わたしの父は変わっていた。
 同じように、わたしも変わっているのかもしれない。
 あるいは、それでいいのかもしれない。


 わたしは殺された。しかも、実の父親に。
 元々が暴力的な人だったけど、今まで死にそうな目に遭った事はない。だから、わたしを刺したのは、かなり異常だったって事だろう。いや、普段から異常な人だけど。
 胸を刺され、気がつけば、わたしはここに浮かんでいた。
「なんで浮かんでるのよ、わたしは」
 もちろん、決まっている。死んだからだ。
 もっとも、死ねば浮かぶってのは、初めて知ったけど。
「さて、どうしたものかね」
 とりあえず、全身のどこにも痛みはない。手足も動く。なぜか自在に飛ぶ事までも可能ときている。
 それは、いい。そこまではいい。
 けど、何をしたものやら。
 実際問題、今のわたしは詰まるところの“おばけ”と呼ばれる存在だろう。そんな、人間ですらないものに、何ができる?
 かといって、何をすれば終わるのかも、やっぱりわからない。すでに死んでるって事は、もう死なないって事よね? それともあれか、天国だの地獄だのに行くんだろうか。つーか、三途の川はどっちよ。
「あーあ。なんで、死んでからまで悩まなきゃいけないわけぇ? せめて、死んだ後くらいは楽させてよ」
 ぼやくわたしの耳に、その音色は届いた。
 チリン――
 涼やかな、鈴の音色。透き通った音に思わず振り返ると、そこには、女の子が立っていた。
 小学生、くらいだろうか。夜空色のワンピース。腰まで流れる綺麗な黒髪。何もかもが闇に紛れそうなほどに黒いのに、肌だけは、抜けるように白い。
「誰? おばけ?」
「似たようなものね。死を導く者、死導者よ」
 外見にそぐわない口調に眉をひそめつつ、わたしは意味のわからない単語に関して問い返す。
「何よ、その死導者っての」
「死した者に死を与え、生ある者に害をなす存在を狩り殺す。死神、悪魔、妖怪、なんて呼ばれるわね」
「ふーん。死神サマね」
 見たところ、大きな鎌も、ガイコツの仮面も持っていなさそう、だけど。実際の死神なんて、そんなものかもしれない。
「死神サマって事は、あたしは地獄逝きってわけ?」
「さあ?」
「さあって何よ。そういうのを決めるのが死神サマなんじゃないの?」
「本物の死神はどうなのか知らないけれど、私は違うわ。そもそも、天国や地獄があるのかさえも知らない」
「ああ、そういや死導者とか言ってたっけ」
 なんでもいい。どうせ、たいした違いはないんだろうから。
「それで、死導者サマはわたしに何をしてくれるわけ? つーか、わたしってこれからどうなるのよ? 知ってる?」
 聞くと、死導者は小さく頷いた。
「いずれ自我を失い、転生の時を待つ事になるわ。それまでは、この世に留まる事になるけれど、私が手を加えれば、今すぐに終わらせる事もできるわ」
「なら、そうして。転生って事は、今のわたしじゃなくなるんでしょ?」
「その通り、だけれど」
 死導者はいぶかしむように眉をひそめた。
「普通、自分が自分でなくなると聞けば、大抵の人間は動揺するわ。貴女は、そういった感情は持ち合わせていないの?」
 その問いは、わたしからすれば愚問。ま、事情も何も知らない赤の他人じゃ、無理もないだろうけど。
「わたしはね、さっさとオサラバしたいのよ。こんな、嫌な思い出しかない体とはね」
「それは、存在さえも消し去ってしまいたいほどのものなのかしら?」
「……なんで、そんな事まであんたに話さなきゃいけないわけ?」
 言ってから、わたしは肩をすくめた。
「ま、いいけど。話してあげても。どう? 聞く?」
 問いかけに、死導者は頷いた。その上で、聞く。
「思い出したくないものを、私に話してくれるの?」
「思い出そうとしなくても、離れやしないんだから、関係ないでしょ」
 それに――、あるいは、わたしは誰かに聞いて欲しいのかもしれない。
 わたしの、とても不幸な物語を。

 わたしに母親の記憶は、ほとんどない。幼い頃に、兄と出て行ったと聞いている。幼少のミギリなわたしを置いていくなんて、何を考えていたのやら。普通は逆でしょ、なんて思った事もある。
 ともかく、何の因果か父親とふたりきりで残された。それが、わたしの不幸の始まりだった。
 わたしの父は、いつも口を開かなかった。わたしが知る限り、あの人は何かを食べる時とわたしを叱りつける時を除いて、口を開いた事はない。
 そして、わたしの父は、よくわたしを殴った。体を、背中を、尻を、拳で、平手で、時には足で、殴りつけた。
 わたしの体に、アザがなかった時期はない。ただ、服の下に隠れていたから、誰も気がつかなかっただけで。
 どうして、わたしはあの男を父と呼べるのだろう。どうして、わたしはあの男から逃げ出さなかったのだろう。どうして、わたしは誰にも助けを求めなかったのだろう。
 答えを、知っている。
 父は、わたしを殴ると、決まって悲しそうな顔になる。何かを後悔しているような顔になる。その顔を見ると、憎しみも怒りも残るけれど、なぜだか従ってしまうのだ。
 自分でもバカだと思う。どうしてあんな人間のそばにいたのか、今も理論的な説明はできない。あるいは、わたしがマゾなだけなのか。
 理由はともかくとして、とりあえず、わたしは高校を卒業する間近である今まで、一度も家を出た事はなかった。

「わかった?」
 説明を終え、聞いてみた。死導者は何かを確認するように口の中で呟き、そして、わたしと視線を合わせる。
「貴女、する事はないでしょう? なら、今度は私の話に付き合わないかしら?」
 いたずらっぽく笑う死導者。まあ、たしかに予定はない。
「いいけど、何を話してくれるの」
「興味深いものよ」
 チリン――
 死導者が、くるりと回った途端、
「――!?」
 わたしの視界がブレた。
 目をしばたかせながら確認すると、景色がさっきと変わっていた。ここは、見た事がない。どこ?
「こっちよ」
 私が場所を確認する前に、死導者がわたしを導く。それに従って、わたしは建物の中に入り込んだ。
「ここって……」
 そこは、刑事ドラマなんかで見るような、容疑者と訪問客が会うための場所だった。透明な板を挟んで、パイプ椅子が置いてある。部屋の隅には、制服を着たおっさんが固い顔で突っ立っていた。
 ガチャリ、と扉が開く。知らないおじさんが入ってきた。
 おじさんがパイプ椅子に座ると、ほとんど待つまでもなく、反対側の扉が開いた。
「っ!?」
 入ってきたのは、父だった。頬はこけ、目の下には大きなクマがある。印象はだいぶ変わったけど、見間違えようのない、わたしに暴力を振るい続けた男だった。
 父はパネルの向こう側に置いてある椅子に腰を下ろす。そして、ちらりとおじさんを見上げた。
「佐々木さん。何があったか、話してくれますか」
「……、私が、悪いんです」
 ぼそぼそと、呟くように答える。視線を膝に落とし、心なしか、小刻みに震えているようにも見えた。
「私が、あの子を殺しました。間違いありません」
「その点に関しては、私も争うつもりはありません。問題は、それ以外です。
 失礼な物言いですが、事件当時、あなたは冷静でしたか?」
 父はおじさんの言葉など聞こえていないかのように、頭を抱えてしまった。
「そうだ、全て私が悪いんだ。私のせいなんだ! 私が、私が!」
「落ち着いて下さい、佐々木さん。時間もあまりないんですから。あなたは、娘さんを憎んでいたんですか?」
「そんなわけあるか!」
 冷静なおじさんに対し、父は感情的だった。自分で何を言っているか、理解してる?
「私は、あの子が何より大切だった! あの子さえいてくれれば、他に望むものは何もなかった!」
「なら、どうして暴力を?」
 心臓が、ドクンと跳ねた。
「娘さんの遺体には、明らかな暴力の痕跡がありました。あなたは、それに関しても自供している。どうしてそんな事をしたんですか?」
 息が、苦しくなる。手足が震え、感覚は消えていく。
 それ以上は聞きたくない!
「大丈夫よ」
 そっと、わたしの頬に冷たい手が触れた。見れば、死導者がわたしを見上げていた。
「大丈夫。ゆっくりと息を吸いなさい」
 言われた通り、深く息を吸って、吐く。それだけで、少し落ち着いた。
 顔を上げると、父もまた、明らかに震えていた。
「私、は」
 苦痛に顔をゆがめ、父は語る。
「私は、娘を愛していた」
「なのに、暴力を振るったんですか」
 おじさんの声は、どこか非難の色を含んでいるように思えた。そのせいか、父はますます肩を小さくしてしまう。
「そういう人間なんだ、私は。愛する者ほど、手が出てしまう。怖いんだ、私は。私などという人間を愛する人はいないと、そう思うからこそ、力で支配したくなる。抵抗しがたくなるほどの恐怖を植えつけたくなるんだ」
 ……バカ? そう、問いたくなる。
 何が、力で支配だっての。そんな事をするから愛されないんでしょうに。本当に、バカだ。
「そうだ、そんなのが通じるわけがないってわかっていたんだ。だけど、怖かったんだ。失いたくなかったんだ。そして、そのせいで妻を失ってしまった! なのに、私は変われなかった!
 娘の瞳に宿る恐怖の色、それだけが私を安心させると同時に、後悔に陥れていたんだ!」
 それがエスカレートし、ついに、わたしは死んでしまった。
 本当に、笑えない。
 父はとうとう、顔を伏せてしまった。嗚咽だけが耳を打つ。胸をかきむしられるような、嫌な声だけが。
「これを、わたしに聞かせたかったの」
 死導者は何も答えなかった。それが、肯定しているのだとわかった。
「これを聞かせて、わたしにどうしろって言うわけ」
「別に、何も」
「だからって許せっての!? わたしを殺した相手を!」
 そんなの、できるわけない!
「愛情があるかなんて関係ない! わたしは、こいつにどれだけ苦しめられたと思ってるのよ! 生きてるのがイヤになるくらいに痛めつけられて、死ぬ事もできやしない! それがどれほどの苦痛か、あんたなんかにわかるの!?」
「わからないわよ」
 あくまで冷静に、嫌になるほど冷静に、死導者は言った。
「それに、許せなどと言うつもりはないわ。彼の行いは認められるべきものではない事も承知しているつもりよ。
 私はただ、知って欲しかったの。彼は、決して貴女を憎んでなどいなかったという事。ただ、それだけは」
「そんなの……」
 だから、どうしたというのだろう。
 愛情があれば、殴っても許されるわけ? 殺してもいいっての?
 そんなわけない。そんなの、認められるわけない。
 絶対に!

 父は留置場に移送された。わたしも、それについて行く。なぜか、死導者までついて来た。追い返す理由もないから、放っておく。
 別に、父が心配なわけでも、逆に呪ってやりたいわけでもなかった。ただ、やる事がなくて、暇だっただけ。
 留置場は、狭い畳敷きの部屋だった。しかも、個室だ。普通は雑居房とかが多いって聞いていたけど……、まだ裁判が始まっていないからかな。
 布団とトイレしかない狭い部屋の、さらに狭い隅で、父はヒザを抱えていた。そのまま、じっと動かない。
 わたしは、そんな父を黙って見つめていた。それは、わたしの見た事がない父の姿だった。
 わたしの知る父親という人間は、常に他人を見下し、常に拳を握り、常にわたしを探しているような男だった。
 それが、どうしたというんだろう。今では、抜け殻のように反応を示さない。
 異常なまでの静寂。まるで時が止まってしまったかのような錯覚。
 わたしの目の前に座っているこの男は、本当にわたしの父なのだろうか? まるで、別人だ。
「別人のようなものよ」
 わたしの心を見透かしたのか、死導者は言った。
「彼にとって、貴女は支えだった。どれほどゆがんでいようとも、どれほど間違っていようとも、間違いなく彼にとって貴女は失いがたい存在だった。それが失われた今、彼は以前の彼ではない」
「ふん。情けないったらありゃしない。自分で殺したくせに――」
 失いたくないのなら、大切にすべきだった。殴り、蹴り、刺し殺すなんて。
 その裏に愛情と恐怖があったのだとしても、わたしはこいつを許す気にはなれない。
 許す気にはなれないけど、その姿は、とても小さく見える。全身から陰鬱とした空気が放たれていて、そのせいで、わたしまで重苦しい気分になってくる。
「彼には、救いがあるのかしら」
「救いって、何よ。ひとりの人間をボロボロにしておいて、自分だけ救われようっての? そんなの、甘いっての」
 そうだ。こいつは、もっと苦しめばいい。わたしに与え続けた苦しみを、こいつも感じればいい。
 それでも足りない、足りない!
「たとえば、彼が死んだら……、救われるのではないかしらね」
「――え?」
 じっとする父。それが、ふと顔を上げた。その視線は、窓の格子に注がれている。
 続いて、布団に視線を送った。その目は、絶望に暗く沈んでいる。
「まさ、か?」
 父は体を起こすと、ゆっくりと布団に近づいた。シーツを手に取り、引き裂く。
「ちょ、ちょっと、まさか自殺するつもり!?」
「そのようね」
「そのようねって、あんた、止めないの!?」
 ちらりと、死導者はわたしを見上げた。
「どうして、止めるの?」
「そんなの、当たり前でしょ!」
「貴女は、彼を憎んでいるのでしょう。その彼が死ぬのよ? 止める必要があるのかしら?」
「憎ければ死んでいいってものじゃないでしょ!」
 わたしたちが口論をする間にも、父はシーツでロープを作り上げていく。早く止めないと間に合わない、でも、わたしじゃ止められない!
 焦るわたしと対照的に、死導者は冷たい目でわたしを見つめた。
「彼は自ら死を選んだ。それを、どうして貴女が止めるの? 貴女を苦しめ、悲しませ、痛めつけた相手が、死を迎えるのよ。喜ぶべきではないかしら?」
 それに、と、死導者は笑みを浮かべた。わたしの背筋を、悪寒が走る。
「安心なさい、彼の苦痛は死んだところで終わらないわ。貴女と同じように死者となり、永遠とはいかないまでも、かなりの時間を精神的な苦痛と共に在り続ける事になる。
 誰にも触れられず、誰にも気付かれず、望みは何一つとして叶わない。そんな、苦しむだけの存在になるのよ。復讐としては、理想的な形ではないかしら?」
 わたしと、同じ状態に。
 今のわたしは、死導者が話し相手になっている。けど、それもいなくなったら、わたしは孤独になる。
 誰も、わたしが存在している事に気がつかない。
 誰も、わたしの言葉を聞き届けない。
 誰も、誰も。
「そん、なの――」
「貴女はそこで見ていればいい。それだけで、復讐は完成する。彼は、自ら地獄に足を踏み入れる。空想ではない、本物の地獄に」
 父が、死ぬ。
 それは、それだけは。
「――ダメ」
 ガッと、死導者の肩をつかんだ。死導者の、吸い込まれそうな深紅の瞳を、じっと見つめる。
「そんなの、許さない! そうだよ、こいつは、わたしを殺した! 苦しめた! でも、それでもっ……、こんなのでも、わたしの父親でしょうがっ!」
 どうして、こんな事が言えるのだろう。どうして、わたしはこの人を見捨てないのだろう。
 父親らしい事なんて、してもらった覚えはない。わたしは、この人を殺したいほどに憎んでいるはずだ。
 なのに、なんで憎まないでいられるんだ。なんで、こんな台詞が吐けるんだ。
「とにかく、止めなさい! 止めなきゃ、わたしがあんたを殺してやるから!」
 死導者は、じっとわたしを見つめた。その口元に浮かぶ笑みが、雰囲気を変える。
 冷徹な笑みから、暖かなものへと。
「いいわよ」
 わたしの手を優しく外すと、死導者はくるりと回った。
 チリン――
 鈴の音色が響く。同時、首輪を完成させた父は、振り向いた。
「き、君は?」
 父の戸惑った声。その視線は、死導者に注がれている。
「こんにちは。わたしは、死導者」
 そっか。死導者の姿が、今は生きている人にも見えるんだ。
 死導者はゆっくりと父に近づき、言う。
「私は一言、伝えに来ただけよ。おびえないでくれる?」
 それは無理だろう、と思う。いきなり現われた見ず知らずの子供。おびえないわけがない。
「な、何? 伝え、え?」
「そう。貴方の娘さんが、そこで見ているわよ」
 カッと、父の目が見開かれる。きょろきょろと周囲を見渡し、けれど、わたしの姿は見つけられなかったらしい。すぐに、死導者に視線を戻す。
「そこよ」
 死導者がわたしを指す。父は、その先――わたしに、目を向けた。
「さやか、さやか! すまない、さやか! 私のせいで、そうだ、私が悪いんだ! さやかっ!」
 薄っすらと、思い出す。
 ああ、そういえば、小さい頃は、よく名前を呼んでくれたな。何かあるたびに、さやか、さやかって。
 いつからだったろうか、父がわたしと目を合わせず、会話もしないようになったのは。いつ頃かは思い出せない。その頃から、父は、わたしに暴力を振るうようになった。
「さやかぁ! 私が、お前を、お前を殺してしまった! あああ、お願いだ、死なないでくれ、さやか!」
 涙を流し、顔をぐちゃぐちゃにして、叫ぶ父親。そんな顔は、見た事がなかった。
 見たく、なかった。
「……、もういいよ」
 そんな顔、見たくない。
 わたしの知る父親の顔と、あまりに違いすぎる。わたしの父親は、こんな人間じゃなかった。
 これ以上は、わたしが耐えられなかった。
 ぐっと足に力をこめて、わたしは飛び出す。振り向く事は、できなかった。

 何もいない、誰もいない、空の上。
 わたしは、ボーッと月を眺めていた。寒さは感じない。おばけには、寒さも暑さもない。
 チリン――
 鈴の音色が聞こえても、わたしは動かなかった。そんなわたしの耳に、死導者の声が聞こえる。
「貴女の父親は、自殺を思いとどまるそうよ。きちんと刑に服し、贖罪のためだけに生きると約束したわ」
「そう」
 何も浮かばなかった。燃えるような憎しみが、あの顔を見せられた途端、ふっつりとどこかに消えてしまった。不思議な気分だった。
「なんで、あんなに不器用な人の娘に生まれちゃったのかしらね」
 父はわたしを苦しめた。けど、父も苦しんでいた。
 いつからか、わたしたちは互いに苦しめ合う関係だった。それでも、わたしたちは一緒にいた。
「後悔、している?」
「――後悔したって仕方ないでしょ」
 それに。わたしの口が、勝手に言葉を続ける。
「今は、気分が晴れているよ」
 理由はわからない、けど、清々しいほどに心地よかった。
「なんだかね、わたしとあの人が一緒にいたのって、運命的な何かだったんじゃって思うよ。あの人にはわたしが必要だったし、わたしには、あの人が必要だったんじゃないかな」
 あの人からは、苦痛ばかりを受けていた気がする。
 それでも、そう思える。例によって、理由は不明。
「ゆがんだ関係だったけどさ。それでも、繋がりがあったんだ」
 今は失われてしまった繋がり。それが、少し寂しい。
 ああ、やっぱり、わたしはあの男の娘なんだなぁ。
「笑えるよね。あんなのでも父親で、しかも、わたしもそれを認めているんだから」
「笑わないわよ」
 起き上がると、死導者はマジメくさった顔で、わたしを見つめていた。
「貴女たちは真剣だった。ならば、どこに笑う要素があると言うの?」
「……、あんたもいい加減、バカね」
 バカばっか。でも、世の中ってそんなもんなのかも。
「ま、今日のとこは感謝しといてあげる」
 ごろりと体を横たえ、月を見上げる。こうして月を眺めるなんて、どれくらいぶりだろうか。
 月光は、優しい色合いだった。


 チリン――
 微風の中を、小さな少女が歩いている。足元には空、頭上にも空。天空に囲まれ、少女は歩む。
「悲しいわね」
 呟き声は誰の耳にも届く事なく、消えていく。
「こんなにも悲しいのに、涙は流れない。流す事は許されない関係だった」
 チリン――
 足の動きをぴたりと止める。目を閉じ、少女は呟く。
「これもまた、人の一面。感情はひとつではなく、想いは複雑に絡み合う。その全ては捉えられないし、見つめる事もできない、けれど」
 すっと目を開き、少女はくるりと回る。
 チリン――
 姿が消えた後に、流れる声は、かすかで遠く。
『できる限りは触れ合いたいわね。それが、私の道なのだから』
 チリン――



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