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それから数日の間、ぼくと愛は内偵を続けた。 家の中にある武器となりうるものの数。信者の数、メンバー、性格。教団員の持つ能力、その他。 だいたいの情報が集まった頃、軽い事件が起きた。 ぼくが台所のテーブルを拭いていると、ガチャン、と何かが割れる音が聞こえた。見れば、信者のひとり――三十前くらいの女性の前で皿が割れていた。女性信者の指から赤い血が流れている。 「どうしましたか」 音を聞きつけたのか、藤川と教団員がやって来た。床に目をやり、 「ああ、お皿なら気にしなくて構いません。それよりも、錦織さん、怪我はありませんか」 「ああ、あの、はい、指を少し……」 「見せて下さい」 藤川は女性の手を取ると、傷口に指を押し当てた。 「……へえ」 思わず声が漏れた。 藤川の指先に生が集まる。それにつれ、傷口が塞がっていった。 「これでよし、と」 藤川が手を離した頃には、傷は跡形もなかった。 女性はしばらく自分の指を信じられないもののように眺めていた。やがて、ハッと我に返り、 「ありがとうございます! 教主様!」 「いいのですよ。私の力は、こういう時のためにあるのですから。さ、他の皆さんが怪我をする前に、片付けてしまいましょう。アルフォンス君、手伝って下さい」 「はい」 皿の片づけをしながら思う。 こいつの能力は、本物だ。具体的に何をしたのかはよくわからなかったけど、確かに傷が治った事は間違いない。 そして。それは、常人にはできない事。できては、いけない事なんだ。 ここ数日の藤川を見る限り、こいつが何かしら危険な事をしようとしているようには見えない。もっとも、ただの信者に尻尾を見せるようでは教主なんてやってられないだろうが。 だが、もし本当に、こいつが誰かを救うためだけに能力を使うなら。それは特に何の危険もない。むしろ、ぼくたちとは違い、褒められるべき行動だ。 なのに、ぼくたちは彼の能力を封じなきゃいけない。 ――なぜなら。 「決行しよう」 夕方、買出しのために愛と一緒に家を出たところで、ぼくは言った。プランはすでに練ってある。後はタイミングだけだった。 「とうとうですか」 愛の顔に、憂いの混じった緊張が走る。土壇場になって迷ったりはしないだろうが、それでも積極性には欠けるのだろう。 「わたしには、藤川は本当に平和を願っているように見えました。 「ぼくもだ」 「それでも、やらねばならないんですよね」 「当然だろう。その理由は、君も理解しているはずだ」 愛は苦笑を浮かべた。自嘲と言ってもいいかもしれない。 「これでは、どちらが悪党なのかわかりませんね」 「ぼくたちの行動は正義じゃない。誰かに蔑まれようとも、忌み嫌われようとも、ただ信念の通りにやる。それがぼくたちだ」 「アンフォーギブン、ですか」 「その通り」 誰も望んではいないのに、勝手に他人を想って、勝手に行動する。なんとも馬鹿げた話だ。 夜半、午前一時を回った頃。すでに救いの家の中は寝静まっているらしく、物音ひとつ聞こえやしない。 ぼくは手で合図し、家の中に侵入した。 すでに家の合鍵は作ってある。音を立てないように鍵を回して家の中に入ると、そっと中の様子をうかがった。 明かりをつけるわけにはいかない。そんなつまらない理由で見つかるわけにもいかない。 五人は上の階で眠っている。階段を使い、上の階へ。 上がったところで、ぼくは愛に目配せした。頷き、愛は静かに団員たちの部屋に入っていく。教団員を縛るのが愛の役目。教主を説得するのがぼくの役目だ。 愛が部屋に入った事を確認し、ぼくも教主の部屋に入った。 「いらっしゃい、アルフォンス君」 部屋に入った途端、声がした。 月明かりを背に受けながら、藤川がぼくの事を見つめていた。 「起きていたのか」 「なんとなく、君が来るような気がしましてね」 「……ぼくたちの正体に気づいていたのか」 「君たちが何者であるのかは、今もわかりませんよ。ただ、私の言葉を全面的に信じていない事はわかっていました」 はあ、とため息をついた藤川は、本当に疲れているように見えた。 「私と生活する事で、私が本当に世界中の事を考えていると伝わるのではないかと思っていたのですが。それも、難しかったようですね」 「いや。伝わったよ、多少は。まあ、あんたは争いを望んじゃない。そのくらいは、わかる」 「なら、どうして自ら争いを起こそうとするのですか。争いは何も生まない。苦しみと悲しみと痛みだけを与えて、何になると言うのですか」 「ぼくたちだって争いは望んじゃいないさ」 「なら、どうして!」 今度は、ぼくがため息をつく番だった。 「あんたの持っている力は、あんたが思う以上の存在だ。この世界に存在している事を気付かれてはならない。認めてはならない。ぼくたちの持つ能力というのは、そういう存在だ」 手を触れる事なく物を動かす。人間としてはありえない動作で動く。何もないところから炎を生み出し、氷を操り、死者を滅ぼす。 存在するはずのない力。人間の分を超えた力。 「あんたに選択肢を与える。ぼくたちの傘下に入るか、さもなくば――あんたの力が使えないようになってもらう」 「どちらもお断りします」 藤川は、きっぱりと言い放った。 「私の力は、皆のために使うよう、神様から与えられたものです。あなたたちのために使うものではない」 口の端を持ち上げ、藤川は続けた。 「今ならまだ間に合います。あなたも、下らない言葉に惑わされず、真に神様の声に耳を傾けなさい。そうすれば、神様はお許しになられる。この私が、神の名の下に宣言しましょう」 「ふん」 ぼくは右手に力を込めた。生を生み出し、それを握り締める。 「人の身で神の名前を語るな」 藤川の眉根が寄った。構わず、ぼくは足を前に出す。 「おこがましいにも程がある。ぼくらは何者にも許されちゃいないし、何者をも許さない。隣人を愛し罪を赦した神の子ほどに心は広くないのさ」 「君は……」 「神の御業を代行できるのは選ばれた者だけだ。そして、そんな人間は現代社会には存在しない。それでもぼくたちは勝手に行動する。魂を滅し、力を排除する」 体を低くし、一気に前に出た。藤川を押し倒し、押さえつける。藤川は抵抗したが、それを封殺するように、ぼくは押し固めた生で噛み付いた。 「故に、ぼくたちはこう呼ばれる。『Unforgiven』。赦されざる者だ。ぼくたちは、誰よりも罪深い、堕ちた存在なんだよ」 魂を殺す。それは最大の悪行。 ぼくたちは、それを行う。仮にそれが人間のためだとしても、それは罪だ。 ぼくたちはだいたい、ろくな死に方をしない。そして、おそらくは死んだ後も、地獄逝きが決定済みだろう。 それを、ぼくたちは覚悟している。罪を犯す以上、覚悟しなければならない。 「お前に、それだけの覚悟はあるか、藤川」 「アルフォンス君……」 「ぼくはアルフォンスじゃない」 月明かりの中。藤川は、顔をゆがませていた。 「ぼくの名前は、アルバート・ヘンリー・トールキン。イギリスの錬金術師だ」 藤川の額に手を当てる。藤川の生を感じ取り、それらを生み出す場所を見つけ出す。 ぼくは、どっかの誰かみたいに魂をいじくり回す力なんて持ち合わせていない。能力者から能力を奪うには、これしか方法がない。 「や、やめ――!」 「覚悟もないくせに力を語るな」 生に、生を流し込む。 ビクン、と藤川の体が跳ねた。それきり、動かなくなる。 ぼくは藤川の上から体を退けた。振り向くと、ちょうど愛が悲しげな表情のままに入ってきた。 「終わったよ」 「ええ」 藤川を見下ろす。最後に、ぼくの口から声が漏れた。 「救うってのは、上にいる人間だけができるんだ。堕ちた人間のやる事じゃない」 藤川は、何も答えられなかった。 愛のアパートの前で、ぼくは足を止めた。 「それじゃあ、ぼくはここで失礼するよ」 「休んでいかないのですか? もう遅いですし、あまり外を出歩かない方が」 「まあ、そうなんだけどね。今日は月も綺麗だし、少し外を散歩したい気分なんだ」 「……では、わたしも行きます」 「女の子をこんな遅くに出歩かせるわけにはいかないよ」 「今さら紳士のように振舞っても遅いですよ?」 「そうかな。それに、君には待ち人もいるようだし」 「待ち人?」 愛は首を傾げ、振り向いた。そして、そこで動きが止まる。 チリン―― 愛の部屋の前に、三人組が立っていた。少年と、少女がふたり。年齢もバラバラの、ちぐはぐな組み合わせだ。 「愛ー、もう飽きたぞ」 「ごめんねー。ベルゼブったら、あたしたちの話を聞かなくって。まあ、死導者が他人の話なんて聞くわけないんだけど」 とんとん、と少年が不満顔で降りてきた。 その後ろから、三人の中で最も長身な少女が顔の前で手刀を切りながら続く。桜色の着物を着た変わり者だ。 「やあ、久しぶりだね」 「あらま。アルバートじゃないの、こんなところでどうしたの?」 桜色の少女――ケイは、驚きながら、どこか警戒したような笑みを浮かべた。 「ぼくが愛の住居の近くにいるのがそんなに変かな? むしろ君たちがいる方がおかしいだろう」 「そりゃそうね。つっても、あたしたちは愛に頼まれたのよ? ベルゼブを押さえといて欲しいって」 愛を見ると、心なしか頬を染め、 「アルバート、こ、これはですね!」 「弁解しなくていいよ。ぼくは教会とは何の関係もないし、こいつらが悪じゃないという事も知っている」 チリン―― そのまま立ち去ろうとするぼくの前に、女の子が立った。 この中では最も幼い外見を持ち、反対に最も強い死者。死を狩る死導者、名を、アンジェラ。 「あなたは間違っていない」 「そりゃどうも」 「……けれど、正しいとも言い切れない」 「そんな事は百も承知さ。それでも、ぼくたちはやらなきゃいけない」 「誰のために?」 「人のため。そして、ぼくたちのため」 アンジェラは目を閉じると、そっとぼくの進路を開いた。開けた道を、ぼくは歩んでいく。 「じゃあな、愛。面倒な仕事は回さないでくれよ」 「検討しておきます」 検討、ね。 本当にやめて欲しいもんだ。こんな仕事は。 夜中の蝉が、やけに煩かった。 「ねー、アンジェラ。あいつ、何してたの?」 「さあ、何でしょうね」 「あー? 隠すの?」 「彼が望まないと思うだけよ」 少年の後姿を見守る死導者は、どこまでも悲しげだった。必死に涙を堪えているような印象さえ残る。 「赦されざる者。彼は、まさにその具現なのね」 「だから彼は、教会で最も有名になったんですよ」 少女たちがちらりと後ろを見ると、少年にのしかかられた退魔の少女が呟くように続けた。 「彼は誰よりも許さない。だから、誰にも許されない。認められたとしても。 それでも彼は挫けませんでした。常に修練を欠かさず、ひたすらに上を目指していました。――あるいは、下なのかもしれませんが」 「……何の話よ?」 答えず、今や完全に見えなくなった後姿を振り切るように、少女は反転した。 チリン―― 「私たちは行くわ」 「ええ。あの、ありがとうございました」 小さな笑みを残し、夜空色の少女は空に溶け込む。 桜色の少女もまた、軽く手を振り、その後を追った。 わだかまる闇の中。許されざる者は空を見上げる。 救いは、そこにない。 チリン―― |