翌日。コータとツバサは学校を休んだ。リョウタは学校に来るなり俺の席に近づき、声を低くして言った。
「昨日はごめん。俺、何もできなかった」
 そんな事を言われるなんて思っていなかった俺は、面食らってしまった。
「別にリョウタは悪くないって。俺だって何もできなかったし」
「でも、ああいう時に抵抗できるの、俺だけなのに……」
 悔いて顔を伏せるリョウタに、俺は強いて笑顔を浮かべてみせた。
「気にするなって。いつもの口癖はどうしたよ? もうあんな連中に会わないように気をつけてやればいいだけだろ?」
「――その事、だけどよ」
 横に視線を送ると、隣の机にシゲが腰を乗せていた。
「俺、もうやめた方がいいんじゃないかって思ってる」
「え!? なんで!」
 シゲは苦しそうな表情で、ひとつずつの言葉を吐いていく。
「あいつ、マジだった。次もやったら、今度はどうなるか……。警察にバレたらシャレになんないし、ここらが潮時なんだと思う」
「潮時って、シゲはそれでいいのかよ? リョウタは? コータやツバサは?」
「コータとツバサは、今朝、メールがあった。もうやりたくないって」
 俺はすがる気持ちでリョウタを見た。けれど、リョウタは首を横に振った。
「ソラ、わかってくれよ」
 シゲとリョウタ、ふたりの目が俺を見ていた。俺だけを見ていた。
「………………わかった、よ」
 そう答えるしか、なかった。
「昨日の事は、もう忘れちまおうぜ。あいつも特に何かするなんて言ってなかったし、たぶん、何もしなきゃ大丈夫だろ」
「――ひゃっはぁ」
 目の前にいるシゲとリョウタが、少しだけ遠くにいるような感じがした。
 俺は、何をしているんだろう。

 明かりもなく、カーテンも締め切った自室は、真っ暗だった。部屋の隅は特に暗いような感じがして、まるでそこにケイやアンジェラや、あるいは似たような化物が隠れているような気がする。
 結局、あいつらは何者だったのか? どうして俺たちに気がついたのか? なんであんなにも強いのか?
 あいつらに関して、数えきれないほどの疑問があるのに、答えはひとつも見えてこない。
 何もかもがどうでもよく感じられた。バットが折れた瞬間に、俺の中の何かまで折れてしまったかのようだった。
 何も見えない中、何かを見つめ続ける。そんな俺の耳に、その音色は届いた。
 チリン――
 どこでも耳にするようで、それらの音とは一線を画す音色。顔を上げると、夜闇がうごめいていた。
「はろーはろー。てか、なんでこんなに暗い部屋にいるのよ?」
「絶望に飲まれたのね」
「……っ、お前らか。どっから入ってきたんだよ」
「窓からよ」
 答えと共に、カーテンが開かれた。月明りが部屋の闇を裂き、人影を照らし出す。
「と、これでちょっとは話しやすいかしらね?」
「なんなんだ、お前ら。本当に意味がわかんねーし」
 椅子に座って足を抱え込む俺の前に、アンジェラとケイは並んで立った。
「私たちは死導者。死を導く者。死神、悪魔、妖怪、そういった類の存在」
「あたしとアンジェラの目標ってか仕事は、あんたみたいな人生の迷子に道を示したり、生きている人間の障害となる奴をこらしめる事」
「貴方たちの姿は、少し前から見掛けていたわ。自分たちの力を勘違いし、生きようとする者に無用な苦痛を与えていた」
「だから、あたしらがあんたらに会いに行ったってわけ。子供相手だから手加減はしてあげたつもりだけどね」
 ふたりが交互に話す。言っている事は、ひとつも理解できなかった。わかった事は、ひとつだけ。
「……つまり、お前らは人間じゃない、って事か」
「正解。言い方はムカつくけど、その通りよ」
 人間じゃない相手、か。そりゃ、リョウタも勝てないはずだ。
 普通に考えたら、荒唐無稽な話と思うだろう。私は人間ではありません、なんて、電波にも程がある。
 それでも信じる気になったのは、こいつらが持つ空気であり、こいつらが起こした不思議現象であり、そして、俺自身の全てがどうでもいいような気分のせいだ。
「それで、俺にまだ何かあんのかよ。まさか、やっぱ警察に突き出すって?」
「して欲しいわけ? 怖くないの?」
「別に。捕まったらそん時はそん時だよ」
 俺が答えると、ケイはため息をついた。
「はー、淡泊ね、あんたは。まあ、いっか」
 すっと、俺の前に何かが差し出された。思わず手に取ると、それは真っ黒なバットだった。
「あたしが、相手をしてあげる。武器なしでね」
 ケイを見上げる。暗くてわかりにくいけど、本気らしかった。
「なん、で?」
「スッキリしないんでしょ? だったら、お馴染みのストレス解消すれば?」
 言って、ケイはニッと笑った。

 家の裏、街中の道路で、俺とケイは対峙した。なんだ? なんで、こんな事になっているんだ?
 まるで意味がわからないまま、俺は渡されたバットを構えた。ケイに壊されたバットも使い慣れていたけど、こっちの方が一層、手に馴染む。俺のために作られたかのようなバットだ。
「ほら、来なさいよ。今日は剣、使わないであげるから」
 宣言通り、ケイは空手だった。とは言っても、アンジェラだって何もないところから剣を出したわけだし、安心するわけにはいかない。
「大丈夫。彼女は、何もないところから武器を作り出す力は持たないわ。彼女は、私と少し違うの」
 俺の脇で、アンジェラは言った。そういうものなんだろうか。すでに人外レベルの話が続いていて、脳みそが麻痺している気がする。
「ああもう、知るか」
 考えるのが面倒だった。思考をシャットアウトし、バットを両手で握りなおす。そして、思い切り飛び出した。
 剣を振るうようなイメージで、ケイを狙ってバットをぶん回す。それを、ケイはさらりとかわしてみせた。
 続けざまに、ぶんぶんとバットを振るう。すぐに息が切れてきた。けれど、ケイには一撃も当たらない。かすめない。
「くそっ!」
「ほらほら、どーしたの? あたしはここよー」
「わかってるッ!」
 ふらふらひらひら、動きが掴めなかった。一発も当たりやしない。
 段々と、悔しくなってきた。必死になって当てようとするが、そんな俺をあざ笑うかのように、ケイは攻撃を避けていく。
「じっとしてろよ!」
「そんな事したら、当たるじゃないの」
「当たれっつってんだ!」
「あはは、誰が他人に言われた通りにすんのよ? そう言うんだったら自分でやってみればー?」
 完全にバカにしてやがる。
 頭に血が上る。それじゃあ駄目だと思うのに、血を下げる方法がわからない。そのせいで、ますます当たらなくなっていく。悪循環だった。
 とうとう俺の体力が切れた。はぁはぁと荒い息を吐きながら、コンクリートの道にゴロリと横になる。手から、バットが転がり落ちた。
「どう? 全力で暴れてみて」
「……疲れた」
「でしょうね。で、気分悪い?」
「いや」
 ぐっと全身に力を行き渡らせ、体を起こす。不快ではない疲労感が全身を包んでいた。狩りをしていた時だって、こんなに疲れた事はなかった。
「じゃ、次はこっちの番」
 答える暇はなかった。
 目の前を火花が飛び散り、視界が明滅する。気づいた時には、地面の上に再び寝転がっていた。
 殴られた。その事実に気がつくまで、ほんの少し時間が必要だった。
「それが、痛み。わかる?」
 視線を下げると、ケイが俺を覗き込んでいた。
「殴られると痛いのよね。グーで殴ると、こっちも痛い。あんたはバットを使ってたし、親も教師もそんな事はできないから、殴られた経験なんてないでしょうけど」
 くちびるに手を当てると、生暖かい液体が指に付いた。血だった。
「あんたは、その何倍もの痛みを、他人に与えてきた。その意味は、理解しなきゃいけない。
 ほら、あんたが見たがっていた血よ?」
 ケイは俺の口元を拭い、わざと見せつけるように顔の前に持ってきた。赤い血。俺の血。
「――なんで」
 口を動かすと、痛かった。
「なんで、気がついたんだよ。俺が、血に魅せられてるって」
「わかるわよ。あんたの顔を見ていれば。あたしだって、破壊者だもの」
 ケイの手が、俺の頬を包むように添えられた。人のぬくもりが、肌に伝わってくる。
「血は、生きている証なの。とっても大切なもの。そうそう垂れ流していいもんじゃないのよ?」
「わかってたよ、そんな事」
 俺たちがやっている事が悪い事だってのも、やめなきゃいけないってのも、全部ぜんぶ、知っていた。
 けど、やめられなかった。血を見る度、俺の体の中で何かが弾けた。他の何も見えなくなって、血だけが俺の全てを支配していた。
 いつからこうなったのか、自分でも覚えていない。けど、いつからか、俺は血を見るのが楽しくなってしまった。
 母親が包丁で指を切った時。父親が本で手を切った時。妹が転んでヒザを擦りむいた時。赤い、赤い赤い赤い、血。
 血を見ると、俺は狂ってしまう。だから、見ちゃいけなかったんだ。
 なのに、俺は見てしまった。シゲとコータが、人を傷つけるところを。
 仲間は徐々に増えていった。そして、起こす事件も、小さな動物から人間へと変わっていった。もう許される範囲も、止まれるレベルも超えていた。
 全てが怖かったのに、俺にはどうにもできない。それが、たまらなく恐ろしくて。自分で自分がどうにもできなくて。
「血を見て興奮するのは、ちょっとだけわかるんだ。あたしも昔はそうだったから」
 語るケイの目は、悔いていた。過去の自分を、今の自分を。
「あんたより、ずっとずっと重い罪を犯している。許されないどころじゃないわよ、あたしの場合。それでも、今は大丈夫なの。アンジェラがいてくれるおかげでね」
 視線を動かして探すと、アンジェラは少し離れたところで俺たちを見守っていた。無表情だけど、この前とは違って、冷たい感じはしなかった。
「あんたらは、この後、人間のルールに従って裁かれるわ。もっとも、あんたはもう自分の罪を理解しているけど。とにかく、抑圧される世界で生きなさい。そこで、自分を制御する事を覚えるの」
「……できんのか? そんなの」
「できる。あたしに可能だったんだから、あんたに不可能なわけない」
「根拠は?」
「ない!」
 力強く宣言し、拳を握り締めるケイ。呆れて何も言えない。
 けど、頼もしかった。
「――家族にも、迷惑だよな」
「そーね。その辛さだけは、あたしには何も言ってあげられないわよ」
「それも含めて、責任よ」
 チリン――
 急に体が軽くなった。起き上がると、アンジェラが俺を見下ろしていた。
「過ぎ去ったものは取り戻せないわ。迷惑をかけたと思うのであれば、一生をかけて償いなさい。貴方が与えてしまっただけのものを、取り戻しなさい」
「それも、かよ。なんだ、めちゃめちゃ大変じゃねーか」
「そんだけの事をした、ってわけよ」
 ふたりから視線を外し、夜空を見上げた。月が俺を見下ろしていた。
「そう、だよなあ」
 俺は、バカだった。実感する。俺は、バカだった。
「バーカ」
 空に向かって叫ぶ。ソラは、バカだった。
 いつも、いつでも。でも、いつまでもじゃない。それを証明するのは、やっぱり、俺って事なんだよな。
 見上げていると、はらはらと涙が溢れ出してきた。それを止める気力はない。流れるままに任せ、静かに泣いていた。
「バーカ」
 空を見上げながら、ずっと、泣いていた。


 黒塗りの車に乗り込む少年を、ふたりの少女は遠く離れた場所から見つめていた。面差しは暗く、深い悲しみに満ちていた。
「……なんで、だろうね」
 桜色の少女は、主に問う。
「私にも、わからないわ」
 主は正直に答える。
「時々さ、いるよね。人間は護る価値なんかないって言う人」
「私はそう思わないけれど、そう言われるだけの理由も、わかるわ」
「うん。食いあって、殺して、踏みにじって」
 沈痛な空気があたりに漂う。重苦しく、息詰まる空間だった。
「そ、それにしても、よく我慢したよね」
 耐えきれなくなったのか、眷属は話をそらした。
「――何を?」
「自分で手を出さなかったじゃない。あいつみたいなの、アンジェラは嫌いでしょ」
「嫌いというわけではないけれどね。確かに、人を傷つける人間は見過ごせない」
「いくらでもいるけど?」
「なら、いくらでも示すだけよ」
 彼女の信じる道を。
 それは、ある種の傲慢とも言えるかもしれない。彼女は絶対の正義ではない。間違える事も、迷う事もある。
 そうと理解しつつも、彼女は信じる道を歩き続ける。人が人である限り、果てはないであろう道を。
「願いを、叶えましょう。私たちの力で」
「はーい、任せて」
 願いはひとつ。ひどく遠い道程を、彼女たちは一歩ずつ歩んで行く。
 チリン――



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