ベルゼブに犯人を任せ、僕らは店の外に出た。外気が少し肌寒い。
 対峙しているのは僕とルシフェル。それを、四人が道の端で眺めている形だ。
「紅葉ぁ、構わないから一発くらいぶん殴ってやりなさいよ。全力で」
「ケイ、けしかけるのはやめなさい」
「えー、いいじゃない、別に。応援は自由でしょ?」
「ルシフェルに打撃を加えられるほどの力があるのなら、見てみたいものですね」
「ほら。リヴァイアもこう言ってるし」
「だからといって、戦いを推奨するような事を言うべきではないわ」
 ……好き勝手な事を言ってくれる。
 僕の前で、ルシフェルは威嚇するように、ジロリとにらんできた。負けじと見返す。
「拳銃ひとつすらどうにもならないくせに、俺様には負けないって面だよな。どういう事だ」
「別に。そう感じたなら、たぶんそのままの意味だよ」
「――上等ッ!」
 ルシフェルはバッと両腕を広げると、手先に炎を宿した。まるで手品みたいだ。
「ただの火球だが、まともに食らえば普通の人間は死ぬレベルだ。受けきる自信は?」
「実体のない小手先のマジックじゃ、僕には通じないよ」
「なら死ね」
 ルシフェルは炎を放つ。僕は、その両方を無造作に握り締めた。
「――!」
 誰かが息を飲んだ。
 炎は消え去る。僕は両手を広げ、何事もないとアピールするようにひらひら振ってみせた。
 熱いとさえ思わなかった。触れた瞬間に消し飛ばしたようなものだから、熱いと感じる暇さえない。
「魂のないただの生が、僕に通じるわけないだろ」
 魂にさえ触れられる僕には、それを覆う存在に過ぎないエネルギーなんて、何の意味もなさない。
 銃弾には通じない、不可思議現象にのみ通ずる力。望まずして得た、望んでも得られない力だ。
「はッ! 話にゃ聞いていたが、直で見るとやっぱ違うな。余計にムカつく」
「ルシフェル。そろそろ認めてあげたらどうかしら。これ以上は無意味よ」
 アンジェラがそっと声をかける。ルシフェルは否定せず、僕を見つめた。
「遠藤。お前はさっき、死んだらおしまいとか言っていたよな」
「ああ、それがどうした」
「お前は間違っちゃいない。死導者じゃない人間なんざ、死んだらだいたいの事はできなくなる。なら、お前はどうだ?」
 ジーンズのポケットに手を突っ込み、ルシフェルは続けた。
「お前はその気になれば人間を超えられる。マリアと一緒だ、肉体と魂を切り離せるようになるんだよ。そうなりゃ死導者と同じ……、死を超越する」
 実感は、ない。
 アンジェラを見た。彼女は、ゆっくりと頷いた。
 実感はないけれど、死導者たちからすれば、どうやらそれは事実らしい。
 僕は、死導者になる器を持った人間である、という事か。
「死さえ存在しない死導者に終わりはない。永遠に続く。お前は、それに耐えられるのかぁ?
 友も協力者も存在しない。絶対にして果てのない孤独だ。そんなもんに、『ただの人間』であるお前が、どうして耐えられる?」
 今さらながらに、ルシフェルの『試す』という言葉が理解できた気がした。
 死導者になるという事。それは、人間でなくなるという事。
 遠藤紅葉という人間は死に、永遠の時を在り続ける死導者になるという事。
「……関係ないね」
「ほう?」
 一瞬だけ、ごちゃごちゃした感情が渦巻いた。けれど、それはすぐさま消え去った。
 仮に死導者になろうとも、僕は今の僕がやりたい事、なすべき事をする。
 それに。
「僕は死導者になりたいわけじゃない。いつかそうなるかも、なんて怯え続けるのは僕の趣味じゃない。
 今の僕は、ただの幽霊が見えるだけの一般人。それ以上でも以下でもない。それで、十分だ」
 ルシフェルは僕を見つめ、やがて、背中を向けた。
「なるほどなぁ。マリアやアンジェラが気に入るわけだぜ」
「貴方も気に入ったのでしょう? ルシフェル」
 ルシフェルはアンジェラにちらりと視線を送り、笑ってみせた。
「俺様が人間を気に入ると思ってんのかぁ?」
 ふっと、ルシフェルの姿が消えた。目的を果たしたからだろう。
「……あ、コーヒー代」
 食い逃げじゃないか、これじゃあ。もしかして、最初から払うつもりはなかったのか? あの性格だから、それも否定できない。
 僕は、そっとため息をついた。

 犯人の上で楽しげにパフェを食べていたベルゼブと合流し、先輩と店長を縛ったロープも切って。
 店長が警察に電話をする間、僕はアンジェラたちを前に困り果てていた。
「事情聴取、答えられる? 身分証とか求められたらまずいよね」
「わたしは構いませんが……」
 三上さんはちらりと死導者たちを見た。ルシフェルもいなくなっちゃったし、アンジェラたちも調書とか取られたら大変な事になる気がする。
「適当に誤魔化しておくわ」
「ごめん、アンジェラ、助かる」
 アンジェラの不思議な力は筋金入りだ。警察くらいなら、なんとかしてくれるだろう。これで問題は解決する。
 結局、会計は無料にしていいと店長に言われた。これだけの事件に巻き込んだのだから、あるいは当然かもしれない。
「そういえばリヴァイアは何もしなかったのね。もう紅葉を認めたわけ?」
「認める認めないという話は、マリアが決める事です。私はただ、マリアが認めた人間というものを見たかっただけです」
 きっぱりと言い放ち、痩せぎすの女性は僕をにらんだ。
「遠藤紅葉、はっきり言っておきますが、母を傷つければ承知しません」
「そう言われても……」
 僕自身にマリアを傷つける意思はない。でも、マリアの願いを全て叶えられるかと言われると、やはり自信がなくなる。僕も、マリアのためだけに生きていけるわけじゃないんだ。
「マリアの敵は私の敵。それだけを覚えていれば十分です」
「あー……つまり、マリアの味方でいる間は味方って事でいいんだよね」
 言うと、リヴァイアは僕を未知の生物みたいな目で見た。何か変だったかな?
「遠藤さん。いつもそんな調子なんですか?」
「うん? まあ、だいたいこんな感じですけど」
 三上さんは、ぷるぷると首を横に振った。
「なんとまあ……。死導者が敵ではないにしても、ここまで親しくなれるものなんでしょうか」
「そんなに難しい事じゃないですよ。相手も言葉が理解できる。きちんと話の通じる相手なんですから」
「そんなに簡単に言えるのは、あなただからだと思いますよ。
 ――敬語は使わなくて結構です。わたしの方が年下なんですから」
「そう? それなら三上さんだって」
「わたしのこれは、癖のようなものです」
 敬語が癖ってのも珍しい。教会の人って聞くけど、みんなこんな感じなんだろうか。
「あ、そうだ。アンジェラ」
 顔を上げた夜空色の少女。厄介事を持ち込んできた張本人だ。
「今度から、死導者を連れて来る時は連絡してね。せめて心の準備はしたいから」
 もはや死導者の奇行に文句を言っても仕方ない。僕にできる事は、それに流されないように自分を持つ事、そして、巻き込まれる覚悟をする事くらいだ。
「それほど気負わなくてもいいわよ?」
「そういう問題でもないんだ」
 アンジェラには、死導者がどれだけ特殊な存在であるかという事に関して、自覚がないんだろうか。
「あー、それにしても、疲れたなぁ」
 普通にバイトをするだけだったのに。死導者やら退魔やら強盗やら。今日は厄日なんだろうか。
「でも、少し楽しかったかな」
「あれを楽しいって言えるんだから、あんたも逞しくなったわよね」
「それは言えてる」
 はは、と小さく笑う。
 まだ、笑えた。なら、いっか。
「アンジェラ、ケイ、リヴァイア、ベルゼブ、三上さん」
 五人の名前を呼ぶ。それぞれが僕を見ていた。僕は、営業ではないスマイルを返す。
「またのご来店をお待ちしております。普通のお客様として、ね」
 互いに顔を見合わせ、それぞれが反応を示す。
「パフェ、美味しかったわ」
「フツーの客って、案外と難しいわよね」
「……変な人間ですね」
「ん、また来たいな、愛」
「そうですね。今度は普通に食事をしたいものです」
 店の前に赤いランプを光らせた車が止まり、中から男の人が何人も出てきた。
 その様子を眺めながら、明日のバイトは休みになるだろうな、などと思っていた。


「ルシフェル」
 己を呼ぶ声に、青年は振り向いた。途端、顔が歪む。
「どうした、アンジェラの眷属」
「ケイよ。名前くらい覚えておきなさい」
 両腰に手を当て、桜色の少女は不機嫌そうに言う。
「あんた、何を考えているわけ。いきなり紅葉を試すって言ったり、助けたかと思ったら喧嘩を吹っかけたり。何がしたいのよ?」
「別に。退屈ってだけだ」
「退屈であんな危ない真似をするわけ?」
「あいつなら大丈夫だろうと思ったからな。なにせ、マリアのお気に入りだ。
 マリアが気に入った人間なんざ、初めてだろ?」
「だろって言われても、あたしは知らないわよ」
 むっとしながら返す少女。彼女とて、死者となってからまだ何年も経っていない。
 チリン――
 鈴の音色に、青年はますます顔を歪め、目を細めた。
「説教なんざ聞くつもりはないぜ」
「私も、貴方を説得しようなどとは思っていないわ。そもそも、他者の話を聞き入れないからこその『傲慢』なのだから」
「よくわかってるじゃねーか。なら、もういいな」
 くるりと背中を向け、逃げ出すように歩き出す青年。その幅広な背中に、少女は凛とした声を響かせる。
「変わらぬ者はないわ。永遠に変わらないとさえ思えた私たちでさえ、ここまで変化したのだから」
 ぴたりと足を止めた青年。振り向く事はせず、はっきりと返す。
「変化は恐れちゃいねえ。俺様は、常に俺様のためだけに動くだけだ」
「どうかしらね?」
 それ以上は何も言わず、青年は闇夜の中に姿を消した。見送った少女たちは、深々と息を吐く。
「素直じゃないわねぇ、あいつ。だから嫌いよ」
「彼も戸惑っているのかもしれないわね。私たちに起きた劇的なまでの変化に」
 殺し合う仲から、馴れ合う仲に。
 両極端とさえ言える変化に、すぐさま慣れる事というわけにはいかない。平然としているこの夜空色の死導者の方が、よほど変わっているのだろう。
「大きな変革は、すでに訪れた後。これから、私たちは徐々に溶け込んでいくのでしょうね」
「そーなのかしらねぇ」
 平和な住宅街から、少女たちはゆらりと姿を消す。
 いつもと同じように、いつもとは違う道を目指して。
 チリン――



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