永田千代の巣は、実は、応接室の地下にあった。
 きっと、岡部正さんの頃から、そこには地下室があったんだろう。その入り口を、岡部邦夫さんは、建物で塞いだ。そして、真上にあたる部屋は応接室という名目にした。
 考えてみれば、岡部邦夫さんは、この屋敷に人を呼ぶなんてことは絶対に想定していなかった。なのに、応接室がある理由。
 邦夫さんは、『霊と応接する』部屋として、あの部屋を作ったんだ。だから、あの部屋にだけ、十字架が掲げられていた。
 所長によると、私の姿がいきなり消えて、慌てて応接室に飛び込んだんだという。すると、暖炉の前の床下から、何やら物音がする。慌てて仙田さんたちを呼び、バールやらを持ってきて、床板を引っぺがしたら、地下室への入り口を見つけたのだという。
 地下で気絶していた千早は、みんなで協力して引き上げ、彼女の部屋に運び込んだ。気絶した千早が目を覚ましたのは、翌朝だった。
 それまで私は、千早の部屋で過ごした。所長には止められたけど、あの女が何を言うのか、聞かずにはいられなかった。
 目を開いた千早は、ゆっくりと体を起こし、部屋を見渡し……、嘆息した。
「私、負けましたのね」
 それが、彼女が持つ万感の想いなのかもしれない。
 千早はゆっくりとベッドから降り、私を見た。
「永田千代は?」
「私が祓いました」
「そう。どうやって?」
「永田さんは、正さんに仕えていたんです。今でも。だから、正さんのいない場所に、彼女がいる理由はない。彼女は、正さんがいないことに気づいていなかっただけです。だから、教えてあげました」
「……なるほど。そういう手法は、想定していなかったわ」
 深々と息を吐き、千早は私を見つめる。
「私の名前。あなたには、ちゃんと教えたことがありませんわね」
「どういうこと?」
「呪殺師・千早は通り名。本名は、永田千早」
「永田……。じゃあ、永田千代さんは」
「私の祖母にあたる人。千代は、岡部正との間に、子を成していた。その子が私の母。もっとも、祖母は母を他人に預け、自分は正の世話に没頭していたようですけれど」
 千早は、窓の外を見やる。青い空が見える。
「祖母は、母の世話などまったくしなかったけれど、人に預ける時、一通だけ、手紙を渡していました。あなたが20歳になったら開けるように、と。母は言いつけを破って、16歳の時に開いたそうだけれど。
 そこには、祖母が行っていた殺人について、全て書かれていましたわ。けれど、祖母は後悔などまったくしていなかった。自分がおかしいとは知っていても、そのことについて、なんら罪悪感など覚えていなかった。なぜなら、祖母にとって、正以外の人間は、“家畜”だったから」
「家畜……、人間が?」
「きっと、そういう頭のイカれた血筋なのね」
 くすりと笑い、千早は続ける。
「母は祖母の友人だという人のところで育ち、16で家を出ました。そして、街中の名も知らぬ男の子を孕み、私を生み、捨てた。本当ならば私も死ぬところだったんでしょうけど、幸い、私は生まれながらに霊を使役する能力がありました。幼い頃から霊を使役し、私は生き延びた。そして、私を捨てた母を見つけ、復讐するつもりでした」
「……殺したの?」
「10の時に。その時、母に聞いたのです。私の系譜を。そして、興味を持ちました。人を殺すことに対し、一切の感情を持たなかった祖母。そんな祖母が、もしまだ霊として存在していれば、それは、母のような人間を殺すのに最適な霊となるのではないか、と。
 そして、祖母が勤めていた、この屋敷を訪れました。けれど、祖母の霊は見つからない。そこで、諦めておりました」
「ここの霊は、隠れていたからね」
「その通り。私はここの霊を見つけられず、仕方なし、もっと別の方法で強い霊を作る方法を考え、狗神を作ることにしたのです。けれど、最近、風の噂を耳にしました。この屋敷で、人が死んだ、と」
「それって、宏美さんが言っていた、近郊の若い人が死んだっていう……」
「おそらくはそれのことでしょうね。私はまだ祖母が存在していることを知りました。けれど、私の力でも、ここの霊は見つけられなかった。そこで、あなたを利用しようと思い至ったのです。霊視の能力、私が隠しながら連れ歩いている狗神すら見極める目を持ったあなたを」
 ふう、と千早は息を吐き、
「あなたは優秀でしたわ。私が思い描いた以上に。まさか、祖母を除霊してしまうなどと」
「でも、約束は約束です。あなたは、呪殺師を廃業し、今までの罪を悔い改めてください」
「あら、廃業するとは申しましたが、罪を悔い改めるなどとは一言も言っておりませんわよ?」
 くすっと笑い、千早は続ける。
「私は祖母によく似ているのです。人を殺したところで、なんとも思うことのない感性を持っている。それは価値観の違いですわ」
「あなたはッ……!!」
「……けれど。私は、あなたに負けましたわ。それはとりもなおさず、『人を道具として見る』私よりも、『人を人と見る』あなたの方が、霊能者としては正しく有能であるということ。結局のところ、人間は、完全な道具にはなりえないのでしょう。そこに至る理由があり、過程があり、それらが人間を形作る。それらを無視して道具化しようとしたところで、うまくいかないのですね」
 千早は長い髪をかきあげると、私の前に立った。
「約束は守りますわ。私の考え方は間違っていた。だから、敗北した。事実を認めぬほど、無様ではありませんわ」
「……これからどうするの?」
「さあ。母のように体を売るなり、方法はあるでしょう。これでも、容姿には少しばかり自信があるので」
「なら、ホンダリサーチに来なさい」
 私の言葉に、千早は目を丸くした。
「どういうつもり?」
「あなたが呪殺をやめたと言っても、信用できない。それに、あなたの霊能力は、確かに随一。その能力を捨てて、そんな自暴自棄な生き方をするなんて、許さない。あなたは、その力で、あなたが苦しめた以上の人を救わなきゃいけない」
「断ったら?」
「私の力で、あなたを何度でも叩き潰す」
 私の瞳を覗き込む千早。その目に、何かが輝いているように見える。
「……私、呪殺とは別に、確かに占いも営んでおりますの。なので、少しばかり、人を見る目はあるつもりですわ」
「それで?」
「あなたの瞳はとても強い色を湛えている。きっと、言ったことは、全て現実にしてしまうのでしょうね」
 私から離れた千早は、ふふっ、と笑う。
「いいわ。これ以上、生き方を邪魔されるのも気に入りません。今は、あなたに従いましょう。私があなたの“狗神”になりますわ」
「あなたは人間よ。だから人間を殺せる」
「あら。ふふっ、うふふふふっ。そうね、その通りですわ」
 笑い転げる千早。
 屋敷の外から差し込む光が、黒い女を照らす。

 こうして。『悪夢の屋敷事件』は、静かに幕を閉じた。

◇ ◇ ◇


 事件から一ヶ月が過ぎた。

 十風社の人が呼んだ警察と消防により、私たちは屋敷から脱出することができた。
 岡部宏美さんは、屋敷の下にある大量の人骨を、警察に届け出た。今も、ワイドショーでは山中の人骨事件として、毎日その話題に持ち切りとなっている。
 ただ、私たちのところに、テレビ局の人は来ていない。なんでも、岡部純さんが、裏で手を回してくれたとのこと。事件の関係者に、これ以上、苦しい思いをさせないために、と言って。
 あの人は、お調子者だったかもしれないけど、でも、人としての心を持っている人だった。だから、宏美さんも好きになったのかもしれない。
 今日も今日とて所長と二人、事務所でテレビを眺めていると、事務所の扉が開いた。
「あら、またテレビ?」
 入って来たのは千早だった。事件以降、白っぽい服を着るようになった千早は、それだけでどこぞのお嬢様にも見える。……外見ってのは、つくづく不条理だ。
 千早は、あの事件以来、本当におとなしくしている。ホンダリサーチにも顔を出して、事件とあれば、一緒に来て、解決にも協力している。
 所長みたいに除霊の能力があり、私のように霊が見える千早は、霊に関してはオールラウンダー。戦力的には、大幅アップになった。
 所長は眼光鋭く、
「なんだ千早。今日はまだ依頼なんて来てねえぞ」
「あら、依頼がなければ来てはいけませんの?」
「お前は信用ならんからな」
「あなたの大切な愛弟子さんの狗ですもの。事務所にも、当然ながら顔を出しますわ」
 くすくすと笑う千早。
「……千早。犬ってのやめてよ。私が悪人みたいじゃん」
「あなたが命じたから、私がここにいるのです。それを狗と呼ぶんですの」
 絶対に違うと思う。だけど、それを言っても始まらない。
「ふふ、あなたは私の『主人』ですから。好きなことを命じていいんですのよ?」
「だから、それ、絶対に変に思われるっての」
「私は構いませんわよ?」
「私が構うわッ!!」
「あら、つれないのね」
 くすりと笑う千早。ほんと、これさえなければ、美人ではあるんだけど……。
 ……千早は、たくさんの人を殺している。そんな人が、のうのうと生きていること、それ自体が許されることじゃないと思う。
 でも、千早の犯罪は、不能犯。証明ができない。拉致監禁なんかは証拠もあるかもしれないけど、でも、それじゃあ、千早の罪の一億分の一も証明できない。
 私にできること、私がやりたいことは、千早に……、人間の命の大切さ、その尊さを教えること。
 それを、霊と接し続ける生活の中で、感じてくれると信じて。そうしてからでなければ、彼女の罪について、論じることはできないから。
 けど、いまだに彼女に、そんな兆候はない。
「はぁ……、いつになるやら」
 もしかしたら、そんな日は来ないかもしれない。それまでに、彼女を殺してしまうほうが、世のためかもしれない。
 でも、それは、私が判断していいことじゃない。それじゃあ、千早と一緒だ。
 いつになるか分からない。でも、いつかは感じてくれると信じている。
 人間は、人間だ。だから霊にもなる。
 千早に対し、人間が人間であるということを証明し、感じさせること。それが、今の私の目標。
 そのためには、たくさんの事件に接し、もっともっと成長しなきゃいけない。


 だから、これからも、私の霊に対する活動――霊活は続く。
 この、小さな事務所の、片隅から。


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