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「どうしたのじゃ、工藤殿。元気がないぞ」 「あ、いや、なんでもないですよ」 口元をゆがめて笑顔らしきものを作ってみるが、うまくできた自信はない。 結局、あの子供は救急車で搬送されていった。日下部さんには、それがどれほどの緊急事態なのかわかっていない。 あの子供は、助かったのだろうか。そもそも、あの子に何が起きたんだ? 日下部さんの言う通り、オレたちは幽霊だ。幽霊の持つ刀が生きている人に何かできるとは思えない。 でも、あの子供の様子はただ事じゃなかった。何が起きたのかはわからない。わかっている事は、日下部さんが刀を振り下ろした事によって子供が倒れ、おそらくは深刻な状態になったんだろう、という事だ。 次は、止めなければいけない。オレの全力で。 オレには何の責任もないけど、そう思った。 「工藤殿? 本当に、どうしたのじゃ?」 「いえ。それより日下部さん、ちょっと刀を見せてくれませんか?」 「刀を?」 無意識にだろう、刀に手をやりながら、日下部さんは渋い表情をした。 「工藤殿、刀は男の魂じゃ。おいそれと渡すわけにはいかぬ」 「見せてくれるだけでいいんです。お願いします」 「ぬう……、工藤殿がそこまで言うのであれば、仕方あるまいな」 日下部さんは鞘ごと腰から引き抜くと、それをオレに手渡した。 オレは、鞘から少しだけ刀を引き抜いてみた。 刀身は赤とも黒とも言えない色に染まり、本当に禍々しいとしか表現のできない存在感を示している。 本当は、これを壊してしまうのが一番なんだろう。だけど、オレにはこれを壊せるとはとても思わなかった。たとえブルドーザーで踏み潰しても、プレス機で圧縮しても、機関銃で撃ち続けても、とても壊れるとは思えなかった。 かといって、どこかに隠しても無駄な気がする。まるで、これそのものが化物か何かのように見えた。 オレは刀を戻すと、日下部さんに渡した。 「日下部さん。この刀は、もう使わない方がいいと思うんです」 「この刀を使うな? なぜ?」 「さっきの子供を見たでしょう。この刀は、危険です」 「工藤殿、何を言うか! 時に人は力でもってわからせねばならぬ時もある! まして、ワシらは言葉を伝える手段を持っておらぬ! 力でわからせる他になかろう!」 「多少の力なら、オレも何も言いません。けど、こいつは危険すぎる」 オレは、気づいていた。日下部さんの目の色が徐々に狂気の色に変わっている事に。 それでも、言うのをやめるわけにはいかない。これ以上、こいつを使わせちゃいけない。 理屈じゃない、感覚だった。 「日下部さん。やっぱり、オレたちは成仏すべきです。死んだ人間が生きている人間をどうこうしようと考えちゃいけないんだ」 「まだそんな事を……。工藤殿、なぜわからぬのじゃ!」 「それは、こっちの台詞だ」 真剣に、瞳にさえ怒気をこめる。それだけで、日下部さんは足が半歩、退いた。 「日下部さん。あなたは見たはずだ。あなたの刀によって、子供が倒れた。救急車で運ばれたって事は、緊急に治療しなきゃいけないって事だ。 正直、オレにはどうしてああなったのか、よくわかってない。幽霊の刀で生きている人間がどうこうできるなんてのも、おかしな話だとは思う。けど!」 びくり、と日下部さんの肩が震えたのが目に見えた。 「実際に起きたんだ! そういう事が! なら、その事実を受け止めるべきだ! その刀は使っちゃいけない。魂ってんなら腰に差してればいいさ! でも、抜いてはいけない! それはそういう刀になっちまってるんだ!」 「ぐ……」 日下部さんの、刀を握る手が震える。 「きさ、ま、武人の魂を愚弄するか!」 「魂を愚弄してんのはどっちだ! 生きている人間より、死人の持ってる鉄の塊の方が大事だってのか!」 「貴様ぁ!」 日下部さんは、いや、日下部は刀を引き抜いた。生物のような剣が、じろりとオレをにらみつけたような気がした。 「ワシを誰だと思っている! 日下部忠継! 誇り高き武士ぞ!」 「だからどうした! 今のあんたは、ただの幽霊のおっさんだよ!」 日下部は両手で刀を握った。もはや、その目には殺意しかない。 「撤回しろ!」 「冗談じゃない! オレだって男だ! 引けない時もある!」 「ワシを、愚弄するのも! 大概にしろ!」 刀を振り上げ、日下部が迫る。 オレは丸腰だ。受けようもない。けど、かわす気は起きなかった。 赤黒い刀身がオレの真上に迫り、 チリン―― 突如、明後日の方向に吹き飛んだ。 「ありゃ?」 思わず、間抜けな声がもれた。何が起きたのか、オレにも、どうやら日下部にも理解できていないようだった。 「武人の魂、ねえ」 いきなりの声に、ギクリ、と背筋が震えた。振り返ると、女の子が呆れた眼差しでオレの後ろ――日下部を見ていた。 「やっすい魂ね? もう折れちゃったわよ」 見ると、いつの間にか例の刀身は女の子が持っていた。切断面からは、赤黒い煙が立ち上っている。 「き、貴様! ワシの刀を!?」 「折れる方が悪い」 女の子は、すっと右手を持ち上げた。 そこにあるのは光の刃。日下部の持っていた禍々しい刀と似ていて、しかし決定的に何かが違う。 壊す事は同じだけど、目的は違うような。そんな感じがする。 「これが魂ってのなら、とんだお笑い種ね。あんたの魂は、人を傷つける事しか考えてない、腐ったものになってるって事だもの」 「貴様……、貴様も、この日下部忠継を愚弄する気か!」 「あんたが何者かなんて聞いちゃいないし、知らないわよ。伝説的な英雄だって、死んだら怨霊になる。死人はね、いつまでもこの世に留まるべきじゃないの。死んだら、とっととあの世に逝かなきゃ」 一瞬、女の子の視線がゆらいだ。かげりさえ帯びたように思う。 「甘いぞッ!」 日下部はオレを突き飛ばし、女の子に斬りかかった。折れた刀で。 女の子は日下部の事を見もせず、ただ右手を閃かせた。 腕が、宙を舞った。 「あ?」 くるくると回転する、人の腕。それは、たった今まで、日下部の腕だったもの。 今はもう、ただの腕。 「あああああああああああああああああああああああ!?」 「うっさい」 女の子は小さく呟き、日下部を両断した。 その動作には、躊躇も情けも容赦もない。ただ、殺すという意志だけが存在しているように見えた。 体を裂かれた日下部は、苦悶の表情を浮かべ――そのまま、煙のように消えてしまった。 日下部が立っていたところに、割れた光の球のようなものが見えたのは、気のせいだったろうか。 女の子は何もなくなってしまった空間を見つめて軽く息を吐くと、オレの方に向き直った。 「あんた、カッコよかったわよ」 「あ?」 「いや、だからさ、フツーは死んでたってあんなに強く出らんないわよ? 刀を持った侍を前に、『あんたが間違ってる』なんてのは言えない。本能的にね。それができたあんたは、けっこーすごいのよ」 「い、いや、でも、オレは日下部に何もできなかったし……」 「そりゃ力がないからね。力がないのは仕方ないわよ。誰にだってあるものじゃないんだから。 大切なのは、力じゃない。正しい心を持っているかどうか、よ。力だけなら、団結すればいいんだもん。心は、団結したって手に入らない。自分で得ないとね」 言って、女の子はウインクしてみせた。 チリン―― 女の子は、ふと顔を上げた。オレもつられるように同じ方を見る。 そっちにも、女の子がいた。こっちは剣士の子よりもずっと幼い。小学生くらいだ。なのに、どこか達観したような、大人びた雰囲気がある。 「あの子供は助かったわ」 何の事か、と考え、それが日下部に斬られた子供の事と気づいた。 「かなり危険な状態だったようだけれど。後遺症も残らないでしょうね」 「そう、か。そりゃ、よかった」 安堵の息を吐いて、ふと思い出す。 「そういや、あんたら誰?」 「あたし? あたしは志野ケイ。死導者、言い換えればおばけの上等なもんよ。そっちはアンジェラ。ま、あたしの上司みたいなもんね」 「上司ぃ? この子供が?」 「霊体に外見的な年齢はあまり関係がない。ケイがさっき倒した侍も、年齢で言えば四百はゆうに越すと思うけれど?」 そりゃまあ、そうだけど。 アンジェラは日下部がいた空間に目をやり、 「彼は数百年前の退魔師に封じられた霊魂のようね。消滅を拒み、死を否定した結果、彼は悪霊と化した」 「その封印が、火事によって解けちまったって事か」 話だけ聞いていると、バカらしい話だ。だが、それら全てが事実だというんだから、現実ってのはわからない。 「貴方は、これからどうするつもり?」 「オレ?」 アンジェラはこくんと頷き、 「貴方はもう幾許かの間、存在する事もできるわ。消滅の時まで、緩やかに時を過ごす? それとも、今すぐにでも、終わらせてしまう?」 そんな問題、考えるまでもない。 オレは深く頷き、 「もちろん、オレはすぐにでも成仏するさ」 「聞いといてアレなだけどさー、後悔とかないの? 死んだら終わりよ?」 「死んだか死んでないかって言えば、オレはもう死んでるんだ。それに、あんたが言ったろ」 オレは、ケイにウインクし返してやった。 「『死人はいつまでもこの世に留まるべきじゃない』って。まさにその通りだと思うぜ。オレはもう死人なんだ。だから、さっさと死ななきゃいけない」 死人がのさばる世界は現実じゃない。 現実を生きるのは生きた人間だ。そのために、オレたちは邪魔なんだ。 「あんたらが送ってくれるの?」 「いいわよ」 チリン―― アンジェラは、どこからか宝剣を取り出した。日下部の刀とは、何もかもが対局にある。そんな剣だった。 「さようなら。貴方は、立派な魂を持っていたわ」 「ん。ありがとさん」 目を閉じたオレの胸を、暖かな感覚が抜けた。 これでようやく、オレも成仏できる。 ――さようなら。何もかも。 チリン―― 「しっかしさぁ、あんな年季の入った変魂、あたしは初めて見たわよ」 「そうね。あれほどの古い時代の変魂というのは珍しい。けれど、まったく存在しないわけでもないのよ?」 「そうなの?」 青い空の下を歩く夜空色の死導者は、こくりと頷く。 「彼のように封印されている者。人を襲わず、結果的に退魔師に見逃された者。うまく隠れ通している者。彼らに寿命という概念はないから、存在している事そのものは、おかしな事とは言えないわ」 「にゃるほどねー」 桜色の眷属は、木端を放り投げては、それを軽くキャッチしてみせる。 チリン―― 夜空色の死導者は、そんな部下を眺めながら歩いていた。 「じゃあさ、偉人の変魂ってのは? そっちは珍しいんじゃない?」 「よりけり、ね。人間が偉人と呼ぶような存在が変質した者も、私は何度か見たわ」 「えー? だって、そういう人って死ぬ事を恐れたりしないものじゃないの?」 「そういう人間だからこそ、という面もあるわ。強い意志と信念を持っていたからこそ、偉人たりえた。そんな人間が、死後に混乱し右往左往する人々を見て、安心して死んでいられると思う?」 「あ、そういう事。おちおち死んでもいられない、ってなわけね」 そりゃ大変だ、とばかりに、桜色の眷属はくすくすと笑った。 「ん? あの子、何か死にそうな顔してるわね」 ふと、桜色の少女は眼下を歩く少年に目を向けた。死導者もまた、同じように目を向ける。 「ちょっと、話を聞いてみましょうか」 「はいな! りょーかいりょーかい、っと」 少女たちは、今日も己の道を行く。 死者を殺し、生者を生かす道を。 チリン―― |