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嫌な事をされたら、憎むのは仕方ない。 自分と同じ目に遭えって思う気持ちも、あるかもしれない。 でも。僕は、それを認めたくない。 僕の彼女、真理先輩は、奔放な人だ。いきなり何かの用事を言いつけられる、なんて事もしょっちゅうで、僕自身もそれには慣れている。 慣れている、けど。 「というわけなの。お願い」 「そう言われましても……」 僕は頭をかき、困っているという態度を示した。けれど、先輩には通じなかった。これもいつもの事だけど。 「だって、あの人には色々とお世話になったんだもの。何か力になりたいって思うのは、普通の事でしょ?」 「それはそうですけど、でも、僕はイタコとかじゃないんですけど?」 「けど、おばけは見える。そうなんでしょ?」 「見えますけど、いないものは見えませんよ」 「大丈夫。まだ四十九日が過ぎてないから!」 そういう問題じゃないんだけどなぁ。四十九日って、おばけがこの世にいる時間とは何の関係もないんだけど。って、そんなのを見えない真理先輩に言っても、納得しないだろうな。 確かに、僕はおばけが見える。子供の頃からで、いわゆる霊感少年っていう存在だ。でも、それは『見える』だけであって、『呼べる』わけじゃない。どっかに行っちゃった死者を呼ぶなんて器用な真似はできないし、仮に成仏しちゃってたら、それこそ誰にもどうしようもない。 僕が渋っていると、先輩は眉根を寄せた。 「なーにー? それじゃあ、私の恩人が殺人犯になっちゃっても構わないって言うのー?」 「そんな事は言っていませんよ。でも、それほどの事態なんですか?」 「だから! さっきから、そう言ってるでしょうが!」 むう。仕方ない、な。先輩の頼みじゃ、断るわけにもいかない。 ため息ひとつ、僕は首を縦に振った。 「わかりました。それじゃ、その知り合いって人に会いに行きます」 「ありがと、くー」 先輩は壁の時計を見上げ、休憩時間も終わりが近い事を知った。 「それじゃー、よろしくね!」 しゅぱっと席を立ち、先輩は休憩室から出て行った。 僕はと言えば、まだ時間に余裕はある。また、ため息ひとつ、僕は携帯電話を取り出した。 バイトを終えると、僕らは先輩の恩人とかいう人の家に向かった。 恩人さんは、バイト先から電車に乗って一時間弱のところにある、坂の途中にあるマンションに住んでいた。 先輩がインターフォンを押すと、間もなく、扉が開いた。 「お久しぶりです、須藤先輩」 「あー、田崎さん。どうぞ、入って」 扉から顔を出したのは、先輩より少しだけ上の年代の、おじさん一歩手前な男性。黒縁の眼鏡がマジメそうな印象を与える人だった。 中に入ると、僕と先輩は最初に、玄関の左にある部屋に入った。四畳くらいの狭い部屋には、小さな仏壇が置いてある。 先に先輩が、続いて僕が、線香をあげた。仏壇には、まだ小さな男の子の写真が飾ってあった。 「ありがとう」 線香を終えると、須藤さんは最初に言った。そして、僕らを奥の部屋へと案内してくれた。 お茶を出され、挨拶を交わす。その後、先輩から本題に入った。 「須藤先輩。彼がこの間、話した」 「ああ、田崎さんの彼氏、だったね。それに、霊感があるとか」 須藤さんの目は、どこか疑わしげだった。無理もない。僕は、見た目にはちょっと童顔の、ただの大学生でしかない。おばけというものが存在するのかどうかって事すら証明できない人たちを相手に、霊感なんてものを信じろと言っても無理がある。僕にとっては当たり前だけど、須藤さんには当たり前じゃないんだ。 「遠藤です」 僕が頭を下げると、須藤さんも名乗り、話を続けた。 「遠藤君、か。おばけが見えるって?」 「ええ、まあ。証明しろって言われても、できないんですけどね」 「そんな事は言わないよ。それで、翔太はなんて言っていた?」 翔太君。それが、さっきの仏壇の主だった。 僕は、首を横に振った。 「僕ができるのは、おばけと直接に会って、会話する事だけです。翔太君は、少なくても仏間にはいませんでした。だから、翔太君の言葉を伝える事は、できません」 「そう、か……」 須藤さんは目線を落とした。何かを堪えているようにも見えた。 「――翔太はな、殺されたんだ」 「交通事故、だったと聞いています」 「そう。車に弾き飛ばされ、翔太は無残にも道路に転がされた。けれど、その時点ではまだ生きていた! なのに、犯人は我が身が可愛くて、翔太を見捨てて逃げたんだ!」 事故を起こした犯人は、まだ捕まっていない。事故の直後に雨が降ったせいで、証拠品も流れてしまったとか。完全に逃げ切る事は難しいだろうけど、逮捕まで時間が必要ってのも、事実だった。 「翔太は、翔太はまだ五歳にもなったなかったんだ! 人生はこれからだった! なのに、犯人のせいで、翔太は! それに、そのせいで妻は倒れた。翔太を失った悲しみで、だ! わかるか!? たったひとりの人間のせいで、俺の家庭はめちゃくちゃにされたんだ!」 顔を上げた須藤さん。その眼鏡の奥で、瞳が怒りに燃えていた。 「だから俺は、翔太に誓ったんだ。お前を殺した犯人を、お前と同じ目に遭わせてやるって!」 「須藤先輩。復讐なんてやめて下さい。殺人なんかしても、誰も幸せにはなりません」 説得しようとする先輩を、須藤さんはにらみつけた。 「そんな事はない! 自分の未来を奪った相手を憎まないなんて人間がいるもんか! 翔太だって、きっと願っているはずだ!」 須藤さんは、まわりが見えていなかった。おそらくは、僕や先輩が何を言っても変わらないだろう。執念で犯人を捜し、もし警察よりも早く見つければ、確実に殺す。そんな予感がした。 先輩は黙って僕を見た。目で、どうにか説得できないか、と聞かれる。僕は小さく頷いて答え、須藤さんを見つめた。 「須藤さん。今は翔太君に会えませんでしたけど、準備さえできれば、翔太君を呼ぶ事ができるんです。その時に、僕が翔太君に聞いてみます。お父さんには何をして欲しいの、って。それまで、待ってくれませんか」 須藤さんが僕を見つめ返した。その目は、まだ憎悪と怒りの色を含んでいる。 「……その準備は、いつ頃になったらできるんだ?」 「たぶん、明後日くらいにはできます。それ以降なら、いつでも」 「なら、三日後。また、ウチに来てくれ」 その言葉に、僕は頷いて答えた。 「あんな須藤さん、初めて見た」 須藤さんの家からの帰り道。僕の隣を歩く先輩は、どこか元気がなかった。 「高校の先輩でね。同じ部活だったの。まだ学校に慣れていなかった私たちに、須藤先輩は色々と教えてくれた」 「昔は、優しい人だったんですね」 「それは、今も変わっていないと思う。優しすぎて、だから、あんな事を考えちゃうんだと思うんだ」 冷たい人間なら、子供の死で、あれほど取り乱したりしない。優しいから、想っていたから、壊れてしまう。先輩にはそういう経験があるから、余計に身につまされるんだろう。 先輩が立ち止まる。同じように、僕も立ち止まった。 僕を見つめる先輩の目は、うるんでいた。 「くー、お願い、須藤先輩を止めて。あの優しかった先輩に、人殺しなんてして欲しくないの」 「僕にできる事はします。僕も、知り合いが殺人犯になるなんて、嫌ですから」 出会って挨拶したら、もうその日から知り合い。僕は、そう思っている。 僕の知り合いから、殺人犯なんて出したくない。まして、こんな苦しい理由は、認めたくない。 こんなの、誰も幸せになんかならないんだから。 チリン―― 夜、僕が自分の家でレポートを書いていると、鈴の音色が聞こえた。続けて、女の子の声。 「来てあげたわよー、紅葉。陽平経由で連絡なんて、面倒な事をしてるわね」 ペンを置き、顔を上げると、ふたりの女の子が僕の事を見下ろしていた。 ひとりは、夜空色のワンピースに身を包んだ、小学生くらいの女の子。子供にしか見えないけれど、表情や雰囲気が、人間離れした感覚を伝えてくる。 女の子の頭上には、黒いオコジョが乗っていた。翡翠色の瞳で、興味深そうに僕を見ている。と、思ったら、僕の頭に飛び乗った。仕方なく、頭を軽くなでてやった。 もうひとりは、桜色の着物に白いミニスカートを組み合わせた、高校生くらいの女の子。強い瞳は、何者にも屈しないと語っていた。 ふたりとも、もちろん普通の人間じゃない。どちらも死導者。言ってみれば、おばけの親分みたいなものだ。昼の間に知り合いに電話し、ふたりに、夜になったら僕の家に来て欲しいと伝えてもらったわけで。 「ケイ、それにアンジェラも。ごめんね、忙しいだろうに」 「構わないわ。それに、貴方がわざわざ私たちを呼ぶのだから、相応の理由があるのでしょう?」 夜空色の女の子、アンジェラは、僕を見つめて微笑んだ。 「まあ、ね。ちょっとややこしい状況なんだ」 前置きし、僕は須藤さんと翔太君の事を話した。 アンジェラとケイは、僕の話をふんふんと、しっかり聞いてくれた。僕が話し終えたところで、ケイは口を開いた。 「なるほどねー。現代の復讐劇ってヤツ? バカらしいけど、そうも言ってられないわね」 「うん、馬鹿げている。それで、その翔太君って子を探して欲しいんだ」 「でも、もう成仏してたら、探しようがないわよ?」 「その点は、おそらくは心配ないでしょうね」 ケイの言葉を否定したのは、アンジェラだった。 「魂の寿命で迎えた因果ならともかく、普通の事故ならば、彼にはまだ時間的な余裕がある。死導者や退魔師が何もしない限り、その子はまだこの空を漂っているはずよ」 「魂の寿命って可能性も、退魔師にたまたまぶち当たるって可能性も低いってわけね」 「ええ。高確率で、彼はまだ、この夜空を歩いている。何をする事もできず、何もする事なく」 まだこの世にいるなら、探せば会える可能性もゼロじゃない。もちろん、簡単な事じゃないけれど。 「頼むよ。僕も探してみるつもりだけど、僕は君らと違って、おばけと同じ行動は取れない。それに、須藤さんに勘違いをさせたままってのも嫌なんだ」 頭の上のオコジョ、エルをアンジェラに渡す。エルは軽く抵抗しながらも、アンジェラの手に渡ると、素直に頭の上に乗った。 「貴方の願いならば。けれど、全てが思い通りになるとも限らないわ」 「わかっているよ。でも、できる事はしたいんだよ」 チリン―― アンジェラは頷き、ケイと共に姿を消した。 約束の日、僕は先輩と共に、須藤さんのマンションを目指していた。 「くー。どうにか、できる?」 「準備は整いました」 とは言ったものの、実はまだ準備はできていない。僕も探してみたけど、やっぱり簡単には見つからなかった。アンジェラたちからの連絡もないし、困ったね、どうにも。 けど、これ以上の日にちを指定したら、須藤さんは途中で我慢できなくなってしまうような気もしていた。だから、これが引き伸ばせる限界の日時。こうなってしまった以上は仕方ない。どうにかして誤魔化すしかないだろう。 マンションの、須藤さんの家の前まで行くと、すでに待ち人がいた。 「あ、れ?」 「ん? どうしたの、くー?」 扉の前には、アンジェラとケイ、そして、園児くらいの男の子が待っていた。 男の子は、元気がない。うつむいたまま、顔を上げようともしなかった。 「ギリギリよー、紅葉。この子にここまで案内してもらったの」 言って、ケイは二カッと笑ってくれた。 「そうか、間に合ったんだ。ありがとう」 「……? くー、誰に言ってるの? 誰か、そこにいるの?」 っと、先輩はおばけが見えていないんだった。 僕は先輩に視線を移し、小さく笑った。 「翔太君が、先に到着していたみたいです」 「え!?」 先輩はきょろきょろと周囲を見渡す。けれど、霊感のない先輩は、翔太君の姿が見つけられなかったらしい。 「ええと、どこにいるの?」 「扉の前に」 先輩はそこに視線を送ったけど、やっぱり見つけられなかったらしい。 「ま、まあ、会えたんならいいわ。じゃ、中に入るわよ」 「はい」 この前と同じようにインターフォンを押し、この前と同じように、須藤さんは顔を出した。 「こんにちは。中にどうぞ」 僕と先輩、そして後から、翔太君とアンジェラたちも中に入る。翔太君は、ケイと手を繋いでいた。 翔太君はちらりと父親の顔を見つめ、けれど、またうつむいてしまった。 仏間で線香をあげたところで、部屋を変えるのも惜しいとばかりに、須藤さんは話しかけてきた。 「それで、翔太はここにいるのか?」 「はい。今は、須藤さんの隣にいます」 入り口の近くでしゃがむ須藤さん。その隣に翔太君が、さらに隣にケイとアンジェラが立っていた。 須藤さんは翔太君が立っている方に視線を向けた。けれど、翔太君の姿は、やはり見つけられなかったらしい。首を振り、僕に視線を戻した。 「それで、翔太はなんて?」 「これから、聞いてみます」 僕は須藤さんから、翔太君に視線を移した。 「翔太、君?」 名前を呼ぶと、翔太君は顔を上げた。 「はじめまして。僕はクレハっていうんだ。少し、お話させてくれないかな?」 「――なにか、ききたいの?」 「そう。翔太君がお父さんにして欲しい事を言って欲しいんだ」 「おとーさんに、してほしーこと?」 僕は頷く。翔太君は須藤さんを見上げ、続けて、僕を見た。 「ぼく、しんじゃったんだよね」 「……うん」 それは、否定できない。嘘を言っても意味がない。頷くしかない、嫌な質問だった。 翔太君はまた視線を落とし、しばらく床を見つめていた。心なしか、握る手に力がこもったように見えた。 再び顔を上げた時、翔太君の目には、力があった。 「ぼく、ぼくをいたいにしたひとを、いたいにしてほしい。あのおにーさんに、しんじゃってほしい」 ぼくを痛いにした人を、痛いにして欲しい。あのお兄さんに、死んじゃって欲しい。 翔太君は、確かに、そう言った。僕の聞き間違いでもなく、翔太君が『死』の意味を理解できていないわけでもない。翔太君は、犯人の男の人に、自分と同じ目に遭って欲しいと、願ったんだ。 「どう、なんだい。翔太は、なんて言ってるんだ!?」 けれど、僕には、そんな事は伝えられない。 僕が答えに困っているのを見て、アンジェラは言った。 「世界は、常に真実に満ちているとは限らない。けれど、それでも回る。幸福と真実は、常に隣り合わせとは限らない」 アンジェラは翔太君の手を取ると、部屋から出て行った。ケイはウインクし、その後を追っていった。 ――真実と幸福は隣り合わせじゃない、か。まるでアンジェラには、答えが見ていたみたいだな。 「翔太君の願い、は……」 僕の心は、決まった。 「翔太君の事は忘れず、前向きに生きる事だそうです」 これでいいんだ。憎しみで生きるよりは、その方がずっといいはずだ。 僕の答えは、正解じゃないかもしれないけれど。僕は、自分の答えに自信を持って言える。だから、これでいい。 須藤さんはしばらく僕を見つめ、やがて、肩を震わせて泣き出した。 静かに、声も出さずに。ただ、泣いていた。 僕らが帰る際になっても、須藤さんはまだ泣いていた。それでも、復讐はしないと誓ってくれた。『翔太君の願い』通りに、前向きに生きると誓ってくれた。 「……これで、よかったんだよね」 僕は、須藤さんを騙した。 死者を見る能力なんて、普通の能力じゃない。他の人にはできない、特別な才能だ。 だからこそ僕は、嘘をついてはいけないと思う。死んだ人は生きている人に想いを伝える手段がない。僕らは、そんな数少ない手段なのに。その僕らが嘘をついてしまったら、死者は生者に想いをきちんと伝える手段がなくなってしまう。 なのに。僕は、嘘をついてしまった。 「くー」 顔を上げると、先輩がじっと僕を見つめていた。 「くー、何か隠し事をしてるでしょー?」 「何も、隠してなんていませんよ」 「嘘だ。くー、私に嘘をつくってどーゆーつもり?」 ううむ。先輩、こういう事に関してだけは勘がいいなぁ。 「実は、ですね――」 僕は、先輩に翔太君の本当の願いを教えた。犯人を、殺して欲しいと。 その話を聞いた先輩は、きょろきょろと見回し、いきなり僕を抱き締めた。 「……先輩?」 「紅葉。いいの、あんたは間違っていないんだから」 先輩の腕に力がこもる。暖かい体温が、腕を伝って僕に流れてくる。 「嘘は、いけない事。騙したり、騙されたり。そうして他人が信じられなくなる。それは、いけない事」 でも。小さな、聞き取りにくいほどにかすかな声で、先輩は言った。 「それは、絶対じゃない。くーは須藤先輩を助けてくれたの。だから、それでいいの」 絶対じゃ、ない。 世の中は例外だらけで、完全なルールなんて、そうそうない。 「難しい、ですね」 僕も先輩を抱き返した。 先輩の暖かさが、僕の心を、落ち着かせてくれた。 光の球となった魂が天に向かって昇って行く。少女たちに見送られ、次なる生の準備のために。 「あの子、死って理解していたのかな」 「他人と触れ合えない、分かり合えない。その事実は、自らの体で体験したのだもの。理解していないはずがないわ」 「そう、だよね」 桜色の眷属は、ぐっと拳を握りしめた。 「復讐なんて、バカらしいよね」 「殺し、殺され。憎まれ、憎む。私はそれを善としないけれど、絶対の悪というわけでもないでしょうね」 それが、生きる力になる人もいるのだから。 黒き死導者は呟く。死と生と。どちらが正しいとは、言い切れない。 「人は必ずしも美しくはない。暗い部分、汚い部分があるからこそ、人は美しさを持っている。私は、そう信じている」 「そうなの、かもね」 少女たちは歩き出す。いかなる事実に出会おうとも、彼女たちは立ち止まらない。それが、彼女たちの誓い。 全てを背負い、全てを抱き締め、全てを包み、少女たちは共に歩む。 チリン―― |