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発表の一週間前。放課後の教室に、オレと黒木だけは、まだ残っていた。 「原稿もだいたい完成だな。後は、練習するだけか」 「はい。色々と助けて頂いて、ありがとうございます」 「いや、オレの発表でもあるわけだしさ。その辺はお互い様だろ」 とんとん、と紙の束を整理し、ファイルにしまう。そして、ふと、窓の外を見た。 「へー……」 「どうしたんですか?」 首を傾げる黒木に、オレは、窓の外を親指で指した。 黒木は窓の外に目を向ける。そして、オレと同じように息を漏らした。 太陽はほとんど姿を消し、町が人工の光に包まれる。学校が少し高台にあるおかげで、町の様子がよく見えた。 「綺麗、ですね」 「そうだな」 どうという事のない、普通の町。名所のひとつもない、面白みのない町だ。けど、こうして作られた人工の景色は、ため息が漏れるくらいに綺麗だった。 黒木も、その光景をじっと眺めている。その横顔を見ていたら、ふと、今がチャンスだと思った。 「なあ、黒木」 声が、少しだけ震える。当たり前だ、思いつきとは言っても、大勝負なんだから。 「はい」 黒木の声によどみはない。オレの震えにも気がついていないようだった。 「オレ、さ」 「はい?」 手まで震える。顔が熱くて、全身の血液が顔に集まってきているような錯覚すら覚える。 「黒木の事……」 震えが大きくなる。それを、震える手で握り締めた。 黒木は景色から、オレに目を移した。黒木の目に、オレが映っている。 「好き、なんだ」 言った。言ってしまった。 頭にいつもより多くの血が駆け巡っているのに、ちっとも頭が回らない。心臓がバクバクと脈打って、体から飛び出しそうだ。 黒木は呆然とオレを見つめていた。まるで、オレが何を言ったか理解できない、とばかりに。 「黒、木?」 数分もそのままで、そろそろ心配になってきたオレは、おそるおそる、声をかけた。 ハッとなった黒木は、慌てて教室を見渡し、そして、おずおずとオレを見上げた。 「お前は、オレの事、どう思う」 震えは、収まっていた。冷静さも取り戻し、今の黒木を見つめる余裕さえ生まれる。 黒木はオレと視線が合うと、すぐに外した。 「品川君の事は、すごく、優しい人だと思います。私も、品川君の事、嫌いじゃ、ないです」 一言ずつ、ちょっとした物音でもかき消されてしまいそうな声で、黒木は言葉を発していく。 「でも、あの、恋人っていうのは――なれません」 最後の一言が、やけに大きく、はっきりと聞こえた。 なれません。なれません。 黒木の声が頭に響き、反響する。その言葉の意味を理解した時、ようやくオレは、一言だけ発する事ができた。 「どう、して?」 対する黒木は、少しだけ落ち着きを取り戻したらしかった。弱々しくも、オレを見上げられるようになっている。 「お父さんとお母さん、離婚したって、前に話しましたよね」 「ああ、聞いたよ」 理由まで知っている。けど、それは言わないでおいた。 「それから、駄目なんです、私。お父さんとお母さんがケンカするのも、ずっと見ていましたから。だから、恋愛とか、恋人とか、怖いんです」 無理もない、と思えた。黒木の母親は、夫や娘を捨てて家を出た。それを見ていたら、もし自分もそんな風になったら、なんて怖くなっても仕方ない。 「でも、オレは黒木の母親とは違う。それに、黒木だって、両親とは違うだろ?」 「はい、そうです。でも、私や品川君があんな風にはならないって、言い切れませんから。それが怖いんです、私」 だから、ごめんなさい。黒木はキッパリと、そう言った。 「……もしかして、私の手伝いをしてくれたのも、そのためですか? 私の、気を引くために?」 上目遣いで、黒木は尋ねてきた。それに、オレは答えられない。下心がなかったと言えば嘘だ。 もちろん、オレ自身の発表でもあるんだから、手伝うのは当然なんだけど――。 オレが答えられずにいると、着メロが鳴った。落ち着いた雰囲気のバラードだ。 黒木はポケットから携帯を取り出すと、オレに断ってから、耳に当てた。 「はい、もしもし。はい、はい――」 黒木の目が、大きく丸く見開かれる。顔が白くなり、携帯を持つ手が震えだした。 「おい、黒木?」 なんだか、様子がおかしい。思っていたら、黒木は携帯を閉じ、震えながらオレを見た。 「し、品川君?」 「どうしたんだ、黒木。何があった?」 肩をつかみ、オレは問いただす。黒木はじっと握った電話を見つめながら、言った。 「お父さん、が。お父さんが、事故に遭ったって――」 「え……?」 それは。病院からの、連絡だった。 タクシーで病院に向かう途中、黒木は一言も発さなかった。オレもどう言ったらいいのか、わからなくて。何も言えなかった。 病院に到着すると、スーツの中年が寄ってきた。 「黒木さんの娘さん、だね?」 黒木は頷く。続けて、オレの方を見てきた。 「黒木の、友人です」 オレは、そう答えた。黒木も否定はしなかった。 「私は出版社の者です。事故の詳細は後にして、とにかくお父さんに会ってあげて下さい」 出版社の人に連れられ、オレと黒木は、集中治療室に案内された。 何に使うのかよくわからない医療器具。ベッドが真ん中に鎮座し、そこに、オヤジさんが寝ていた。 チューブが何本か伸びている以外には、特に変わったところはない。まるで、疲れて寝ているだけのようにも見えた。 オレたちが部屋に入った途端、医者たちは目配せし、部屋を出て行く。出版社の人も、こっそりとオレに耳打ちした。 「最期です。ふたりきりにしてあげましょう」 最期。最期? もう、オヤジさんは、死ぬって言うのか? この間まで、あんなに平然と笑っていたのに。あんなに娘の事を心配していたのに。もう、こんなところで、死んじまうのか? 何かが熱い。のどが渇く。肌の上を毛虫が這い上がってくるような悪寒に、全身が包まれる。 「しながわくん……?」 その時、オヤジさんの声が聞こえた。 「品川君も、そこにいるのかい?」 「――はい」 オレは返事をすると、出版社を見た。黙って頷くのを確認し、オレは黒木と肩を並べ、枕元に立った。 オヤジさんは、安らかな顔をしていた。麻酔でも打ったのだろうか、苦痛を感じているようには見えない。 「一緒に来てくれて、よかったよ」 言って、オヤジさんは笑おうとした。けれど、口の端がひくひくと動くだけで、笑みにはならなかった。 黒木の顔を盗み見る。黒木は、呆然と父の姿を見つめていた。 オヤジさんは、不思議と落ち着いた雰囲気で、じっとオレを見る。 「品川君。娘を、頼むよ」 「オレで、いいんですか?」 聞くと、オヤジさんは天井を見つめた。 「彼女も言っていた。任せられる人がいるとすれば、それは君だけだと。私も、そう思っている」 「彼女……?」 意味深な台詞の説明はせず、オヤジさんは黒木を見た。 「何もできなくて、すまないね」 「そんな、そんな事、ありません。私、お父さんから大切なもの、たくさん頂きました。返せないくらい、たくさん」 「気にしなくていいよ。私は、普通の親が与えるものを、お前には半分しかあげられなかった。駄目な父だ」 黒木の母親と離婚した事を、まだ気にしているんだろう、この家族は。 いつまでも、死ぬ間際になったって、それが離れないんだ。 「品川君と、仲良くするんだよ」 呟くように言って、オヤジさんは目を閉じた。 何かの機器が、ピーと鳴る。 黒木は静かに、泣いていた。 出版社の人が、葬式のセッティングを全て取り仕切ってくれた。 聞くところによると、オヤジさんが事故に遭った時、たまたま出版社の人も一緒にいたらしい。自分だけが無傷で助かった事実に、心のどこかで、責任のようなものを感じていたのだろうか。 オレはずっと、黒木の近くにいた。離れたくなかった。今の黒木は、見ていないと簡単に壊れてしまいそうな、儚さを撒き散らしていた。 他の人も心配になったんだろう。オレ以外にも、常に誰かが黒木のそばにいてくれた。黒木は疲れたような笑みで対応していたけど。 葬式も終わり、深夜。斎場の中庭から、黒木とオレは、夜空を見ていた。 「私、お父さんが好きでした。今も、好きです」 いつもと同じ制服姿なのに、黒木の持つ雰囲気は、いつもとは違って見えた。 「でも、もう、会えないんですよね」 これから先、黒木の生活は苦しくなる。しばらくは出版社も応援してくれると言っていたけれど、それもいつまで続くか、怪しい。黒木は正真正銘、ひとりぼっちになってしまったんだ。 「お袋さんには、連絡できたのか?」 聞くと、黒木は首を横に振った。 「電話はしました。お父さんが亡くなった、と告げたら、そう、と」 「それだけ、なのか?」 「……はい」 葬式の時も、黒木の母親らしい人は見かけなかった。自分の事じゃない、けど、悔しかった。 黒木は、濡れた瞳でオレを見た。不謹慎だけど、どきりとする。 「品川君、ずっと私と一緒にいてくれましたよね」 「ああ、心配だったからな」 「まだ、私の愛情を勝ち取るために?」 その質問は、何気ない風に聞こえた。けど、今の状況を考えたら、それがただの質問には思えなかった。 「いや」 だからオレは、正直に答える。いや、そうでなくても正直に答えるだろう。黒木には、嘘をつきたくない。 「オレがやりたいからやっているんだ。オヤジさんの意志を汲み取りたいし、お前だって好きだ。その気持ちは、変わらないさ。けど! この気持ちは、打算とかじゃない。ただお前が心配で、好かれてなくても、嫌われてたって、一緒にいてあげなきゃって……そう、思っただけなんだ」 迷惑かな、と最後に付け加えた。 黒木は、すぐには答えなかった。そう、とだけ呟き、じっと押し黙った。 風が流れていく。オレは黒木の答えを、じっと待っていた。 「私、お母さんに、嫌われていました」 ぽつりと呟いた言葉。思った事は、やっぱり、だった。 やっぱり、知っていたんだ。 「お母さんに付きまとい過ぎたのかもしれませんし、単に子供が嫌いだっただけかもしれません。理由は知りませんが、なんとなく、行動とか言動の端々に、嫌っているって雰囲気が伝わってきました」 それは、どれほどの苦痛だったんだろう。実の母親が、自分を嫌っていると認める。それが、それほどの強さが、オレにあるだろうか。 「お母さんがいなくなった時、私は、もう誰にも迷惑をかけたくないと。誰の世話にもならず、自分ひとりでやっていけるようにと、色々と頑張りました。家事をこなせるようになり、丁寧な言葉を心がけるようにしてきました」 黒木は、オレに背中を向けた。 「けれど、そのせいで逆にお父さんには心配をかけてしまいました。この口調のせいで、友達もあまりできませんでした」 背中しか見えないから、表情はわからない。けど、泣いているように感じた。 「私、誰も信用していなかったのかもしれません。自分だけで生きていくって、そういう事になるんだと思います。けど、信じて、傷つけたり、傷つけられたり、そういう事になるのが、たまらなく怖かった……」 信じるって、悪い事じゃないはずだ。キレイゴトって嫌う人もいるけど、でも、本当に大切な事のはずだ。 なのに。黒木は、それができない。そのせいで、自分も他人も傷つけてしまう。 「でも、どうしてでしょう。品川君は、ずっと私のそばにいてくれて、真っ直ぐに私を見てくれて。こんな、こんな私にも、親しく接してくれました」 くるりと、振り向く。黒木の目は赤く、しっとりと濡れていたけれど、涙はこぼれていなかった。 「私、信じて、いいのかな。品川君は私を裏切らない、私は品川君を裏切らないって。ずっと好きでいてくれて、ずっと好きでいられて、ずっと、一緒にいられるって――」 オレは、ゆっくりと黒木に近づく。そして、抱き締めた。 寒い外にずっといたせいだろう。黒木の体は、冷え切っていた。それを、外界の冷たさから守るように、しっかりと抱き締める。 「ああ、オレは、黒木を裏切らない。ずっと黒木を好きでいる。ずっと、一緒にいる。信じてくれなんて、言わないよ。お前でも信じられるようなオレに、なればいいだけなんだから」 黒木はぎゅっと、オレの上着を掴む。オレも、ぎゅっと黒木を抱き締める。 「約束、だ」 小さく呟くように言った声は、確かに黒木の耳に届いた。 そんな、確信が持てた。 「以上で、発表を終わります」 オレが言うと、ぱらぱらと気のない拍手が聞こえてきた。 黒木の事情もあって、予定よりも一週間だけ遅らせた発表。最後の組であるオレたちの発表は、おおむね成功だったろう。少なくても、先々週の原稿を忘れたバカたちよりはマシな結果だったはずだ。 席に戻る途中、オレは小声で黒木に話しかけた。 「無事に終わってよかったな」 「そうですね」 「……黒木」 「あ、うん、気をつけなきゃね」 黒木は、少しずつ変わっている。 オレにはそれが、とても良い事のように思えた。 「あん?」 ふと、窓の外を見上げた。そこに、人影があったような――? 「品川君?」 立ち止まったオレを、黒木は不思議そうに見上げた。オレは、なんでもない、と答えて席に座った。 もしかして、オヤジさん? だったら、ちょっとくらい、安心してくれたかな。 青空には、もう何の姿も見当たらなかった。 「満足はできた?」 夜空色の眷属は尋ね、 「ああ。やはり彼に任せてよかったよ」 男性は答える。 チリン―― 「けれど、未来まで彼が裏切らないという証明はできないわ」 「それは私もそうだし、彼もだ。未来なんて、来てみないとわからないよ」 「……そうね。私も、こんな未来が来るとは思っていなかったもの」 「そんなものだよ」 チリン―― 「貴方はこれから、どうするの? すぐに逝くの?」 「そうだね、できれば、そうしたいかな。この世に未練がない、今の間に」 「そう。なら、貴方の生、私と共に歩む?」 「ああ、それじゃ、お願いしようかな」 チリン―― 「さようなら」 「君も、元気でね」 数瞬の後、場を包み込むのは、静寂。 チリン―― 「ええ。彼らは、もう大丈夫ね」 夜空色の少女は、空を駆ける。彼女も、もうひとりではない。 チリン―― |