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人間って、意識せずとも過ちは犯すものらしい。 起きてから悔いたって何も始まらないのに。 失ったものは、何も戻らないのに。 「ふわーあ」 花も恥らう女子高生が電車で大あくびとはいかがなものか、なんて考えは遠い昔の出来事。 高校に入学し、バレー部に入部したのが先週の事。覚悟はしていたけど、さすがに運動部のヘビーさは眠気を誘う。 まだ体力作りのレベルでしか活動していないけど、体力を作るという事は、限界まで体力を使うという事で。それはそれは、疲れないはずもない。 部活に入った事は、まだ後悔していない。楽しいし、これからも続けたいと思う。ただ、眠いのだけはどうにもならなかった。頭が麻痺したみたいにボーッとして、うまく考えをまとめる事ができない。 電車の中は、ガラガラというほどではないけれど、混雑しているというほどでもなかった。座席にはちらほらと空きがあり、現に私の隣も、誰も座っていない。 それにしても、こうして揺れに身を任せていると、それが本当に心地よかった。ゆらゆらと、まるで夢の世界に誘われているようで。 降りる駅まであといくつ、なんて考えている間に、意識は途切れていった。 「ん……」 目を開けた時、私は最初にここがどこであるか確認した。 車内の電光掲示板に表示される文字は、次の駅が私の降りる駅である事を示している。危ないところだった。 安心したところで、ふと、足に違和感を覚えた。見れば、太ももの上に手が置かれている。 視線を隣に移すと、スーツの男が、扉の方に顔を向けていた。手を、私の上に置いたままで。 「ちょっと、やめてください」 返事はない。私の言葉を無視するように、触り続ける。 痴漢、というヤツだろうか。初めて会ったけれど、ここまで堂々としているのはたいしたものだと思う。 「大声を出しますよ」 それでも返事はない。どころか、ますます増長しているようにさえ見える。 それが、私の神経を逆なでした。 「ええい、どかせっつってるのよ!」 立ち上がり、男を怒鳴りつける。男はようやく私を見上げ、ぱちぱちと目をしばたかせた。 「こんな真昼間から堂々と、恥ずかしくないわけ!?」 「は? ああ、ええと、何が?」 「決まってるでしょうが! 痴漢よ、ち・か・ん!」 痴漢、という言葉の意味が、すぐには理解できなかったのだろうか。きょろきょろと見渡し、周囲も白い目を向けていると気がついて初めて、理解したらしい。 「はい!? ちょっと、俺が痴漢だってのか!」 「当たり前でしょうが! 痴漢でなきゃ何なのよ、思いっきり現行犯じゃない!」 「知らねえよ! 俺は痴漢なんかじゃない!」 痴漢じゃないとは、随分な事を言ってくれる。強気に出れば、私が謝るとでも思っているのだろうか。 残念だけど、私はそんなに甘くない。 「いい度胸ね! なら、駅員に白黒をハッキリつけてもらおうじゃないの!」 「なっ――!」 駅員、の言葉に、男はおびえた。後ろ暗いところがある証拠だ。 「な、なんで何もしていないのに、痛くもない腹を探られなきゃいけないんだ! 冗談じゃない!」 「何よ、何もないってんならそう言えばいいだけでしょ!」 「馬鹿ぁ言うな! 絶対に冤罪になるに決まってるじゃないか!」 「やっといてよく言えるわね!」 こうなると、売り言葉に買い言葉。キャッチボールにはなっていない。 ちょうど、駅に到着した。私は男の手を引っつかみ、強引に引きずり下ろす。 「ほら、観念しなさいよ! 駅員さーん! この人、痴漢です!」 「やめろ!」 冗談じゃないのは、こっちの方だ。泣き寝入りなんて、絶対にするものか! 結局、その日は双方の言い分を聞くとかで、私は警官に事情を話して解放された。まったく、こっちは部活で疲れているってのに、面倒な事をしてくれたものだと思う。 次の日は何事もなく、そして、私が痴漢に会った翌々日。 休日であるその日、私が部活を終えて家に帰ると、見計らっていたかのようなタイミングで電話が鳴った。 「はいはい、もしもし」 私が電話に出ると、聞こえてきたのは、聞いた事のない男性の声。 『佐山さんのお宅でよろしいでしょうか』 「はい、ええと、どちらさまですか?」 『申し送れました、こちらは南町警察署ですが』 「警察?」 ああ、痴漢の件か。普段は警察から電話なんてありえないから、ついつい驚いてしまう。 『先日、佐山梨花さんから痴漢の被害届が提出されているのですが、間違いないでしょうか』 「はい、間違いありません」 『そうですか……』 警官は残念そうな響きで漏らし、続けた。 『実は、昨日、容疑者が自殺を図りまして』 「――え?」 自殺? 容疑者が? それって、あの男が死んだって事? でも、どうして? 頭の中がぐるぐると回る中、警察官の声が続く。 『昨日の夕方、拘置所の中で首を吊っているのが発見されたそうです。詳しい事情は、追ってご連絡します。取り急ぎ、事実だけでもと思いまして』 自殺。その理由は? 思い当たらないでもない。というか、ひとつしかない。 明らかに、痴漢の容疑をかけられたからだ。世を悲観したのだろうか。性犯罪で逮捕された人の末路なんて知らないけれど、ろくなものではないという事だけは想像できる。あの男もそれを考えて、怖くなって自殺したとか、そんなところかもしれない。 まさか、あるいは……。 私は頭を振り、思い浮かんだ可能性を追い出した。そうだ、そんなはずはない。 ぎゅっと受話器を握り締め、私は何度も心の中で呟いた。 そんなはず、あるものか。 手紙が届いた。私がそれを知ったのは、痴漢男が死んで数日が経ったある日の事だ。 「へー、手紙なんて珍しい」 裏を返すと、知らない名前だった。字の感じからして、大人が書いたんだと思う。でも、私に大人の知り合いはいない。 改めて表を見ると、宛名は間違っていない。私宛だ。 「誰からだろ……?」 疑問に思いつつも、私は手紙の封を切った。中身を見て、ようやく理解できた。 それは、痴漢男の両親からの手紙だった。 自分たちの息子が痴漢をするなんて信じられない、それは何かの間違いだ、会って話をしたい。要約すればそれだけの内容が、便箋に何枚も書き連ねてあった。 手書きの文章からは、必死な想いが伝わってきた。心の底から息子を信じている、その気持ちが理解できた。 これは、私の手だけじゃ、余る。 夜になってから、私は両親に相談してみた。両親は私が痴漢被害に遭った事も、容疑者の男が自殺した事も知っている。誰よりも相談しやすい相手だった。 父は言った。自分で決めなさい、と。 母は言った。会いたくないなら無理をする必要はない、と。 そして、私は、決めた。 ――両親に、会ってみよう。 それは、私の中に浮かんでいる小さな疑問が起こした行動なんだろうか。あるいは、あの手紙を読んで、断り辛かったから? 理由は自分でもよくわからない。とにかく、会わなきゃいけないような、そんな気がしていた。 それが、今日。この場所。ホテルの喫茶店なんていう、洒落た場所だった。 私の隣には両親が座っている。さすがに、未成年の私だけで会う事はできなかった。 そして、私の向かい。そこには、あの男の両親が座っていた。 父親は白髪頭で、相当に老け込んでいるように見えた。けど、あの男の年齢を考えたら、それほど高年齢なわけがない。きっと、息子が死んで、苦しんだんだろう。 母親は、それに比べて毅然としていた。疲れは見えるものの、表情も引き締められている。いざという時は女の方が強いのかな。 「日立純也の母です」 母親は、そう口火を切った。その時になって、私は初めて男の名前が日立という事を知った。 「本当の事を、教えてください」 「警察から聞いていませんか? 私の主張は変わりません」 「ええ、警察の話は聞きました。けれど、あの子はそんな事をするような子じゃなかった。私たちは息子を信じています。ですから、何か勘違いや間違いがなかったか、それを知りたいんです」 私の両親は何も言わず、黙って見ていた。あくまでここは私が話をする場、という事なんだろう。呆れるほどに厳格な人だ。 「私はあの日、座席に座っていました。それで、途中から乗ってきた男の人が、私の隣に座ったんです」 日立夫妻は真剣に私の話を聞いていた。ボロボロな父親でさえ、瞳に光をともらせている。緊張で、少しだけ手が震えた。 「男の人は、しばらくは何もしませんでした。けど、いきなり、私の太ももの上に手を置いたんです。私は、やめて欲しいと伝えました」 「それは、本当に私の息子だったんですか」 「隣の座席に座っている人を間違えるわけがないでしょう」 目配せし、日立夫妻は聞く体勢に戻った。 「それでもやめなかったんで、私は大きな声を出したんです。そして、一緒に降りて、駅員さんに引き渡しました」 「……息子は、どうしていきなりそんな事を?」 父親の低い声が、まるで私を責めているかのような色を持っている。 「知りませんよ、そんな事まで」 「いきなり大声を出さずとも、払うなりすればよかったんじゃないか? もしかしたら、眠っていて無意識だったかもしれないだろう」 「寝ていたぁ? そんなわけありませんよ」 「どうして、そう断言できる」 父親の眼光が鋭くなった。全身が暗闇に落ちる中で、瞳だけが輝いているような、そんな風に感じてしまう。 「息子は、死ぬ前に言ったんだ。あの時は眠っていた、起きたらいきなり痴漢と間違われた、と」 父親は、肩を震わせていた。 「これからだったんだ、あの子の人生は。会社に入って、結婚して、普通の家庭を築く。その前に、あの子は死んだんだ!」 どん、と机を叩く。私の父が目線で注意するけど、感情に飲み込まれた日立さんには、通じなかった。 「間違いなんだ、間違いだと言ってくれ! せめて、あの子を犯罪者のままで殺さないでくれ!」 「お父さん、落ち着いて」 「落ち着け!? これが落ち着けるか! こんな子供に、俺たちの子供が殺されたんだぞ!」 正直、怖かった。今も手が震えるのは、たぶん緊張だけのせいじゃない。 これだけの、むき出しの感情が目の前にある事、それが単純に怖かった。 「あ、あの、すみません、トイレに行ってもいいですか?」 「何!?」 恫喝するように叫ぶ父親をにらみ、日立母は、どうぞ、と小さく言った。 私は軽く頭を下げ、トイレに駆け込んだ。 鏡に映る自分が、なんだか自分ではないような気がした。 あれだけ感情に飲み込まれた人を見たのは初めてだった。息子とは言っても、他人なのに。なのに、あそこまで感情的になるなんて……。 ある意味で、ショックだった。今さらながら、自分の行動が重い意味を持っていたんだと思い知った。 「でも、間違って、ないんだよね――?」 「さあ。どうかしらね」 振り返ると、着物とスカートを合わせた女の子が、私を見つめていた。どっかの高校の制服なんだろうか? それにしてはぶっ飛んでいるか。 隣には、ワンピースを着た女の子が立っている。こっちは、せいぜい小学生だ。 「え、と、?」 「自分でもわからなくなってるんでしょ。何を信じていいか、それが本当の事なのか」 誰? 知らない人。 何? 私の事を知っているの? そんな、痴漢の事は家族以外の誰にも言っていないのに。じゃあ、何? どうして知ってるの!? 「ケイ。混乱が増しているみたいよ」 「でしょうね。つーわけで、あんたは細かい事なんて知らなくていいし、理解しなくてもいい。わからなきゃいけない事はひとつだけ」 ピッと指を立て、着物の女の子は言い放った。 「あんたは、あんたを信じなさい。たぶん、それが何より正しい」 「え? で、も、それじゃあ、」「気にすんな」 私の言葉を遮り、女の子は言った。 「だいたいねー、自分が正しいって思う事をやって、何が悪いってのよ。みんな、正しいって思うからやってるんでしょうに。何の理由もなく、やりたくない事をやる人がいる? いるわけないでしょ、そんなの」 「そうね。正義は個々に違えど、根本にあるものは、そうそう変わらない。大切なものがあり、それを守るために行動する」 ワンピースの小学生が、私を見上げた。 「答え、見えているんでしょう。どうして手を伸ばさない? 何を恐れている? 間違う事、それ自体を恥じる必要はないと、私は思うわ。取り返しはつかないかもしれない、それでも、恥じたところで何を得る? 失われたものは決して手に入らない。その事実には、何一つとして変わりはないというのに」 瞳が揺れた。この色は、悲しみの色――? 一体、何を悲しんでいるのだろう。私には予想もできない。 「あの、あなたたちは、何ですか?」 「さっき言ったでしょ。気にすんなって。あたしらは軽いアドバイスしに来ただけだし、素性はアドバイスの内容には関係ないでしょ?」 「でも、私の事に詳しいみたいだし……」 「大丈夫。ストーキングも個人情報流出もしてないから」 そうね、と小さく呟き、着物の女の子はにこやかに笑った。 「あたしらは、先生みたいなもんよ。人生の先輩? 言うほど年は離れちゃいないけどね、あたしは」 人生の先輩? 何を言っているんだろう。私と同じくらいの年齢なのに? いや、一年でも先輩は先輩か。 でも、あながち言っている事は間違っていない気がする。抽象的で具体性は何もないけど、言いたい事だけは、理解できた。 「軽薄は時に罪となる。それを、今の貴女は知っている」 小学生が高校生を見上げた。高校生は頷き返し、私に背中を向けて小さく手を振った。 「じゃね。あたしが言えるのは、ほんの少しだけ。結局、決めるのはあんただし、あたしが何をしてあげられるわけでもない。こうしろ、とも言えないもん。 でもさ、勇気ってひとりじゃ搾り出せないでしょ? そういうのを、少しだけでも助けたいって思っただけだからさ」 扉の向こうに消えた二人組。本当に、不思議な人だった。 交わした言葉はごく僅か。どこの誰かもわからないし、どうして私の現状をあそこまで的確に掴んでいるのかもわからなかった。 ただ、言える事。それは、あのふたりは、私を想ってくれていたという事。 「見ず知らずの人にまで心配されるとは思わなかったわよ、っと」 パン、と頬を叩いた。鏡に映る自分の顔は、数分前と比べて、少しだけ見れるものになっていた。 「よし、覚悟ぉ決めますか!」 決意を言葉にして、自分に言い聞かせる。 そして、私も一歩を踏み出した。 席に戻ると、日立父も落ち着きを取り戻していた。私のためにトイレに行ったけど、結果的に日立夫妻にも効果的だったらしい。 「あの日の事。言っていなかった事があるので、それを伝えます」 席に戻って、私は最初にそう言った。隣で両親が何事かと見つめてくるが、私は軽く頷いただけで、詳しく説明したりはしなかった。 もう、言うと決めたから。 日立夫妻はじっと私を見つめている。これから私が語りだす内容を、心待ちにしている。期待に応えられるかは、わからない。でも、私が言えるのは、私が経験した事だけなんだ。 「あの日、私は部活帰りで疲れていて、座席に座った途端に眠ってしまったんです」 両親の目が、そんな事は言わなくていい、と語っているように思えた。実際、言わなくてもいい事かもしれない。でも、私は言うべきだと思った。思ってしまった。だから、もう引き下がれない。 「目が覚めたら、私の足の上に息子さんの手がありました。その後の事は、先ほど言った通りです。ですから、私は息子さんが眠っていたかどうか、確認していません」 それは、たいした違いではないかもしれない。 故意にしろ過失にしろ、あの男が私の足に手を置いていた、それだけは間違えようのない事実だった。 ただ、あそこまで事を荒立てる必要は、なかったかもしれない。今頃になって、そう思い始めた。 全ては、もう手遅れだけれど。 日立父は、ぶるぶると震えていた。顔は真っ赤に染まり、今にも爆発しそうだった。 「あん、たは、そんな曖昧な理由で息子を駅員に突き出したのか。そんな理由で、息子を殺したってのか!」 ガタン、と席を立つ日立父。握った拳が、机の上に現われた。慌てて、私の父も立ち上がった。 「日立さん!」 「ふざけるなよ、なんてお前なんかのために、俺たちの子供が死ななきゃいけないんだッ! 返せよ、お前が死んで返せ! たったひとりの息子だったんだ! 大切に大切に育てて、誰よりも、誰よりも大切だったのに! お前の、お前が、お前みたいなヤツが!」 「お父さん、場所を考えて! それに、そんな事は言わないと約束したでしょう!」 「うるさい! あいつは他の誰よりこいつを憎んだはずだ、恨んだはずだ! こいつのせいで、自分は死ななければいけなくなったとな! こいつは、息子と同じだけの苦しみを味わえばいいんだ!」 握った拳が振り上げられた瞬間、その音が響いた。 チリン―― 清らかな鈴の音色。熱した空気を柔らかに冷やすような、心地の良い音色だった。 全員の視線が、音源を捜し求める。それは、私たちのテーブルの、すぐ脇に立っていた。 「あ、さっきの?」 そこにいたのは、夜空色のワンピースを着た女の子。さっきの不思議な二人組の片割れだった。 女の子は私を見て小さくほほ笑むと、日立父に視線を移した。 「せっかく貴方の子は名誉を取り戻したというのに、今度は貴方が捨てるのかしら」 「何ぃ!?」 「貴方は、何のために彼女に会ったの? どうして戦おうと考えた? 死者のために、ただ死者のために。 今、貴方が彼女を叩けば、貴方の心は一時的に休まるかもしれない。けれど、代わりに、貴方は自分の手で守った子供の名誉を、自ら捨てる事になるのよ」 日立父はなおも拳を震わせ、やがて、それをゆっくりと降ろした。 「う、くう、うううああ――……」 泣いていた。こんな公の場所で、大人の男が、ほろほろと涙を流していた。 大粒の涙が頬を伝い、ぽたぽたとテーブルクロスを濡らしていく。母親も、同じように泣いていた。 今さら、本当に今さらになって、私は思う。私は、とんでもない事をしてしまった。絶対にやってはいけない事を、私はやってしまった。 「ごめん、なさい」 謝っても、許されない事。どうやっても取り返しはつかない。失われた命は帰ってこない。どこにも、どこにも。 「ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」 謝っても許されない。だから、謝罪の言葉がどれほど溢れても、それで十分という事はない。許されるまで謝罪を続けなければいけないのなら、私はいつまでも謝罪を続けなければいけない。 私を許せる唯一の人間は、もう、この世にはいないのだから。 「ごめんなさい、ごめんなさい――!」 もう何も見えない。 何も聞こえない。 ただ、自分の声と、日立さんの嗚咽する声だけが私の世界を満たしていた。 両親は、私を叱らなかった。ほとんど何も言わず、ただ一言だけ、『あまり自分を責めすぎるなよ』とだけ言ってくれた。それだけで、私には十分だった。 私は、許されない。もう二度と許される事はない。 けれど、死ぬつもりも、ない。 私にはやりたい事ができてしまった。それを果たしたい。 いずれ、私も死ぬ。その時、私は地獄に落ちればいい。そこで、永遠に詫び続ければいい。 それまで、私は私にできる事をしたい。 「お父さん、お母さん。私、警官になる」 「……そうか。もう決めたのか?」 「うん」 「なら、絶対に貫き通しなさい」 うん。 諦めるはずがない。そんな事、許されない。何一つとして許されない私は、死ぬ事さえも許されていない。 だから、私は生きるんだ。何があっても、生きなきゃいけないんだ。それが、私に課せられた義務。 そのために、私は警察官を目指す。 もう、こんな悲しみはなくていい。ゼロにはできないかもしれない、それでも、減らす事はできるだろうから。 空を見上げると、星が小さく輝いていた。夜空の中で、懸命に負けまいとするかのように。まるで、あの小さな女の子のように。 「ごめん、なさい」 口の中だけで呟く声は、誰にも届かない。 誰にも。 星を背に、地上を足下に。少女は闇夜を歩み行く。 「彼は、逝けたかしら。ケイに任せたから、強引にでも向かわせるとは思うけれど」 チリン―― 清らかな鈴の音色を引き連れて、ただ当てもなく、足を動かす。 「不幸? 誰の? どうして? 所以に意味はあったかしら? それを決める者は?」 ぽつぽつと言葉を零しながら歩くその姿は、実際よりも小さく見える。 「彼は全てを失い、その代わりに、彼女は何かしらを得た。普通に生きるだけでは得られないであろう、とても大切で貴重なものを」 チリン―― 揺れる鈴が、どこか少女に応えるような響きを見せる。 「不条理なれど……、私は、それを悪と呼ぶ事ができない」 ぐっと足に力をこめ、少女は空を舞う。 残る軌跡は何もなく、空を一陣の風が駆け抜けるのみであった。 チリン―― |