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そりゃ、いつもいつでも上手くいくなんて思っちゃいないわよ。 だからって、負けたり挫けたりなんて、やってられない。 そんな事は承知の上で、こんな逝き方をしているんだから。 あたしたちの前に立っているのは、どこにでもいる大学生に見えた。ダウンを着込み、白い息を吐いている。本当に普通で、街中を歩いていたら見失ってしまいそうなくらい、普通だった。 「貴方は、間もなく寿命を迎える。肉体の寿命ではなく、魂の寿命。逃れる術は、存在しない」 なのに、もうすぐ死ぬ。見たところ、残り一週間ちょっとってところかな。 どこにでもいる、ごく普通の大学生。普通でない点はひとつ。運が、悪かったって事。それだけの説明では納得できないくらいに、決定的に。 「その、寿命ってのになると、どうなるんだ?」 冷静だった。それはたぶん、現状に実感が沸かないから。本当なら気が狂いそうなほどに不安なのに、それが現実にならなくて。だから、冷静でいられる。 そんなところまで、普通だった。 「死を迎えるわ。方法はわからない。事故かもしれないし、病気かもしれないし、人によっては殺されて幕を閉じる事もある。共通する事は、死ぬ事。それだけ」 それはどこまでも冷たい事実。あたしにもアンジェラにも手が出せない、絶対のルールだった。 教えても教えなくても、死を迎える事は同じ。それでもアンジェラが教えるのは、残る生を使い尽くし、心置きなく死ねるようにという配慮から。 それで本当に心残りを消化できる人もいるし、できない人もいる。それでも、アンジェラは伝える。そして、あたしはそれに付き従う。 「貴方の生は、他の生と比べれば圧倒的に少ない。だからこそ、その短い時間を無為にしないで。絶対にやり遂げたい事のために、残る命を燃やし尽くして。それが、私からの願い」 アンジェラの言葉は、静かに染み渡る。しばらく、余韻のような寂しさがあたりを包み込んだ。 やがて、言うべき事を言ったアンジェラは、背中を向ける。 「行く?」 「ええ。後は、私たちにできる事は何もない。彼が全てを決める。善も悪も、良しも悪しも」 「うん、わかった」 もう一度、大学生に目を向ける。まだ呆然としているその顔に心の中で別れを告げて、あたしたちはその場を後にした。 数日後、あたしたちは街中を歩いていた。実体化していないから、近くを歩いている人たちは存在に気づいていない。その中を、あたしたちは歩く。 ふと、顔を上げた。大画面のテレビに、女性のアナウンサーが映っている。ニュース番組みたいね。 『犯人は現在も立てこもりを続けており、警察による交渉が続いています』 「何? 立てこもり? どこのアホよ、そんな事をしてるの」 「きゅーう?」 言いながらも、私は画面を見る。画面が切り替わり、現場の様子が映し出された。 場所は――どこかの大学かな? ジュラルミンの盾を構えた警察官の姿が並んでいる。同時に、画面の隅に容疑者の顔が出た。 「……ッ!?」 その顔には、見覚えがあった。 「アンジェラ!」 「ええ。見ているわ」 見覚えがあるどころじゃない。見たばかりだった。 それは、この間、死期を伝えた大学生だった。名前も知らなかった大学生が、今、あれだけ多くの警官に囲まれている。 アナウンサーの声が、現状を伝えてくれる。 立てこもりが起きたのは二時間前。ナイフを持った彼が学校の図書館に押し入り、学生を人質に取ったとか。 厄介なのは、犯人が持っているものがナイフだけじゃないって事。 犯人は、図書館に――ガソリンを撒いたらしいって事。 ガソリンは蒸発しやすい液体だって聞いた事がある。ばら撒いたら、空気そのものが爆弾みたいになるって。 今、あの建物は、身動きするだけで爆発するかもしれない。そんな、危険な火薬庫になっている。 動機は語られていない。目的も不明なまま。こう着状態がずっと続いているらしい。 「アンジェラ、動機ってやっぱり……」 「私が死期を伝えたから、でしょうね」 それしか、考えられない。 それはつまり、あたしたちのせいで事件が起きたって事? 疑うまでもない。それが、事実なんだ。 「行こう、アンジェラ。何もできないかもしれないけど、このまま黙って見ているなんて、あたしはイヤ」 「ええ、私もこのまま見過ごすつもりはないわ」 チリン―― 景色が、揺れた。 現場は混乱の極限だった。 立てこもりが起きている建物の周囲を、警官隊が取り囲んでいる。さらにその周りを、野次馬やら報道陣やらが囲んでいる。全員が緊張した面持ちで建物を見つめていた。 「どうする?」 「中に入ってみましょう。彼と話をしたいわ」 頷き、あたしはアンジェラと一緒に建物の壁をすり抜けた。 建物に入ってすぐは、ロビーのようになっていた。人の気配はない。奥に進んでみると、本棚が並んでいた。そこで初めて、ここが図書館だとわかった。 けど、どこにも彼の姿はない。不思議に思っていると、二階に続く階段を見つけた。 「二階、だよね」 黙って、アンジェラは階段に足をかけた。あたしも、それに続く。 二階に入るところは、パイプ椅子とロープでバリケードのようなものが作られていた。効果的だ、と思う。下手に崩せば、火花が散って気化したガソリンに引火するかもしれない。崩そうと思えば簡単に崩せてしまうだけに、厄介な壁だ。 霊体のあたしたちは、関係なく通り抜けられるけど。 バリケードの向こうには、机が並んでいた。元は、学習室のような場所だったのかもしれない。けれど今は、地獄だ。 床には染みのように油が撒かれている。壁にも、机にも、ガソリンがかかっていた。 眉をしかめながら部屋に入ると、隅の方で声がした。見ると、縛られた学生が何人か転がされている。たぶん、人質になった、運の悪い人だ。 「ケイ」 目を前に向ける。そこには、大きな窓があった。 その窓を、そっと見つめる背中。寂しげで、実際よりも小さく見える姿。痛々しいその背中を、あたしは知っている。 チリン―― 涼やかな鈴の音色。それが、彼を振り向かせた。 あたしたちの姿を見つけ、彼の目が細くなる。 「あんたらか。俺に何か用?」 「どうして、こんな事をしているの?」 アンジェラの質問に、彼は口を皮肉っぽくゆがめた。 「理由は、あんたらならよーく知っているだろ?」 彼は、手に持っているナイフをもてあそびながら言う。 「俺はもう老い先が短い。もう死ぬんだ。なら、悔いを残さないようにって言ったの、あんたらだろ?」 「これが、あんたのしたかった事なわけ? 残り少ない命を使ってでも、やりたい事なの?」 「そうだよ。だって、死ぬのが俺だけなんて、不公平じゃないか。俺はこんなに若くして死ぬんだ。まだ、やりたい事、やってみたい事はいくらでもあるのに。なのに、もう死ぬんだ。死ぬんだよ!」 言葉を続けるつれて、感情が高ぶっていく。荒れ狂う嵐のような感情が、渦巻く。 「なんで俺なんだよ!? どうして俺だけが死ななきゃいけないんだ! 俺が何かやったか!? 死ななきゃいけないような事を! 死ぬほど悪い事をしたってのかよ! 何もしてなかった、ただ普通に生きていただけじゃんか!」 感情が、止まらない。想いを言葉に換えて、彼は叫ぶ。 「だから、俺は殺してやるんだ。死ぬほどの悪人になってやるよ! 代わりに、みーんな道連れだ! ひとりでも多く殺して、俺も死んでやる! ここが、俺の死に場所だ!」 ナイフを片手に、彼は人質に近づいた。その頬に、刃を当てる。 「それとも、あんたらが俺を殺すか? いいぜ、殺してみろよ。その瞬間、ここも爆発させてやる! 全員が死ぬんだ!」 もう片方の手を振り上げた。そこには、銀色に輝くもの――ライターが握られている。押し込むだけで火が出るタイプ。ライターに火がついたら、瞬間、ここは吹き飛ぶ。 「……」 あたしは、そっと懐に手を入れた。あたしの抜刀なら、あいつに何かをさせる前に腕を切り落とす事ができる。あいつを、殺す事も。 あたしが手を引き抜こうとした途端、白い腕があたしの手を掴んだ。 「駄目よ」 アンジェラが、短くたしなめる。 「でも、放っておいたら冗談にならないわよ」 「でも、いけない。私たちは死導者、死を導く者。生きる者に、私たちは手出しをしてはならない」 それは、アンジェラが自分で決めたルールだった。だから、破ったところで何があるわけでもない。 でも、だからこそ、破れない。あたしは、そんなアンジェラだから一緒にいるんだもの。それを破ってしまったら、あたしは死喰いの眷属は名乗れない。アンジェラも、死喰いは名乗れない。 あたしたちが倒すもの、喰らうものは死だけ。生は、喰らえない。 「わかった、わよ」 あたしはぐっと堪え、腕を戻した。 見れば、アンジェラも小さく震えていた。じっと、堪えていた。 アンジェラだって、辛いんだ。 自分のせいで、こんな事件が起きてしまって。彼に絶望を与えてしまって。その事実に、アンジェラは泣きそうなくらいに打ちのめされて、それでも手出しはしない。ルールは曲げない。 目がくらみそうなほどに、アンジェラは強い。そう、思った。 「念のため、聞くけれど。投降するつもりはないの? 争ったところで、誰が幸せになるわけでもないわ」 「俺は、俺だけが不幸になるのが我慢ならないだけだよ」 言って、彼はナイフの先をアンジェラに向けた。エルが、毛を逆立てる。 「邪魔するってなら、火をつける。わかったら出て行ってくれ。俺はあんたらの顔を見たくない」 ちらりと、アンジェラに目を向ける。アンジェラは小さくため息をつくと、鈴を鳴らした。 チリン―― 図書館の外に浮いて、あたしたちはじっと見守っていた。 時間は、夕方。傾いた茜色の光が、全てを血のように赤く染めている。 心が、痛む。あたしたちは彼を救えなかった。何もできなかった。絶望したくなるくらいに、あたしたちは無力だった。 「なんで、こんな事になっちゃったのかな?」 「予想する事は、できたはずね」 見ると、アンジェラの顔は沈んでいた。いつもと同じ無表情だけど、雰囲気が違う。 「アンジェラが落ち込む必要はないわよ。あいつが、悪いんだから」 どんな事態に陥ったって、現実は変わらない。死んでしまうから誰かも殺す、なんて考え方は、現実から逃げている。そんな考え方をした、あいつが悪いんだ。 「いいえ。それは、違うと思うわ」 あたしの言葉を否定し、アンジェラは続ける。 「彼は今も、耐え難い死の恐怖に苦しめられている。私は、彼に伝えるべきではなかった。伝える相手を選ばなければならない事は十二分に承知しているのに、見誤ってしまった。私には、その罪がある」 「アンジェラは事実を伝えただけじゃない。それで、どうして責められなきゃいけないのよ!」 「きゅ!」 エルもまた、あたしに賛同するように頷いた。 対するアンジェラの言葉は、静かだった。 「真実は、誰もが知っていいものではない。真実に耐えうる者だけが知って良いもの。彼は、真に勝ちうる存在ではなかった――その事実が、たまらなく悲しい」 あたしは悲しそうにしているアンジェラを見ていられなくて、建物に目を向けた。ちょうど、その時。 建物の窓が割れて、犯人が顔を出した。 「おい、警官さんよぉ!」 ナイフが、夕暮れの中できらきらと光る。 「なんでだよ、なんで俺が死ななきゃいけないんだよ! 誰か教えてくれよ! なあ、おい! どうしてなんだよ!」 それは、魂の底から響く悲鳴。死にたくない、ただそれだけの、人間として当たり前の願い。 けど、それが聞き入れられる事はない。最先端の医術を使っても、科学の全力を使い尽くしても、彼は絶対に生きられない。死の先にいるあたしには、それが目に見える。 「どうしてなんだよ!? なんで、どうして俺だけなんだ! どうして俺じゃなきゃいけなかったんだよ!」 悲痛な声。思わず耳を塞ぎたくなるような、魂を揺さぶる痛々しい声。 どうして。そんなの、あたしが聞きたいわよ。 「ちくしょう、ちくしょうッ!」 叫びは嘆きに変わる。 涙を流しながら声を張り上げるあいつを、あたしたちは見ている事しかできない。 あたしたちに、人を生かす力は、ない。 野次馬のざわめきが大きくなる。あわせるように、警官隊も動く。 「そろそろね」 ぽつりと、アンジェラが言った。直後。 「あ……」 ぐらりと、男の体が傾いた。野次馬の何人かが悲鳴をあげる。 そうして、あいつは窓から落ちていった。コンクリートの地面に向かって、まっすぐに。 地面に激突し、動かなくなる。赤い染みが広がっていく。 途端、警官隊も動き出した。犯人の体を囲むように。同時に、何人かのメンバーが建物の中に入っていった。 「終わっちゃったね」 「そうね」 あまりにもあっけない。人生ってそういうものなのかもしれない、でも、泣きたくなるくらいに簡潔だった。 チリン―― アンジェラは背を向け、姿を消した。 あたしは小さくため息をつき、後を追った。 徐々に暗くなる空に、アンジェラがぽつりと立っていた。エルが慰めようと懸命に声をかけている。 「アンジェラ」 声をかけると、アンジェラの肩がぴくりと震えた。けれど、振り返らない。 「あたしたち、余計な事をしちゃったんだよね」 「そうね。私たちが何も言わなければ、彼は誰かを傷つける事なく死を迎えた」 何もしなければ。それは、意味のない仮定の話。 過去は変わらない、変えようがない。だから、何を言っても仕方ない。 でも、言いたくなる。過去を変えたい。あんな苦しい想いをさせたくない。誰にも、誰にも。 あたしはぐっと拳を握り、聞いた。 「でも、だからってやめるつもりもないんでしょ?」 「もちろん」 返答に迷いはなかった。 「私は、今まで幾度も人々と出会い、それぞれに言うべきと思った事を伝えてきた」 時に、憎まれ役を買って出て。 時に、優しく。 時に、冷たく静かに。 その姿を、あたしは何度も目にしてきた。 「その過程で成功した事もあるし、失敗した事もある。今回は、上手く私の気持ちを伝える事はできなかった」 ただ、残りの人生で悔いが残らないようにして欲しかっただけ。 世界を去る前に、世界に別れを告げ、綺麗に別れられるようにと願っただけ。 結局、失敗したけど。 けれど。アンジェラの、強い言葉があたしの耳を打つ。 「だからといって、諦める事はない。今までも、そして、これからも」 アンジェラは強い。失敗しても倒れない。今までどれだけの失敗を重ねてきたのか、あたしには想像もできない。 「……うん。でもね、アンジェラ」 あたしは、そっとアンジェラの背後に立った。そして、目の前の小さな背中を抱き締める。 「今だけは、泣いていいからね? 無理はしなくていいから。あたしも、エルも、一緒にいるんだから。ひとりで抱え込む必要なんて、ないんだからね」 アンジェラの答えは、震えていた。ともすれば聞き逃すほどに小さく、けど、いつも感情をコントロールしているアンジェラからすれば、決定的なほどに。 「――――、ええ」 アンジェラは泣いた。 はらはらと、静かに涙をこぼす。あたしはその背中を抱き締める。 薄暗くなっていく中、あたしはアンジェラとひとつになるかのように、抱き続けていた。 小さな少女の手を握り、桜色の眷属は夜を行く。 照らす月光は明るく優しく、少女たちの影を包み込む。 「報われないね、アンジェラって」 「そう、かしら?」 「うん。失敗したら、あんなにも痛い目に遭う。あたしたちも、本人も、近くの人たちも」 眷族の言葉に、死導者は顔を伏せた。 「でも、成功しても何も残らない。ただ、感謝されるだけ。メリットに比べて、デメリットが大きすぎるわよ」 「私は、そうは思っていないわ」 ふう、と眷属はため息をつき、かたわらの少女を眺めた。 「わかってる。だから、やるんだもんね」 「ええ。誰も救われないかもしれない。誰も幸せにならないかもしれない。それでも、私は救いたい。誰かに幸せになってほしい。それが私の意志、私の逝く道」 百度の失敗を繰り返しても。 たった一度の成功があれば、少女は歩き続ける。 彼女が見つめるこの世界は、まだ絶望だけに覆われていないと。 救える人もいるのだと。 そう、信じるが故に。 「ケイ、エル。今日は、ありがとう」 微笑を浮かべ、桜色の少女は言う。 「あたしたちは、アンジェラの味方だからね。何があったって。でしょ、エル?」 「きゅ」 チリン―― 影は夜空に消えていく。 何も残さず。けれど、そこに確かなぬくもりを残して。 チリン―― |