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のそのそと帰り支度をしていると、寂しい部屋に電子音が響いた。 テルはポケットから携帯電話を取り出すと、画面を見ながら操作する。 「あれ?」 「どうかしたの」 テルは黙って画面をあたしに向けた。アンジェラと一緒に、その画面を見る。 差出人の名前は、若菜。文面は、まるで事務的な連絡のように簡素なもの。 『今日の夜、部室に来て下さい。一階東の教室の窓を開けておきます』 本当にそれだけ。件名すらなく、絵文字なんかもない。 「何かしらね、わざわざ夜の学校に呼び出すなんて」 「そりゃ、さっきの話の続きだろうけど」 「でも、それを学校でする必要ってある?」 聞くと、テルは肩をすくめた。 アンジェラを振り返る。幼い姿の主は窓の外をじっと見つめたまま、 「雨が降りそうね」 一言、そう告げた。 空は、どんよりと分厚い雲が覆っていた。 夜になると、テルは傘を手に家を抜け出した。それに、あたしたちも同行する。すっかりお馴染みって感じね。 学校の門は当然ながら閉まっていた。あたしが手を貸し、テルを中に入れる。 指示された窓は、確かに開いていた。そこから侵入し、あたしたちは部室に辿り着く。中からは、ロウソクのような薄明かりが漏れていた。 「入るよ」 テルは声をかけ、扉を開いた。 部屋の中は薄暗かった。机の上にロウソクが一本。明かりはそれだけ。そして、窓際のところに、若菜が立っていた。暗いせいで、表情は見えない。 「若菜、こんな時間にどうしたんだ? しかも、なんで学校?」 「ここがちょうどよかったんです。準備する時間もたっぷりありましたし」 「準備?」 ゆらゆらと炎が揺れる。それが、なんとなく不安を煽る。 「ケイ。気をつけて」 「え?」 横を見ると、アンジェラは真剣な面持ちだった。その頭上では、エルも警戒するように耳をぴくぴくさせている。 「アンジェラ、何? どういう事?」 「彼女。禁忌に手を出してしまっている」 「キンキ?」 訳がわからないまま、あたしは若菜を見た。昼間と比べて、特に違ったところがあるようには……? 「あら?」 若菜には、違いがない。けどその足元。 そこに、何かが横たわっていた。人みたいな形だけど、それにしてはちょっと小さいし、どこかいびつにも見える。 テルもそれに気づいたらしい。じっと見つめ、いきなり何かを思い出したように、ハッと表情を変える。 「まさか、若菜、カバラの秘術を?」 「さすがテル先輩。古今東西の術式を知るオカルトマニア。見ただけで理解するなんてやりますね」 カバラの秘術? どっかで聞いたような? 考えて、ああ、と思い出す。そういえば、テルが読んでいた本がそんな内容だった。 「アンジェラ、カバラの秘術って何?」 「カバラは、ユダヤ教に基づく神秘主義思想の事よ。ユダヤ教の律法を守り、神からその真意を学ぶ、という考え方。 その思想は、行き過ぎた結果を生んだ。神の真意を読み違え、自らが完全な存在にならなければいけないと考えた一部の者が、神の最初の奇跡を真似たの。それが、カバラの秘術」 最初の奇跡? それが、あの人の形をした泥みたいなもの? 「若菜。それは人間が使う技術じゃない」 「先輩には、わかりません」 若菜はポケットから何かを取り出し、それを人形みたいな泥に貼り付けた。 次の、瞬間。 「――え?」 泥が、うねうねと動き出す。やがてそれは人の形となり、むくりと起き上がった。 「これが、カバラの秘術」 「……旧約聖書、創世記。神は最初にこの世界を作り、生物たちを作り、そして塵から男を、その骨から女を作り出した。その模倣こそが、カバラの秘術。通称、『エメト・ゴーレム』」 「泥に呪符で人間の魂を縛りつけ、簡単な命令を受けつける人形を作る技術。発動させるだけならば、退魔師ならばそれほど難しい事ではないけれど、そのあまりの人間性に外れた点から、誰も使わない禁忌」 「人間が神様の技術を完全にコピーする事は不可能だ。存在そのものが不安定なゴーレムは暴走しやすく、暴走したゴーレムは人間の手に負えない」 アンジェラとテルの説明が、耳に入ってくる。 つまり、これは、死人の入った人形って事? 「テル先輩なら、きっとこれを倒す方法も知ってますよね」 「額に張られたエメトの札。この最初の文字を切り離し、死を意味する別の単語にすればいい」 「正解です」 ぱちぱち、と手を叩き、若菜は続けた。 「けど、先輩にこの子は殺せません。だって、この子は、先輩が待ち望んでいた相手なんだから」 「……?」 「わかりませんか。秋菜です」 刹那、テルの瞳が大きく見開かれた。すぐに元の表情に戻るような、微細な変化だったけど。 「秋菜は死んだ。君の友達は、もういないんだ」 「いえ、秋菜はここにいます。こうして、新しい生を得て蘇りました」 泥の塊は、ふらふらと頼りなげな足取りで歩いてくる。うつろな目をあたしたちに向け、ぼそぼそと何かを呟く。 「て、る、にい――?」 テル兄。 彼女は、兄を呼んでいた。 「先輩が死ぬって聞いて、ショックでした。けど、いつまでも泣いているってのは性に合いません。そこで、自分に何ができるのか、それを考えてみたんです。結論は、これです」 若菜は手を広げ、まるで素晴らしいものを紹介するかのような口調で語り続ける。 「先輩は、ただ秋菜に会いたいという、それだけのためにオカルトの勉強を始めました。英語やフランス語や、たくさんの言語を学びました。そんな先輩が、少しだけ、好きでした」 「若菜……」 「けど、先輩は死んでしまう。なら、せめてその前に、秋菜に会わせたい。そして」 愛情に満ちた表情は、一転、狂気に満ちた表情に変わる。 「先輩の死が避けられないなら、その死すら越えるまで。ゴーレムは、その答えです」 「そう、か。残念だよ、若菜」 テルは無造作にゴーレムに近づいていく。って、危ないでしょ! 止めようとしたあたしの手を、誰かが引いた。振り返ると、アンジェラが首を横に振っていた。 「死は、越えるものじゃない。越えられるものじゃない。受け入れるものだ。オカルトは、そのためにあるべきなんだ」 ゴーレムに触れたテルは、辛そうに顔を歪める。 「こんな、命をおもちゃにするような事だけは、絶対にしちゃいけないんだ」 ガッと札をつかむと、テルは一気に引きはがそうとする。 ほとんど同時に、あたしの横を、黒い影が通り過ぎた。 チリン―― テルの姿が消え、かと思いきや、部屋の隅にアンジェラと共に現われる。そして、テルがいた空間を、ゴーレムの腕が切り裂いた。 「ここから先は、私たちがやるわ」 え? 何? 状況が読めない。 あたしと同じように、現状が理解できていない人が、この場にもうひとりだけいた。 「な、誰?」 若菜に向かい、アンジェラは名乗る。 「私は、死導者。死を導く者。同時に、生を愚弄する者の敵でもあるわ」 すっと、アンジェラの目が細くなる。それだけで、威圧感がはるかに増した。はたから見ているあたしすら背筋が寒くなるような。 「簡潔に言えば、貴女の敵よ」 アンジェラはテルから離れると、ゴーレムに向かい合った。 「いい加減、芝居はやめたらどうかしら? 喜劇にしては悪趣味だわ」 「わ、かる、か」 ゴーレムの問いかけ。対するアンジェラは、 チリン―― 剣を握り、それでゴーレムを指し示す。 「退魔師ならば、ゴーレムを作る事そのものは難しくない。けれど、たった数時間で準備を済ませ、ゴーレムを完成させる事なんてできやしない。まして、それが一般人の作った、何年も前に死亡した人間の魂を入れたゴーレムとなれば、不可能」 その時になって、初めて気がついた。 今のゴーレムが持つ気配。あたしは、これを知っている。 「となれば、普通の人間にすぎない彼女をそそのかし、ゴーレムを作らせた者がいるという事になるわ。そんな事をするのは、限られている」 これは、変魂の気配だ! 「生に仇なす存在。私は、絶対に貴女という存在を認めない」 「だか、ら、どう、し、た」 「こうするわ」 ひゅっと宝剣が閃き、ゴーレムの体の一部を斬り飛ばした。 すると、床に落ちたはずの泥が、ずず、と額の札の周りに集まっていく。 「わ、たし、は、ちか、らが、つ、づく、かぎ、り、さい、せ、い、しつづけ、る。ふだを、きず、つけ、れない、おまえ、たち、に、かちめ、ない」 「どうかしらね?」 ゴーレムは泥にまみれた腕を振り上げた。ぽたぽたと、何かが垂れ続ける。 「ケイ。殺していいわ」 「……了解ッ!」 あたしには、難しい事はわからない。ゴーレムってのも、若菜って子の屈折した感情も。 あたしにできる事は、ただひとつ。目の前の、アンジェラの敵を斬り殺す事だけ! 「ハアッ!」 気迫を込めて、あたしは握りを取り出して刃を生み出し、そのまま剣を振るった。ゴーレムの腕が飛び、床に落ちて泥に戻った。 「相手が悪かったわね。普通の退魔師ならば、再生し続ける貴女のような存在は厄介だったと思うわ。けれど、ケイは違う。ケイに殺せないものはない」 「な、んだ、これ、は……。から、だが、く、ずれ、る……!」 ゴーレムはどこか慌てた調子であたしに向き直り、迫ってきた。けれど、泥の体のせいか、その動きはひどく鈍い。 「神様の技術、か」 本当にそんなものが存在するのか、あたしにはわからない。興味もない。 今のあたしにとって大切な事。それは、目の前に敵がいるという、それだけ。 「終わらせてあげるわよ。あたしの刃は――」 一気にゴーレムに接近し、剣を振り上げる。 「神様だって悪魔だって殺せるんだから」 真っ直ぐ振り下ろした刃はゴーレムの体を両断する。 切り離された泥は、二度と戻る事はなかった。 朝日が目に入った途端、あたしは眩しさに思わず目を閉じた。夜中に降った雨は、いつの間にかやんでいた。 「いいの? あの子、放っておいて。またやらかすかもしれないわよ?」 「その点に関しては大丈夫よ。彼女には本来、ゴーレムを作り出すほどの技術はない。あれは、変魂が実体化するために彼女の知識と力を利用しただけよ」 「……それに、若菜は大丈夫だよ」 テルは朝日を見つめながら言う。屋上が、金色に染まっていく。 「いつか若菜も死を受け入れられる日が来るさ」 「その根拠はどこにあるのよ」 「ない」 きっぱり言われても困るんだけど。 「けど」 「けど?」 「あいつは、ボクの後輩だからね」 言って、テルは座ると、屋上のフェンスに寄りかかった。 「死に場所が、ここでよかった。こんな綺麗な景色の真ん中で死ねるなら、本望だ」 目を閉じたテル。すぐさま、彼は寝息を立てた。その顔は、とても安らかに見える。 チリン―― アンジェラは剣を構え、テルの胸を指した。 「おやすみなさい。次なる生は、貴方の願いが叶うといいわね」 そのまま、剣を刺し込む。 テルの体が淡い光に包まれ、やがて動かなくなった。 「もう。またいなくなったー!」 テルを導いて、数日後。アンジェラはお約束のように姿を消した。本当に、気まぐれすぎるご主人様よね。 「もう、どこ行ったのよ」 ぶつぶつと文句を言いながら歩いていると、ふと、本を読みながら歩いている女の子の姿が目に入った。 「あ、若菜」 気になったあたしは、幽体のままで若菜に近づいてみた。そっと、後ろから読んでいる本を覗きこむ。 それは、日本語の本だった。年表の横にその年に起きた事が書いてある。同時に、小さな声で呟く若菜の声も聞こえてきた。 「えーと、クリミア戦争は――何年だっけ?」 あたしの頬が、思わず笑みを形作った。 それで、いい。普通の人間は、オカルトなんて関係すべきじゃない。 今すぐは、難しいかもしれないけど。 「いつか、受け入れてあげてね」 すると、まるであたしの声が聞こえていたかのように、若菜は振り向いた。そして、何が楽しいのか、くすりと笑う。 「大丈夫です。テル先輩、秋菜」 言い残し、立ち去っていく彼女。 その後姿を眺めてから、あたしはアンジェラ探しのために、空に飛び出した。 闇夜の中を、溶け込みそうな少女が歩いている。と、その前に、闇を切り裂くような桜色の少女が立ちはだかった。その途端、夜空色の少女が表情を歪める。まるで、いたずらが見つかった子供のように。 「アーンージェーラー?」 「ご、ごめんなさい……」 消え入りそうな声で言った少女に、桜色の少女はため息を漏らす。 「どっかに行くなとは言わないから、あたしも連れてってよね。いつもいつもいつでも言ってるような気がするけど」 「そうだったかしら?」 「そうよ」 ピシャリと言い切られ、死導者は眉を下げた。 「あ、そういえば」 桜色の少女は、先刻の話をした。つい数日前、彼女たちが戦った相手の事を。 「そう……」 聞き終えた夜空色の死導者は呟き、笑みを浮かべた。 「彼女も、少しずつ死を受け入れているのね」 「うん。きっと、そういうものなのよね。死なんて大層なもの、簡単には受け入れられない。少しずつ、ちょっとずつ、何年もかけて理解し、受け入れるものなんだって」 「――愛する者を失えば、誰だって悲しい。それは特別な事でもない。ただ、それだけの事なのね」 「きゅ」 頷く獣。少女たちは笑みを浮かべたまま、並んで歩き出す。 「次は、どこに行くの?」 「どこか。私たちが必要となるであろう人のいるところに」 「はいな」 そうして、少女たちの影は闇に消えていく。最初から、闇そのものであったかのように。 チリン―― |