「ほーら、走って走ってー」
 広い草原だった。
 地平線が見えるほどに何もない草原。わたし達の他に人影はなく、ただどこまでも青い空と緑の草が広がるだけの場所。そこは、見ているだけで心が広くなる気がした。
「だああああああああああありゃああああああああ!!」
 そこに響く若者の声。いやー、青春だねぇ。
「ほーら、遅いよー。そんなんじゃギャロップは捕まえられないよー」
 草原を、一羽の鳥が走っている。羽は小さく、足は長い。細く見えるその足は実は丈夫で、駆ける能力に関しては他の動物よりも群を抜いている。ギャロップ、という生き物だ。
 荷物の運搬やら単なる移動手段やら。人間の足ではできないことをやってくれる彼らは、人のよいパートナー。そんな鳥を追いかける、一人の若者。
 ……いやあ、青春だねぇ。
「だああああああああああもうっ! 先輩も手伝ってくださいよ!!」
「や」
 だって疲れるしー。お姉さんは若者と違って体力不足なのよ。
「ちっくしょおおおおおおおお!!」
 とりあえず、叫ぶ必要はないと思うんだけどね、セロン。
 セロンはわたしの後輩。年も下で、経験もない。実力もない。そんなだけど、真面目で、物事に真剣に取り組むことを知っている。そんなセロンは、嫌いじゃなかった。
 でも手伝わない。
「セロン、マナ使いな」
 手伝いはしないけど、アドバイスはする。セロンの持つマナは、こういう状況のためのもの。
 というか、実家でギャロップ飼ってるんだから、そのくらい気付きなさいよ。君は。
「あ、そうか!」
 キキッ、と全身を使って止まるセロン。革のブーツが悲鳴をあげる。
 少し離れたところにギャロップがいて、足もとの草を食んでいた。ありゃー、完全に遊んでるね。
 だからこそ、わたしが何もしないでいられるんだけど。思うに、あのギャロップは逃げたいんじゃない、遊びたいんだ。だからセロンをからかう。そういう子には、元気だけは有り余っている若者がちょうどいい。
「よっしゃ、『加速アクセル』!!」
 叫ぶセロン。瞬間、セロンの姿がわたしの視界から消える。
「そ、ら!?」
 ギャロップが走る。『加速アクセル』は高速移動を可能にする不思議な石マナ。しかして、全身にその効果を行き渡らせた場合、ただ瞬間移動できるだけでしかない。
 要するに、ギャロップの目の前に飛び出すっていうこと。
「うぎゃああああああああああ!?」
 そりゃ、目の前に人が現れたって、ギャロップが止まれるわけがない。
 セロンを踏み潰し、ギャロップはそのまま少し離れたところまで駆けていく。残されたセロンは、しばらく身動きしなかった。
「おーい、セロンー? 死んだ?」
「殺さないでくださいっ!」
 ガバッと起き上がり、セロンは再びギャロップに向き直る。……ギャロップって割と重かったはずだけど、よくまあ、あれに踏まれて平気ね。案外と丈夫なのかもしれない。
「くそっ、鳥頭のくせしてー……」
「今のはセロンが悪いよ」
 よっこいしょ、と体を持ち上げる。脇に置いてあった鉄棒を手に取り、わたしはセロンに並んだ。
「しょーがないなぁ、お姉さんがちょっとだけ、協力してあげる。
 いい? 『加速アクセル』は全身加速に使っちゃダメなの。瞬間移動した後にまで思考が追いつかないでしょ?」
 マナに意識を集中させる。胸元が熱くなり、全身に力がみなぎる感覚。
 わたしのマナ、『模写コピー』が目を覚ます。
「マナの力に理屈は通じない。でも、その使い方は、理屈っていうかコツがいるのよ」
 ギャロップを見つめる。茶色い翼を広げ、警戒していた。でも、ごめんね、警戒するくらいじゃ甘いのよ。
「……『加速アクセル』」
 ぐっと足先に力が集まる。体が前に前に引っ張られる感覚。
 ギャロップが気付いた時にはすでに遅い。加速さえすれば、短距離はギャロップより早い!
「さらに『加速アクセル』!」
 腕先が引っ張られる。鉄棒がギャロップの足を払い、わたしよりも大きな体が大きくかしぐ。
「はい、終わり」
 続けて突く。バランスを崩した大鳥が耐えられるはずもなく、そのままばったりと倒れ込んだ。
「は、早い……」
 セロンの感心する声が聞こえる。ふふん、伊達に先輩やってんじゃないっての。
 ギャロップは自分の身に何が起きたのか、いまだに理解できていない様子。ぼーっとしている姿は、どこか人間臭い。
「これがマナの使い方。むやみやたらに力を使うんじゃなくて、その力を効率的に運用すること。それができないのなら、わざわざマナを埋め込む意味がないでしょ?」
「そ、そう言われても」
 セロンはまなじりを下げる。その顔を見ていると、思わず笑いが漏れた。
「ほら、男の子がそんな情けない顔をしない」
「だ、誰が!」
 ふふん。
 本当に、可愛い子だ。まだ一人前の男になりきれない、男の子に特有のまっすぐさ。素直さ。
 それを感じるのは、うーん、わたしも歳なのかね。まだ二十年しか生きてないんだけど。
「じゃ、セロン、ギャロップは任せるよ」
 わたしは鉄棒を背負い、歩き出す。
「あ、ちょ、ちょっと先輩!」
 今日は、いい天気だ。

 都市部から少し離れた平原。そこに、わたしとセロンが所属する事務所がある。
「ただいまー」
 事務所の木扉を開くと、見慣れた光景が目に入ってくる。
 受付なんて大層なものは存在しない、小さな事務所。所属するメンバーが揃ってしまうと全員が入りきらないような、小さな部屋。その窓際に置いてある机に、一人の男性が向かっている。
「所長、迷子のギャロップ捕獲、完了ですよ」
「ご苦労様」
 書類から目もあげずに答えたのは、この事務所の所長であり、わたしやセロンの上司に値する男。アルト・アージュ。たった一人で事務所を立ち上げ、いまや十数人の所員を抱えるほどになった、やり手と言っていいほどの人だ。
「で、ギャロップはどうするんですか?」
「依頼主には連絡しておく。明日にも取りに来るだろうから、それまでは君とセロンで世話をしといてくれ」
 所長は、この事務所の書類関係やら依頼人の応対やら、そういった事務的な仕事の全てを一人でこなしている。それはそれでたいしたもんだと思うけど、そのぶん、やたら忙しくて現場に出ている暇はない。だから、セロンみたいな新人教育も、わたしたちが担当せざるをえないなんていう事情もある。
「だってさー、セロン。がんばってね」
「先輩も手伝ってください!」
 ムキになっちゃって、可愛いなぁ。
 わたしは事務所の椅子に体を落とす。動いて、疲れた体には、この休息がじーんとしみわたるような感じがする。
「なんで座り込むんですかー!」
 ちっ。
「とりあえず外に繋いでいるんでしょ? なら問題ないよ」
「そ、そうですか……?」
「そうそう、問題ないない」
「エリア。外で騒いでいるあの声はなんだろうな」
 所長、余計なことを言うね。
 慌ててセロンが事務所を出て行く。まあ、ギャロップの扱いならセロンの方が得意だろう。わたしだって経験がないわけじゃないけど、実家で常にギャロップを見ていたセロンに勝てるとは思わない。
 わたしたちの仕事。それは無限にある。それは、頼まれればなんでもやってしまう、便利屋ストライダーなんて仕事をしているせい。
 わたしたちは、大抵のことを一時的にこなすことはできるけど、それだけでしかない。やっぱり本職にはかなわなくて、応急処置以上のことはできなかったりする。
 それは、まさに今のわたしを表していた。大抵のことをちょちょっとやるぶんには問題ない、だけど、本格的に何かをするってなると、それはできない。
 何もかもが中途半端。この仕事をするぶんには広く浅く学んだ方がいいって決まっているんだけど、それでも、なんだかなぁって気分になる時もある。そんな、今日この頃。
「先輩ー! 手伝ってくださいよー!」
「エリア」
 ……外野がうるさいし、現実逃避は諦めようか。
 わたしは重い体をひっぱりあげると、事務所の外に待つギャロップを迎えに行った。




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