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勝負は約束した日から一週間後。内容は、その時に教えてくれるそうだ。 どちらにしろ、向こうはプロフェッショナルを用意するんだろう。一週間かそこらで私がその域まで辿り着ける種目なんて何も思いつかないし、どちらにしろ関係がない。 言ってしまえば、壮絶な自爆のような賭けだった。私に勝ち目なんてほとんどないのに、リスクだけはやたらと大きい。メリットもあるけれど、デメリットも大きい。 それでも満足だった。 彼はこの事実を知らなくていい。実際に関与していないし、これは、私が私のためにやる勝負なのだから。 私が、彼と対等になるために。 今まで傷つけてきた分を、私が取り戻すために。 彼に、気兼ねなく想いを伝えられるようになるために! 「負けられないっしょ、これ」 事務所の入った雑居ビルを見上げ、私は呟いた。 汚い階段を昇り、一週間前に見た、あの扉が私の前にある。不思議と緊張はしていなかった。 中に入ると、すぐに社長が出迎えてきた。 「どうも、井上さん。今日はよろしく」 例の、目だけ笑わない笑みを浮かべ、黒井は手を差し出してきた。私は一瞬だけ迷い、それを強く握り締めた。 「ええ、こちらこそ。お手柔らかにお願いします」 奥の応接セットまで案内されると、今日は机の上に、トランプのケースが置いてあった。まだ未開封の、新品だ。 「今日の勝負は私が相手をします。使うのは、このトランプ」 トランプを手に取り、黒井はそれを私に手渡した。 「どうぞ、開封してください」 言われた通り、ビニールを破って中身を取り出す。手が切れそうなほどに綺麗なトランプが出てきた。 「では、それを混ぜてください」 私は正直、トランプなんて混ぜた事がない。ぎこちなく、それでも慎重に何度も混ぜた。これが私の命運を左右するかもしれないんだから、当然だ。 適当にシャッフルを終えたところで、私はトランプを机の上に置いた。 「では、カードを見ずに、三枚を取ってください。私には見せないで」 上から三枚のカードを手に取る。クローバーのK、ハートのA、スペードのJが出てきた。 「では、失礼して」 黒井も三枚を手に取り、それを裏返しのまま、机の上に置いた。 「勝負は簡単。相手の持っているカードが何なのか当てるだけです。先に三枚を当てた方が勝ち。わかりやすいでしょう?」 「当てるには、どうするんですか」 相手の空気に飲まれてはいけない。私は私のペースを保ち、なんとかして相手のペースを乱さなきゃ。 「交互にひとつずつ、質問をします。内容は、イエスかノーで答えられるものだけ。その回答によって、相手のカードを予測するわけです。ですから、回答で嘘は許されない。 質問の後、相手のカードが何なのか、答える権利を持ちます。ただし、ミスは三度まで。ですから、回答する前に慎重な検討が必要となるわけです」 なるほど。たとえば、『あなたの持っているのはハートのAですか』と聞かれたら、私はイエスと答えなきゃいけないわけか。そして、その後で『ハートのA』と答えられたら、私は一枚を失う、と。 「ルールは単純。これは相手の思考を読み、的確な質問を重ねた方が勝ちます。運の要素なんてほとんどないに等しい。大切な勝負には、相応しいゲームでしょう?」 「そうでしょうか。先に仕込んでおいて、私のカードが何なのか、すでにあなたが知っていたら意味はないゲームですけどね」 「ご冗談を。あなたが新品を開封したんでしょう」 だからといって、あれが本当に仕込みのない新品だったかどうか、判断はできない。それどころか、イカサマしようと思ったら、どうにでもできそうな気がする。なにせここは、相手の領土なのだから。 疑ったらキリがない。だから私は、私を信じる他にない。 「質問はありますか?」 「先に質問するのはどちらから?」 「……公平に、コイントスで決めましょうか」 ポケットからゲーセンで使われるようなコインを取り出すと、黒井は私を見た。 「なら、表で」 黒井はコインを弾く。くるくると回るコインは机の上に落ちた。 「――表ですね」 ドクロが、私を見つめていた。 黒井がイカサマをしているかどうかは、わからなかった。 けれど、勝負は完全に私が劣勢と言えた。 何度かの質問を互いに行い、私は二枚のカードをすでに失っていた。けど、黒井はまだ一枚しかカードを失っていない。 私の勘は、この勝負がフェアなものではないと感じていた。黒井から緊張感は伝わってくるけど、同時に、こいつから余裕が消える事もない。常に、絶対に負けないだろうという力強さが伝わってくる。その根拠は、私にはわからないけど。 「では、私からの質問です。あなたはJより大きい数字のカードを持っていますか?」 「いいえ」 まただ。黒井のカードが特定できない。だいたい、どう考えても、どの数字も当てはまらないような気がする。そんなはずはない、何か、何かあるはずなのに! 私は黒井を見つめた。次は、黒いが質問をする番だ。 「ゲーム外の質問をひとつしても、構いませんか」 いきなり、そんな事を言い出した。 「何ですか」 「あなたはどうしてこんな勝負を? 勝ったところで、あなたにメリットはないでしょう?」 そう、あんたみたいな金の亡者からすれば、絶対に理解できないでしょうよ。 でも、私にはこの勝負に人生を賭けたいと思う、理由がある。 黒井じゃなくてもバカだと思うに決まってる。でも、本気だった。 「私は、今のままでは石橋くんと一緒にいられません。彼が苦しい時、私はそれをまったく知らず、能天気な姿を晒し続けた。きっと彼は怒りを覚えたでしょうに、そんな事は欠片も見せなかった。私を巻き込むまいとした。だからです」 「あなたは彼に、何か借りでもあるんですか」 「いいえ。あると言えばありますが、何千万の価値はないでしょうね」 「それでも、勝負をした」 当然だ。 こんな時、あのふたりの顔が浮かんだ。それだけで、なんだか頼もしい味方を得たような気がした。 「こんなの、ただの意地ですし。それに――」 私はにこりと笑んで、言った。 「私は、あなたたちみたいな存在が、大嫌いですから」 面と向かって、堂々と。 黒井はじっと私を見返した。すでに顔に笑みはなかった。 「いいでしょう。なら、決着をつけましょうか?」 「そうですね。とりあえず、あなたの質問は何ですか」 黒井は口の中でぶつぶつと呟き、言った。 「あなたの持っているカードはスペードですか?」 私は手の中にある、赤いカードを見つめた。ハートがひとつ、光っているように見えた。 「いいえ」 「……質問をどうぞ」 まだ特定はできなかったらしく、黒井は答えを避けた。 「では、質問です。あなたの持っているカードは数字が書いてありませんね?」 黒井の目が、大きく見開かれた。 「――はい」 決まりだ。 「あなたの持っているカードは、ジョーカーですね」 「正解」 裏返っていたカードを表に返す。死神が、私の前に現われた。 「自由な発想ですね。一般的にこのゲームを行った場合、相手がジョーカーを持っているとはあまり考えない。どうしても自分の持っているカード、すなわち数字に縛られるというのに」 「あなたがやたらと自信満々でしたからね。何か意外性のあるカードを切り札として持っている事は予想ができました」 そして、それはジョーカーではない。 ジョーカーなら、可能性としてありえないものではない。普通に考えつく範囲で、それで絶対の自信を得る事は難しいはずだ。 それでも、この男の自信は揺らいでいない。それだけの自信を得られるカード、それは――。 「では、私からの質問です」 黒井の目に、真剣な光が宿った。 「あなたの持っているカードは、アルファベットで表せますね?」 「……、はい」 エース。それが、私の最後のカード。 黒井はおそらく、それに気がついている。後は、マークだけだ。 「では、私の答えです」 口が渇く。のどが焼けつくように痛い。 黒いの最後のカードが何であるか、私はわかっている。けど、私の番が回ってこなければ同じだ。 ここを乗り切らなければいけない。なんとしても。 「あなたが持っているのは、ダイヤのAですか」 瞬間、私の全身から力が抜けそうになった。それを、意志の力で押し止める。 「い、いいえ」 「そうですか。残念だ、けど、これで確定しましたよ」 二者択一に賭けていたのか。勝負度胸は、やはり私よりあるんだろう。 でも、これで、私の勝ちだ。 思った途端、手が震えた。 本当に、それでいいのか? 私の出そうとしている答えは、普通に考えればありえない可能性。明らかに思いつかない答えで、だからこそ、それを手に入れれば絶対クラスの自信を得られるであろうカード。 けど、本当にそれが正しい? 私の質問する権利と答える権利は、おそらく一回きり。次はない。つまり、ここで決めなきゃいけないんだ。 それで、もし間違っていたら? そうしたら、私の今後の人生は、転落決定だ。 黒井は余裕の態度で待ち構えている。この勝負、負けたところで黒井自身は痛くないんだ。また他のカモを探せばいい、それだけの話。私とは重みが違う。だからこそ、余裕も生まれる。 知能戦は、そのまま心理戦に直結する。冷静さを失ったら、頭は回らない。 私の頭は、まだ、回転している――? チリン―― 『落ち着いて』 どこかから、声が聞こえた気がした。 熱くなった心に涼風が吹きぬけるような感覚。それが、私を落ち着かせた。 大きく息を吸い、吐く。そして、覚悟を決めた。 「あなたのカードは、何も描かれていませんね」 黒井の動きが止まった。まるで時間が止まったかのように、一切の動きも表情も消え、じっと私を見つめ続ける。 「よくもまあ……」 ようやく吐き出された言葉は、呆れの色すら含んでいた。 「その可能性に辿り着いたものだ」 黒井が、最後のカードを表にした。 それは、新品のトランプだからこそ入っている、予備のカード。真っ白な無地のカードだった。 「死神が切り札なんて、当たり前すぎるでしょう?」 「はは、その通りだ」 黒井は部下に電話を持ってこさせると、それで電話をかけ始めた。 「あー、もしもし、石橋さん? ああ、今日は催促じゃなくて、その逆ですよ。あなたからの返済が先日の分で完了となりましてね、こちらの事務ミスで連絡が遅れてしまいました、申し訳ありません」 ポーズでは、なさそうだった。電話から漏れる声は、確かに聞きなれた石橋くんのものだ。ひどく困惑している様子ではあるけれど。 「書類は後日郵送という形で、はい、必要事項を記入してそのうちウチの事務所宛に送るか、直接に持ってきて下さい。何か質問があったらこの番号か、事務所までどうぞ。では、失礼します」 かなり一方的な電話を終え、黒井は受話器を置いた。 「これで満足かな、井上さん?」 「ええ」 私は席を立った。もう、こんなところには用がない。 「井上さん。ウチで働いてみませんか? あなたみたいなキレ者で、おまけに半端じゃない勝負度胸を持った人なんて、ウチの若手にもいないんですよ」 「遠慮します。私はあなたたちが嫌いですから」 見れば、黒井は笑っていた。 「言うと、思いましたけどね」 立ち上がり、手を差し出してきた。 「あなたとの勝負、楽しかったですよ。二千万の価値はある。こういう真剣勝負は、日常じゃ味わえないですからねぇ」 私もまた、その手を握り返した。汗をかいていたのは、黒井も同じだった。 「ひとつだけ忠告です。あなたは頭がいい。石橋くんもだ。その点、我々とひどく似ている。だからこそ、少し踏み外すと、こちら側に来てしまう事になる」 「そんな事があるとは思えませんが」 「あるんですよ、それが。だから、我々のような存在がなくならないのです」 私には、とてもそうは思えなかった。でも、その言葉が真実を含んでいるような気もした。 「あなたは、こちら側に来ない方がいいでしょう。そうするには、あまりに惜しい」 「過大評価です」 手を離し、私は黒井の事務所を後にした。 最後に黒井は、目が笑っていた。 事務所を出たところで、予想していた顔に会った。 「勝ったみたいね」 夜空色の女の子は私を見上げる。その顔に、ブイサインをしてみせた。 「本当に勝つなんてねー。あたしは負けると予想してたんだけど」 桜色の女の子が意外そうな表情で言う。実際、私も勝てるなんて思っていなかった。 「ありがとね、助かった」 あの、不思議な声。私を落ち着かせ、最後の勇気をくれた声。それは、間違いない、この子供の声だった。 私は、私たちは、この子に救われた。 「私たちは、何もしていないわ」 対する女の子は、そう言った。 「彼を救ったのも、貴女を救ったのも、全て貴女の勇気と力、そして行動。あるいは――彼らも、ね」 言って、女の子は雑居ビルを見上げた。 あいつらも、これで少しはまっとうになるんだろうか。なったら、少し嬉しい。 それは、石橋くんのように悩む人が、少しだけ減るという事なのだから。 そっと視線を移し、女の子は言った。 「もう、貴女に会う事はないでしょうね。貴女に私は必要がない。自分で自分の道を選び、決められる者には」 「そう? それは、ちょっと残念かも」 「それでいいのよ。きっと」 この子がそう言うと、本当にそんな気がしてくるから不思議だ。 「じゃあ、ね。ありがとう」 また明日。そんな、気軽な雰囲気で別れた。 さて、と。明日はなんと言って、告白しようかな。 去っていく女性の姿を眺め、桜色の眷属は大きく伸びた。 「ちょっと押してあげるだけであんなに強くなれるんだから、すごいよね、あの人」 「才覚のようなものね。生まれた時から、彼女は強くなる素質を秘めている」 「虚勢じゃないのが、また立派なもんよ」 雑居ビルが並ぶ通りに、ふたりの姿は異様だった。けれど、それでもふたりは堂々としていた。 「じゃ、行く?」 「きゅ」 「……なんであんたが返事するのよ?」 くすりと笑い、夜空色の少女は一歩、足を踏み出す。 「生まれながらに強い、人間。とても羨ましいわね」 チリン―― 風の中に姿を溶け込ませながら、少女はぽつりと呟いた。 「アンジェラだって十分に強いでしょうが。まあ、生まれついてのもんじゃないかもしれないけどさ」 追うように、桜色の眷属も姿を消す。 平穏に戻った通りに、暖かな風が吹き込んだ。 季節は、もう春だった。 チリン―― |