夏は心霊話が多い季節。テレビとかで見ている分には、それも面白いけど。
 でも。実際に味わうと、洒落にならない。
 まして、そこに人の想いがあるなら、笑えるわけない。


 よし。とりあえず、荷物は運び入れた。さて、こっからどうしよう。
 マンションの八階、ワンルームの部屋。そこが、私の引越し先だった。
 真夏にクーラーもつけていないってのに、この部屋は涼しかった。なんでも最新の素材を壁に使ったとかで、夏は涼しく、冬は暖かいとか。実際に涼しく、私がこの部屋を気に入ったのも、それが一番の理由だった。
 部屋はダンボールに囲まれている。まだ荷物を中に入れたばっかりで、片付けなんて何もしていない。
「……ま、いっか」
 時刻はもう夕暮れ。とりあえず、寝るくらいのスペースはあるし、これからは明日以降って事で。
 これだけ荷物があると料理するのも大変だし、今日は外で食べようか。
 思い立ったら即、行動。私は財布とケータイだけを手に、自室を出て鍵を閉めた。
 一階まではエレベーターで向かう。私が『下』のボタンを押すと、すぐさまボックスがやってきた。
 エレベーターの中には、すでに女の子がいた。黒髪ストレートで、この夏の盛りに、真っ黒な長袖ワンピースを着た女の子だ。少し、変わっている。
 と、気にしていても仕方ない。私はエレベーターに乗ると、一階のボタンを押した。
 エレベーターがゆっくりと下に降りていく。
「ねえ」
 ふと、女の子が口を開いた。
 振り向くと、女の子が私を見上げていた。怖いほどに白い肌が、目に入った。
「貴女、あの部屋から転居した方がいいわよ」
「え?」
 突然の台詞に私が言葉を失っていると、女の子はさらに続けた。
「あの部屋は、貴女には向いていない。見える人、それも自らを守るほどの能力者でないと、あの部屋は危険」
「な、何の事よ!?」
 女の子は私の言葉にも耳を貸さず、ついと笑った。
「忠告は、したわよ?」
 チリン――
「あ、れ――?」
 まばたきをして、その後。私の視界からは、女の子が消えていた。
 きょろきょろと見渡しても、女の子はどこにもいない。ふと気付けば、エレベーターは一階に到着し、扉が開いていた。扉から、降りたのかな?
「……あ」
 そういえ、ば。あの女の子は、どこで降りるつもりだったんだろう。
 私が一階を押した。そして、ノンストップで一階まで来たように思う。じゃあ、あの子は、ボタンも押さずにエレベーターに乗っていたの?
 ――ぶるりと、体が震えた。
 私は恐怖を払うように頭を振り、逃げ去るように、エレベーターから飛び出していった。

 夕食を食べ、私は自宅に足を向けていた。
 ちゃらっちゃら〜♪
 と、そこに着メロが響いた。私はケータイを取り出し、メールが届いている事を確認した。
 操作し、メールを開く。件名は、なし。アドレスも見た事がないものだった。
 内容は、一言だけ。
『カエシテ』
 カタカナで、返して。たったそれだけで、それ以外には何も書いていない。
「……誰かに何か、借りてたっけ?」
 最近は何かを借りたような記憶はない、んだけど。
「ん、添付がある」
 ふと、添付ファイルがある事に気付いた。今度はそっちを開いてみる。
 添付されていたのは、写真。写っているのは、私の部屋に似ていた。けれど、ダンボールの山なんてなくて、白い清潔なベッドやテレビ、ポスターなんかが置いてある。
「何、これ。この中から足りない何かを見つけろって事?」
 そんなの、間違い探しじゃあるまいし。わかるわけないじゃないの。
 そこに、またメール。やっぱり件名は入ってなくて、アドレスはさっきと同じだった。開くと、内容はまた一言。
『カエシテ』
 さすがにここまでだと、ちょっと不気味かも。また添付ファイルがあるから、間違って同じメールを二度、送信しちゃったのかもしれない。
 思いつつも、私は再び、ファイルを開いた。
「――あれ?」
 一見すると、さっきと同じ写真。けど、よく見ると、画面の真ん中あたりに白い靴下が置いてあった。こんなの、あったっけ?
 前に送られてきた写真を確認してみる。こっちには、やっぱり靴下なんてない。
「どういう、事?」
 私が考えている間に、三通目のメールがきた。嫌な予感がしつつも、私は添付ファイルを開いた。
「きゃッ!?」
 そして。思わず、ケータイを取り落とした。
 おそるおそる、もう一度だけ、確認してみる。画面の真ん中、靴下の上。
 そこには、半透明の、足があった。膝から下の、女の子の足が。
「ヤダ、何これ……?」
 嫌がらせにしたって度が過ぎている。こんなのを送ってきたのは、誰?
 私の頭に友人たちの顔が浮かび、消えた。これだけの映像を作るんだから、かなりパソコンに詳しいんだろう。でも、そんなのができそうな人、いたっけ?
 気味が悪くなった私は、ケータイを拾い、早足でその場を後にした。

 自宅に向かう間も、何通ものメールが送られてきた。どれも同じアドレスから、同じ件名で、同じ内容で。違うものはひとつ、添付されている写真のみ。
 靴下、膝下。続いてスカートを身につけた腰が写り、セーラー服みたいのを着た上半身が写り、右腕が現われ、左腕まで届いた。
 首のない誰かは、手をぶらんと下げたまま、カメラの方を向いていた。
 エレベーターホールに辿り着いたところで、またメール。よせばいいのに、手が勝手に添付ファイルを開いてしまう。
「〜〜〜〜ッ!」
 もう、言葉も出なかった。
 最後の映像は、女の子の顔だった。私の方をじっと見つめている、虚ろな瞳。なのに口元は笑っていて、とても、人間の表情とは思えない。
 私は、ケータイの画面から目が離せなくなった。そのまま、ありえない光景が、広がっていく。
 ケータイに写った人の首が、動くはずのない写真の映像が、徐々に、傾いていく。
 口元には人ならざる笑みを浮かべたまま。目は死んだまま。首が、ゆっくりとゆっくりと動いていき、とうとう、肩に耳がついた。
『カ・エ・シ・テ』
 口が動き、私に言葉を伝えてきた。
 私の震える手は、それ以上、ケータイを握っていられなくなった。カシャンという軽い音がして、ケータイが床に落ちた。
 腰が抜けて、私は床に座り込んでしまった。体に力が入らない。
 どうしよう。何、何なのこれ!? 誰かの悪ふざけ、じゃない。こんなの、どうやったって誰にもできない。できるはずない!
 チーン。
 混乱する私の背後で、気が抜けるような軽い音が聞こえた。エレベーターが到着した音だ、とわかるのに、少しだけ時間が必要だった。
 私はまだホールに到着したばかりで、エレベーターを呼んでいない。だから、誰か一階に降りてきたんだろう。降りてきた、はずなのに。
 ――どうして、誰も降りてこないの?
 私の頭の冷静な部分が、振り向いてはいけないと告げている。だけど、身体は勝手に、首を後ろへと向けていた。
 ぎぎぎ、と重い首を後ろに向ける。最初に目に入ったのは、ローファーを履いた、女の子の足だった。
 そして、首を徐々に上に向けていく。制服のスカート、セーラー服。そして。
 写真で見たばかりの女の子が、同じように笑い、同じように首を傾げ、私を見下ろしていた。
「カエシテ?」
 歯の根がカチカチと音を立てる。言えない。何も言えない。なんでもあげるって言いたいのに、言えない!
「カエシテ?」
 繰り返し、女の子は一歩、前に出た。私は慌てて、這いずるようにして後ろに下がった。
「カエシテ?」
 女の子は前に向かって歩く。私は後ろに下がっていく。
 とうとう、私の背中が、壁に触れた。それでも、女の子は歩みを止めない。
「カエシテ?」
 私の目の前に立ち、女の子は言った。不自然な向きで腰を曲げ、私に目一杯に顔を近付け。
「カエシ」「しつこい!」
 女の子の顔が、斜めに切れた。
 途端、女の子の姿は、煙のように消えてしまった。後に残ったものは何もなく、女の子が立っていた場所の後ろには、別の女の子が立っていた。
「まったく、もう。死んだんだからさっさと成仏すればいいのよ」
 桜色の和服に白いミニスカートを合わせた、黒髪の女の子。その瞳は、とても強い色をたたえていた。
「や。大丈夫だった?」
 女の子は軽く手を挙げ、小首を傾げて聞いた。セーラー服の子と大差ない動作なのに、こっちは、なんだかとても安心できるものだった。
 チリン――
 桜色の女の子の後ろから、別の子が顔を出した。
「あ! あなた!」
 その子供は。ついさっき、エレベーターの中で出会った、黒い女の子だった。今度は、頭の上に動物を乗せていた。
「ごめんなさい。忠告が、少し遅かったようね。まさか、あそこまで性急に行動するとは、思っていなかったから」
「何? え? 何? ど、どういう事!?」
「んー。つまりね、あんたが借りたあの部屋。あそこ、おばけが住み着いてたのよ」
 おば、け?
「何を驚いてんのよ。さっきのが人間に見えたわけー?」
「そ、そういう意味じゃ、ないんだけど……」
 上手く言葉にできない私に、黒い女の子は説明を続けてくれた。
「先ほどの少女。彼女は、元々はあの部屋にひとり暮らしをしていた。両親は田舎にいて、都会の高校に進学したらしいわ」
 よくある、話。そのままエスカレーター式とかで、大学に行けたりする、有名な進学校。そういうとこは、田舎から受験する人もいたりする。
「彼女には恋人がいた。ある日、恋人は彼女に約束した。『今日、遊びに行く。大事な話があるから、絶対に家にいてくれ』、と。言われた彼女は嬉しそうに、恋人の到着を待った」
「けど、来なかった。彼氏の兄ちゃんはね、会いに行く途中で事故ったのよ。幸いにも命に別状はなかったんだけど、意識不明で、彼女には連絡ができない状態になっちゃったの」
「それでも、彼女は恋人の到着を待ち続けた。死が忍び寄っている事実に、気付く事もなく」
「――死が忍び寄る?」
 私の言葉に、桜色の女の子はため息をついた。
「硫化水素って言うんだっけ? ほら、毒ガスで自殺するっていう。隣の部屋の人が、それで自殺したのよ。薄い壁を通して漏れたガスは徐々にあの子の、つまりは今のあんたの部屋に入り、結局、女の子は死んでしまった。彼氏を待ち続けたままでね」
「彼女は、死してなお、あの部屋に留まり続けた。事実を知る事もなく。ただ、ひたすらに。けれど、恋人があの部屋を訪れる事は、とうとうできなかった」
「で、貸しに出された直後に、あんたが借りちゃったってわけ」
 わかった、と女の子が尋ねた。けれど、私は現実についていけなくて、返事ができなかった。
「あー、まあ、つまりはそゆコト。あたしが殺しておいたから、もう大丈夫だからね? 安心してあの部屋に住んでいいわよー。ま、今後は夏だと、暑いと思うけど」
 ふたりの女の子は顔を見合わせ、最後に、私を見た。ふたりともにっこりと笑い、
 チリン――
 消えた。
 取り残された私は呆然と座り込み、ふと、明日の行動を決めた。
「……、とりあえず部屋とケータイを変えよう」


「一途な想いのせいで誰かに迷惑かけるなんて、報われない話よねー」
 道を歩む桜色の少女は、頭の後ろで手を組んでいた。その隣を歩む夜空色の少女は、頷いて返す。
「想わなければ苦しまなかった。愛がなければ悲しみは生まれなかった。想いや愛がなければ、それは苦しみと悲しみを生み出すと言うのに」
「何事も、過ぎたるは及ばざるが如し、か」
 過ぎた想いは、身を焼き尽くす。自分の身も、他人の身も。
「……ま、とりあえずは不幸な人はひとりで済んだんだし。最低限まで被害は抑えられた、よね?」
「それは、断定できない。あるいは、彼女を平和的に転生させる方法も、あったのかもしれない。けれど」
 夜空色の少女は、かたわらの部下を見上げ、微笑んだ。
「最大限の努力はしたつもり。それだけは、真実」
 桜色の眷属は、主たる死導者を眺めた。その小さな体には、彼女よりもずっと深い経験が刻まれている。
「きゅー、きゅーきゅ!」
「過ぎた事を悔やまず、先に進め! だ、そうよ。ええ、その通りね、エル」
 頭上の黒い小動物を見上げ、夜空色の少女は続けた。
「うん。じゃあ、行こ、アンジェラ」
「ええ。次の逢瀬は、できるなら、悲しみのない出会いがいいわね」
 チリン――
 少女の呟きは風に流れ、誰の耳に届く事もなく、消え去っていく。
 チリン――



戻る