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外れたレールには戻れない。 願わずしてレールから外れた私たちは、ただ苦しむだけ。 苦しみから解放される手立てなんて、ひとつしかない。 「どうしても、死を、望むのね?」 「ええ、そうよ。あんたが殺してくれる?」 死神を自称する少女は、予想通り、小さく首を横に振った。 外からは賑やかな声が聞こえてくる。カーテンを締め切り、電話線も切ったというのに、どいつもこいつも諦めやしない。 「……これであんたが死んだら、外の連中があんたを殺したようなもんね」 「そうね。それで、『私たちにも責任があった』とか、テレビで堂々と言って。でもって軽く頭を下げて、それで終わりよ」 何度も繰り返されてきた。あいつらのせいで人生をめちゃめちゃに砕かれた人がいくらでもいるのに、あいつらは消えない。なくならない。改善しようとすらしない。誰が望んでいるのかもわからないような自称・報道を続ける。 「アンジェラとケイ、だったわね。あんたたちは私を殺せるの? 殺せないの?」 問われ、見た目には高校生にしか見えない女の子は、答えた。 「んー。あたしは、アンジェラが殺していいって言うなら殺してあげるわよ?」 ケイは、隣に立つ小学生みたいな女の子を見た。死神少女はケイを見上げ、続けて、私を見た。 「死んでしまえば、全てが終わってしまう。可能性が全て消えていないのに、それらに幕を下ろす手伝いは、私はしたくない」 「そう」 会った時から、なんとなく予想はついていた。この子は、優しすぎる。人殺しには、向いていない子だ。 ――私の父と違って。 私の父は、母を事故で亡くして以来、ずっと塞ぎこんでいた。それがどう曲がったのか知らないけど、無差別殺人なんていう、同情のできない行為に走らせた。 マスコミは次々に書きたてた。また無差別殺人、と。 人が人を殺すのはいけない事。そんなものは私にだってわかる。でも、だからって赤の他人がここまでする理由が、ある? 連中のせいで、私は仕事を失った。父のせいじゃない。あいつらが仕事場にまで押しかけてきたせいで、仕事にならなくなっただけ。 友達もいなくなった。父が捕まってからも私に付き添ってくれた人ですら、マスコミの猛攻には耐えられなかった。 私自身が何かをしたわけではないのに。私は、何もかもを失ってしまった。 そして、その責任の一旦は、連中にある。 何も持っていないなら、何もかもを失ったところで同じ事。今からやり直すなんて気力は起きない。 だから私は、死を望んだ。 「殺せないなら、どっかに行って。邪魔だし」 「……、ええ」 チリン―― 小さな鈴の音色が聞こえ、ふたりの姿は消え去った。 私はため息ひとつ、ソファに身を沈めた。そこそこ広いリビングは、途端にうら寂しい雰囲気になった。 「きゅー」 「ん」 足元を見ると、黒い何かが視界を横切った。 黒い何かは素早くソファの上に飛び乗り、私の膝の上に乗った。 「誰、あんた」 「きゅ」 それは、黒い小動物。翡翠色の瞳をきらきらと光らせた、見慣れない動物だった。 「あんた。どっから入ったの?」 「きゅ?」 何を言っているのかわからない、と言わんばかりに、首を傾けた。 私は動物を抱え、じっと目を見つめた。 「あんたもさっきの死神の仲間?」 「きゅー?」 やはり、何を言っているのかわからないポーズ。なんとなくだけれど、こいつは、私の言葉を理解しているような気がした。 締め切った家に入ってきたんだし、たぶん、この子もアンジェラの関係なんだろう。アニマルセラピーでもしようってのかしら。 「――そうだ。せっかくだし、あんた、私に協力しない?」 小動物はしばらく私を見つめ、わかった、という風に頷いてみせた。 「よしよし。それじゃあまず、ね?」 私は、思いつきの計画を小動物に聞かせ始めた。 名前もわからないあの子は、本当によくやってくれた。 私の頼み通り、マスコミ連中のカメラやら機材やらをいじりまくる。機器が壊された連中は慌て、私はその隙をついて外に出る事ができた。こうして外に出るのも、もう三日ぶりだ。 そして私は、ここまで来た。落ちたら生きては帰れないと言われる、危険な崖。こんな危ないところに、夜中に訪れる人間なんて、私くらいなものらしい。 自殺者は増えているって聞いたけど、案外と、まだ世の中に希望を持っている人も多いのかもしれない。 「きゅー」 鳴き声に振り向くと、夜闇に紛れ、さっきの小動物がとことこと歩いていた。 「あんた、まだいたのね。何しに来たの? 自殺するなーとでも言いに来たわけ?」 きゅ、と小さく頷く。どうやら、本当にそのつもりらしい。 「あんたに言ってわかるかどうか知らないけど、一応は言ってあげる。無駄だし、帰りなさい。私みたいのに付き合ったって、気分が悪くなるだけよ」 ぷんぷんと首を振り、小動物は私の足元まで歩いてきた。そして、器用に跳び、私の肩に乗った。 仕方なく頭をなでてあげる。気持ち良さそうに目をつむる姿は、なかなかに可愛かった。 「じゃあさ、私の話でも聞く?」 「きゅ!」 こんな、人間の言葉を本当に理解しているかどうかも怪しい小動物に話しても、仕方ないけど。 最期に話しておくのも、悪くない。 「私さ、もう生きていたいと思わないのよ。なーんにもないの、私には」 波が岩にぶつかり、砕ける音がよく聞こえる。間もなく、私もあの波のように、砕け散る。 「何も持っていない人は、何も失いようがない。なら懸命に生きろとか、偉い人は言うんだろうけどさ。私はそんな事、できないのよ」 何も持っていない人は、頑張りようがない。それだけの気持ちを生み出すものすら持っていないんだから。 「だから、死ぬの。下らない人生に幕を降ろしてしまいたいの。面白くない映画なんか、いつまでも見ていたって時間の無駄でしょ?」 小動物は返事をしなかった。私の言葉が理解できなかったのか、それとも、理解したくなかったのか。それは、わかんないけど。 私は肩からそっと降ろし、崖の淵に立った。 「じゃね。見送り、ありがと」 そのまま私は、空に向かって跳び上がった。 「痛……!」 全身がバラバラになりそうなほど、痛かった。いや、実際にバラバラなのかもしれない。目が開かなくて、それすらもわからなかった。 わかっている事。それは、私がまだ生きているという事だけ。 どうやら、私の不運は筋金入りらしい。自殺しようと崖から落ちて、死ぬ事もできずに途中で引っかかるなんて思ってもみなかった。 指のひとつも動かせない。これでは、死ぬ事も、生きる事もできない。本当の生殺しだ。 チリン―― 「こんばんは。まだ生きているようね」 「……アンジェラ?」 「ちなみにあたしもいるわよ」 ケイの声も聞こえる。地形がどんな風になっているのかは正確にわからないけど、女の子が立っていられるようなスペースなんてあったっけ? ああ、死神には、地面もいらないのね、きっと。 「何の、用よ。今、立て込んでいる、んだけど?」 言葉を一息に発する事もできない。このまま放っておけば、私は間違いなく死ぬだろう。それまで、苦しむだけ。 「自ら死するほどの気概。生への絶対的なる絶望。貴女には、生きる要素がひとつとして存在しない」 だから。 最後の言葉は、消え入りそうだった。なのに、なぜだかはっきりと聞き取れた。 「私が貴女を殺してあげる。貴女は、私が殺すに値する人間」 チリン―― 薄く、目が開いた。アンジェラが何かをしたのかもしれない。 私は細い目で、空を見上げた。アンジェラが剣を手に、私を見下ろしていた。 「生と別れを告げなさい。貴女はこれより、死者に混じる」 アンジェラが剣を振り下ろす。それはまっすぐ、私の胸を貫いた。 途端、痛みが消えた。体が不思議な感覚に包まれ、暖かな空気が漂っていた。 これで私は、この世界とお別れできる。 「――さよなら、腐った世界」 そっと目を閉じた。もう二度と、開く事のない目を。 夜空を歩む三人に、特にあてはなかった。 「にしてもムカつくわよね。あの連中は人を死にたくなるほど追い詰めたくせに、罪の意識もなく堂々と生きていられるんだから」 「何をしようとも、選択したのは、死を選んだ当人よ」 「そりゃそうだけどさ、マスコミがいなきゃ死ぬ必要もなかったって事よ? そんなのずるい、許せない」 桜色の着物に身を包んだ眷属は、心の底から憤慨していた。一方で、夜空色のワンピースに身を包んだ死導者は、いつもと変わらぬ表情で歩いていた。 「ん、でも、アンジェラの言う通りよ。なんだかんだ言っても、私が勝手に死んだだけだもの」 漆黒の毛並みを持つ小動物と遊びながら、自ら死を選んだ女性は言う。 「それよりさ、アンジェラ。私はいつまでこの中途半端な状態でいなきゃいけないわけ?」 「望むなら、すぐにでも終わらせられるわ」 女性は立ち止まる。真似るように、死導者も立ち止まった。 女性は死導者の頭上にオコジョを乗せ、小さく笑った。 「じゃ、終わらせて。もうこんな世界と付き合いたくないもの」 「……いいわ」 死導者は女性をかがませた。そして、その口に自らの口を重ね合わせる。 瞬間、女性の姿はかき消え、光の球となった。 「貴女は人間の持つ醜い部分を、あまりにも強く見つめてしまった。ごまかしが通じないほどに」 光の球はふわふわと、空に向かって昇っていく。救いを求めるように。 「人は、決して醜いだけの存在ではない。そんな存在なら、私は守ろうと思わなかった。けれど、人は美しいだけの存在でもない。そんな存在なら、私が守る必要はなかった」 「嫌な部分もイイ部分も、あわせ持って人間様ってところね」 どちらかしかないのであれば、苦悩はしない。どちらも持つから、悩み苦しみ、そして、それを楽しむ事ができる。 ふたりの少女は、月と重なる光の球を、見つめ続けていた。 チリン―― |