アンジェラたちが帰るのを待つ間に、ぽつぽつと雨が降り出した。仕方なく、社務所の中で雨宿りをする。まみは一端、本宅の方に戻っていた。つまり、ここにいるのは私と城崎さんだけという事になる。
「あの……」
 見ると、城崎さんはどこか不安そうな瞳を私に向けていた。
「どうか、しましたか」
「あの。火野さんは、はっきりと幽霊が見えるんですよね」
「ええ、まあ」
 私にとって、幽霊という存在は最初からそこにあるものだった。
 生まれながらに見えていたし、子供の頃は触れたりする事はできなかったが、そういうものなんだと思っていた。まだ理解をしていなかった、幼い頃。
「幽霊って、やっぱり、悪い存在なんでしょうか」
「――なぜ、そう思うのですか」
「だって、よく言うじゃないですか。心霊スポットでおばけに憑かれたとか、悪霊に殺されたとか」
「それは、テレビの見すぎですね」
 しょせん、霊体と言っても元は生きた人間だ。できる事など限りがある。ただの霊体には、人を殺す事なんて不可能。それどころか、触れる事さえ叶わない。憑かれたなんてのは、大半がただの勘違いに過ぎない。
 幽霊は、何もできやしない。
「幽霊も普通の人間と同じですよ。悩んだり苦しんだり悲しんだり。未来に希望がないだけ、狂いやすい。それだけです」
 狂った霊は、私のような存在が『処分』しなければならない。仮に人間だった存在でも、今は人間とは呼べないのだから。
 霊は、死を受け入れなければならない。絶対に、だ。
「そう、なんでしょうか」
 うつむく城崎さんの表情は読めない。あるいは、そこらあたりに依頼の理由があるのかもしれない。
「たーだーいーまー! 連れてきたわよッ!」
 やたらと大きな声に、私は顔を上げた。壁を通り抜け、ケイが姿を見せる。後から、アンジェラと、見知らぬ白い少女も入ってきた。ふわふわと浮きながら。明らかにただの人間ではない。
 ふむ。どこか、病んだにおいを感じさせる少女だな。白い肌、細い手足、着ている白い服も病院着のように見える。
 それにしても、変わった人だ。幽体にしか見えないが、それにしては、どこか生きている人間の気配を持ち合わせている。これは、まさか?
「そちらの方は、」「白井百合ですっ! えっと、火野さんですね。初めまして!」
「いや、そうではなく、私が聞きたいのは、」「わー! これですこういう人です! これこそ幽霊!」
 先ほどまで暗い雰囲気を携えていた城崎さんまでもが、明るい空気をまとっていた。そんな事より、私の話を聞いて欲しいのだが。
 私の想像が正しいなら、彼女は、死人じゃない。生者だ。
「貴方の想像通りよ。彼女は、紅葉が少し魂を書き換えたの」
「……なるほどな。それで、幽体離脱なんて事ができるのか」
 言葉では簡単だが、幽体離脱なんてのは簡単にできる行為じゃない。退魔師でもごく一部の人間くらいしかできない、高等な技術だ。
 まったく、相変わらずあの青年は、我々の常識というものと簡単に破ってくれる。
 城崎さんと白井さんは、楽しそうに話している。聞こえてくる会話の内容は、他愛のないものだ。
「どう? これなら文句もないでしょ!」
「はい! ありがとうございます、手品師さん!」
「だから、手品師じゃないってのに!」
 ……まだ認めないのか。
 確かに、白井さんとは違い、ケイやアンジェラは存在感が強すぎる。これで幽霊などと言われても、なかなか信じがたいところはあるだろう。
 だが、そこまで『幽霊』にこだわる理由は、やはり見えてこないな。
「わー! こんなに色々な人とお話するの、久しぶりです!」
「そうなんですか?」
「いつも病室だったから。外に出られるようになったのは最近なんだけど、それでもきちんとお話できる人ってなかなかいないのよねー」
 病弱そうな見た目とは違い、白井さんはとても元気だ。正直、大きく高い声は耳にさわる。苦手なタイプだな……。
「火野さんも変わった格好をしているんですねっ! 暑くないんですか?」
「変わった……!? これは、退魔師としての正装だ。常に戦えるようにという、戦士としての心構えのようなものだ」
「へー。カッコいい!」
「いや、だから格好を気にしているわけではなく、実用のために――」「でも、大変ですよね。常にコートを着てなきゃいけないって。私にはできないかも」
「あ、それはあたしもそう思います」
「だよねー。最近、特に暑いし!」
 ……。このふたりのテンションには付き合いきれないな。
「少し、席を外します」
 会話に夢中の三人に言い残し、私は社務所を出て鯉田の本宅に向かった。その後を、アンジェラが付いてくる。
「何か気になるようね」
「中学生くらいの子供が、あそこまで幽霊にこだわる理由はなんだ。それに、いくらとぼけた人間でも、あれを手品と見るには無理がある」
「では、貴方は答えを知るつもりなのね」
「私は、受けた依頼を完全にしたいだけだ」
 本宅に入ると、玄関でまみと会った。ちょうど、こちらに来るところだったらしい。
「兄さん。公平兄さんから電話があったの」
「早かったな。それで、結果は?」
「メモしておいたの」
 ルーズリーフを手渡すまみ。並んだ文字に視線を走らせる。
「ふむ。そういう事か」
 紙片を折りたたみ、ポケットに入れる。内容は、すでに頭の中で記憶として残っていた。
「真実を知って、貴方はどうするつもりかしら」
「君は最初から答えを知っていたのか?」
「いいえ? たまたま聞こえてきただけよ。彼女の思う、力強い心の声が」
「なるほどね」
 本宅を出て社務所に戻る。小雨がまだまだ降り続いていた。傘を差しても濡れるような、鬱陶しい雨だ。
「陽平兄さん……」
「彼女は、この事実をできる限り誰にも知られたくないようだな」
 黒いコートのポケットに手を突っ込み、雨空を見上げる。雨はやみそうにない。
「あれは、城崎さんの問題なの。私たちが、勝手に入っちゃいけない問題だと思うの」
「その通りだな。けれど、なってしまった体質は変えられない。受け入れる必要があるんだ。それを、私たちは手助けしてやれる。
 ……まあ、ただのお節介かもしれないがね」
 答え、我々は社務所の中に入った。
 まだ三人がガヤガヤと騒がしく話をしている。私に気づいたのか、城崎さんは顔を上げた。
「ご満足いただけましたか、城崎さん」
「はい!」
 満面の笑み。一片のくもりもない、綺麗な笑顔だ。その笑顔に、私は問いかける。
「――それはそうでしょうね、目的は達せられたのだから」
 ぴたりと、城崎さんの動きが止まった。白井さんとケイもまた、動きを止めて私を見る。空気が凍った気がした。
「城崎さん。あなたは霊体が見える体質ですね」
「はい?」
 私の言葉に反応したのは、城崎さんではなく、ケイだった。
「ちょっと待ってよ! この子、一般人なんでしょ?」
「一般人が幽体離脱した人間を見られるわけないだろう」
 答えると、ケイは言葉を詰まらせた。白井さんも、今さら気がついたかのように、目を丸くしている。
「兄さんに連絡して調べてもらったら、すぐにわかりましたよ。城崎千恵さん。退魔の家系でもないのに霊体が見えると、業界では有名な子だったんですね」
 うっかり失念していた。城崎、などという旧家はない。それもそのはず、この子は、いきなり生まれた突然変異のような子なのだから。
「ぼやけた幽霊が見える程度の能力者なら、退魔の家系でなくても生まれる事は稀にあります。ところが、あなたはその中でも特別。ただ見えるのではなく、はっきりと見て、存在を知る事ができる。退魔師クラスの力です」
「……、やっぱり、わかっちゃいましたか」
 城崎さんはうつむき、消え入りそうな声で言った。
「ここからは仮定の話ですが。あなたは、変魂あくりょうに会いましたね? そして、幽霊とはかくも恐ろしいものかと、思い込んでしまった」
 ありえる話だ。新人の退魔師も、大抵は生まれて初めて見る変魂には驚く。時には一生のトラウマになったりする事もあるそうだ。まして、何も知らない一般人が変魂を見れば、それは相当のショックとなるに違いない。
「そこで、あなたはそれを否定する材料が欲しかったのではないですか? 幽霊は危険な空気を持つ者ばかりではないと。
 その点で、確かにアンジェラやケイでは目的にそぐわない。持っている雰囲気は、異様すぎますからね」
「ちょっと。それってどういう意味よ」
「否定はできないわね」
 口を尖らせるケイと、頷くアンジェラ。
 ケイもアンジェラも、異様な雰囲気を持っている。とても普通の人間とは同じとは思えない。それでは、駄目だったんだ。
 城崎さんが望む相手とは、そこらを歩く人間とは何も変わらない幽霊。そういう存在と出会う事こそが、彼女の目的だった。
 だからこそ、底抜けに明るい、危険性も神秘性もない白井さんの存在に、安堵したのではなかろうか?
「あくまで、推測ですがね」
 だが、大きく外れてもいないと思う。その証拠は、ここでうつむいたまま顔も上げられない少女だ。
「怒って、いますか。隠していた事を」
「なぜ怒る理由があるのですか? あなたは正当な手順で私に依頼した、依頼人です。依頼人が事情を話すも話さないも自由。それで私が被害をこうむったわけでもありませんが」
「火野さん、女の子にそういう言い方はないと思います」
 ……この子のペースは私と合わない。
「私がこんな話をしたのは、あなたに自分の能力と正面から向き合って欲しかったからですよ」
「でも。あたしが見えるものは誰にも見えなくて、血にまみれる人も、化物みたいな何かも、誰にも見えなくて――!」
「誰にも見えずとも、存在はしています。その現実から目をそむけちゃいけない。あなたの能力は、捨て置けるほど軽いものではないはずです」
 言うのは簡単だが、受け入れるのは難しいだろう。
 私も、まみも、生まれながらにこちら側の世界にいた。導いてくれる者もいた。だからこそ、迷う必要もなかった。
 だが、この子には導き手がいない。ケイやアンジェラのように、全てを知る事ができる位置にもいない。
 この子は、闇の中で、迷う事を余儀なくされているんだ。
「あなたが見た悪霊というものがどんなものかは知りません。ですが、それを倒すために、我々がいます。
 恐れないでください。恐怖が彼らを増長させる。恐れず、立ち向かわなければいけません」
「んなの、簡単にできるわけないでしょうが。ただの中学生なのよ? 戦う力も覚悟もない。そんな普通の女の子が、戦いの場を目の当たりにして、平然としていられるわけないわよ」
 ケイの表情もまた、真剣だった。あるいは、どこかでそんな様子を見てきたのかもしれない。
「すぐに、とは言わない。いずれ、だ。
 少しずつ、成長していく。心も体も、そして、おそらくは能力も。そうなる覚悟を、いつか決めねばならない、という事だ」
 死者が死を受け入れなければいけないのと同じように。
 彼女もまた、彼女だけの宿命を受け入れなければいけない。
 しばし、彼女は沈黙した。さすがに白井さんやケイたちも黙り込み、彼女の答えを待つ。
 長いような短いような、痛い沈黙。その後に、彼女はゆっくりと口を開いた。
「あた、しは」
 言葉を、迷うように吐き出す。それは、あるいは彼女の心をそのまま表しているのかもしれない。
「あたしは、怖いです。おばけが。人でなくなった、人だったものが。だから、そうでない、怖いだけのものじゃないって証拠が欲しかった」
「それは、ここで得ました」
「はい。だから、もう、ただ恐れていちゃいけないんです。白井さんみたいな、普通の女の子もいる。あたしは、それを、知ったから」
 この依頼は、彼女が彼女自身を納得させるための儀式だ。
 本当のところは、彼女にもわかっていたのだろう。だが、目の前で起きた現実のせいで、そんな当たり前の事が信じられなくなっていた。
 苦しんで悩んで。出した結論は、退魔師を頼る事だった。自分と同じ存在に、導いてもらう事だった。
「城崎さん。あなたの前途が明るい事を祈っていますよ」
「……ありがとうございます、火野さん」
 ぺこりと頭を下げる城崎さんに、もう迷いの色は感じられなかった。
 ふと視線を向けると、それぞれがそれぞれに、なにやらニヤついた笑みを浮かべていた。さすがにアンジェラとまみは、ニヤリというよりはほほ笑ましい、といった感じであったが。
「ふん。まあ、いい」
 雨は、まだ降り続いている。
 だが、こっちの雨は、やんだのだからな。


「たっだいまー!」
 白い白い病室に入った途端、白い少女は元気よく叫んだ。
「百合、大丈夫だったか? 何も起きなかったか?」
「ベルフェゴールぅ、あんたも心配性ねぇ。あたしらが一緒なんだから、危険があるわきゃないでしょ」
 チリン――
 後から入ってきた面々の片割れ、桜色の眷属は、呆れたようにため息をもらした。けれど、枯葉色の死導者はそんな事を気にしていない。
「まったく、百合、いかに幽体となっての行動ができるようになったといっても、本体はここなのだ。私自身がここから離れるわけにはいかぬし、百合も無茶をしないようにしてくれないか」
「ほんとーにベルは心配性だね。大丈夫だよ、アンジェラやケイも一緒だし」
「きゅー!」
「あ、そうそう、エルも一緒だったもんね」
 飛び込んできた小動物を抱きかかえ、幽霊はにこりと笑う。獣は獣で、満足そうに頷いた。
「ねえ、アンジェラ。あの子、いけると思う?」
「私は大丈夫だと思うわ。いざとなれば、陽平やまみも協力を惜しまないでしょうし、ね?」
「そりゃそうかもしれないけど。でも、あの子の体質は、一方的に辛いだけじゃない」
 霊体が見える。それは、死者と触れ合う能力という事。
 未来という最大の希望を失った、絶望と隣り合わせの人間と交流する力。それは、高い確率で不幸を招く。
「でも、彼女は能力というものの意味を知った。己の所以は己で決めるもの。彼女は、自分でそれを見つけたのよ」
 だから、大丈夫。
 薄い、なのに妙に説得力を持つ根拠。
「ま、本当に駄目になりそうだったら、あたしらもいるもんね」
「きゅう!」
「その通り。私たちにもできる事に限りはあるけど、望むものにまで限りを設ける必要なんてないわ」
 チリン――
 少女は頷く。くすくすと笑いながら。
 自ら夢を勝ち取った夜空色の死導者は、老人と少女の過保護な会話を背に受けながら、雨雲の途切れた空を見た。
 差し込む日差しは少ないけれど、そこに確かにある。まるで、世に散らばる希望の欠片のように。
 チリン――



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