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ゲームなんてのは、楽しいと思う人がやればいい。 僕はそう思わない、だからやらない。 才能があるとかないとかいう話は、その後だ。 上履きから靴に履き替えていると、ドタドタと、騒がしい足音が聞こえてきた。振り替えれば、そこには立花の姿。 「おい、高島ッ!」 やけに慌てている様子。心当たりはゼロでもないけど、面倒なんで無視を決め込む。 「高島、シカトすんなって!」 ガッと肩を掴まれ、仕方なく後ろに顔を向けた。 「何?」 「何じゃねーよ、お前が大会に出ないってどういう事だよ!?」 「そのままだけど?」 僕が首を傾げると、立花は顔を赤くしていく。 「お前がいなきゃ勝てるわけないだろ!? どうして出ないんだよ!」 「出る理由がないから」 正直に答えると、立花はきょとんとした顔で僕を見つめた。そこに、たたみかけるように言う。 「僕が部活を続けていたのは、あの人が顧問だったからだよ。あの人がいなくなった今、僕には部を続ける理由がない」 口をパクパクとさせていた立花は、ようやく言葉を取り戻したらしく、慌てた口調で叫んだ。 「けど、お前だって少しは楽しんでいただろ?」 「少しね。続けるほどに魅力的なものじゃないよ。それに、大会は僕がいなくたって、長谷部が出られるだろ。何も問題ないさ」 視線をそらし、足下に向ける。靴紐を結んでいる間、立花は何も言わなかった。 紐を結び終えて立ち上がると、唐突に口を開いた。 「――ああ、そうかよッ! もうお前は頼らないかんなッ!」 肩を怒らせて立ち去る立花の背中を見つめていると、言葉が口から漏れ出た。 「なんで、そんなに必死なのかなぁ……」 家に帰り、部屋に入ると、先客がいた。 「……誰?」 「あ、やっと帰ってきたの? お帰り」 僕の部屋、その隅にいたのは、高校生くらいの女の子。桜色の着物と白いミニスカを組み合わせている。もちろん、こんな変わった服装の知り合いは僕にはいない。明確に不法侵入だ。 チリン―― 物音に振り返ると、いつの間にか後ろにも女の子がいた。夜空色のワンピースを着た、小学生だ。やっぱり知り合いじゃない。 「こんにちは。私はアンジェラ。彼女はケイ」 小学生が名乗ると、女の子も手をヒラヒラと振った。 「アンジェラに、ケイ。それで、どちら様?」 聞くと、小学生は答えた。 「死導者、死を導く者。貴方たちの概念で言うならば、死神よ」 死神? 何かの冗談、だろうか。 「……信じていないわね?」 「まあ、ね」 素直に信じる方がどうかしている。どう見たって普通の女の子じゃないか。 「面倒、ね」 チリン―― 小学生はくるりと回り、腕をまっすぐに伸ばした。 「……あれ?」 僕の鼻先に、きらりと光る刃。それが何か理解した時、鼻の頭に汗が浮かんだ。 剣。小学生のような外見には似合わない、大きく綺麗な宝剣が、僕に突きつけられている。それは、とても服の下なんかに隠しておけるような代物じゃなかった。 つまりそれは。そんな奇跡は、マジシャンか、あるいは、人間じゃない存在にしかできない事。 「これで、あたしらが人間じゃないって理解できた?」 女の子は小首を傾げて尋ねる。その質問に、僕は小さく頷くしかなかった。 「じゃ、本題に入るわよー」 「本、題?」 「そうそう。これよ、これ」 女の子――ケイは、部屋の隅にあるものを指差した。 それは、碁盤。囲碁をやるための、古びた木製の盤だ。これまたいつの間にか、黒い動物が乗っかって、碁石をくんくんと嗅いでいた。 「あんたって囲碁、強いんでしょ?」 「言うほどじゃないよ」 「なのに、やめちゃうんだ」 「……関係、ないだろ」 顔をそらすと、その先にはアンジェラがいた。 「彼が、いなくなったから?」 「知ってるんだ」 言ってから、死神なら知っていてもおかしくないかとも思った。 「彼は貴方に続けて欲しいと願っていたわ」 「ふん、死んだ後まで指図される覚えはないよ」 言うと、アンジェラの視線が鋭くなった。負けずに見返し、 「僕が囲碁を続けていたのは先生が顧問をしていたからさ。僕自身は何の興味もないんだよ。才能があるとかないとか、そんな話は関係がない」 「……そう」 顔を伏せたアンジェラが、直前――泣きそうに見えた。 気まずくなった僕は、ケイに視線を移した。ケイは口許を緩めて僕を見返す。 「まーねー。やりたくないもんは仕方ないし、強要はできないわね。でも」 言葉を切り、目つきが険しくなった。僕の背筋を寒気が走り抜ける。 「アンジェラを悲しませないでくれる?」 一言すらも発する事ができない。身動きもできない。脳みそと体が別れてしまったような錯覚が僕を包む。 「ケイ」 金縛りにかかった僕のスイッチを入れたのは、皮肉にもアンジェラの声だった。 「彼を威圧しても意味がないでしょう」 「うー、けど、さあ」 「ケイ。私たちは彼の心を彼の口から語らせる事こそが目的であって、彼の口を閉ざさせるためにいるのではないわ」 意外と厳しさを含んだ語調に、ケイは不満そうに押し黙った。 「ごめんなさい。貴方に恐怖を植えつけるつもりはなかったのだけれど」 「あ、ああ、いや、別に気にしなくていいよ。僕も悪かったんだし」 言うと、アンジェラは小さく、寂しげな笑みを浮かべた。そして、ケイを振り返る。 「ケイ、エル。行くわよ」 アンジェラの言葉に、碁盤に乗っていた動物は素直に従ったけれど、ケイはまだチラチラと僕を見ていた。 「もう一度、考えてあげてよね。そりゃさ、あの人がいたから碁をやっていたのかもしれないけどさ、楽しみだって何もなかったわけじゃないでしょ?」 言い残し、ケイもまた、僕に背中を向ける。 チリン―― 鈴の音がした後、部屋にいたのは、僕だけだった。 明かりを消し、ベッドに横になっても、なかなか眠る事はできなかった。 天井を見つめる。思い返されるのは、ふたりの表情、そして。 「先生、か……」 声は静かな部屋に飲まれて消えた。 僕が先生に会ったのは、まだ僕が幼い頃。小学生になったばかりの時だ。 近所に住んでいた先生は、中学の囲碁部の顧問で、碁を通じて父と知り合ったらしい。人柄も悪くない人だったから、父と仲良くなるのに時間はかからなかった。 一人暮らしだった先生は、自然と我が家に出入りする事も、その逆も多かった。そして、僕もまた、自然と囲碁を教わる事になった。 始めて五年で、父と同格の勝負ができるようになった。中学に入る頃には、僕の方が強くなっていた。 先生はそれを喜び、僕を囲碁部に勧誘。どこかの部活に所属する決まりになっていたから、運動が得意じゃない僕は、特に考えるでもなく、その提案に反対しなかった。 そして、それから一年半。囲碁部として活動を続けてきた。けど、その頃になって、僕は気がついてしまった。 別に、囲碁が好きじゃないって事に。 それでも部活は続けた。あまりに弱小で僕が出席しないと対局ができなかったし、それに、先生には世話になったという義理もあったから。 その先生も、先月、亡くなってしまった。囲碁部に義理も何もなくなってしまった僕は、部活に参加する事をやめてしまった。所属さえしてしまえば、出席するのは義務じゃない。 先生の顔に、アンジェラとケイの顔が重なる。どうして、だろうか。とても、寂しい気がした。 「けど、今さらだよな」 今さら、大会に出るなんて言えない。けど、僕がいない状態で勝つのは、贔屓目に見ても難しい。なにせ、僕の代わりは一年生しかいないんだから。 「どうしたもの、かね」 結論は、すでに出ていた。 翌日、放課後に、僕は部室を訪れた。長テーブルがひとつに椅子が四つだけの、ガランとした部屋だ。 部室にいたのは、全部で三人。部長である立花、副部長の天野。そして、唯一の一年生部員の長谷部。僕と違って、マジメに部を続けている三人だ。 僕の顔を見た途端、長谷部と対局していたらしい天野が席を立った。 「高島。やってくれるのか?」 「いいや。大会には出ないよ」 僕が答えると、そうか、と残念そうに呟いた。 「……じゃあ、何しに来たんだよ」 ポケット版の囲碁盤でひとり、本を見ながら勉強していたらしい。持っていた本をテーブルに置き、立花は僕をにらんだ。 「対局しに来たんだよ」 答え、僕は天野と長谷部が戦っていた盤面を見た。 優勢は天野。けれど、長谷部もよく喰らいついているのが一目でわかる。よくやっている方だと思う。 「長谷部、僕と対局しよう。僕が長谷部を鍛える」 「先輩が?」 長谷部は不安そうに立花を見た。立花は、ふん、と鼻を鳴らす。 「どういう風の吹き回しだ。お前、囲碁はやめるんじゃなかったのか?」 「そう言ったっけ。だったら撤回するよ」 「じゃあ、どうして大会には出ない。その理由を教えろ」 その質問に対する答えは、簡単だ。 「僕がいない間の一ヶ月。努力をしていたのは、誰だ? それを無にしろって言うのか?」 長谷部は、まだ一年生だ。実力は僕どころか、天野にすら届かない。けど、僕よりもずっと必死に頑張ってきたんだ。それを、実力があるからと言って、切り捨てるつもりはない。 立花は顔を赤くし、口を開きかけて、閉じた。 「で、でも、オレじゃ先輩にはとても……」 長谷部が、弱々しく口を開く。それを見返し、僕は言った。 「大丈夫だよ。僕が、残りの三週間で他の学校に負けないくらいのエースにしてみせるから、さ」 そして僕は、立花を見る。 「それで問題ないだろ、立花?」 「ないわけねーだろ」 眉をひそめ、堂々と言う。けれど、とその後に、小さく加えて。 「お前がいてくれて、助かる」 そっぽを向き、顔を赤くし。どこか、女の子のようだ、と思った。見れば、天野や長谷部も苦笑いをしている。僕も、自然と口の端が持ち上がった。 「じゃ、長谷部。容赦はしないよ、いいね?」 僕の問いに、長谷部は元気な声で答えた。 「はい!」 三週間はあっという間に過ぎ去り、大会当日。会場である別の学校を、僕らは代理の顧問と一緒に訪れた。 大会は、三人一組で同時に対局をし、二勝以上で勝利になる。出場校は八校、つまり、三戦目が決勝だ。 大将は部長でもある立花。副将は副部長の天野。そして、三将は長谷部だ。 一回戦はウチと同じ弱小校。相手も人数ギリギリだったらしく、無事に三勝をあげる事ができた。 二回戦はそれなりの学校がきている。ここで長谷部は僅差で負けてしまったけれど、天野と立花が紙一重で勝利、なんとか先に進む事ができた。 そして、決勝戦。相手は、この大会の常連にして、貴重な二桁部員を誇る学校だ。その分、他の学校よりは少し強い。 僕は三人が対局する様子を、前の二戦と同じように後ろから眺めていた。まず最初に、天野が負けた。勝負としては悪くなかったけど、天野が決定的なミスを犯したのが敗因だ。終わった後の天野は、悔しそうにくちびるを噛んでいた。 立花は完全に互角。半目差くらいの、きわどい勝負だ。どちらが勝つとも言い切れない。これだけの相手にここまでやっている立花は、かなり頑張っていると思う。 そして、長谷部は。 「どうだ、長谷部の様子は」 負けた天野が、小さな声で僕に問いかけてきた。僕は、それに同じような声で返す。 「今は負けている」 そうか、と残念そうに答え、天野は立花の応援に向かった。僕は、長谷部の後ろから離れない。離れたくない。 確かに今は、負けている。けど、長谷部にも勝つ可能性はある。 相手。僕も初めて会う相手だけど、その打ち筋はどこか僕に似ている。だからこそ、長谷部には勝つ可能性があるんだ。 彼は僕と似た打ち方をするけど、僕とは違って隙が多い。それが、長谷部、お前なら見えるはずだ。 逆転はかなり難しい。けれど、不可能じゃない。 こんなに面白い盤面を見たのは、久しぶりだ。 長谷部の手が止まり、長考に入った。そうだ、ここが肝心なところ。一手、逆転の手がある。死んだはずの石を蘇らせる、逆転の手が。 それに、長谷部が気がつくかどうか。それが、勝負の分かれ目になる。 ふと顔を上げると、相手の学校の顧問らしき人が盤面を見ていた。接戦をしている立花たちではなく、こちらを。 どうやらこの人も気がついているらしい。こっちがより一層、面白い形になっている事に。 本当に長い、息の詰まるような長考。その後、長谷部が動き出した。その手が黒い石を握った時、僕や顧問にも、合わせるように緊張が走る。 石が、ゆっくりと盤の上に動き、置かれた。 瞬間、顧問の顔が歪んだ。対局者の生徒はすぐには気づかず、やがて、その意味を知った時。顔が、青くなった。 そうだ。よくやった、長谷部。それが、正解だ。死んだ石は、生き返った。 対局者が返しの手を打ってくる。けど、甘い。 ここから先は一本道だ。帰りはない、脇道もない。長谷部が置き間違えない限り、絶対に盤面はひっくり返らない。そして、長谷部が間違えるような腕ではない事を誰より知っているのは、対局者である君だ。 「……ありません」 数手の後、生徒は頭を下げた。それと、同時。 「負けました」 声に、僕は横を振り向く。そこでは唖然とした表情を浮かべる立花と、整地された盤面、そして、頭を下げる敵大将の姿があった。 この瞬間。僕らの学校の、優勝が決まった。 お祭り騒ぎから解放された僕は、酔ったような頭で夜道を歩く。まったくもって、立花の声は耳に響く。 ふらふらと歩いていると、もやのかかったような頭にも、その音色はくっきりと聞こえた。 チリン―― 顔を上げると、アンジェラとケイが、並んで僕を見ていた。 「優勝、おめでと」 「見てたの?」 聞くと、ケイは頷いた。 「あたしは碁なんて知らないから、よくわかんなかったけどね。ギリギリだったみたいね?」 「あれだけの相手に勝ったんだから、十分だと思うけどね」 言うと、くすりと笑われた。 「彼が勝つと、わかっていたの?」 アンジェラは僕を見上げ、問う。 「彼って、長谷部の事か?」 縦に動く首。だから僕も、縦に振り返した。 「なにせ、僕が教えたんだからね」 「うーわ。嫌味。あんた、そんなに強いわけ?」 「少なくても、あの大会に出た人よりは」 立花にも、負けた事はないし。 事実を語ると、ケイには嫌な顔をされた。当然だとも思うけど、訂正はしない。 「それで」 アンジェラの声が、綺麗に耳に届く。聞いていて、心地よかった。 「まだ、囲碁はやめるつもりかしら?」 「その質問がしたくて、僕に会いに来たのか?」 アンジェラは微笑むだけで、答えない。僕の顔には、自然と苦笑いが浮かんだ。 「もう大会には出ないよ」 「そう」 アンジェラは、まだ微笑を顔に浮かべている。完全に、答えがわかっているって顔だ。まったく、かなわないな。 「でも、教える楽しさってのは、ちょっとだけわかった」 だから、もう少しだけ、囲碁部は続けてみよう。長谷部なら、そのうち僕を越えるかもしれないし。 それはそれで、面白そうだ。 「貴方に会えて、良かったわ」 目を細めるアンジェラに、僕は、当然の答えを返す。 「それは、僕もだ」 少年の背中を見送った後、夜空色の死導者は静かに問う。 「満足したかしら?」 「ああ。あの子があんな目をするようになるなんて、思わなかったよ」 スーツの男は答え、嬉しそうに目を細めた。 「でも、あいつったら、もう大会には出ないって言うのよ? それでいいわけ?」 「十分だよ。あの子にとって囲碁が重荷になっていない、それだけで、十分だ」 ふうん、と鼻を鳴らし、眷属は押し黙った。 「生きる者の道は生きる者が決める。正解も不正解もない、ただの事実よ」 「そりゃ、そうね」 死導者の言葉に眷属が応じ、頷く。 「彼は、彼なりの道を見つけた。従うのではなく、己で歩む道を。それは、素晴らしい事だと思うわ」 「そうだね。それが高島君のためになるかってのはわからないけど、それが道を選ぶって事でもあるからね」 消えた背中の幻影を、彼らは眺め続けていた。 寒空の、星が輝く空の下で。 チリン―― |