などという理由で仕掛けてくるとも思っていたけれど?」
「それじゃー駄目なんだな。今のお前じゃ、俺っちを殺そうとしないだろ? たとえ、俺がお前を殺そうとしても」
 そう。こいつは、そういうヤツだ。戦う理由がない、とかなんとか言って、逃げ出すだろう。
 そして、そんなもんは建前だ。要するに、俺っちが興味を失ったという、それだけなんだから。
「用が済んだんならもう行けよ。それとも、まだ何か言いたいのか? 説教は聞かないぜ?」
「……、ねえ、マモン。人間と会ってみない?」
「あ?」
 提案した死喰いは、微笑んでいた。

 死喰いが俺っちを連れて向かった場所は、田舎町の神社。夕陽に照らされた世界は古臭い雰囲気だが、俺っちはこの場所に見覚えがある。
 見覚えはある、んだが。どうにも思い出せない。俺っちの悪い癖だ。興味を失った場所に対しては、記憶が薄れる。
「おい、死喰い。どこだよ、ここ」
「アンジェラ、よ。ここは、鯉田の神社」
 鯉田。変な名前だな。
「んで、その鯉田の神社に何があるっつーんだ?」
 ふむ。よくよく感じ取れば、神社の奥の建物から、強い力を感じる。何か、ハイレベルな霊具でもあるんだろうさ。
 今の俺っちでは、興味も沸かないが。
「降りるわよ」
 返事はせず、死喰いはふわりと神社の敷地に降り立った。仕方なしに、俺っちも神社に降りる。
 チリン――
 死喰いが実体化した。会いたい人間がいるっつったな。
「マモン」
 促され、俺っちも実体化する。これで、普通の人間でも死導者が見えるようになったってわけだ。
 ボーッと突っ立っていると、ぱたぱたと足音が聞こえた。そちらに目をやれば、高校生くらいの姉ちゃんが、こちらに駆け寄ってきていた。巫女装束なのは、ここの神社の人間だからだろう。
 駆け寄った姉ちゃんは息を整えると、俺っちと死喰いの顔を等分に眺めた。
「アンジェラ、マモン? どうしたの、ふたり揃って」
「あ? 何で俺っちの名前を知っているんだ?」
 聞くと、姉ちゃんは不思議そうに首を傾げ、
「前にあなたが名乗ったから、なの」
 む。って事は、知り合いってわけか? 興味が薄くてなんとも思い出せないが。
 俺っちが思い出していないという事を理解したのだろう、姉ちゃんはさらに説明を始めた。
「あなたが私と佐倉君の記憶を取り戻してくれた。そのお礼に、私はあなたに社宝たる鏡を見せた。覚えていない?」
 鏡、鏡か――、あ。
「ああ、まみ姉ちゃんか」
 ようやく思い出した。八咫鏡やたのかがみを見せてくれた姉ちゃんか。
「で、死喰」「アンジェラ」
 しつこいな。
「……アンジェラ。俺っちに会わせたかったのって、まみ姉ちゃんなのか?」
「ええ」
 つってもなあ。今の今まで忘れていたくらいの相手だし、何の話もないんだが。
 構わず死喰いは、まみ姉ちゃんに向き直る。
「まみ。マモンに、貴女の話を聞かせてあげてくれないかしら?」
「私の、話?」
「そう。貴女がマモンと出会い、変わった未来を」
 合点がいったように頷き、まみ姉ちゃんは俺っちを見た。
「私、決めたの。あなたに出会って。私は、救われない存在を救う退魔師になると」
「なんで俺っちと会うと、そういう結論になるんだ?」
 俺っちは誰かを助けた覚えなんてないんだけどな?
 まみ姉ちゃんはくすりと笑い、
「あなたは、全ての道を自分で決めていた。レールの上を走るだけの私と違って、きちんと自分のやりたい事を見つけ、自分のやりたい事をしていた。私も、そんな生き方をまねてみたくなったの」
「俺っちの、生き方を?」
 まみ姉ちゃんは頷く。
 変な、人だ。俺っちは死導者。姉ちゃんは退魔師。本来なら、敵対する関係なのに。
 よりにもよって、退魔師が死導者の生き様をまねする? 冗談にもほどがあるぜ。
 冗談にもほどがある、けど。ちっとだけ、羨ましいと思った。
「あなたは今でも、術式探しをしているの?」
 まみ姉ちゃんは、純粋な目のままに聞く。けれど。俺っちは、その目を見られなかった。
 今の俺っちは、目的を見失っている。やりたい事を失った。まみ姉ちゃんは俺っちから生き様を学んだのに、俺っちときたら、テメエの生き様さえ決められないでいる。
 笑い話、だな。
 俺っちは曖昧に笑い、誤魔化すしかなかった。

 夜空を死喰いと並んで歩く。風のない夏の空は、暑苦しいだけだ。
「どう、マモン。道は見つかったかしら?」
「いーや。俺っちのやりたい事がないっていう事実には、まだ変わりはないな」
 まんまと死喰いにはめられちまった。こいつ、ただ『殺さない』って約束をさせに来ただけじゃないんだ。それに気付いたのは、まみ姉ちゃんに会ってからだった。
 こいつは、導くつもりなんだ。死導者すら。
 母は俺っちに死導者として生きなくていいと言ったが、だからって俺っちたちにどうしろ、とは言っていない。
 言ってしまえば、今の死導者ってのは、いきなり職を失った仕事人間みたいなもんだ。起源に忠実に、死導者として生きれば生きるほど、急に死導者やんなくていいよって言われてもどうにもできない。
 そういう、道を見失った死導者にすら、道を示すつもりなんだ。こいつは。
「死喰」「アンジェラ」「アンジェラ、お前ってやっぱり甘いな」
 ついこの間まで敵だった相手を、わざわざ導くなんてよ。だからこそ、こいつは『死喰い』なんだな。
 生を喰らう者の敵。死を喰らう者。逆に言えば、生を喰らわない俺っちのような死導者は、こいつにとって守るべき対象なんだ。それが、元・敵であろうとも。
「お前は、これからどーするんだ?」
 聞くと、死喰いは当然とばかりに言う。
「私は、私の敵を倒すわ。そして、人々を導く。そのために戦ってきたのだから」
 敵ですら導いてしまう、救おうとしてしまう、異端の少女。なんとなく、眩しかった。欲望だけで生きてきた俺っちとは、住んでいる世界が違う気がした。これだけの強い意志、俺っちにはない。まだ、ない。
 俺っちはぐっと足に力をこめると、大きく飛び上がった。死喰いが俺っちを見上げている。その死喰いに向かい、俺っちは叫んだ。
「死喰いッ! 安心しろ、お前との約束は守る。もう誰も無意味に殺したりはしないよ。俺っちはこれから、面白いもんを探す。それが俺の生き様だ!」
 死喰いの返答は待たない。そんなもの、どっちでもいい。
 今の俺っちには、やらねばならない事がいくらでもある。とにかく、色々な事を試してみよう。せっかくゲームが終わったんだ、世の中の面白いもん、全部を俺っちは知りたい!
 雲のない、月光の明るい夜の空。その光景は、俺っちには、祝福されているように見えた。


 黒い翼を持つ少年を見送り、夜空色の少女は、ふぅと息を吐いた。
「ケイ。もう出てきていいわよ」
 夜空色の少女が言葉をかけると、空間が揺らめいた。現われたのは、桜色の着物に身を包んだ少女。
「ふー。我慢するの、苦労したわよ?」
「ごめんなさい。彼を説得するのは、私ひとりの方がいいと思ったものだから」
「いいわよ、別に。これであいつ、変わったと思う?」
 夜空色の少女は翼を持つ少年の飛び去った方向を見つめ、頷いた。
「もう彼は生を喰らわない。元来、彼は興味を持っていなかったのだから、説得も簡単だったわ」
「その代わり、いつものお説教が入ったわけですケド?」
 くすくすと笑う死導者。その姿は、とても楽しそうだった。
「さあ、行きましょうか。未だ戦いを続ける死導者、生き迷う人々、死を認められない霊魂。私たちが会うべき相手は、いくらでもいるのだから」
「そーね。まったくもって、仕事が多い多い」
「きゅー」
 少女の頭上、黒い小動物の言葉を、夜空色の少女は言葉に換える。
「貴女は仕事熱心には見えないそうよ、ケイ」
「何をぉ? そんなん、あんたに言われたくないわよ、この小動物がッ!」
「きゅー!」
 爪と剣がぶつかり合う。少女は楽しそうにその光景を眺め、声をかけた。
「ほらほら。行くわよ、ふたりとも」
「あ、ちょっと待った!」
「きゅー!」
 チリン――
 夜空色の少女は姿を消す。その後を追うように、すぐさま桜色の少女と黒い小動物も姿を消した。
 残るのは、風もない夜の空。
 チリン――



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