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出会いが、俺を変えた。 そして、俺との出会いが、誰かの人生を変えていく。 そうやって、人は生きていく。 俺はカウンターの奥にある椅子に座り、雑誌をめくりながら暇を持て余していた。 観光地に建てられたこのコンビニは、昼間はイヤになるほど客が来る。反面、名所が見られなくなる夜は、客なんてひとりも来ない。普段は。 そう、普段は来ない。だが、何日かに一度、客が来る。 夜中の客は、顔ぶれこそ同じだった事はないが、顔つきは同じだった。 どいつも、暗い顔をしている。目はうつろで、表情は乏しく、とにかくまあ、死相が出ているような奴ばかりだ。 買っていくものも、ハサミ、カッター、洗濯用ロープ、ガムテープ、あるいは酒。用途は聞かずともわかる。 ふと、なんとなく気配がしたので、顔を上げてみた。ちょうどそのタイミングで、客がひとり、店内に入ってきた。まだ若い、大学生くらいの女だ。 「らっしゃいませー」 声をかけても、無反応。黙って商品をいくつか買い物カゴに放り投げ、それをレジに持ってきた。 「698円になりますー」 俺が言うと、客は黙って財布を取り出し――その動きが、止まった。 視線が、俺の胸に注がれている。ああ、この人も興味を持ったのか。 「あの……、それは?」 「ああ、これっすか? そのままの意味っす」 俺の胸にあるものは、普通ならネームプレートでもあるんだろうが、ちょっと変わっている。 『聞き役 あなたの言葉を聞かせて下さい』 それが、俺の胸に刻まれた言葉。 案の定、客は、わけがわからないという顔になった。 「そのままの意味?」 「そうっす。このご時勢、悩みを抱えている人も多いっす。だから、俺が聞くんす」 「相談に乗るって事?」 「いや、聞くだけっす。それに関して俺は何のアドバイスもしませんし、できないっす。まだ若いっすから、アドバイスするほどの経験がありませんし」 「それで、聞き役?」 「その通りっす」 俺が頷くと、客は興味を持ったようだった。そこに、たたみかける。 「どうせ、もう二度と訪れないコンビニの店員が相手なんすから、着飾ったりカッコつけたりする必要がないっす。言いたい事とか思っている事を勝手に言って、あとはさよならでいいんすよ」 「……変わった商売ですね」 「よく言われるっす」 客はしばらくネームプレートを見ていたが、ふと、首を傾げた。 「どうして、そんな事を始めたんですか?」 俺はにやりと笑みを浮かべ、言った。 「ちょっと、オカルトっぽい話になるっすけど、いいっすか?」 長い話になる。俺は店の奥からパイプ椅子をもうひとつ持ってくると、それをカウンターの前に置いた。 「どうぞ。すぐに終わる話じゃないっすから」 客は聞き取れないほど小さく礼を言って、椅子に座った。俺も椅子に座り、カウンターにひじを乗せる。 「さて、どっから話したもんすかね。 えーと、この店って、けっこー客層が決まってるんすよね。昼間は観光客。夜中は、人生に絶望したような顔つきの、暗い客。毎日がそんなので、新人だった俺は憂鬱だったっす。それこそ、バイトやめちまおうかなーって思うくらいには」 自分の死を望む連中ばかりが訪れる時間。死にそうな連中の顔を見続けるのは、さすがに気分が滅入った。 それを変えてくれたのは、ひとりの少女との、出会い。 「そう、あれは……、三年くらい前っすかね。ちょうど今と同じくらいの季節だったっす」 目をつむり、俺は記憶の中に埋没していった。 今でもまったく消えない、はっきりと思い出せる、その記憶の中に。 その夜、俺はいつもと同じようにバイトをしていた。 本当に、いつも通り。ほとんど客はいないと思っていたら、ひとりだけ、客が来た。 おっさんだった。よれよれのスーツを着て、頭は禿げていた。何かをぶつぶつと呟いていたような気もする。 おっさんは、たしかガムテープを買っていったんだよな。表に車があったから、最後の死に場所はそこに決めたんだろうと思った。 俺は暗い気持ちのまま、雑誌に目を戻した。けど、内容はちっとも頭に入ってこない。さっきの、自殺志願者の顔ばかりがちらついた。 そのまま、雑誌を読むともなく見ていた。その時、俺の耳に、その音が届いた。 チリン―― それは、鈴の音色。綺麗で、涼やかで、俺の鬱々とした気持ちを少しやわらげてくれた。 顔を上げると、カウンターの向こうに、夜空色のワンピースを着た女の子が立っていた。 その時の俺は、どうしてそんな時間に子供があそこにいたのか、まるで疑問に思わなかった。あの子の持つ雰囲気が、そこにいるのが当然という空気を放っていた。 「どうして、彼を止めなかったの?」 女の子は、とがめるような言い方をした。俺は、しばらくその意味が理解できず、返事はできなかった。そのせいか、女の子は重ねた。 「どうして、死に向かおうとしていた彼を、貴方は止めなかったのかしら?」 そこまで言われて、ようやく理解した。あのおっさんのことを言っているのだ、と。 「ああ、いや、俺、バイトっすから」 的外れな答えだったと思う。けど、そんな答えしか返せなかった。 俺にとって、自殺を止めるなんて発想、なかったから。 女の子は小さくため息をつき、語りだした。 「この店を訪れた者は、あるいはそのまま死に逝き、あるいは死に切れず、辛い生に戻っていく。 それを押し止めるチャンスは、この場所しかない」 それは、まるで俺を責めているような口調。 それが、俺にはムカついた。 「あのねー、俺はただのバイト。仕事だからこの店にいるんすよ? そこまで客のプライバシーに立ち入る事はできないし、そんな事がしたくてここにいるわけじゃないっす」 「そうね。ここで客が何を買おうと、それは自由。貴方には止める権利などないし、それは貴方の仕事にも反するわ。けれど」 女の子の視線に、鋭さが増した気がした。子供には似つかわしくないほどの気配が、その子供にはまとわりついていた。 「貴方は、仮に止める権利を持っていたとしても、止めないでしょう? そうしたほうが良いと上司に言われても、貴方はまず間違いなく、その道は選ばない。今の貴方を見ていれば、そのくらいはわかるわ」 正直、図星だった。 俺はプライバシーだのなんだの、そんな事は実際には考えていなかった。 要するに、客にかかわりたくなかっただけ。客と触れ合えば、面倒な事になるとわかりきっていたから。 自殺するような奴と知り合いたくなかった。だから、俺は努めてぶっきらぼうに、愛想の悪い店員を演じていたんだ。 「けど、そんなのをあんな小さな子供に見抜かれるとは思わなかったっす」 客は、俺の話を真剣に聞いていた。どっちみち、他に客が来るとも思えない。俺も、かなりマジになって話していた。 「それで、どうなったの?」 客の口調は砕けていた。さっきまでの暗い雰囲気も、幾分かやわらいでいる。 俺は内心で笑いつつ、話を続けた。 女の子はカウンターの奥で呆然とする俺を見つめたかと思うと、突然、頭を下げた。 「だから、これはお願い」 頭を上げた女の子。その口元には、小さな笑みが浮かんでいた。そこに、さっきまでのとげとげしい雰囲気は微塵も感じられなかった。 「貴方に、止めねばならない理由は何一つとしてない。だから、お願い。私の望みを、貴方に伝える。 彼らの言葉を、聞き届けてあげて。見返りは何もない。貴方に利がある行いでもない。それでも、やってくれないかしら?」 「言葉を、聞き届ける? それって、話を聞いてやれって事っすか」 「そう」 女の子は頷き、続けた。 「死を考えている人間は、周囲が見えていない。己の世界に閉じこもり、価値観を誤り、命の重さを忘れてしまっている。だから、話を聞いてあげるだけでいいの。世界はもっと広いのだと、思い出させてあげれば、それでいいの」 「それだけで、自殺を思いとどまるんすか?」 「全員が全員、考えを改めるとは思わないわ。本当に深く考え、冷静な判断の末、死を選ぶ人間だっている。それは、現実だから。夢物語のように、何もかもうまくいくはずはない。けれど、貴方が言葉を聞き届けてあげられるのなら、きっといくらかの人間は救われる。明日に、希望を持つ事ができるようになる。私は、そう思うの」 それこそ夢物語だ、と思った。 ちょっと話を聞いてもらったところで、現実は変わりない。借金のある奴は返さなきゃいけないし、仕事をなくした奴は仕事が見つかるわけもない。 けど、同時に、そんな事もあるかもしれないと思った。 自己破産すりゃ、一度だけはやり直せる。仕事だって、選ばなきゃ見つけられるだろう。気の持ちようによっちゃ、どうにかなる方法はある場合が多い。それも現実だ。 絶対に生きると決められるなら、本当に生きるだけはできる。それが人間だ。 ただ、素直に『やります』なんて言いたくなかった。興味は持ったけど、実際に行動に移すには、まだ何かが足りなかった。だから、俺は聞いた。 「……あんたは、どうしてそんな事を願うんすか? それこそ、あんたには何の関係もないっすよね?」 女の子は、すぐには答えなかった。顔を伏せ、何かを考えるように瞑想した。 チリン―― 静かに鈴が鳴った時、女の子は顔を上げた。 「私は、生きて欲しいだけよ。私は常に生きようとする者の味方だから」 そっと、女の子は入り口に足を向けた。もう言うべき事は言ったと、背中が語っていた。 「人は弱い。けれど、同時に信じられぬほどの強さと輝きを持っている。だから私は人を守ろうと思ったのだし、この喜劇にも、立ち向かおうと思えるの」 最後の言葉は、俺には意味がわからなかった。 けど、この現実離れした女の子にも、辛い事や苦しい事があるんだって事だけは、なんとなくわかった。 それなのに、この女の子は見ず知らずの他人の事を想っている。そいつらのために、助けてくれる人を求めている。 俺の頭は、自然と下がっていた。 「ありがとうございました!」 ちらりとだけ振り返り、女の子は、扉の向こうに出た。 途端。 チリン―― 「あ、れ?」 女の子の姿は消えていた。 「俺が見失っただけなのかもしれないっす。けど、その時の俺には、女の子が消えたようにしか思えなかった。だいたい、こんな場所に、あんな時間に、子供がいるってのがおかしな事なんすからね」 「それで、聞き役を始めたの?」 客の質問に、俺は首を横に振った。 「すぐにじゃないっす。その次の日が休日だったんで、家で考えたんすよ。俺は、どうすればいいんだろうって。 それまで、客とかかわろうなんて、欠片も考えた事はなかったっす。実際にやるとなると不安はあったっすよ? 店長に怒られないか、とか、客に逆ギレされるんじゃないか、とか、そもそも話してくれんのか、とか」 「それでも始めたんだ」 「そうっす。最後の踏ん切りは、やっぱあの子が、子供だったってのが大きいっすね」 目をつむれば、鮮やかに蘇る、子供の姿。 小さくて、時に儚げに揺れるのに、しっかりとした存在感があった。その存在感は、あの子が背負う、俺には想像もできないような苦労が生み出すものだって、なんとなくわかった。 それが、決め手だった。 「んで、次のバイトからこのネームプレートを使い出したんす。最初の頃は、失敗もしたっすよ。客はなかなか話してくれないし、俺もどこまで踏み込んでいいのか、わからなかったっす。それでも続けるうちに、なんとなーくカタチになってきたんすよ」 「店長は? 何も言わなかったの?」 「知った時にゃ、ふん、って鼻を鳴らしていたっすね。『何も見なかった事にする』とか言ってましたよ。やっぱり、店長も気になっていたみたいっす。自殺の名所にあるコンビニっていう事実を」 一通りの話を終えたところで、俺はカウンターに乗せていたひじを戻した。 「さて、と。俺の話はここまでっす。じゃ、次はそっちの番っすね」 客はくすりと笑い、手の平をこちらに見せた。 「その前に。その夜空色の女の子って、その後には会った?」 「いんや。一度も見ないっすね。けど、どっかで俺を見守っているような気はするっすよ」 ふうん、と声をもらし、今度は客がカウンターにひじを乗せた。顔には、微笑が浮かんでいる。よくよく見れば、そこそこ美人で通る顔だった。 「じゃ、今度はあたしの話を聞いてね。それがさ、ヒドイ話なんだから」 にっこり笑って、俺は答えた。 「了解。聞き役にお任せっす!」 チリン―― 夜風が少女の髪を揺らし、ふわりと舞い上がらせる。宙を舞う黒髪は、怪しげに輝いていた。 「へー。そんな事があったんだ」 「まだ、貴女ともエルとも、紅葉とも会う前の事ね」 思い出話を語り終えた死導者は、くすりと笑った。 「あの頃の私もまた、世界が見えていなかった。人々を救う事、守る事に必死になり過ぎていた。いつの間にか、私も人と接するという行為を楽しめずにいたわ」 「走り続けていると目的地を見失うってヤツね。たまには立ち止まる事も必要、と」 「ええ。貴女と出会い、エルと出会い。色々な人と出会った事で、私もまた、少しずつ変わっているようね」 「きゅ!」 死導者は空を見上げる。月の光だけは今も昔も変わる事なく、少女の姿を照らし続けている。影もない、誰にも認められる事のない、少女の姿を。 チリン―― 「人間は変わる強さを持っている。私たちには、それがなかった。与えてくれたのは、貴女たちなのよ?」 「あたしも人間かって言えば、微妙なところはあるんだけどね」 眷属は苦笑を浮かべ、頬を少しばかり染めた。 誤魔化すように、眷属もまた、空を見上げる。 「その兄ちゃん、今でも聞き役ってのをやってるのかな?」 「おそらく。そうね、今度、会いに行ってみましょうか」 「ん、いいわね。あたしも見てみたい。昔のアンジェラを知る人ってのに」 「きゅい!」 夜空色の少女は笑みを浮かべ、ともがらを連れて歩き出す。 果てのない、遠き道のりを。 チリン―― |