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あいつは世界の中心になりたがっていた。 そうする事で、全てを見たがっていた。知りたがっていた。 結局、それは叶わなかったけど――代わりに、あいつはオレたちの中心になっていた。 あいつは、無茶苦茶としか言えない奴だった。 おかげで、去年は散々な目に遭った。文化祭、体育祭、修学旅行、夏休みや冬休み、果ては平日の授業すら、あいつは退屈させない。まさに何事も楽しむタイプ、楽しい事がなければ自分で作り出してしまう人間だった。 そう聞けば面白そうな奴なんだが、あいにくと、巻き込まれる方はたまったものじゃない。 先生に叱られるなんてほとんど毎日だったし、旅行の時に至っては、山中で崖から落ちかけるという貴重な体験までさせてもらって、まったくもってブチ切れ寸前にまで行ったもんだ。 ……それでもオレがあいつに付き合ったのはなぜかって? それはたぶん、あいつが真剣だから、だろうな。 あいつが入部した時、部員は先輩ひとりだった。先輩はそれでもいいと言っていたのに、あいつは満足せず、さらにオレを含めてふたりも引っ張ってきやがった。 前向きで前向きで前向きで。どこまでも、ただひたすらに前しか見えないバカ。それほどまでに直線的な人間だったから、オレや田中はあいつの奇行に付き合っていたんじゃないかと思う。 それが、オレたちだった。 「以上。オレの話は終わり。さあ帰れ今すぐ帰れさっさと帰れオレの視界から消え去り果てろ」 「女の子にその台詞はどうかと思います。ついでに、まだ話は途中じゃないですか」 「お前の期待する話は永遠に待っても出てこない」 「えー? そんな事はないでしょー。久我山先輩と小暮先輩のラブラブストーリー、聞かせて下さいよぉ」 迫る後輩を、オレは押し返す。 埃っぽい部室は、それだけでどことなく白っぽい感じになった。最後にこの部室を掃除したのはいつだっけか。 まったく、笹野にこんな話をするんじゃなかった。昼飯をおごられていなきゃ話さなかったってのに。これだから金欠ってのは困るんだ。まあ金を使ったのはオレなんだが。 オレはじっと後輩を見る。すると、逆に見つめ返してきた。生意気な奴だ。 ……っ。 見なきゃよかった。そう、後悔した。 笹野の顔は、本当にそっくりだった。今は亡きクラスメイト、小暮麻美子に。 それだけに、笹野を見ると、どうしたって小暮の顔がちらつく。あいつはもう死んだんだって言い聞かせても、幻は消えてくれなかった。 目をそらしながら、オレは言う。 「笹野、何か勘違いしてないか? オレと小暮の間にはそういった関係はミジンコほどもなかった。断言してやる」 「だって田中先輩は、ふたりとも、すごく仲良しだったって言ってましたよ。まるでカップルみたいだったって」 「あいつ……」 あいつの目は節穴か。でなきゃ腐ってる。だいたい、最近は部室に顔すら出さねえ。今度、文句を言ってやらないといけないな。 「だーもう、今日は部活もおしまい! 帰れ! つーかオレは帰るっ!」 「あ、久我山先輩!」 後輩が呼び止める声は全身全霊でシカトし、オレは部室を飛び出した。 家に帰っても、小暮の顔はまぶたの裏から消えなかった。小暮の、強気でまっすぐな瞳やエネルギーを小さく凝縮したような顔が、笹野の顔と重なる。 「ちっ」 舌打ちした、ちょうどそのタイミングで、携帯が振動した。取り出し、番号を確かめてから電話に出る。 「おかけになった電話番号は現在、使われておりません。電話番号をお確かめの上、別の番号にかけなおしやがれ腐れ目女」 『残念、あたしの携帯は久我山専用なのだ』 「気持ちわりぃ事をぬかしてんじゃない。んで、何の用だよ、田中」 『おやおやぁ? 見目麗しき部活仲間に、ちっと冷たいと思わんかい?』 「うっせーバカ。切るぞ」 『今日、あんた笹ちゃんだけ残して帰ったでしょー。お姉ちゃんは悲しいぞ』 相変わらず間合いがうまい奴だ。そういうところも、少しだけムカつく。 「もともと、たいした事はやってない部活だろが」 『――あんた、グレちゃんの事、まだ気にしてるわけ』 一瞬、言葉に詰まった。努めて変わらない調子を装う。 「んなわけないだろ。小暮がいなくなって、もう二ヵ月近いんだぞ」 『そおかい。確かに、学校が始まった時のあんたは、平静を偽れていたね。けど、最近は違う。笹ちゃんのせいで、ね』 ……いちいちムカつく女だ。 『あたしは別に、グレちゃんを忘れろとは言わないよ。あたしらの中心には、確かにグレちゃんがいた。それがなくなったんだ、ショックも受けて当然。 けど、笹ちゃんにグレちゃんの面影を重ねるのはやめなよ。似てはいるけど、赤の他人なんだから。失礼だよ』 「わーかってるよ」 理解はしている。笹野と小暮は違う。 笹野は小暮みたいに無茶をしないし、小暮ほどデカい声じゃないし、小暮ほど運動神経がいいわけじゃない。 でも、自然と重なるんだ。笹野と小暮の顔が。あのふたりは、あまりにも似過ぎていた。他人のくせに、他人ではないほどに。 『とりあえず、明日は笹ちゃんに謝っておきなさいよ』 「テメエはまず部室に顔を出しやがれ」 『あははー、前向きに善処するかもしれません』 「せめてそんくらい断言しろっ!」 あはは、という軽い笑い声を残して電話は切れた。ツーツーと鳴る電話を、オレはしばらく眺めていた。 翌日、ひとりで部室に行くと、笹野が先に来ていた。 「あ、久我山先輩」 「笹野……、田中は?」 「田中先輩? 知りませんけど」 ヤロウ、いつか絶対に殴る。 「あー、それでだな、笹野」 「はい? どうかしましたか」 オレを見上げる笹野の顔が、小暮とかぶる。頭を振って幻影を追い出し、オレは笹野を直視する事を諦めた。 「昨日は悪かったな、置いて帰って」 「ならお詫びにラブラブノロケ話を」 「誰がするか」 ですよね、と呟いた笹野は、ふっと表情を変えた。 「――ねえ、先輩」 呼びかける笹野の声は、いつもの調子とはあまりに違っていた。真剣な、何かを伝えようとしている声だった。情けない事にその雰囲気に飲まれ、オレの喉が声を発する事を拒絶する。 「私は、そんなに似ていますか。小暮先輩に」 はっとして目を向けた。笹野の瞳は、優しい悲しさを帯びていた。 「ずるいですよね、小暮先輩って。私じゃどうしたって対抗できないじゃないですか。死んだ人に、私じゃ、勝ち目なんてないです」 「笹野、お前……」 笹野の視線は下がり、うつむいている。その表情は、オレにはうかがい知る事ができなかった。 「私が小暮先輩の真似をしても、私は小暮先輩になれないんです。似ているけど違う。だって、私は笹野明美であって、小暮麻美子ではないから」 オレは、なんと言えばいいかわからなかった。 確かに、オレは小暮の幻を笹野に重ねてしまっている。それだけオレの中であいつは大きな存在だったし、笹野は小暮に似ていたから。 呆然と見ていると、笹野は急に顔をあげた。その顔には、いつもの底抜けに明るい笑顔が戻っていた。 「へへ。冗談です」 笹野は鞄を手に取り、オレに告げた。 「すみません、用事を思い出しちゃいました。お先に失礼しますね」 「あ、ああ。お疲れ」 それだけで精一杯だった。 小走りに部室を出て行く笹野を、オレは止められなかった。 止める資格も、なかった。 しばらくしてから家に帰ると、いつの間にか携帯にメールが入っていた。笹野からだった。 『明日、田中先輩と部室で待っていて下さい』 内容はそれだけ。絵文字すらない、簡素なメールだった。 わかった、と返信し、田中にもメールを送った。 どうかしたんだろうか。笹野らしくない。やっぱり、今日のあれが関係してんのか? ――笹野の想いに、気付かないわけじゃなかった。けど、オレには笹野だけを見る事はできない。 初めて会った時は姉妹かと思った。そうではなく、赤の他人と知った時、オレたちは心の底から驚いた。 以来、オレは笹野を見る度に、小暮を思い出していた。忘れようとしていたのに、もうあいつはいないって頭に叩き込んだのに、笹野の顔を見ると、そんなちっぽけなものはどこかに吹き飛んでしまった。 あるいは、小暮が生きていれば、笹野の想いも素直に受け止められたかもしれない。しかし、あいつは二ヵ月も前に、事故死している。 たった一台の車が、オレたちの世界を変えたひとりの少女を、奪い去ってしまった。 もう戻らない。何もかも。 笹野。お前は、何をするつもりなんだ? これ以上、オレに小暮の幻影は見せないでくれ。 小暮はいないという現実。それは、どこまでもオレの胸に突き刺さる。 どうにもならないのが、辛かった。 翌日の放課後、オレは逃がさないように田中を教室まで迎えに行った。 「やあやあ、お迎えごくろーさん」 笑顔でやって来た田中を、とりあえず殴る。 「ったぁ!? いきなり何をするかな君は!」 「うっせえバカ! ほら、行くぞ!」 田中を引きずり、部室に向かう。 何が起きるんだろう。こんな風に思ったのは、小暮に振り回されていた頃以来だ。 部室の前まで来たところで、急に手が汗をかき出した。 「どしたのよ、久我山。さっさと入れば?」 「……なあ、田中」 扉を見つめながら、オレは問いかけを口にする。 「逃げるなよ」 「――あいさ」 扉に手をかけ、思い切って引き開けた。 飛び込んできたのは、見慣れた光景。 埃っぽいにおい、暖かな夕日、そして。 「おっそーい! 待ちくたびれて迎えに行こうかと思ったところよ!」 見慣れた、その姿。 「こぐ、れ?」 強気なまなざし。腰に手を当てて立つ姿。制服は少し大きめで、手が半分ほど袖の中に隠れている。 それは、見慣れた小暮の姿。同時に、もう二度と見る事はないはずの姿だった。 「どう、して?」 チリン―― 混乱するオレの頭を冷やすように、清らかな音色が聞こえた。 「彼女は、厳密には貴方たちの知る小暮麻美子ではないわ」 横を見ると、部屋の隅に女の子がいた。夜空色のワンピースに身を包み、黒髪の頭上に小さな動物を乗せた、不思議な威圧感を持つ女の子だった。 「君、は?」 「私はアンジェラ。アンジェラ・ウェーバー。死者を導き、生者に道を示す。それが、私が私に誓った逝き様なの。言うなれば、義務のない仕事ね」 見た目はどう転んでも小学生。そんな小さな子から紡がれる台詞は、あまりにも非現実的だった。 「グレ、ちゃんは? なんでグレちゃんがここに?」 小暮に目を向けると、小さく息を吐いた。 「アタシね、死んでからも、色々と見てたわ。久我山が無理してるとこも、アタシに似た部員が入ったとこも、タナっちがその子を避けていたとこも」 語る小暮は、寂しげだった。 「アタシはさ、見た事もないものとか、経験した事のない事とか、そんなのをなんでも楽しみたかったし、久我山たちにも楽しんで欲しかった。なのに、今のあんたたちは、アタシの影におびえてばっかり。 アタシが楽しめないのは仕方ないよ、死んでるんだから。生きてる人にしかできない事をアタシがやろうったって無理だもんね。でも、なんであんたたちまで諦めちゃうわけ? あんたたちはピンピンしてるじゃないの」 長々と語った締めくくりのように、小暮はオレたちをにらみつけた。 けれど、長台詞の中には、質問に対する答えが入ってなかった。言いたい事だけを言い、オレたちの話はまるで聞かない。いかにも小暮らしくて、少しだけ笑ってしまった。 見かねたのか、アンジェラが口を挟んだ。 「彼女をこちらに連れてきたのは私よ。ただし、彼女は死者。本来なら生きた人間とは会わせられない」 「つまり、何かしらの手品を使ったって事か?」 「その通り。彼女はね――」「アンジェラ。言わなくていい」 ずい、と前に出た小暮は、小さな体に大きな迫力と活力を秘めているように見えた。 「この体はね、笹っちに借りたのよ。外見だけはアンジェラに昔のままにしてもらってるけどね」 「笹野、に?」 「感謝しなさいよ。笹っちはね、アタシがいなくなって情けない顔をしてるあんたたちのために、わざわざ寿命をアタシにくれたんだから」 それは、笹野のメッセージだ。あいつの言いたい事は理解できた。そして、それは小暮の願いでもあり、オレ自身がやらなければいけない事でもある。 「……小暮」 「何よ」 「今まで最高に迷惑だったぜ。お前のせいで先生に叱られるわ、死にかけるわ。本当に迷惑だった」 誰も、オレを止めようとはしなかった。だからオレも、オレの想いを紡いでいく。 「でもさ、それがオレの日常になっちまってたんだよな。だから、お前がいなくなって、寂しかった」 「それで? あんたが泣き叫んだってアタシは生き返らないわよ」 「そうだな」 オレは涙を流していなかった。けれど、泣いていた。 寂しさが辛くて辛くて、悲しくて。涙は出ないけど、心が泣き叫んでいた。 「オレにゃ、お前の代わりはできねーさ。田中や笹野でも、お前にはなれない。お前になれるのは、お前だけだもんな。 けど。真似する、努力くらいはしたっていいよな?」 「いいよな、じゃないでしょ」 ぐっとオレの服をつかみ、小暮は顔を寄せた。 「いい? 許可なんか求めなくていいの。自分の道は自分で決めて、それは最後まで貫き通せ! 前以外なんてどうでもよし! わかった!?」 そう。これこそが、オレの知る小暮だ。 オレは、口元に笑みを浮かべ、答えた。 「わかったよ」 「ならよし!」 パッとオレを解放し、小暮は満足げに頷いた。 「そうそう、タナっちもよ? わかってる?」 「と、当然でしょ!」 うんうんと頷き、小暮は言った。 「アタシは、あんたたちを蹴り出しただけよ。転がりだしたら、どんどん加速しなさい。ひとりで走れないなら、ふたりで、それでも駄目なら三人でも四人でも、何人でも引っ張ってきなさい。生きてるって事、存分に楽しみなさいよ!」 びしっとオレたちを指差し、宣言する小暮。 夕陽を背中に浴びるその姿が、ゆっくりと手を下ろし、オレたちに背中を向けて窓に歩み寄る。 「あーあ。長生き、したかったな」 お別れ、だった。 それは、オレにも感じられた。ぎゅっと拳を握り、オレは叫ぶ。 「小暮! あの世の面白いもん、先に見つけといてくれ! オレたちも、後から見に行くから!」 首だけ振り向いた小暮は、にやりと笑った。 「おっけー。楽しみにしてるわ」 すっと、目を閉じる。その体が、ふわりと揺れた。 オレは慌てて駆け寄り、体を支えた。 よくよく見ると、オレの腕の中で、笹野が静かな寝息を立てていた。 「私も行くわ」 アンジェラの声。振り向くと、アンジェラもオレを見ていた。 「あ、ありがとう」 「あたしからも。ありがとうね、アンジェラ」 オレたちの姿を等分に眺め、アンジェラはくすりと笑った。 「貴方たち。すごく、いい顔をしているわ」 アンジェラの頭上で、小動物が小さく鳴いた。それを合図に、アンジェラは腕を揺らす。 チリン―― 静かな鈴の音色。その直後、まるで煙のように、アンジェラの姿は消えていた。 部屋に残されたオレたちは、自然と顔を見合わせた。どちらからともなく、笑いがこぼれる。 「田中、やっぱお前も気にしてたんじゃねーか」 「あはは、ごめんねごめんねー。なんだかんだ言っても、やっぱりあたしの中心にいたのもグレちゃんだもん。いなくなったら、そら寂しいわさ」 「現実逃避かよ。オレよりタチ悪くね?」 「んー、どっこいどっこいじゃない?」 田中はオレに近づくと、腕の中ですやすやと眠る笹野を覗き込んだ。 「――うん。あたしは、もう大丈夫。あんたは?」 「吹っ切った」 段々と手が痺れてくる。それでも、オレは決して離さない。こいつのしてくれた事を考えたら、おつりが来る。 「今からが、始まりなんだよな。笹野」 「んー? んんんー? おやおや、今日は暑くって困るね」 「冷やかすなよ。まだそんな関係じゃない」 「まだって事は、先はわからないって事よね」 「そりゃそうだろ」 見上げる空。茜色に染まる空は、きらきらと輝いていた。 「未来は、作るもんだからな」 待つものじゃない。 眺めるものでもない。 この手で、この足で。 「作ってみせるさ」 オレの、オレたちの、未来を。 空の上でふわふわと待っていた少女は、ふたりの人影を認め、急に笑顔になった。 「お帰りー。どうだった?」 「成功したと思うわ。今の彼らは、もう迷わない」 夜空色の少女の答えに、強気な少女は鼻を鳴らす。 「とーぜんよ。これでもまだアタシの事を気にするようなら、蹴っ飛ばしに行くところだったわ」 「貴女は、これでよかったの?」 「よかないわよ」 当然と言えば当然の答えを返し、けれど、少女は強気なままに続ける。 「でも、アタシは死んでしまった。本当なら世界の全てを見たかったところなんだけどね。死んだ人間がいつまでも残ってどうするのって感じ?」 「淡白って言うか、なんと言おうか。あたしが言うのもアレだけど、あんた、なかなか珍しいタイプよね。少なくても、高校生の女の子じゃないわ。よく言われない?」 桜色の眷属に、少女は頷いて答える。 「頻繁に言われた。でも、変わっていようが珍しかろうが、アタシはアタシだし。他人と比べるってのがそもそも無茶なのよ。人間、みんなまるで違うんだから」 空をしっかりと踏みしめ、少女は沈みゆく太陽をまっすぐに捉える。 「アタシはちっぽけな存在だった。って事は、次はもっとでっかくなればいいのよね! 来世は巨人にでもなろうかしら?」 「そういう意味じゃないでしょ。てか、選べるもの?」 「きゅ」 呆れる死導者たちを尻目に、少女の瞳は、死してなお生きているかのように輝いていた。 彼女の輝きは、死さえも明るく照らしてしまう。 その様は、燃える太陽さえも、暗く感じてしまうであろう。 「眩しい、わね」 少女の小さな呟きに応えるように、心穏やかな音色が響く。 チリン―― |