雲の上、満月の下。それを破るは十の影。
 聖母を中心に据え、その子たる死導者たちが囲むように立っていた。
「それで、今回は誰が勝ったのです?」
 私の隣、大蛇の姿を持つ『嫉妬』のリヴァイアが問いかけた。応じたのは嫉妬の隣、傲慢だった。
「ああ、そうか。おめーは知らないんだったな。今回は誰の勝ちでもないって事をよ」
「誰の勝ちでもない? どういう事です?」
 嫉妬と暴食は、早々に死喰いの餌食となった。蘇ったのも、つい先ほど。その間に起きた出来事については何も知らない。
 今回はゲームの勝者はおらず、また、今後はゲームを行わないという事も。
 聖母の心境にどのような変化があったのかは、私も知らぬ。だが、聖母は急に言い出した。もうゲームは止める、と。
「状況が変わったの。もうゲームは止めるわ。だから、貴女たちを蘇らせるのも、今回が最後よ」
 聖母は、絶対なる力を持っている。聖母に生み出せぬものはない。人の命すら、この少女は生み出す。
 故に。我々は、聖母には逆らえない。聖母が止めると言ったら、それは終わりの合図なのだ。
 嫉妬は聖母の言葉から何を感じ取ったのか。私にはよくわからなかったが、何も文句は言わなかった。
「だと、今後は自由にしていいんだな?」
 色欲の隣、私よりも巨大なハエの姿を持つ『暴食』のベルゼブが口を挟んだ。
「ひとつだけ守れば、行動そのものは今まで通り、自由にしていいわ」
「つまり、人を殺すなってぇんだろ」
 聖母は傲慢に視線を向けた。
「貴方は問題なかったわね、ルシフェル?」
「ああ。俺様は元々、人間なんざに興味はないからな。人間なんてのは死喰いあたりが相手にしてりゃあいいんだよ」
 聖母はルシフェルから色欲と暴食に目を向けた。
「貴方たちは素直に従うなどと思っていないわ」
「ムカつく言い方だけど、その通りね」
 色欲は男を喰らう事が生き甲斐。暴食は喰らう事こそが存在理由。どちらも、理性で抑えられるような代物ではない。
「だから、これを渡しておくわ」
 聖母は、色欲に指輪を、暴食に腕輪を投げ渡した。遠目だからわかりにくいが、何かの紋様が刻まれている事だけはわかった。
「その宝具は、喰らうための生を生み出す代物。ベルゼブは好きなだけ食事ができるし、アスモデウスは男性を相手にしても殺す事はないわ。倫理の問題は自分で考えなさい」
 暴食は嬉しそうに腕輪を身につける。一方、色欲はいぶかしげに指輪を見つめた。
「……これをしていれば、男を相手にしたっていいわけ?」
「相手は選びなさいね」
 見ていて、なんとなく理解できた。色欲の事情。おそらくは、男と寝る度にその相手を望まずとも殺してしまう。その性質をこそ、悩んでいたのだ。
 だからこそ。その性質を力でなく解決できるという事実に、戸惑いすら感じているのだ。
「はめればいいだろう、色欲。それで解決だ」
 私が言うと、色欲は私をにらみつけた。
「余計な事は言わないでくれる、憤怒?」
 答え、色欲は指輪をはめた。
 聖母は、今度は怠惰と強欲に目を向けた。
「ベルフェゴールとマモンは、すでに了解していたわね?」
「元は私が言い出した事だ。曲げるつもりもない」
「俺っちも、殺さないって決めたからなぁ」
 奴らはすでに説得済み。死導者のくせに、生者を喰らわぬと決めた者たち。私からすれば、死導者失格だ。
「……母がそう仰るのであれば、私も構いませんよ。人を喰らう趣味があるわけでもありませんから」
 聞かれる前に、嫉妬も答えた。どいつもこいつも――!
「貴様ら、それでも死導者か」
 全員の注目が、私に集まるのがわかった。私は構わず、言葉を続けた。
「生ける者に死を導く者、それがすなわち死導者だったはずだ。それが、人を殺さぬ? それでも貴様ら、死導者なのか!?」
「物分りのワリィ野郎だな、テメエは。そういう時代じゃねぇって言ってるんだろ?」
「一番目たる傲慢が、随分と丸くなったものだな」
 私がにらみつけると、傲慢は鼻を鳴らして黙り込んだ。
「サタン、あんたさ、うるっさいのよ」
 死導者たちの視線は、たったひとりの眷属に注がれた。
 志野は桜色の着物を揺らし、私に歩み寄る。
「わかりなさいよ。死んじゃったら終わりなの。生きてなきゃ、何もできないの。どうしてそれが理解できないわけ?」
「人の生死すらも自由にする存在。それが死導者であるはずだ。お前こそ、何故にわからぬ?」
 私をにらむ志野の目には、怒りと同時に、悲しみが含まれていた。理解されぬ辛さなどというものも、あるのやもしれん。だからと言って、理解するつもりもないが。
「サタン」
 興奮しかけた私と志野を落ち着けるように、聖母の静かな声が凛と響いた。
「貴方、死ぬつもりだったのでしょう?」
「その通りだ。眷属ごときに敗北した。それも、完全に。死導者として失格だ」
「死導者として。便利な言葉ね」
 聖母は志野と肩を並べ、私を見上げた。
「逃げるのは止めなさい、サタン。与えられたものに満足せず、自ら考え、行動し、手に入れなさい。それこそが今の貴方たちに求められる、死導者としての素質よ」
「私のどこが、考えていないと言うのだ」
「考えているのなら出ない言葉ばかりを吐くからよ。人の生死を自由にする。眷属よりも強い存在。どちらも、私が貴方に与えた言葉よ」
 言われて、初めて気がついた。
 たしかに。これらは私が考え出したものではなく、聖母から教えられたものだと。
 遠い昔、太古とすら呼べるほどの過去にうずもれていた記憶が、蘇ってきた。
「今まで死導者は、私の操る人形に過ぎなかった。私が教えたから、貴方たちは人を殺し、そこに喜悦を見出していた。気付きなさい、サタン。死導者は先に進まなければいけない。一個の存在として、自らの道を、自ら見出しなさい」
 もちろん。聖母はふわりと手を上げた。
「自ら考え、それでもなお、人を殺すべきと言うのであれば。それが貴方の生よ、サタン。けれど、貴方が人を殺すその理由。説明、できるかしらね?」
 私が人を殺す理由。
 それは、存在しなかった。
 暴食は、腹を満たすため。色欲は、己を満たすため。人を殺した。それ以外の手段がなかった。
 怠惰や強欲は、自分だけの道を見つけた。あるいは、見つけようとしている。故に、絶対に殺す事はないだろう。
 嫉妬や傲慢は、殺す理由も自分だけの道もない。だが、だからこそ、殺さぬと確約した。さして迷う事もなく。
 では、私は、何なのだ? 自分の道もない。殺すだけの理由もない。なのに反発している、この私は?
 これでは。まるで、ただの子供のようではないか。根拠なく認めるのが嫌で駄々をこねている、子供のような。
「ぐ……!」
 拳を握る。この握った拳で、私は誰を討てばいいのだ?
「サタン。迷いは悪ではないわ」
 答えを出せずにいる私に、死喰いの言葉が届いた。
 死喰いが前に出ると、聖母と志野、どちらも後ろに退いた。後は任せると言わんばかりに。
「迷う事は先に進もうとする意思の証拠。恥じる事ではないわ」
 まるでひとつの結論に導かれているかのような錯覚。私が決まりきった結論に辿り着くまで、手を引かれているような雰囲気を感じた。
「私を導くつもりか、死喰い」
「サタン。私の名前は、アンジェラよ」
「名前など、どうでもよかろう」
「どうでもいい事ではないわ」
 チリン――
 死喰いの姿は、聖母の生き写し。違う点は、白と黒、正反対の色合いを持つという、それだけ。
 以前は中身も正反対だった。だが、今のこのふたりは、ひどく似通っているように思えてならぬ。
「この名は、私が私として有り続け、その過程で得たもの。母から与えられたものではない、私自身が勝ち取ったものよ」
 見上げ、死喰いは続けた。
「エルも、ケイも。全ての出会い、全ての別れ、全ての経験、それは、私が選んで手にしてきたもの。私の自我の証よ。貴方には、ないものだわ」
 私に、自我がないだと?
 人を喰らい、死を導く、それだけの力と素質を持った、この私が?
 何故だ。私は、どうしてその言葉を否定できないのだ!
「貴方の後ろには道があり、貴方の前は薄暗い。けれど、歩みを止めなければ、貴方の前に道ができる。進み続ければ、それは明るく照らされた過去となる。一歩を、踏み出す事。それが全てを始める、唯一の手段」
「自らの足で、か――」
 何をすべきか。何をしたいのか。それらを自分で見つけなければならない。
 少なくても、人間どもは、そうしている。私が馬鹿にした、私が下に見た連中は、私がしていない事をしている。
「くそッ!」
 私は死喰いに背中を向けた。正面を向いてなど、とても言える言葉ではなかった。
「仕方あるまい、人の生は奪わないでいてやる」
「ありがとう、サタン。信じるわ」
 何故だ、死喰い。
 つい先刻まで殺し合いを演じた相手を、どうしてお前は信じられるのだ。
「だから彼女は、私たちを変えたのよ」
 聖母の声が、私に届いた。まるで、私の心を見透かしているかのごとく。
「変えた、か」
 天を見上げれば、そこには輝く月。月光の中、我々は、歩き出すと言うのか。
「できすぎ、だ」
 私の声は夜闇に飲まれ、消え去った。


 七つの影が散り消える。それぞれの道を歩むべく。
「説得できてよかったわね、アンジェラ」
 夜空色の死導者は深く息を吐き、両手を後ろに組んだ。
「これで、悲しみの連鎖は終わる。世界は、ほんの少しだけ、悲哀を減らす」
「そうね。仮に死導者が殺さずとも、世界は回り続ける。人々は変わらず死んでいく。それを止める事は、私にさえ不可能」
 純白の死導者は呟き、夜空色の死導者と正面から向き合う。
「それで、どうするつもりかしら、アンジェラ。貴女がどれほど努力しようと、世界から悲しみを除く事はできないわよ」
「わかっているわ。それに、全てを取り除くつもりもない。悲しみがあるからこその喜び。死があるからこその生。なくせば解決する問題ではないから」
 だから。少女は続ける。
「私は、今まで通り、私の手が届く範囲で人々を導く。それが正解かどうかなど、私にはわからない。でも、私が自信を持って出せる回答は、それだけだから」
「……強いわね、貴女は」
 背を向け、純白の神は歩き出す。
「あんたはどーするのよ、マリアぁ?」
「同じよ。できる事をする、それだけしかないもの」
 首だけ巡らせ、少女は微笑んだ。
「では、また会いましょう、アンジェラ。運命の交差路とやらで」
「さようなら、マリア。願わくば、貴女の道が光に満ちますように」
 微笑を残し、少女は消え去る。残されたふたりは、ゆっくりと歩き出す。
「さあ、私たちも行きましょう。立ち止まる暇はないもの」
「おっけー。どこまでだって行ってあげるわよ!」
「きゅー!」
 おー、と手を挙げる眷属と小動物。夜空色の少女はくすりと笑い、真似るように手を挙げた。
 揺れる鈴が、鳴いていた。
 チリン――



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