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退魔師とは、何のために存在している? 答えは簡単だ。 守るためだ。大切なものを。 年の瀬は、誰もが慌しくなる。今年の間に用事を済ませようとする人、年始の用意をする人なんかだろう。正直、歩いていて邪魔なくらいだ。 私は駅ビルの中を歩いていた。道を歩く人たちの顔色は暗い。外が寒いせいか、それとも不景気のせいか。 「年末、か」 退魔師に年末だの年始だのという概念はない。変魂はいつでもいるし、死者はどんな時でも現われる。年末年始だからといって、霊能者が休んでいい理屈にはならない。 今日も一件、仕事をこなしてきた。幽霊が暴れると言われたから行ってみれば、実際は神経質な子供が親に見えないように暴れただけだった。実際、騒がしい霊なんて、そうそうない。 無駄に疲れた、と思う。意味のある行動なら、命懸けの戦いだってこなす。だが、意味のない事件だと、疲労感だけが残ってしまう。達成感が何もない、嫌な事件だ。 思いながら歩いていると、コートを何かに引っ張られた。 足元に目を送る。そこには、小さな女の子が立っていた。 ――何故か、私のコートのすそを握って。 ため息ひとつ、私はしゃがみ込んだ。 改めて見ると、本当に幼い女の子だった。まだ小学校にも入っていないだろう。じっと私を見つめる顔は、案外と整っていた。いわゆる、将来が楽しみというヤツだろう。 「親御さんは?」 聞いても、女の子はじっと私を見つめるだけだった。 「……迷子、かな?」 もしかして喋れないのか、などと危惧していると、 「おとうさん」 唐突に、そんな事を口にした。 「お父さんと一緒に来たのかな?」 聞くと、女の子は首をふるふると横に振り、言った。 「おとうさん」 「……えーと、見ればわかると思うが、私は君の父親ではないのだけど?」 こくりと頷く。さすがにそれは理解しているか。 そして、私を見て、一言。 「おとうさん」 またそれか。もういい加減にして欲しいところだ。 「あーれー? 陽平、あんたって子供がいたのぉ?」 ぴしり、と体が固まった。振り向きたくないと、頭のどこかが激しく叫んでいる。だが、振り向かないわけにもいかない。 嫌々、私はゆっくりと後ろを見た。 そこでは、私の見知った顔が、私の肩越しに女の子を覗き込んでいた。 「可愛いわね。お名前、なんていうの?」 「おおいかなこ」 「かなこちゃん。うん、可愛い可愛い」 女の子の頭をなでる。その顔は、ほころんでいた。 「どうして君がここにいるのかな?」 「何よ、いちゃいけないわけ?」 立ち上がり、腰に手を当てて私を見下ろす。 桜色の着物と白いミニスカートを組み合わせた、現代社会には適応していない服装。もっとも、彼女は適応する必要性がない。そもそも、人間ですらない。 死導者、志野ケイ。称号は死徒、だったか。私の苦手な相手だ。 「私としては君に会いたくなかったけれどね」 私も立ち上がり、ケイをにらんだ。 「でも、あんたひとりじゃ、この子の対処はできないでしょ」 言って、ケイは女の子と目線を合わせる。 「かなこちゃん、お父さんとかお母さんは?」 「おかあさんはどこかいっちゃった。おとうさんは――」 口ごもり、私を見上げる。 「……私は知らないが?」 困ったように目をパチパチとさせ、女の子は俯いてしまった。 ケイは私に視線を移し、 「あんた、この子の事、知ってるの?」 「いや。初めて見た。見たところ、霊でも退魔師でもないようだが?」 「そーね。少なくても、おばけじゃないわ」 霊を見る事ができる人間はそうそういない。だからこそ、死を迎えた者は、自分を見る事ができる相手にすぐに寄り付く。 だが、この子供はそもそも、生きている。しかし、それではどうして私のコートを握って離さないのか、理由がわからなかった。 んー、と口元に手を当て、ケイは何事かを考えている。そこはかとなく、嫌な予感がした。 そしてそれは、現実になった。 「よし、陽平。かなこちゃんのお母さん、探すわよ」 「どうして、私が?」 「離さないんだもん、仕方ないでしょ。それに、あんたはこんな小さな女の子を見捨てるようなサイアクーなヤツだったわけぇ?」 「最悪でも構わないが」 「つべこべ言わず、さっさと動く!」 無茶苦茶だ。支離滅裂と言ってもいい。論理が通っていないのだから。 はあ、とため息が漏れる。どうしてこの忙しい時期に、迷子の親探しなどしなければならないのだろう。 「ほら、陽平。早くしなさい!」 私は足元の女の子に視線を移した。女の子は、不安げな眼差しで私を見上げている。 「仕方ない、か」 小さく、呟く。私は運が悪い。 「離さないように」 女の子に注意すると、パッと顔を輝かせた。私は苦笑を浮かべ、先行するケイの後を追った。 「なかなかいないわねー……」 駅ビルの中というのは、意外に広い。面積こそ広大ではないが、地上にも地下にも敷地は広がり、おまけに狭いスペースを有効に活用しようと店舗がひしめき合っている。この中から親をひとり探すなんて、かなり難しい事だ。 「かなこちゃん、もう一度、お母さんの事を教えてくれる?」 ケイは見上げ、聞いた。女の子は頷き、答える。 「おねえちゃんとおんなじくらいのしんちょーで、それで、しろいコートをきてる」 「それだけだと探すにも限りがあるな」 「白いコートであたしと同じくらいの身長の、たぶん三十前の人? 確かに、どっこにでもいるわね。となると」 きょろきょろと見渡した後、再び私に視線を送った。 「向こうが見つけてくれるのを待つしかないってわけね」 「――やはり、これでは何か勘違いされてしまいそうだと思う。他の方法は何もないのか?」 「いいじゃん、別に。そうなったら、あたしは逃げるんで。後はよろしくね」 真顔で何を言っているんだ、こいつは。 「おとうさん、げんきない?」 頭の上から、女の子が聞いてくる。 「お父さんじゃない。それに、元気とも言いがたいな」 「こーら。子供に何を言うのよ、あんたは」 私は小さくため息をつき、見上げた。女の子は、肩車されて嬉しそうに周囲を見渡している。こんな光景、母親に見られたら訴えられても文句は言えまい。 どうにかして女の子を降ろす方法を考えていると、 「あ!」 鋭い響きに、思考を中断された。私は声の主を求め、顔を前に向ける。 そこには、白いコートの女性がいた。兄さんよりも年上だろう。あまり手入れの良いとは言えない髪が、生活の疲れを表しているようだった。 「香奈子!」 「……おかあさん」 ぎゅっと、女の子が握る手に力がこもったのがわかった。 「香奈子、どこに行っていたの? 探したのよ」 女性は私の前に近づき、 「すみません。この子がご迷惑をおかけしたようで。香奈子、降りなさい」 言われ、女の子は渋々といった体で母親に体を預ける。女の子を引きずり下ろし、手をつないだところで、ようやく女性と目が合った。 「本当にすみませ――!?」 一瞬、女性が息を飲む気配が伝わってきた。けれどすぐに頭を振り、思い浮かんだであろう念を飛ばす。 「す、すみませんでした」 「いえ。それよりも、この子は私の事を“お父さん”と呼んでいたのですが」 私が言うと、女性はピクリと反応した。構わず、私は続ける。 「失礼ですが、ご主人は?」 しばらく黙った後、女性は俯いてしまった。 「亡くなり、ました。半年以上も前の事です」 「そうでしたか。それは、失礼をしました」 やはり、事情があったか。 女の子に目をやる。女の子は、母親の手をぎゅっと握り、私の事を見つめていた。目を離したら負けとでも言われたかのように、じっと。 「本当に、すみませんでした」 頭を下げ、女性は立ち去っていく。その後姿を見つめ、ケイは口を開いた。 「ねえ、陽平。あんた、これでいいの?」 「無理を言うな。私は霊媒じゃないんだから、死んだ人間の口を開かせる事はできない。それに、仮に父親と言葉をかわす事ができても、死んでいる事に変わりはないんだ。私にはどうしようもないよ」 「そういう話じゃないわよ。香奈子ちゃんの目、あんたも見たでしょ?」 「……ああ」 寂しさを煮詰め、純粋化したような瞳。あの子は、確実に父親の愛情に飢えていた。それを、似通った外見を持つであろう私に投影していたんだろう。 だが、私に何ができる? 私は父に似ているだけの、赤の他人。あの家族に介入するだけの権利も力も持っていない。 「陽平。あたしが聞いているのはね、あんたが香奈子ちゃんのために何かをしたいと思ったかどうか。それだけよ?」 「それだけなら、答えは単純だな」 そうだ。依頼でもないのに、私が誰かのために仕事をする理由はない。私が何かをしたところであの子のためになるとも限らない。半端な優しさなど、無用かもしれない。 だが。 「退魔師は、人々の笑顔を守るために戦っているんだ」 たったひとりの女の子も救えないようでは。まだ小学生にすらなっていない子供にあんな顔をさせているようでは。 退魔師など、やってられるか。 「決まりね」 ケイは楽しそうに笑った。それに、私も苦笑を返した。 彼女――大井香奈子の家は、駅からほど近い、住宅街の中のアパートだった。 ボロボロと言っても差し支えない古びた木造アパートの二階、最奥の部屋。それが大井家だった。 時刻は深夜。日付が変わろうかという時刻。私は、そのアパートを見上げていた。 「本当に上手くいくんだろうな?」 「あんた、アンジェラが信用できないの?」 「信用も何も、下手をすれば不法侵入で捕まるのは私なんだぞ?」 「じゃ、やめる?」 「む……」 痛いところだ。それに対して私は、答えられない。 黙りこんだ私を、ケイはニヤリと笑って見上げた。 「なら、行くわよ。アンジェラ、お願い」 「ええ」 私の隣で、夜空色の少女が頷く。アンジェラ・ウェーバー。ケイと同じ死導者であり、ケイ自身の上官にあたる存在らしい。もっとも、死導者の関係は私にもよくわからないが、このふたりはまるで友達のように見える。 チリン―― アンジェラが腕輪に付いた鈴を鳴らすと、私の体が浮き上がった。 そのまま我々は、揃ってアパートの裏側に回る。 このアパートは、それぞれにキッチンとふたつの部屋がある。母親は手前の部屋でまだ起きている事を確認してあり、女の子は奥の部屋で休んでいる。 私は窓の前まで来ると、それをそっと開いた。鍵は、ケイが前もって開けてある。 家の中に侵入すると、私は女の子の枕元に立った。 「ぐっすり寝てるわね」 小声でケイが話しかけてくる。私は、それに頷いて答えた。 「始めるわ」 チリン―― アンジェラが鈴を鳴らすと、女の子がゆっくりと目を開いた。最初は泳いでいた視線が徐々に定まり、私に合う。 途端。女の子は、カッと目を開いた。 「おと――!?」 すぐさま口を塞ぐ。大きな声を出されて、母親に気づかれると面倒な事になる。 「香奈子、静かにしてくれるかな? もう遅い時間なんだ」 こくりと頷いたのを確認し、私は手を離した。女の子は意外にも素直に、静かな声で話しかけてきた。 「おとう、さん? ほんとうにおとうさんなの?」 「ああ。香奈子が心配で、少し様子見に来たんだ」 私は、この子の父親を知らない。だから、どんな声で、どんな口調で、どんな言葉を吐いていたのか、私は知らない。だが、アンジェラによると、そんな細かい事は関係ないらしい。 今の状態は、香奈子の記憶にある父親という存在を、生きている私の姿に投影した状態だとか。元々が似通っているからこそ可能な芸当だとかで、要するに今の私は、大井家の主人に見えているらしい。 「おとうさん、おとうさん、あたし、さびしいよ。どうしていなくなっちゃうの? おかあさんは、おとうさんが、かみさまのところにいったって。もうかえってこれないって、そういうの。うそだよね? そんなこと、ないよね?」 うるんだ瞳で、香奈子は私を見つめる。その顔は、見ているだけで心が引き裂かれるかのようだ。 だが、そうも言っていられない。 私は香奈子の頭に手を置き、言った。 「ごめんな、香奈子。それは、本当の事なんだ。お父さんは、神様のところに行かなきゃいけない。そして、もう帰ってくる事はできないんだ」 「どうして? なら、あたしもいっしょにいく!」 「それは、できないんだ」 ますます顔を歪ませる香奈子。その顔を見ていられなくて、私は、彼女を抱き締めた。強く、強く。 「香奈子。香奈子は、まだやらなきゃいけない事がたくさんあるんだ。辛かったり、泣きたくなる事もたくさんある。でも、それらを乗り越えなきゃいけないんだ。お父さんとのお別れも、そのひとつなんだよ」 「どうして? そんなの、あたし、いらないよ」 「ダメだよ、香奈子。それが、生きるって事なんだから」 子供には、難しい話かもしれない。理解なんて到底、できる話ではないのかもしれない。 私は、大人でもそれを認められず、苦しむ人々をいくらでも見てきた。自分の、恋人の、家族の、友人の死を認められず、前に進む事を恐れる人たちを。 そんな人に、私は何もしてやれない。私はただ、死者に終わりをもたらす事しかできない。 そして、今。私の目の前には、今まで私が救えなかった人たちと同様、苦しんでいる人がいる。年齢など関係ない。私は、この苦しむ人たちに、わずかでも救いを与えるための存在なんだ。 だから、香奈子にもわかって欲しかった。少しずつでいい。前に進んで欲しかった。 誰かの中に父親の幻影を求めるのではなく。己の中の父を信じ、前を見つめて欲しかった。 「う、う……」 泣き声が、私の耳を突いた。 小さな、か細い泣き声。壊れてしまいそうなほどに繊細で、弱々しい泣き声。 私の心を締め付ける、悲しい声。 抱き締める腕に、力が入る。歯を食いしばった。そうしないと、私も耐えられそうになかった。 「おとう、さん」 泣き声のまま、香奈子は言った。 「あたし、がんばるから。おとうさん、みていてくれる?」 それは。小さな一歩の、始まりだった。 だから私は、言った。 「ああ。ずっと見守っているよ、香奈子」 香奈子が小さな手を必死に伸ばし、私を抱こうとした。 この、偽りの温もりでも。 それを支えに、この子供が生きていけるというのであれば。 これを間違いなどとは、言わせない。正しくなかろうとも、これは絶対に間違いなどではないと、私はそう信じられる。 沈痛な声が寝息に変わるまで、私は、手を離さなかった。 チリン―― 駅に向かう道を、ふたりの少女とひとりの青年が歩いていた。 「あんたもさ、ああいうとこってあるのね。意外だったわ」 「失敬だね、君は。私をなんだと思っているんだ?」 漆黒のコートに身を包んだ青年の隣で、桜色の眷属はくすくすと笑った。 それを不快そうな目で見つめていた青年は、ふと、視線の先を変える。 「アンジェラ。彼女は、前に進む事ができると思うか?」 ぴたりと、夜空色の死導者は足を止めた。同じように、ふたりも足を止める。 「その答えは、私よりも貴方の方が知っていると思ったけれど?」 振り返り、答えた死導者。その顔に浮かぶのは、小さな笑顔。 「別れを受け入れる事は寂しく、簡単にはできない。孤独の中では、それだけの重圧に耐え切れないかもしれない。けれど、人はひとりではない」 「彼女の中には父親がいる。その存在が、彼女を支えてくれる。そう言いたいのか?」 小さく頷き、死導者は前を向いて歩き出す。 「彼女はまだ幼い。未来はどこまでも続き、輝いている。今の彼女ならば、その光まで手が届く。私にも、そう思えたわ」 「そうか。君が言うのであれば、まあ、間違いはないんだろうな」 くすりと笑った青年は、コートの襟を立てて顔を隠すと、消え入りそうな声で言った。 「ありがとう。助かったよ」 風に流れて消えてしまいそうな声。けれどその声は、しっかりと届いていた。 死導者は夜空を見上げる。冬の空には、星がまたたいていた。 「綺麗ね」 少女の呟きは、夜空に溶けて、消えた。 チリン―― |