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夜中になって、オレは目を覚ました。しばらく寝返りを打っていたが、どうにも眠れる気配がない。 仕方なく起きたオレは、他の連中を起こさないようにして、そっと車の外に出た。 夜中の学校は、見上げるだけで不気味だ。行く当てもないまま、オレはふらふらと木造校舎に向かった。 ベースに入ると、機器類はきちんと動いていた。モニターの明かりだけが部屋を照らしている。むしろそれが少し眩しいくらいだ。 「ふう、ん」 モニターに映る暗視画像は、やはり何も映していない。ただの廊下や教室だ。これじゃあ、どうにもならない。 ふと顔を上げると、窓際に誰かが立っていた。……ありゃ、知り合いだ。 「こんな夜中に、どうしたの」 「そりゃこっちの台詞だ」 窓際で、月明かりの中に溶け込んでしまいそうなその姿。夜空色のワンピースに身を包む、死者とも異なる死者。 死導者。死を導く者。 字面からすると大層なもんだが、実際はそんなのよりもずっと優しい存在だ。人の事を考えていて、常に人を見守っている。そんな、神様みたいな子だ。 「どうしたんだ、アンジェラ。こんな時間に、こんなところで。車にゃ陽平と遠藤もいるぜ?」 「今の私は、彼らには会えないわ」 「……何かあったのか」 ふるふると首を振り、アンジェラは窓の外に目を向けた。 「公平。貴方はここで起きている事件を解決しに来たのでしょう?」 「ああ、そうだ。アンジェラ、お前、もしかして何か知っているんじゃないか?」 アンジェラの背中は、答えるつもりがないように見えた。オレも、無理に聞き出そうとは思わなかった。アンジェラが答えない時は、何か意味がある時だ。 「公平。少しだけ、待ってくれないかしら」 「待って欲しい? 除霊をか?」 こくんと頷く影。なんだ? アンジェラは何を知っている? 「ここにいる幽霊は、何を考えているんだ。何をしたいんだ?」 「それは、話せない。彼がそれを望まないもの」 「そいつは無理がある。理由は話せない、けど待ってくれってんじゃな」 「道理ね」 でも譲れない。アンジェラの放つ空気が、そう語っていた。 オレはため息をつき、 「じゃあ、せめてどのくらい待って欲しいか、それくらいは言えないのか」 「三日よ」 「三日、か。それだけ経つと何が起きるんだ?」 「単なる心の問題よ。彼がその日を待っているというだけ。ただ、それまではここに入らない方がいいと思うわ」 「その理由も話せないのか」 「ええ。けれど、危険だから、とは言えるわ」 危険? この建物がか? そりゃ、見た目には今にも崩れそうな勢いはあるが、天野の検査によりゃあ建物そのものは歪みなんかがない、丈夫なものらしい。 今にも壊れそうな建物なら、天野の調査でわかっているはずだ。それなら机が勝手に動いた件についても説明できるし、そもそも学校側だってオレたちみたいな連中を呼んだりはしないだろう。 「どうにも歯切れが悪いな、どういう事なんだ」 「死者が願っているの。ほんの少しの時、ここをそっとしておいて欲しいと。それまでは私が責任を持って見守る。だから、貴方たちにも、そっとしておいて欲しいの」 言って、アンジェラは本当に小さな笑みを浮かべた。 「こんな事を貴方に言った事が知れたら、怒られてしまうかもしれないわね」 「そんなに気難しいのか、ここの霊は」 「ええ。とっても」 アンジェラは締めくくるように、言った。 「私の、そして、彼の願いを伝えて。紅葉や陽平なら、きっとわかってくれると、信じているわ」 チリン―― 微かな鈴の音色と共に、アンジェラは姿を消した。 残されたオレは、薄暗い部屋で光るモニターを眺めながら、ぽつりと呟いた。 「願い、か」 それは、どんなものなだろうな。 「調査中断、ね」 オレの提案に、予想通りと言うべきか、天野は渋い顔をした。 「その、アンジェラって子の意見は信頼できるわけ?」 「オレは信じていいと思うぜ。あいつはオレたちより死者に詳しい。つーかそのものだからな」 天野は陽平と遠藤に視線を向けた。意見を促されたふたりは顔を見合わせ、 「兄さん。そのアンジェラは本物だったのか?」 「は?」 「仮に、この木造校舎に巣くう霊がいたとして、そいつが兄さんを騙そうとしたとは考えられないか。自分の目的を果たすために」 そう言われて思い出してみると、あれが間違いなくアンジェラであったと証明する事はできない。部屋は薄暗かったし、顔だって月明りの中でぼんやりと見ただけだ。特殊な霊は人間に幻影を見せる事もできる。あれがそうではないと、言い切る事はできるか? 「アンジェラの言う事ならば、私も反対はしない。だが、そのアンジェラが曖昧というのでは、到底、従えるものではない」 オレは答えられなかった。確実な証拠がない。 助けを求め、オレは遠藤を見た。遠藤は迷ったように視線を踊らせ、 「天野さん。この校舎で死者が出た事はあるんですか?」 遠藤の突然の質問に、天野は怪訝な顔をした。 「まあ、校長たちが調査を依頼するくらいだからね。色々とやましいとこはあるみたいよ。えーと、どれだったかな」 天野は書類の中から、レポート用紙を取り出した。 「木造校舎で出た死者は三名。二人は自殺、一人は事故。 自殺組は心中ね。生徒同士のカップルが結婚を反対され、思い余って自殺。事故の方は、階段から落ちたみたい。打ち所が悪くてご臨終」 「死亡日時は?」 「カップルは去年の三月の中旬。事故は一昨年の七月の最初。三日後とは特に関連なしね。立て続けに事件が起きたから、そろそろ壊そうって話になったらしいけど」 遠藤の言わんとする事はわかる。要するに、死者がその日にこだわる理由を調査したいっていうんだろう。 「んー、そうだねぇ」 席を立った天野は、オレたちをぐるりと見回し、言った。 「なら、まずはこの事故死した生徒について調べる、って事でどう? 休暇中だから全員に話を聞くってわけにはいかないけど、何人かには話を聞けるはずだから」 「すまね」 天野はニッと頬を吊り上げ、 「ほにゃらば、さっさと始めましょか」 明るく言い放った。 生徒の調査に二日もかかっちまった。理由は簡単で、情報が極端にないのだ。 なにせ、生徒は夏休みで学校にいない。先生はたった三ヶ月しか学校にいなかった生徒について詳しく知っているはずもない。仕方なく、わざわざ家に電話するなんていう非効率的な方法を選ぶしかなかったわけだ。 しかも、死亡した生徒がどうしてその日を指定したのか、よくわからなかった。 残りは、一日。それならばという事で、夜中まで待つ事になった。 時間は、やけに長く感じられた。天野はなにやら調査を続けていたらしいが、オレは何もする事がない。ただただ過ぎる時間を見守り続けた。 夜になり、軽い夕食も終え、ベースで待ち続ける。天野はどっか行っちまって、部屋には三人だけだった。 「本当に何か起きるんだろうね?」 「さあな」 壁の時計を見ると、時間は十一時を回ったところだった。あと一時間もせずに、約束の日になる。その時になったら、何か起きるんだろうか? 「そういえば、アンジェラはここにいない方がいいって言ったんですよね。いいんですか? 僕ら、ベースにいて」 「外にいた方がいいだろうが、天野がいないのにどっか行くわけにもいかねーだろ」 などと言っていると、廊下の方を駆ける足音が聞こえてきた。目を向けると、扉が勢いよく開き、天野が顔を見せた。 「おーう、天野。どこ行ってたんだ?」 「学校周辺での聞き込み。みんな、機材を外に出して。急いで!」 「あ? なんだよ、いきなり」 「早くしろ! 時間がないの!」 天野の形相は本物で、必死だった。ノーパソのコードを引き抜き、いくらかの機材と共に外に持ち出す。 オレたちは顔を見合わせ、訳がわからないまま、腰を上げた。 機材の持ち出しは、なんとか十二時になる前に終わった。急いだせいで、息もたえだえといった状態だ。 「な、なんなんだよ、いきなりさ……」 「ん、ちょっと、調査、時間かかっちゃって……」 答える天野も息が荒い。 天野は額の汗をぬぐい、 「実はね、アタシ、近くで水脈調査をしてきたの。そしたら、この学校、かなり大きめの水脈の上にあるらしいのね」 「それがどうしたんだよ?」 「あちこち探して、ようやく井戸を見つけたんだけど。その井戸は、枯れてた」 「――つまり、学校の地下は空間があるって事か」 天野はこくんと頷いた。 「けれど、校舎は水平という話ではありませんでしたか」 「水平だよ。いや、水平だった、と言うべきかな」 「どういう事です?」 「ああいう事」 天野が指差した瞬間、時間は、零時になった。 途端、校舎が揺れた。ぐらりと揺れた校舎は、轟音と共に、崩れていく。砂埃が建物を覆い尽くした。 誰も、何も言えなかった。突然の出来事に、脳みそが追いつかない。そんなオレたちの耳に、天野の言葉が届く。 「あの建物は、もともと、いつ倒壊してもおかしくなかったんだね。校長たちが最初に入った時の揺れ、あれは建物がひずんで生まれたものだったんだ。それでも今まで耐えてきたのは、彼が守っていたからなんだと思う」 その時には、すでにオレたちにもそいつの姿が見えていた。 校舎の方から姿を現したのは、学生服に身を包んだ霊体だった。どこといって特徴のない、ごく普通の少年に見える。 「君が、この校舎に巣くっていた霊なのか?」 陽平が声をかけると、霊はうつろな目を向けた。顔は陽平の方を向いているが、見てはいないといった感じだった。 「無理よ。彼にはもう、何の意志も力も残っていないわ」 チリン―― 少年の後ろから、闇に紛れそうな姿が現われた。アンジェラだ。 「アンジェラ。どういう事なんだ」 聞くと、アンジェラは顔を伏せた。 「彼は、学校を守るためだけに変魂になり、力を使い続けた。とはいえ、霊に過ぎない彼が校舎などという巨大なものを保ち続けるのは限度がある。彼はひたすらに校舎だけを守り続け、そして、全てを使い果たしてしまった。今は、もう抜け殻に等しいわ」 「そこまでして、彼が守りたいと思ったものって?」 アンジェラは顔を上げると、木造校舎に目をやった。埃も晴れた今は、ただの残骸の山だが。 「彼は、この校舎が好きだったそうよ。現代の都会においては珍しい木造の建物。この学校に入学を決めたのも、この校舎があったからみたいね」 「好きだから――? たったそれだけの理由で、守り続けたのか?」 「死した彼にとっては、それが全てだったようね」 命さえなかったこいつには、他にできる事は何もなかったってわけか。 「除霊を嫌がったのはどうしてなんだ。それだけの力を持つ霊には関係ないだろ」 「除霊される事はどうでもよかったようね。ただ、除霊したとなって、建物の取り壊しが始まる事を恐れただけらしいわ」 なるほど、と思った。要するに、除霊されるとかされないではなく、建物の存続の方が大事だったってわけか。 だが、まだひとつ、解せない事がある。 「なら、どうして今日まで待たせたんだ。今日がなんだってんだ?」 「限界だった、という事もあるけれど。それが、彼の約束というのもあるわ」 「約束? 誰と?」 アンジェラはちらりと少年に目を向けた。少年は、特に反応するでもなく、あらぬ方向に目を向け続けている。 「入学してすぐ、彼には恋人ができたらしいわ。そして、彼は恋人と約束をした。三年の七月、彼の誕生日にまだお互いがお互いを好き合っていたら、その時は――ここで、結婚をしようと」 日本で結婚できるのは、男が満十八歳、女が満十六歳になった時。つまり、少年の誕生日を迎えた時点が最速って事になるわけか。 「でも、途中で彼は死んでしまった、というわけか」 不幸な話だ。死んだ後も、こいつは全てを捧げて校舎を、告白の場所を守りたかったってわけか。 「……そして、その彼女は、来なかったんだね」 遠藤の呟きは、悲哀をまとっていた。少年に同情しているんだろうか。 「来るわきゃないね」 肩をすくめたのは、天野だった。 「どういう事ですか?」 「どういうもそういうも、その女の子は死んじゃってるんだから」 「死んでいる? どうしてですか?」 「言ったでしょ。カップルが心中したって。その女の子の方が、彼の恋人よ。……言わなかったけど」 むしろ、言えなかったってのが正しいところだろう。恋人が死んだ途端、アンジェラの話によれば結婚の約束さえした彼氏なのに、別の彼氏に乗り換え、あげく、自殺しちまったんだから。 「気づいてなかったのか。その事に」 「知っていたでしょうね。彼も。それでも、信じていたのだと思うわ。霊体になった時、彼のところに戻ってきてくれると」 信じて、ボロボロになって、結局は報われなくて。 それが、この少年の末路、ってわけか。 「ひでー話だ」 「でも、事実だ」 ……やりきれねぇ。 心の底から、そう思う。救いが何もない。 「兄さん」 「わーかってるよ」 必要以上に霊に同情してはならない。それが、オレたちだ。 霊はこの世にいてはならないもの。そんな連中に同情したって、ろくな事はない。 それは、わかってる。わかっちゃいる、けど。 「やっぱ、やりきれねーよなぁ」 空を見上げても、月は見当たらなかった。 なんとなく。月までもが、少年に同情しているような。そんな気がした。 チリン―― 夜を支配していた闇が消え、朝日が世界を明るく照らす。 「朝だねぇ」 どこか疲れのにじんだ声で、女性は言う。 「結局、一睡もしてねーな」 「あの状況でゆっくりと眠れる方がどうかしている」 兄弟は仲良く肩を並べ、湯気の立ち上る紙コップを手にしている。 そして。崩れ落ちた校舎のそばには、ひとりの青年が立っていた。そのかたわらには、少女の姿もある。 チリン―― 風が、少女の腕の鈴を揺らす。 「僕、何もできなかった」 「貴方に非はないわ」 「うん、わかってる。でも、ちょっとだけ、悔しいな」 青年は自分の手を見つめた。彼の手は、あらゆる常識に反した力を持っている。 「僕、少し調子に乗っていたのかもしれない。僕の力は特別で、他の人にはできない事ができて。そのせいで、なんでもできるって勘違いしていたのかも」 「――貴方は私や退魔師にはできない事ができるわ。けれど、全てを救えるわけではないし、できない事もたくさんある」 「うん。僕は、それを忘れていたような気がする」 呟くように言った青年の背中には、後悔の色があった。 そんな背中に、ぽん、と手が置かれる。青年が振り向くと、女性がにこやかに笑っていた。 「遠藤君、君さ、バイトしない?」 「バイトですか?」 「そ。ウチ、アタシひとりだから事務の手が足りなくってさ。それに君、霊が見えるみたいじゃない。そういう人が助手に欲しいなって思ってたところなのよ」 「でも、僕も学校や他のバイトがありますし」 「今すぐじゃなくてもいいよ。それに、たまにでもいい。ま、気が向いたら連絡してよ。これ、アタシの名刺だから」 そう言って女性は強引にカードを渡すと、そのまま軽い足取りで車の方に向かった。 青年は手の内のカードに視線を落とし、 「アンジェラ。僕、救えるかな」 「もちろん。私も、貴方に救われたわ」 「そうかな」 死者に未来はない。物語は閉じており、語られる続きは存在しない。 けれど、生者には未来がある。無限の物語が存在し、白紙のページには好きな世界を描く事ができる。 「幽霊調査、か」 青年にもまた、新たな可能性が沸く。 朝日の中、希望を持つ青年の横顔を見つめ、少女は柔らかに微笑んだ。 「絶望するには、まだ、早い」 そうでしょう、と口の中だけで唱えた少女は、空を見上げた。 遠く、天空に消えた光球を追って。 チリン―― |