もう、どれだけの時間がたった? 三時間? 四時間?
 時間なんて、もうわからない。雨はしばらく前にやんで、今はそこらから虫の鳴き声が聞こえる。
 寒かった。雨に当たったせいかもしれないし、本当に気温が低いのかも。あるいは、どっちもとか?
 こうしてクレハと黒い子を抱いていなかったら、とっくの昔に死んじゃったんじゃないか、とすら思える。オオゲサかもしれない、けど。
 助けどころか、人がいるような気配さえもない。あたしは、いつまでこうしていればいいのかな。もしかして、だーれも助けに来ないとか? それはないか。お母さんが家にいるんだから。
 怖い。怖いけど、でも、怖がってなんかいられない。あたしが怖がったら、クレハたちまで不安になっちゃう。あたしはこの子たちを守る立場として、しっかりしなきゃいけない。
「きゅー? きゅー!」
「にゃん!」
 クレハたちは、楽しそうに話をしている。あたしの気なんて、知らないんだろうな。
 でも、あたしだって負けられない。約束したから。約束は、守らなきゃいけないから。だから、だから。
 チリン――
『どうして、そこまで約束にこだわるのかしら?』
「え?」
 どこからか、わからないけど。アンジェラの声がした。
「アンジェラ? どこかにいるの?」
『答えて。貴女が約束にこだわる、その理由は何?』
 アンジェラの声は、まるで耳を通さずに頭に流しているような、そんな感じがした。そんなわけ、ないと思うんだけど。
「あたしが、約束にこだわる理由?」
『そう。貴女には、覚悟がある。子供とは思えないほどの、強い明確なる意思。その源は、どこにあると言うの?』
「……ええと?」
『貴女は、何故、そこまで強く生きられるの?』
 あたしが約束にこだわる理由を知りたいって事、かな?
「ええとね、あたしにはお姉ちゃんがいるの。姉って事じゃなくて、親せきなんだけど。そのお姉ちゃんが言ってたから。約束は守らなきゃいけないって」
『たったそれだけ? その約束を守らなければ、貴女がどうなるというわけでもないでしょう?』
「うん。でも、ここで負けたら、お姉ちゃんみたいになれないだろうし」
『憧れて、いるの?』
「あこがれー? うん、と。そんな感じなのかな?」
 とにかく、こんなところじゃ負けられないのだ。子供らしいって言われるけど、あたしからすれば、これが大人になるって事なんだから。
「何か、変?」
『そんな事はないわ。ただ、珍しいだけよ』
「珍しいのかな?」
 くすり、と笑われたような気がした。
『貴女には強い意思がある。年齢によらない、生まれながらのものが。とても貴重な、すばらしい才能ね』
 チリン――
 鈴が鳴り、アンジェラの声がとぎれた。
『そろそろ頃合ね。エル、行くわよ』
「きゅ?」
 黒い子がするりと抜けた。一度だけあたしを振り返った、ような気がする。よく見えないけれど。
 そのまま、黒い子はどこかに行っちゃった。
『もう、大丈夫よ』
 チリン――
「え? だいじょーぶって、どういう事よ?」
 聞いても、返事は来ない。
 どこかに、行っちゃったのかな。なら、助けてくれればいいのに。ケチくさい。
「もー! どうしろってのよー!」
「小雪か!?」
「は!? とーぜん、で、しょ?」
 光。まっすぐな光線が、あたしを照らしていた。
「小雪!」
「あれ? 圭一?」
 電気を手に、ガケの上から、圭一があたしを見下ろしていた。あれ? でも、どうして圭一が?
「お前がどっか行ったって聞いて、ネコの様子を見に来たんだろうって。そしたらダンボールにはネコがいないし、お前が来たような感じがしたし。それで、みんなで探してたんだよ」
「みんなって?」
 圭一の返事は、待つまでもなかった。
「小雪ちゃーん? 無事ぃ?」
「小雪! 大丈夫!? 今、行くから!」
「って、ちょっと、先輩! 危ないですって、僕が行きますから!」
 この声は、お姉ちゃんと紅葉兄ちゃんだ。
「小雪! ケガしてない!?」
「小雪ぃ、無事か!」
 お父さんとお母さんの声も聞こえる。本当に、みんなで来てくれたんだ。
 光があたしを照らす。その中を、紅葉兄ちゃんが降りてきた。
「小雪ちゃん、大丈夫? ケガとかしていない?」
「うう、足、やっちゃったの」
「見せて」
 紅葉兄ちゃんが、あたしの足に光を向けた。ケガの具合を確認して、上に向かってさけんだ。
「ねんざしているみたいです! 先輩たちで引いて下さい!」
 ロープをつかみ、紅葉兄ちゃんはあたしに手を伸ばした。
「さ、帰ろうか」
「……うん」
 ちょっとだけ。
 ほんのちょっとだけ、見直したかも。

 帰ったら、めちゃくちゃに怒られた。自分でもしかたないって思うから、あたしもきちんと聞いた。
 クレハは、家で飼ってくれる事になった。お父さんは『またケガされたらたまったもんじゃないから』なんて、言っていたけれど。
「もう、なんであんな無茶をしたのよ」
 お姉ちゃんはため息をつきながら、あたしに言った。
「だって、責任を持つってのが大人なんでしょ?」
「それは、そうね」
「うん。あたしは、クレハの面倒を見るって責任があったから。だから、やらなきゃいけないって思ったの」
 お姉ちゃんはあたしの頭に手を置いた。
「いい、小雪。責任はね、自分がした事について、その全部に責任を持たなきゃいけないの。ネコの面倒を見るのも、小雪の責任。けど、自分の体の安全を考える事、それもあなたの責任なのよ」
「あたしの、安全?」
「そう」
 お姉ちゃんは深くうなずいた。
「小雪はまだ子供なの。ひとりじゃ生きられない。ううん、大人だってひとりじゃ生きていけない。だから、自分ひとりじゃどうしようもないって事は、他の人を頼ってもいいのよ? それも含めて考えられるようになったら、また一歩、大人になるわね」
 他人を頼る、事。
 自分の体を守る事。
 それも、あたしの責任。
「――うん、わかった」
「よし! なら、もういいわね」
 言って、お姉ちゃんはニッコリと笑った。
 だから、あたしも、ニッコリと笑った。
 にゃーん、と、あたしのひざの上で、クレハが鳴いていた。


 住宅街の、どこにでもある家の前。ひとりの青年とふたりの少女が、向かい合って立っていた。
「小雪ちゃんを助けてくれたみたいだね。ありがとう」
 チリン――
 見上げ、少女は答える。
「私が助けたわけではないわ。助けたのは彼女の強い意志と、貴方たち自身、それにエルよ」
「そうだね、ありがとう、エル」
 青年が声をかけると、少女の頭上で小動物が小さく鳴いた。その様子は、どこか誇らしげだった。
「でも、アンジェラの鈴がなかったら、僕らはすぐに小雪ちゃんのいる方向がわからなかった。遅れたらどうなっていたか、僕にもわからないけどね」
 夜空色の死導者は、青年を見上げて呟く。
「貴方も大変な巡り合いをしたものね」
「愛があるから大丈夫」
「うーわ。真顔でそういう事を言うわけ?」
 桜色の眷属は、呆れたように肩をすくめた。
「いいわねー、あんたらは。真正のバカップルよ」
「バカってのは失礼だね。意味は違うだろうけど、ケイだってアンジェラに対する愛情はあるだろ?」
「……否定はしないわよ」
「それと同じ事だよ。ただ、僕はそれを口に出せるほどの自信があるってだけ」
「それがバカップルって言われる理由よ」
 くすりと笑い、夜空色の死導者は、ふと家を見上げた。直後、家から声が飛ぶ。
「紅葉ー! 何をやってんの、中に入りなさいよ!」
「はーい!」
 返事を叫び、青年は振り返った。
「じゃあ、また今度」
「次は面倒をかけないでよね」
「努力するよ」
 そして、青年と少女の視線がかち合う。
「ありがとうね、アンジェラ」
「こちらこそ。いい想いに触れさせてもらったわ」
 小さく手を振り、青年は暖かな家の中に入っていった。
 それを見送り、少女たちは視線をかわす。
「行こっか」
「きゅ」
「って、なんであんたが返事するのよ」
 バチっと視線をかわす両者を見上げ、アンジェラは歩き出した。
「暖かく、強い意志。得がたいものは、何物にも変えがたい」
 少女の声は、秋風に流れて消えた。
 チリン――



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