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俺にできる事。バカで、体も壊してしまったこの俺にできる事。そんなものがあるのだろうか。 俺はサッカーができる。なら、監督でも目指してみるか? いや、無理だ。 作戦を考え、チームをまとめ、個人や全体の練習を考える。どれも頭を使うもんだ。 俺だって自分のサッカーくらいならできる、でも、これは俺のサッカーだ。他人に教えられるようなもんじゃない、もっと無茶苦茶な代物だ。 結局、俺は、サッカーすら満足にできない。選手としては優秀だった自信がある、けど、それ以外は何もできない人間なんだ。 「そんな俺に、何をしろって言うんだよ」 白い天井を見つめ、考える。思い浮かぶのは、あの女の子の言葉。 『ひとつしかないわけでもない』 つまり、俺にも他の人より優れている部分が何かあるって事だ。でも、その何かって何だ? そんなもの、俺には思いつかない。本当にあるかどうかさえ、疑わしい。 「どうしろって言うんだよ……」 窓の外に目を向ける。午前の弱々しい陽光が、部屋の中に差し込んでいる。その頼りなさが、なんとなく自分と重なるような気がして、ムカついた。 わーわーと、子供の声が聞こえてきた。なんとなく気になって、俺は松葉杖を使って立ち上がり、窓の外を見た。 子供たちが、病院の中庭で騒いでいる。入院患者なんだろう、パジャマ姿の子供もいる。どうやら、ボールを蹴って遊んでいるらしい。 思わず、口元が柔らかくなった。 俺にも、あんな頃があった。純粋にサッカーが好きで、ずっとずっと、サッカーをやっていたかった頃。ナツと、出会った頃だ。 あの時の俺は、サッカー選手になればナツを守れるって信じていた。けれど、それがどうだ? 今や、サッカーもできなくなった俺には、ナツを守るだけの力がない。資格も、ない。 松葉杖を握る手に、力が入った。こんなものが必要な体だから、俺は――。 「いけねえ」 頭を振る。余計な事を考えすぎだ、だから変な考えに到達する。 「外に、出てみるか」 念のためにマスクをして、松葉杖を手に、俺は扉に体を向けた。 中庭に出てみると、さっきの子供たちがまだ騒いでいた。見つかるとまずいと思い、俺は正門の方に足を向けてみる。 病院の入り口近くは、盛況だった。風邪らしい人に、腕を骨折したらしい子供、車椅子に乗った爺さん。多くの人が病院に吸い込まれ、あるいは、吐き出されてくる。 誰もが、あまり明るい顔はしていない。まさに、病院に相応しい顔つきだ。 松葉杖で歩くのは、それなりに疲れる。俺はベンチに移動すると、腰を下ろした。 「……はあ」 気分転換に外に出たつもりだったが、あまり転換にはならなかったらしい。むしろ、気分の悪そうな連中を見て、自分まで気分が悪くなったような気にさえなる。 「兄さん。隣、いいか?」 顔を上げると、体格のいいおっさんが俺を見下ろしていた。 「どうぞ」 「助かるわ」 どっかとベンチに腰を下ろし、おっさんは息を吐いた。 「兄さんは、足を悪くしてんのか?」 「ええ、まあ」 俺が適当に頷くと、おっさんは勝手に語りだした。 「オレはな、事故に遭ったんだ。工事現場で働いていたんだけどよ、鉄骨が降ってきて、それに押し潰された。内臓も、もういくつかない」 そういえば、服から出ている部分にも縫った痕跡がある。肌も浅黒くて、普段から外で働いているのがわかった。 「自分でもよく生きていたと思うよ。本当の生死の境ってヤツを、何日もさまよった」 そう言うおっさんの表情は、何故か楽しそうに見えた。別に、楽しい話でも、面白い話でもないのに。 「それで今、何をしてると思う?」 本当にわからなかったので、俺は正直に首を傾げながら答えた。 「わかりません、けど」 「実はな、まだ工事現場で働いているんだよ」 「は?」 思わず、首を傾げる。内臓が潰れるほどの大手術をしておいて、工事現場って? 俺のいぶかしげな目線に気がついたのか、おっさんは照れたように頭をかく。 「いやな、オレは頭が悪い。中卒だしな。だから、体で稼ぐしかないんだよ。だからって特別な技能なんざ何もないし、イヤでもこういうところで働かざるをえないってわけだな」 「でも、体も悪いんでしょう? それなのに、働けるんですか?」 聞くと、おっさんは嬉しそうに笑った。 「そう、まさにそれよ。少しだけ悩んだけどな、やってみると、問題にはならんかった。やっぱり気持ちの問題だな、やろうと思えば、なんでもできる気がした。それこそ本気になれば、今から大学だって行けるかもな」 言ってから、やっぱそれは無理だな、なんて言っていた。 そして、おっさんは、俺をじっと見つめる。 「兄さん、悩んでいるんだろ?」 「え?」 「そういうヤツは、顔を見ればわかるんだよ。どうせ兄さんも、体を壊して仕事をなくしたクチだろ?」 図星ではある。だが、頷くのも癪に障るから、黙っていた。 おっさんは俺が何も言わないのに、勝手に話を進める。 「多いんだ、この病院には。そういう人間が。オレはそういう人に、オレの体験を勝手に話すようにしている。誰もがオレみたいに生きるのは難しいだろうけどよ、何かのヒントになればいいって思ってな」 それで、俺に話しかけてきたのか。 おっさんは、お節介だ。だけど、間違ってもいない。 確かに、ヒントくらいにはなった。 「兄さん。兄さんも、おおいに悩めや。それが生きるって事だ」 死の淵を越えた人の言葉。普通の人が言えば笑い話か冗談にしかならない言葉も、この人が言えば、相応の重みがある。 「……ありがとう、ございました」 だから俺は、頭を下げた。おっさんは、軽い口調で言う。 「気にするな。オレが勝手にやっている事だからな」 その勝手に、俺は助けられた。 人間って、わからないな。 その日の午後も、ナツは見舞いに来た。こいつにだって生活があるだろうに、毎日、よくもまあ、俺みたいなヤツのところに来るもんだ。 もっとも、そんなこいつだからこそ、守りたいって思ったんだが。 「なあ、ナツ」 「うん?」 ベッドに横になったまま、俺はナツに声をかけた。 「俺、何ができるかな」 「……どうしたの、急に」 ナツは目を丸くして聞いてきた。それも無理はない。俺の、昨日までの言い草を聞いていれば、当然だ。 サッカーができなくなって、すねていた。ただそれだけ。 それが、あの女の子に会って、おっさんに会って。それで、思い知らされた。俺がガキだったって事。俺が思い込んでいただけで、俺も何かをしようと思えば、できたんだって事。 鉄骨に潰されたって、工事はできる。死神だって、笑える。俺はまだ、内臓だって死んじゃいないし、足以外に悪いところもない。 まだ、いけるんだ。 俺の様子が伝わったんだろうか。ナツはそっと微笑み、俺の額に手を当てた。 「熱はないね」 「それは嫌味か?」 「ううん。ただ、ちょっと、驚いただけ」 手を離し、ナツはパイプ椅子に腰かける。 「もうサッカーはいいの?」 「よくはない。けど、できないんじゃ仕方ない」 言って、笑おうとした。けど、口の端がピクピクと動くだけで、笑えなかった。 「――トシ、今は、いいよ」 「何がだ?」 「今は、泣いておきなよ」 ずっと、ずっと続けてきた。俺の全てと言っていいほどのものだった。 「トシにとって、サッカーって本当に大きな存在だったもんね。だから、今は無理に笑わなくてもいいよ。泣いて、それから歩こう。私も一緒に行くから」 それがなくなった、その喪失感。それは、やっぱりでかかった。 「他の人みたいには、私もトシも走れないけどさ。私たちは私たちのペースで、一緒に歩こうよ」 俺は、ナツを守れるくらいになりたかった。 でも、俺には無理だった。そして、その必要もなかった。 「――ああ、ありがとうな、ナツ」 ナツがいたから。だから、俺は。 「感謝しなきゃいけないのは、私だよ」 ナツは言った。 「トシがいたから、私も病気を克服して、生きていけるようになった。トシのおかげだよ」 そして、俺がナツのおかげで歩けたように、ナツも俺の力で歩けるようになった。 ひとりでは、上手く歩けないふたりだけど。 「一緒なら、できるよな」 「何でもね」 結局。ひとりでやらなきゃいけない理由なんて、何もなかったんだ。 半人前同士でも、一緒に歩けば、一人前だ。 チリン―― 死導者はひとり、空を歩む。雲のない美しい空は、どこまでも広がっている。 「人は様々な欠片を合わせて作られている。だからこそ、内のいくつかを失っても、生きていける」 チリン―― 鈴が揺れ、音色を奏でる。広がる空のように、澄み切った音色。 「そして、その欠片の中には、ひとりで持っているわけではないものもある。友人と、家族と、恋人と。共有する欠片もある」 「きゅ」 頭上の小動物を見上げ、死導者はくすりと笑う。 「そうね。彼は、羨ましいほどよ」 「どこが?」 夜空色の死導者が顔を上げると、引きつった笑みを浮かべた桜色の眷属が立ち塞がっていた。 「アンジェラ。勝手にいなくならないでって何度も言ったわよね?」 「ごめんなさいね」 「……謝る気、ある?」 はあ、とため息をつき、眷属も死導者と歩みを共にする。 「んで。満足したの?」 「ええ。彼は、もう私たちの手を必要としない。彼は彼なりの生き様を見つけた」 「そ。じゃ、次に行くわよぉ。いい? あたしを置いて行かないように、ね?」 「……」 少女は答えず、歩みを速める。 「ちょっと、アンジェラ? 聞いてる?」 「ええ。聞いているわよ」 くすくすと笑いながら、少女は歩く。その後を、眷属が追う。 「ほんとーに聞いてるー?」 「聞いてはいるわよ」 少女たちは楽しげに、共なる歩みを続ける。 笑い声が、空に響いた。 チリン―― |