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全てを切り捨ててきた。 そうして、守ってきた。時に恨まれ、時に憎まれながら。 得るものなんてなくていい。俺はただ、守りたいんだ。 夜空色の小さな少女は、俺に言った。 「貴方は、そう遠くない未来に、死ぬわ」 それは俺が今まで浴びてきた多くの悪意や殺意、憎しみや怒りといった感情とは程遠い言葉だった。冷たく静かで、単なる事実を伝えているだけのような、感情の抜けた言葉だった。 「そうか」 だから俺も、それ以上に言う事はなかった。 「えーと、意味は理解している?」 もう片方の死神少女――ケイは、不安そうに尋ねる。俺はそれに対して、頷いてみせた。 「よくまあ、そんなに冷静でいられるもんね」 ケイは呆れたように言う。無理もない。死神に死ぬと宣告されたのに、平然としているのだから。 だが、当然の事だ。待っていたと言ってもいい。恐れる理由は、俺には欠片も存在しなかった。 「俺はな、死んで当然の人間なんだ」 「どういう事?」 俺は社長室の椅子に深く座り直し、答えた。 「君たちは俺のあだ名を知っているか?」 「知らないわ」 「そうか。俺のあだ名は、死神っていうんだよ」 ケイの目が大きくなり、反対に、アンジェラの目は細まった。 「このビルは俺の会社の自社ビルだ。この部屋だって、他のフロアだって、全て自前で作られている。黒字決算が続いているし、ライバル企業よりも頭ひとつ抜き出た経営状態だ」 俺は部屋を見渡した。社長室にはそれなりに値の張る調度品が並び、広さもそれなりにある。無駄を省いたからこの程度だが、その気になればもっと成金趣味な場所にもできただろう。俺の好みには合わないが。 「俺は、一代でこの会社を作り上げた。そこまで来るには、もちろん綺麗なままじゃやってられない」 「何を、したの?」 「なんでも、が正しいだろうな。友達も恋人も裏切ってきた。創立以来の仲間だって、必要とあれば切り捨てて来た。そうやって、この会社は大きくなった。だが」 俺は、口の端を持ち上げた。 「そうやって切り捨てられてきた奴らは、何人も自殺したよ。ショックで、路頭に迷い、人を信じられなくなって。付いたあだ名が、死神ってわけだ」 俺は後ろを向き、大きな窓の外を眺めた。夜のオフィス街は、不況のせいか、暗い雰囲気が漂っている。見ていて楽しい光景ではなかった。 「貴方は、自分の生き方を後悔した事はある?」 振り向くと、アンジェラは眉を下げていた。悲しげにも見える。 「いや。一度も」 俺が答えると、アンジェラはますます眉を下げ、そう、と小さく呟いた。 後悔などするわけがない。そんな暇は、俺にはない。 それが、俺だから。 「バカ、何をやっているんだ。さっさと先方にアポ取ってこいッ!」 受話器に叫び、俺は叩きつけるようにして戻した。 そして、目をあげる。そこには、例の死神ペアが立っていた。 「あんたさ、あたしたちの話を覚えてないの?」 「自分の死亡宣告を忘れる人間がいるわけないだろう」 俺が言うと、ケイはため息をついた。 「なら、なんで働いているわけ? 他にやる事はないの?」 「他?」 「だからッ! 好きな人にお別れを言うとか、そんなのよ」 「ああ、そんな事か」 俺は頷き、 「やっているとも」 「何を?」 「見てわからなかったか?」 問い返すと、アンジェラもケイも小首を傾げた。だから、俺は教えてやる。 「引き継ぎだよ。俺の仕事を間抜けな部下たちに任せているんだ」 俺が言うと、ケイは呆然と俺を眺めた。何も言えなくなったケイの代わりに、アンジェラが口を開く。 「それは命よりも大切な事なの?」 「俺はそう思っている」 力強く頷く。迷いはない。 それでも理解していなさそうなふたりを前に、俺は体を背もたれへと預けた。 「俺はなぁ、社長なんだ」 「そんなの、知ってるわよ」 「だが、理解しちゃいない。していれば、俺の言いたい事もやりたい事も理解できるはずだ」 俺が言うと、ケイは押し黙った。 「いいか? 俺はこの地位を築くために、色々なものを犠牲にして来た。友人を見捨て、恋人を傷つけ、時には部下を切り捨てた事だったある。それでも続けて来たんだ」 そして、俺は笑ってみせた。 「今さら、止まれるか。俺は社員全員の生活を、これだけ頼りない部下たちのみを」 俺には義務がある。俺の会社で働く者たち、この会社を、俺なんかを信じた馬鹿の生活を守る義務が。 このご時勢、どれほどの大会社も潰れる可能性はある。まして、この会社は歴史が浅い。他より潰れる可能性は高いくらいだ。 だからこそ、潰させない。少数を切り捨ててでも、大多数は守ってみせる。そのためには、やらなければいけない事は多すぎた。 「俺は、俺が犠牲にした連中に報いるために、何より、社員を守るために、命懸けで働く覚悟があった。それは、今も変わらん。死ぬ日が近づいたところで、やる事は変わらんさ」 俺の言葉をかみ締めるように頷き、アンジェラは口を開く。 「なら、どうして犠牲を払ってきたの? 彼らは、守るに値しなかった?」 「そういうわけじゃない」 首を振り、答える。 「俺は曲がりなりにも社長、つまり上に立っている者だ。だからこそ、俺は全員を救うなんて事はできない。時には誰かを犠牲にしなきゃ、組織は成り立たないんだよ。そりゃ、犠牲にされた方はたまったもんじゃないだろうな。だが、そうしなければ他を殺す事になる」 被害は最小限に。ひとりを守って、ふたりを殺すなんて馬鹿げている。それが、組織だ。 「俺は常に、その時、その場で、最も被害を小さくできると考えた道だけを選んできた。それが、俺のやり方だ」 じっと俺の言葉を聞いていたアンジェラは、ほう、とため息をついた。 「私は、貴方という人を誤解していた」 「そりゃどうも」 「……貴方は、私などよりも立派な指導者よ」 切り捨てられない私よりも。 チリン―― 小さく呟き、アンジェラは姿を消した。後を追うように、ケイも姿を消す。 「立派、ね」 俺には、そうは思えなかった。どう言い訳しようとも、切り捨てるのは最善じゃないのだから。 「ま、関係ないか」 書類に手を伸ばす。タイムリミットまで、時間がない。 深夜になっても、俺は社に残っていた。もう、行き帰りの時間さえも惜しい。どうせ帰ったところで誰もいない家だ、なら、社に残った方がいい。 書類に目を通していると、ノックもないまま、静かに扉が開く気配がした。 ちらりと、視線だけを上げる。くたびれた男が、どこか狂ったような表情で俺を見下ろしていた。 「名前と所属」 俺が言うと、男は言った。 「おお、お前のせいだ。お前のせいで、オレは、仕事を失くしたんだ!」 「派遣か何かか? 悪いが、俺は細かい人事まで指定していないぞ」 「お前が、お前がもっとしっかりしてりゃあ、オレたちは切られずに済んだんだ!」 「無茶を言いやがる。だが、お前の言う事もあながち間違いでもないな」 結局、世間がどうだろうが、国政がどうだろうが、社内の責任を負うのは社長だ。 「死ね、死ね死ね死ねッ!」 懐から取り出した包丁。ご丁寧にも、手袋をしている。狂っているように見えて、冷静な部分もあるという事か。 「潮時、か」 俺は書類に決済用のハンコを押し、立ち上がった。 男の目の前まで近づく。俺の持つ空気に気圧されたのか、男は動かない。 「エレベーターは使うな。非常階段で逃げろよ」 「な、何?」 「そのコートや手袋は焼いちまえ。包丁は残して行けよ、面倒だからな」 「何を言ってやがる!」 「馬鹿なテメエにいちいち教えてやっているんだ、素直に聞いとけ」 男の顔が、赤くなる。包丁を握る手に力がこもっていく事がわかった。 「いいか? お前は社会の底辺なんだ、生き方なんて考えるな。そんなもんを選べる立場じゃないからな、お前は」 「――ッ!」 衝撃は、思ったよりも小さかった。 「っざけるな!」 ギリギリと、俺の体に刃が沈み込んでいく。激痛が、意識を奪おうとする。だが、まだ倒れるわけにはいかない。 「満足、か」 「あ?」 「満足したかって聞いているんだよ」 男が包丁を握る手を弱めたタイミングを狙い、俺は男と距離を開けた。 「気が晴れたなら、もう行け。んで、二度と俺みたいな冷血漢には出会うな。これが、俺の、命令だ」 もう足に力が入らない。崩れ落ちた俺の耳に、男が慌てて飛び出していく音が聞こえた。 俺はポケットから携帯電話を取り出し、内線に繋ぐ番号をプッシュする。電話先は、守衛室だ。 『はい、どうしましたか、社長』 「監視カメラは動いているか?」 『はい? ええ、動いていますが』 「十分前から今の部分までの映像を消せ」 『え? け、消す?』 「そうだ。社長命令だ。それと、この件は他言してはならない。誰に聞かれてもだ。いいな?」 『は、はい! 承知しました!』 電話を切る。次に、腹に刺さった包丁を引き抜いた。 「痛ッ!」 死ぬほど痛い。だが、まだ、死ねるか! 「らあッ!」 包丁を、傷口に向かって自分で突き刺す。神経を焼き切るような、信じがたい激痛が全身を走り抜けた。 意識が、段々と薄れてくる。絨毯に目をやると、俺の体から溢れた血液が染み込んでいた。 「これで、いい」 呟く俺の耳に、その音色は届いた。 チリン―― 力が入らない。それでも無理矢理に首を上げると、ケイが泣きそうな顔で俺を見下ろしていた。 「あんた、どうしてそこまでするわけ。自分を殺した相手が憎くないの?」 「言った、だろ。俺は、殺されて、当然なんだ」 俺なんかを殺して、それで罪になる奴なんて、見たくはない。そんな奴はいなくていい。 弱っていく俺を見ていられなくなったのか、ケイが視線をそらす。代わりに、アンジェラが口を開いた。 「ケイ。そらさないで、見てあげて。彼の、燃えるような生き様を」 思えば、長く生きたな。 ……、これでようやく、俺も死ねる。あいつらに向ける顔もありゃしないが。 「寝るのも、久しぶりな、気がする、な」 ゆっくりと体を横たえ、目を閉じる。 音が、気配が、世界が遠のいていく。 俺の人生にしては、上々だ。 「あたしは、あの人よりアンジェラの方がいいな」 夜道を歩く中、桜色の眷属はぽつりと言った。 隣を歩く夜空色の死導者が見上げると、眷族は続ける。 「誰かを切り捨てるって考えだと、真っ先に切り捨てられるの、あたしみたいな存在だし。誰も切り捨てないっていうアンジェラの方が、あたしはいい」 チリン―― その言葉に同意するように、漆黒の獣は尻尾を振って鳴く。 「ほら、エルも言ってるし。アンジェラだって引け目を感じる必要なんかないよ。アンジェラの優しさに救われた人は、たくさんいるんだから」 死導者は獣と眷属を眺め、顔をほころばせた。 「ありがとう。私は、そんな貴女たちに救われている」 「え? そう?」 眷属は嬉しそうに笑った。主に認められる事は、彼女にとって何よりも嬉しい事だ。 「人は、それぞれに生き方がある。どれが最上とは言いがたい。生きようとする限り、それはどれも素晴らしいもの」 素晴らしいそれらを眺める事、それが少女の役目。 「人の生き様は、眩しいわね」 空を見上げれば、そこは徐々に明るさを取り戻していた。夜明けは近い。 少女は、消えつつある星を見つめていた。 チリン―― |