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そして、やっぱり叶わなかった。 予想はしていたので、落ち込む事はない。嫌なら面会を拒否すればいいとも思うんだが、そこは死刑囚の悲しさ、退屈のせいでついつい足を運んでしまう。 「俺に希望を教えたい、とか大層な事を言っていたね」 遠藤と野上は、まるで諦めた様子が見えなかった。こいつらだって暇じゃないだろうに、どうしてわざわざここまで足を運ぶのか。まったくもって、理解に苦しむ。 「さすがにそこまでは言っていませんけど、似たような事は言いました」 「なら、聞こう」 俺は遠藤を見上げるようにしてにらんだ。 「俺は死刑囚だ。まだ判決は確定していないが、俺が事件を起こした事は事実。どうあがいたって死刑以外の判決はないだろう。そうなるようにしたんだから当然だよな。その上で、俺にどんな希望があると思う?」 「たとえば、やりたい事をやる、とか。楽しいと思える事をするのは、きっと意味があります」 「それのどこが希望なんだ。しかも、牢屋の中で何ができる? 第一、死んでしまうんなら、何をしようが同じだろうが」 「死ぬ人間にだって、残せるものはありますよ。自分が死んだ後も残り続ける何か。それは、確かな希望です」 バカらしいとしか言いようがない。こいつの脳みそも、どこかがおかしくなっていないか? 「あの。手記とか、書いてみてはどうでしょう」 今まで控えていた野上が、急にそんな事を言い出した。 「死刑囚の手記か? そりゃ売れそうだな。で、それが俺に何の意味を成す。 俺は過去を知って欲しいわけじゃない。こんな事があったんです、と大々的に述べてかわいそうと思って欲しいわけでもない。 そんな俺が、どんな言葉を残せって? 冗談じゃない」 「なら、そう書けばいいんじゃないですか?」 「……あ?」 野上は思いつきの割に、真剣な調子だった。 「えっと、見た感じ、言いたい事がたくさんありそうに思えたんです。嫌っているだろうに、こうして僕らと会ってくれるし。だから、何か言いたい事があれば、それを書いてみたらどうでしょう。マスコミ批判でも、政治批判でも、単なる愚痴でも、僕らに対する恨み節でもいいです。とにかく、言葉にしてみたらいいんじゃないかなって」 「そうすれば、希望が見えるのか?」 「それは、やってみないとわかりません。でも、時間はあるんだから、挑戦するのは悪くないですよね?」 「悪い。俺の気分が乗らない」 面会時間の終了と共に立ち上がる俺の背中に、野上は張り上げるような声で言った。 「今度はペンと原稿用紙を持ってきます!」 勝手にしろ。 心の中で、呟いた。 そして、今。俺の前には何十枚とセットになっている原稿用紙と、ボールペンの三本セットが並んでいる。嫌がらせだろうか。 いや、野上は本気なんだろう。本気で、試せばいいと思っているんだ。 成功するとかしないとか、そんな事はどうでもよく。ただ、挑戦する事そのものに意味を見出している。 前向きと言うべきか、なんと言うべきか。そろそろ殴り飛ばしたいんだが、面会室の壁は厚い。 「書けって言われても、ねえ」 実際、書く事が何も思いつかない。暇は暇だが、だからって才能もないのに書き物なんて簡単にできるわけもない。 姉貴の事は書きたくない……、けど、マスコミ連中は勝手に書きたてているんだろう。それに対して文句のひとつも言ってやりたい気はする。 いや、駄目だ駄目だ。俺は同情されたくないんだ。それなのに、自ら不幸な過去を晒したって仕方ないだろうが。 じゃあ、どうしよう。野上たちに対する不満? 俺に会いに来るな、とでも言えばいいんだろうか。言っても意味ない気もするが。 「あー、くそ。暇潰しにもなりゃしないとはな」 チリン―― 「お悩みかしら?」 ドキンと心臓が跳ねた。まったく、いつもの事だが、こいつらは心臓に悪い! 「アンジェラ、ケイ。いきなり出てくるな。驚くだろうが」 「無茶ぁ言わないでよ。派手に入ってきたら看守に見つかるじゃない」 「見つからないように派手にしろ。おばけなんだから、それくらいできるんだろ」 「できなくもないけど――、ってか、おばけって呼ばないでくれない?」 ひとしきりキャッチボールしたところで、アンジェラが割り込んだ。 「文筆、ね。ワタルも面白い提案をするものだわ」 「おかげでこっちは困っているんだけどな」 「どうして? 嫌なら書かなければいいだけでしょう」 「こっちは退屈してるんだよ。さっさと死刑にしてくれればいいのに、法律ってのは面倒で困るな」 柔らかくほほ笑み、アンジェラは言う。 「貴方なら書けるはずよ。楽しい話か、悲しい話か、考えさせる話か、魂を揺さぶる話か。どんな話になるか、それは私には見えないけれど、貴方なら書ける。根拠のない確信があるわ」 なんだ、その矛盾は。 「だって……」 音もなく背中を向けながら、アンジェラは苦笑交じりに言った。 「今の貴方は、昔よりも瞳が輝いているんだもの」 チリン―― アンジェラの姿が消える。残ったケイは、軽くため息をついた。 「あたしもさー、代筆ってやった事があるんだけど。文章って疲れるわよね。あたしはもう二度とやりたくないわ」 それを、これから文章を書くかもしれない相手を前に言うのか。 「ただ、そういうのも書いてみたからわかったのよね。それに、一度くらいなら、経験して良かったとも思ってる」 いたずらっぽく笑い、ケイも姿を消した。 なんだ。突然に現われて、突然に去りやがって。言いたい事だけ言うって、無言電話よりタチが悪くないか? 刑務所の中まで来ているわけだし。 「あー、そうだ」 連中の事でも、書いてみようか。 どうせ誰も信じやしないだろうが、暇潰しくらいにはなるだろう。 それから、俺は暇にあかせてアンジェラとケイの事を書き綴った。 実際、俺が連中について知っている事はほとんどない。それでも、ひたすらに文章を残していく。 何の意味があるのか、自分でもわからなかった。どうせ、俺は死ぬだけだ。絶望に飲まれ、絶望のための人生を終える。そんな俺が、どうして形あるものを残そうとしているのか、理解できなかった。 あるいは、これは俺の生物としての本能なのかもしれない。何か、俺が生きた証を残したいという、生存本能なのかもしれない。 証拠はないから定かじゃないけど、その時は来た。 「はて」 完成してしまった。俺とアンジェラたちの、短い出会いを記した文章。ついでに、遠藤と野上の事まで書いてしまった。死刑囚となった俺が出会った、不思議なバカたちの記録だ。 オチはない。起伏も冒険もない。読み物としてはつまらない部類に入るだろう。それでも、なんとなく達成感はあった。 こんな俺でも、誰にも必要とされない社会不適合者の俺でも、完成させられるものがあった。そんな、当たり前の事実に、今さらながらに気がついた気分だった。 そして、俺は不覚にも、それに気づいてしまっていた。 認めたくないから、考えないようにはしている。けれど、微細な変化は、俺以外の人間にも伝わるレベルになっているらしい。実際、刑務官に『顔つきが変わった』とまで言われるようになってしまった。 そうだ。俺は、争いを見たくなかった。平和な中で必要とされたかった。それが、俺の願いだった。 いつしか、俺は自分の願いなんて叶わないと思うようになった。だから、争いたくないとか、必要とされるとか、そんな事を考えなくなった。 でも、最初は、それだけ。家族と一緒に、ごく普通の家庭を築き、ごく普通の人生を送り、ごく普通に死にたかった。それだけだったんだ。 完成した原稿を前に、俺は泣いた。ぽろぽろと涙が溢れてきて、自分でもどうにもならなくなって。訳がわからないまま、とにかく泣き続けた。ぽろぽろ、ぽろぽろ、ぽろぽろと。 「何かあったんですか?」 遠藤は、どこか不思議そうな目で俺を見た。そう言われても仕方ないほど、俺の内面的な変化は大きかった。 「いや。ただ、自分が大変な事をしたんだなって、思っただけだよ」 今さらだった。本当に今さら。もう取り返しはつかない。 俺は、人を殺した。家族でもない、赤の他人を、殺した。 その家族は、これからどうなるんだろう。俺たちのように狂った人生を歩む事になるんだろうか。それとも、立ち直れるんだろうか。 死者は生者を縛りつける。俺は、理不尽な、理由にもならない理由で、いくつもの家族を狂わせてしまった。もう、手遅れだけど。 「なあ、遠藤。君は、死者が見えるんだったよな」 「ええ、まあ」 「なら、殺された人間は、何を思うんだ?」 「それは……、人それぞれです」 遠藤は居住まいを正し、言葉を紡ぐ。 「殺された事を認められず、自ら殺人鬼になる人もいます。混乱したまま、昇天する人もいます。苦しみながらも現状を受け入れられる人も、います。 要するに、殺される人も人間なんです。他の人と同じように悩んだり、恨んだり、苦しんだり、笑ったり、泣いたり。殺す側と同じように、殺される側も色々な事を考えるんです」 俺は、殺される人間の事を一度でも考えただろうか。 親父やお袋や兄貴の苦しみを、一度でも考えただろうか。 姉貴の呪縛ばかりを呪い、俺は何もしなかった。どうしてそれが呪縛になるのか、一度も考えなかった。 死んだ人間にも、生きている人間にも、想いがある。数え切れない想いが重なり合って、この世界ができている。 ヤケになった自分が、恥ずかしい。 「遠藤、野上。もう来なくていいぞ」 「え? でも、」「わかりました」 野上の言葉を遮り、遠藤は頷いた。疑問の目を向ける野上を安心させるように、遠藤は薄く口元に笑いを浮かべてみせた。 「次は、何を書くんですか」 遠藤の質問に、俺は堂々と答えた。 「マスコミが飛びつく話題を書いてやるよ。勝手に改ざんされたりしない事を願うばかりだな」 「あ、それなら大丈夫です。僕の父が出版関係に勤めているんで。父に頼んで、原文そのままで本にしてもらえますよ。あなたの手記なら、出版社も喜ぶと思います」 「ああ、そうしてくれ。ひとりでも多くの人に読んで欲しい。特に、俺が、傷つけてしまった家族には」 贖罪にはならないかもしれない。俺が死んだところで、それぞれの家族にまとわりつく呪縛は解けないだろう。 ただ、そんな家族にも、気づいて欲しい。あんたたちの呪いが、新たな呪いを生み出す温床になっていると。 過去は変えられない。人間は、時に過去を切り捨てなきゃいけないんだ。俺が言えたギリじゃないけど、な。 断ち切るには勇気がいる。きっかけが必要だ。頭で理解していても行動できない場合だってあるかもしれない。 そのスタートを、俺の本が後押しできないだろうか。傲慢だってのも、どの口がそんな事を言えるんだって事も、わかっているつもりだ。それでも、もう俺は俺に会いたくない。俺たちは、何度、俺たちを殺せば済むんだ? 「野上、遠藤。礼は、言わないぞ」 「僕は勝手にやっただけですよ」 「あ、それ、僕もです」 勝手か。人間ってのは、そういうもんだよな。 「じゃ、こっちは執筆活動が忙しいから、失礼するよ」 「ええ。本、楽しみにしています」 「完成したら連絡くださいね」 笑顔で俺を送り出すふたりに背中を向け、俺は、俺の一歩を踏み出した。 鎖のない、俺の脚で。 やがて、『殺人犯の手記』と題された本が飛ぶように売れる日が来る。 その手記の末尾。書かれた文章は、著者の嘘偽りのない本心だった。 『俺は、家族が好きでした。だから、殺したのかもしれない。 ごめんなさい、姉さん。俺は、最後まであなたの代わりに生きる事はできなかった。なる必要もなかった。 自分は自分でしかないのに。俺の命は、あなたの命と対等にはならなかった。 失われたものは還りません。それを失念した俺は、人間ですらなくなりました。 どうか、まだ人間であるあなたたちは、こちらに来ないで下さい。誰でもこちらに来る素養はあります。だからこそ、こちらに来ないで下さい。 俺の、最後のお願いです。 本当に、ごめんなさい』 刑務所の敷地を出たところで、青年は深々と息を吐いた。 「はー、緊張したなぁ」 「……紅葉さん、どこが緊張していたんですか?」 「あれ? 緊張しているの、わからなかった?」 「まったく」 呆れ調子の年下を前に、青年は首を傾げていた。そんなふたりの前に、 チリン―― 「あ、アンジェラ」 現われた夜空色の少女は両者の顔を交互に眺めた。 「ふたりとも、お疲れ様」 「いやー、紅葉はともかく、悪かったわね。ワタル、だっけ?」 「あ、別にいいですよ。僕もアンジェラには借りがあったし、それに、苦しんでいる人を僕の力で助けられるなら、お安い御用です」 言って、最年少は瞳に不安げな色を浮かべた。 「でも、僕、何かできたのかな」 「もちろん。貴方がいて、紅葉がいて、もちろんケイや私がいて。彼の過去があり、現在があるからこそ、彼は未来を見つける事ができたのよ」 「きゅう」 少女の頭上で誇らしげに胸を張る小動物を不思議そうに眺め、最年少は感想を口にした。 「ありがとう。それにしても、驚いたよ。久しぶりに会ったと思ったら、助けて欲しい、だもんね。おまけに初対面の人と刑務所に行ってくれ、だもん」 「僕もアンジェラやケイの奇行には慣れてきたつもりだったけど、今回はちょっと驚いた」 「目を閉じ、耳を塞いでいた彼には、私の言葉は届きそうになかった。だからこそ、同じ経験を持つ、ワタルに会って欲しかった。けれど、それだけでは足りない。 様々な死者に出会った経験を持ち、彼に年齢も程近い紅葉が揃えば、きっと彼の心を溶かせると思ったの。私たちの言葉では最初から警戒されてしまっていたから、誰かに頼まざるをえないという事情もあったわ」 「そういう相手でも諦めるって事だけはしないのよね」 「ケイさんも苦労しているんですね」 「ケイでいいわよ。ま、ともかく助かったわ。ありがと」 チリン―― 鈴の音色が、その場にいる者たちの疲れを癒す。目には見えない揺らぎが、溶け流すように、体に染み込んでいく。 「人の輪は、人を助けてくれる。私は、そう信じているわ」 「きゅ」 「そうね。あたしも、信じよっかな」 「僕も乗るよ」 「一概には言えないかもしれませんけど、僕も信じたいです」 輪は、またひとつ、またひとつと広がっていく。無限に広がり続ける輪に果てはない。人が人である限りは。 今日もまた、少女はリングの終焉を手に、願いを紡いでいる。 チリン―― |