事務所に入って最初に目に入るのは、いつだって書類とにらめっこしている所長の姿だった。
「所長。たまには現場に出ましょうよー。書類仕事ばっかじゃ飽きるでしょ」
「飽きるとか飽きないとかいう問題じゃない。私以外に事務仕事ができる人間がうちのメンバーにはいないしな」
「じゃあ、雇いましょう。時給いくらで」
「自分が楽をするために事務所の資金を使用するつもりはない」
「あー、そう。所長、あのね、暗いって評判ですよ。せめて、その黒い服はやめましょう。もっと明るく! 華やかに!」
 と、所長が久しぶりに顔をあげた。わたしの顔をじっと見つめ、
「エリア。君は花柄の服を着た私を見たいのか?」
「……うえっ、気持ち悪ぅ」
「失敬な反応だがその通りだ。人間、向き不向きというものがある。向いていないことはしないに限る」
 それだけ言いのけて、所長は再び書類に視線を落とす。ハンコ押したり、何かを書いたり、そんなことばかりをしている。
 わたしだったら、そんな退屈なことはしたくないんだけどなー。
「所長、通信です。帝都から」
「お、若人。いたのね」
「オレはいつだって先輩より早く来てますよ……」
 そういうところは真面目な後輩君。今日は仕事の予定もないんだし、そんなに早く来ても仕方ないんだけど。
 通信室に移動する所長を横目に見ながら、セロンに聞いてみることにする。
「セロン、そんなに暇なの? 彼女とかは?」
「暇なのって言い方は気になりますけど、まあ、恋人はいないですよ」
「ふうん。いい若いもんが恋人もなしねぇ、さびしいもんだわ」
「先輩も若いじゃないですか」
「わたしゃいいのよ」
 秘儀・自分のことは棚にあげる。都合が悪くなった時には便利。
「セロンはさ、なんでこの仕事を始めたの?」
「なんでって、ここに入ったからですけど」
「だからー、なんでこんなとこに入ったわけ? 帝都の方がもっといい仕事があるでしょ」
 帝都。ここからギャロップで半日ほどの距離にある大きな都市は、それだけ多くの人が住み、それだけ多くの仕事がある。
 それこそわたしたちのような流れ者のような仕事から、商人や物作り、こちらでは珍しい配達人などの仕事もある。そういう仕事を選ばず、こんなところで、こんな仕事をする理由。わたしは、親の関係があったけど……。
「んー、まあ、平たく言えば帝都で仕事したくなかったんですよ。というか、大きな町で仕事したくなかったんです」
「なに、セロンって人嫌いなタイプだっけ?」
「違う、とも言えないかな。ちっちゃい頃からギャロップとか、そういうのに慣れ過ぎて。どうも帝都の空気に馴染めなかったんです」
「それはどうにも悪いことを聞いてしまったな」
 いつの間にか、所長がわたしの後ろに立っていた。背が高いせいもあって、こうして見上げる格好になると、やたらとぬぼーっとして見える。
「エリア、セロン。帝都で仕事が入っている。行くか?」
「わたしはいいですけど、セロンは?」
「そこまでのこだわりってわけじゃないですし、仕事なら行きますよ。何の仕事ですか?」
 所長はメモ書きを渡してくる。軽く目を通し、
「……子守?」
 帝都の学校で子守。メモの要旨は、そういうことらしかった。
 帝都の学校は知っている。わたしも通っていた。マナの使い方を学ぶ場所で、年齢や性別に関係なく様々な人が来ている。親となった人が仕事を得るために来る場合も多く、そのため子供を預かる施設も併設している。
「でも、帝都の子守ならいるでしょ? 選任が」
「骨折したそうだ。そのせいで代理が必要らしいんだが、あそこの校長は懇意にしている我々に仕事を頼みたいそうだ」
「わたしは別に懇意にしてないですけど」
「私がしている。というわけで、エリア、頼む。他に手すきがいないんだ」
「……まあ、ね」
 事務所を見渡す。さほど広くもないこの事務所、今いるのは、わたしとセロン、それに所長だけだった。
「じゃ、ま、行きますか。セロン、準備するよ」
 帝都、か。
 懐かしいねぇ。

 草原を突き抜ける一本道をギャロップに揺られ、のんびりと行く。
 すると、視線の先に長く大きな石壁が見えてくる。遠くから見てもはっきりとわかる威圧感。それは、帝都の城壁だった。
「はぁ、相変わらずでっかいですね。帝都ってのは」
「んー、まあね」
 帝都は海辺に作られた都市だ。その周囲を城壁が、さらに堀までも完備されている。入口は南北にひとつずつしか存在せず、わたしたちが向かっているのは南門だった。
「先輩は帝都に住んでいたんですよね?」
「そーよ」
「じゃあ帝都にも詳しいんですか?」
「詳しいっていっても昔の話。城のあたりは変わらないけど、それ以外はころころ変わったりするから、今と昔じゃ違うんじゃないの」
 実際、帝都を訪れるのは久しぶりだ。仕事の関連でも帝都に行くことはなかった。そういう意味ではとても懐かしい。
「学校に知り合いは残っていたりするんですか?」
「さあ? わたしが引っ越す時はまだ学校に知り合いもいたけど……、もういないんじゃないかな、今は」
 学校に通う期間は自分で決めるのが普通。といっても、決まった内容を学習するだけなら、どれほど覚えが悪い人でも何年も通うことはあまりない。幼等教育とかならともかく、特定のマナの使い方を学ぶのは、そこまで難しいことじゃない。
「先輩は何を学んでたんですか?」
「んー? 最初は錬金アルケミーを学ぼうとしたんだけどね」
「した、ってことは、学ばなかったんですか?」
「才能がなかったの。マナを使えるか使えないか、それは使ってみなきゃわかんないでしょ? そしてわたしは、使えなかった」
 だから、帝都は懐かしい場所であると同時、ちょっと苦い思い出がある場所でもある。苦い、甘い、楽しい、嬉しい、苦しい、悲しい、色々な思い出が、あの城壁の向こうにある。
 楽しみかどうか、と聞かれると、よくわからない。色々な感情がないまぜになっているけど、行ってみたいという気持ちはある。
 わたしの中に渦巻くものとは関係なく、ギャロップはわたしを城門まで運んだ。下から見上げると、城壁は本当に大きい。堀があるせいもあるけど、この壁、とても人の力で登れるようには思えない。
「そういえば、なんで城壁なんてあるんでしょうね」
「さあ? 昔の名残だしね」
 城壁は、わたしが生まれた時にはもうあった。いつからそこにあったのか、知っている人はいない。お話なら戦争のためとか、そういう理由があるんだろうけど、帝都の隣国と呼べる都市がそういう行動をしたことがあるって話は聞かない。
 つらつらと、どうでもいいことを考えながら、入都の手続きをする。必要なのは主にギャロップ関連。帝都の中は舗装され、車という乗り物が走っている。そのため、ギャロップを乗り入れることが許されていないのだ。だから、城門に預けなければいけない。
 必要な書類にサインしていると、
「ちょっと! なんでギャロップ預けなきゃいけないのよ!」
 大きな声が聞こえてきた。顔をあげる。
 入都管理官に詰め寄っている人が目に入った。わたしより年下、セロンと同じくらいの年頃だろうか。小さな子供を連れた女の人だ。お姉さん、かな。背中にはわたしと同じ鉄の棒を背負っている。たぶん、本物の錬金術師だろう。
「はー、知らないんですね、帝都のルール」
「ま、初めて来た人なら知らないのは無理ないね」
 車は舗装された道しか走れないから、帝都の外で見かけることはまずない。都市間の道は車が走れるほどには舗装されていないし。
 だから、帝都に来て、ギャロップが使えないことに戸惑う人も割といるって話、前に所長あたりから聞いたことがある気がする。
「だいたいあたしは帝都なんて初めてなのよ!? この子もそう! なのに歩いて帝都の中をまわれってわけ!?」
「ですから、国内では車両をご利用ください、と申し上げているのです。有料にはなりますが、帝都内のどこへどもご案内しますし、ギャロップよりもよほど早く――」
「だから! そんなお金はないって言ってんのよ! 旅してる人がお金持ちなわけないでしょ!?」
「そりゃそうね」
「……なんで先輩がうなずくんですか」
 だってあの女の子の言っていることも間違ってはいないし。
「――レイチェル、もういいよ。おとなしく言うこと聞こう?」
「やだ! だいたい、あたしは頭ごなしのルールってのが何より気に食わないのよ!」
 しかも、弟らしき少年の方がよっぽどしっかりしている。ありゃ大変ね。
 弟君は軽くため息、
「なら、すみませんが、せめて学校までの行き方を教えていただけませんか。聞いての通り初めてなので、勝手がわからないのです」
「あ、ああ、それだったら、そんなに遠くはないよ。歩いてでも十分に行ける距離だ」
 管理官がほっとしたような表情を浮かべる。って、学校?
「なに、あんたたち、学校に行きたいわけ?」
「は?」
 女の子が振り向く。意思の強そうな、全体に引きしまった顔が印象的だ。
「なによ、連れてってくれるとでも言うわけ?」
「ん、別にいいんじゃない」
「はぁ?」
「だから、わたしたちも学校に行くのよ。んで、車って四人くらいは乗れるんでしょ? それなら、一緒に行った方が効率的じゃない」
 女の子は目をぱちぱち、さらに弟と管理官を見て、最後にわたしに視線を戻す。
「ありがと、よろしく」
 ぱっと花開く笑顔。
 ……変わり身が早いなぁ。



 
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