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恵美は強く地面を蹴ると、中空を舞う。 左手には鞘に収まった刀。右手には鹿のような生物を持ち、拠点へと向かう。 見上げる空は青い。空気は暑く、こうして風を切っていても汗が出てくる。もうすっかり真夏だ。 やがて、拠点の姿が見えてきた。 ホテルのあった場所は、崩れてしまったせいで、居住には向かない場所となってしまった。その代わりに選ばれたのは、拠点の程近くにあった私立高校だ。 今や、周辺の植物はだいぶ払われ、見渡しも良くなっている。 校庭に降り立った恵美は、自衛官たちに混じった野戦服姿の男を見つけた。 「やあ、葛原君。これから出発かい?」 「ああ? 恵美か。また狩りに出てたのかよ」 対物ライフルを肩に担いだ青年は、恵美を見て眉をひそめた。 「お前もいいかげん、おとなしくしてろよ。いくら大型種がいなくなったって言っても、生き残りがいたらどうするんだ」 「大丈夫だよ、なんとかなるって。それに、ボクは戦うくらいしか能がないから、こうしていないと落ち着かないんだよ」 「あー、へいへい。お前は十分にバカだって知ってるよ」 「むう」 葛原は神威が解散してから、ずっと自衛官たちに帯同し、異常成長した植物を開墾する役目を負っている。呪力保持者が一人でもいると、作業の効率は段違いだ。結果、ここの駐屯地は、他の場所などとは比べ物にならないペースで開拓を続けている。 「とにかく、あんまり遠くに行くんじゃねえぞ」 「はいはい、わかってるって」 額の汗を拭うと、恵美は再び大きくジャンプした。 適当な足場を踏み台に、高校と併設された難民キャンプに飛び降りる。周囲の人たちが軽くどよめく中、恵美は手に持っていた鹿を放り出した。 「ふう。いい汗かいた、っと」 「あの、恵美さん。驚くんで、普通に歩いてきてくれませんか」 「ん? ああ、井出君。ごめん」 両手に軍手をはめた井出が、恵美をにらんでいる。恵美は顔の前で手刀を切ると、井出がいじっていた機械を見やった。 「それがパワーなんとかってやつ?」 「パワードスーツです。それに、まだ試作品とさえ言えませんよ。これはただの補助機械です」 恵美の目には、ただの機械的な着ぐるみにしか見えない。だが、井出と博士は、二人でこの着ぐるみに呪力を持たせようとしているのだという。 恵美には理解できないが、頭の良い二人が言うからには、きっと可能なんだろう。 そんなことを考えていると、とうの本人――甲斐玲奈が姿を現した。 「ああ、恵美、こんなところにいたのか。アメリアが発狂していたぞ。また勝手にケモノ狩りに出かけたと騒いでいた」 「あー、そういえば言ってなかったかな?」 「とぼけるんじゃない。言ったらうるさいから、どうせ言わないで行ったのだろう」 「たはは、博士にはお見通しだね」 「まったく……」 あきれたように嘆息し、甲斐は井出に向き直る。 「井出、自衛隊からコンデンサをかっぱらってきたぞ」 「あ、すみません」 「これで溜められればいいんだがな。呪力を生身の体から抽出するのは難しくないんだが……」 「まあ簡単に保持できないのは予想していましたし、それさえ突破できれば、ほぼ完成だと思います。まずは方法論からですけど」 「そうだな、トライアンドエラーか」 恵美は横で二人の話を聞いていたが、さっぱり何を言っているのか理解できない。やはり、専門的な話に、自分が口出しをすべきではないのだろう。 恵美は鹿を非戦闘班に渡そうと、再び担ぎ上げる。そこで、声がかけられた。 「やあ、久しぶりだね、八雲恵美さん」 「うん?」 振り向くと、壮年の男性がこちらに手を振っていた。周囲には自衛官らしき男性が取り巻きのようについている。 「えーと、国見首相?」 「そうさ。君には会いたいと思っていたんだよ」 そう言った国見は、恵美が持っていた鹿に視線を落とす。 「それもあなたが狩ってきたのかい?」 「そうだけど」 「はっは、やはり君は強いんだね。君のおかげで世界は救われた。本当なら勲章モノなんだが、この情勢では、それもままならなくてね。世界が平和になった時には、必ずお渡しするよ」 「はあ、ありがとう……、ございます」 別段、勲章など欲しくもないのだが、他に言うこともなかった恵美は、そんな答えしか返せなかった。 にこやかな表情のまま、国見は甲斐を見やる。 「甲斐博士も、お久しぶりです。その節はお世話になりました」 「どのことを言っているのか知らんが、私はお前に用事などないぞ」 「これはこれは。そう邪険になさらず」 「どの口でそれを言うんだ」 にらむ甲斐に対し、国見はあくまで柔和な表情を崩さない。 「もしや、茅野君のことを? 彼のことは残念でした」 次の瞬間、甲斐は国見の胸ぐらをつかんでいた。慌てて後ろに控えていた自衛官が甲斐を引きはがそうとするが、国見はそれを手で制する。 「博士。あなたは職責のある社会人です。どうすべきか、ご存じかと思いますが」 「……国見。私は、決してお前を許さない」 「茅野君が失踪したのは、彼自身に起因するものです。私に責任を問いかけるのはお門違いだ」 「だが、お前は茅野の友人だった。茅野は失敗したかもしれない、だが、いつだってそれを取り戻すことだけを考えていた! それを、お前は……!」 「悠介さんのことも、守屋さんのことも、さらに言えば彼自身の犯した失敗も、全て私にはどうにもできないことでした。やつあたりは勘弁してもらえませんか」 「ふざけッ……!!」 拳を握りしめた甲斐は、けれど、それを振り上げることさえできなかった。 国見をつかんでいた手を放し、力なくうなだれる。 うめくことしかできない甲斐の代わり、恵美は国見に問いかける。 「あの、鳴海さんは?」 「ああ、彼女なら、今は入院中さ。気がふれてしまったようでね。もっとも、まともな病院などないから、危険なものがない場所でおとなしくしてもらっているだけだが」 「……彼女は、治るの?」 「さあ、わからないね。だが、彼女は優秀だった。私も、彼女には早くよくなってもらいたいと思うよ」 平然と言い、国見は襟を正す。 「それじゃあ、私は他の視察もあるので。みなさん、お元気で」 ゆうゆうと立ち去る国見の後姿を、甲斐はずっとにらんでいた。 「……博士、よくわからないけど、気にしない方がいいんじゃない?」 「ああ、わかっているさ」 答える甲斐の表情は、険しいままだった。 「じゃあ、僕はこれを菜々に届けてくるよ」 恵美は鹿を持ち上げると、非戦闘班の陣幕に足を運ぶ。 元神威の非戦闘班たちが構える天幕は、陣営の外れにある。いくつものテントが並び、さながらキャンプ場だ。 こちらはもともと一般人だった者たちが主なだけに、自衛隊たちとは違った活気がある。 その中に見知った顔を見つけ、恵美は歩み寄った。 「あ、恵美」 「やあ、菜々。鹿を狩ってきたよ」 「おー、また立派だね。ありがとー」 鹿を受け取った菜々は、大きなナイフを持ってくると、鹿の解体を始めた。 肉を裂くと、残った血があふれる。すでにある程度の血は抜いてあるが、それでも漏れてくる血は止まらない。 しかし菜々は気にせず、腱を切り、骨を割って、肉へと変えていく。 その様を見るともなく眺めていた恵美は、 「なんというか、菜々もたくましくなったよね」 「そう?」 手を休めず、菜々は応じる。 鹿だったものは、すでに鹿肉へと変わりつつあった。 「なんというか、学校にいた頃の菜々だったら、こんなにあっさりと解体なんかできなかったと思うよ」 「それは、まあ、そうかも。でも、このくらいで、きゃあきゃあって言ってられないし」 「だから、そういうのをたくましくなったって言うんだよ」 「それは否定できないかなー」 手早く鹿を解体した菜々は、切り取った鹿肉を手に、奥へと声をかける。 「アメリアー、氷くれるー?」 「はーい」 テントの中から返事が返ってきたかと思うと、すぐに金髪の少女が姿を現した。 「あ、エミ! また勝手に狩りに行ったでしょう! 何かあったらどうするのよ!」 「ごめんごめん。大丈夫だって、そんなに危ないことはないから」 「そんなの、わからないじゃない! ナナも、どうして何も言わないのよ!」 「うーん? まあ、恵美がそういう子だってわかってるし。止めても、どうせまたやるだろうしねー」 「だ、そうだよ。ほら、アメリアも諦めない?」 「諦めない! エミこそ、一人で行かないでっていつも言っているでしょう! あたしが一緒に行くわよ!」 「アメリアは忙しいじゃないか」 言って、恵美は空を見上げる。 抜けるような青空はどこまでも続いており、ムシムシと暑い気候はじっとしているだけで汗をかく。 すでに夏の最中。食べ物を保管しておくにも、あるいは純粋な熱気という意味でも、冷気なしには生活できない時期の只中だ。 その点、呪力で氷を生み出す能力があるアメリアは貴重だった。彼女ならば、食べ物を保管しておくための氷も、涼をとるための氷も、自分の力だけで生み出すことができる。そのため、彼女は近頃、あちこちで引っ張りだこだった。 「いくら忙しくても、あんたを一人で狩りに行かせるよりマシでしょう」 「そうは言ってもね。ボクはアメリアみたいに氷を生み出すことはできないし、井出君や博士のように頭が良いわけでもない。戦うくらいしか能がないんだから、ボクが狩りに行くのは当然じゃない?」 「そんな理屈を聞いているんじゃないわ。あたしは、あんたが心配だから……」 「あー、わかってるって。次から気をつけるよ」 「……もう、ちゃんとしてよ」 不満そうながらも、アメリアはそれで納得したのか、菜々から鹿肉を受け取って奥に戻って行った。 それを見送った恵美は、口元をほころばせる。 「うん? どうしたの、恵美。にやにやして」 「いや、よかったな、って思って」 「よかったって、何が?」 「アメリアも馴染んできたみたいじゃないか」 出会ったばかりの頃のような、突き刺さる雰囲気はなくなっていた。今の彼女は他の仲間たちとも挨拶を交わすし、こうして能力で仲間を助けたりもしている。 「アメリアも、未来に向かって歩き始めてくれたんだな、って」 「そんなの、恵美が友達になったからじゃない?」 「そうだといいんだけどね」 ぐっ、と背伸びした恵美は、もう一度、空を見上げた。 「……それでいいんだよね、兄さん」 答えが返ってくることはない。だが、恵美は、自分の中に答えを持っていた。 「さて、と。今日の夕飯はどうするの?」 「せっかくだし、鹿肉かなあ」 菜々と話しながら、恵美もまた、天幕の中に戻る。 空から降り注ぐ陽光は、徐々に赤く染まりつつあった。 程なく、世界は闇に沈むだろう。そして、また朝になる。 それだけは、今も昔も、何ひとつ変わってなどいない。 |