|
■難しいこころ
美術部の部室では、部員が描いた絵が飾られている。 由佳はひとり、自分の描いた絵の前にいた。パネルにかけられた絵は3つ。ひとつは茜と神楽が笑いあう、楽しげな絵。ひとつは夏休みに描いた、秀一や桔梗を含めた全員が談笑する穏やかな絵。そして、最後のひとつもまた、人物画。 「新藤、先生・・・」 描かれた新藤はいつも通りに不機嫌そうで、まるで本物をそのまま押し込めたような絵だ。夕日の差す横顔は、どこか悲しげで、それでいてとても優しい。 修行の件だとかで新藤は心魔を離れてしまった。今の由佳には、それを追う力は無い。 「あたしだっていつか、追いつくんだから!」 自分のため。自分を守ってくれた人のため。前に進み続けねばならない。 それはひどく難しい。それはわかっているが、それでも進みたいと思った。だから進むのだ。迷いはある。そして、それを断ち切る事はできない。だからこそ、あらゆるものを背負って歩く。消せないもの、捨てられないものは、背負うしかないから。 「由佳、いる・・・?」 パネルの森の陰から、少女が顔を出した。 「松岡先輩。こんにちは」 元美術部の先輩に、由佳はペコリと頭を下げた。 「由佳、いたんだ・・・」 まるでいない方がいいと言わんばかりの口調で、真紀は由佳の隣に立った。 そのまま何となく、由佳の描いた絵を見る。 「これ、あんたが描いたの?」 「はい。ちょっと頑張りました」 普通、美術部の生徒は作品をひとつかふたつしか出さない。それを抜く記録を、しかも普段の戦闘訓練をこなしつつ行うのだから、由佳の努力は並ではない事がわかる。 「やっぱあんたの方が、上手いね」 真紀は素直な感想を漏らした。どの絵も、幸せそうで、優しげで。それはまるで、描き手の心を表しているようで。少しだけ、真紀は悔しかった。 「・・・・先輩。何か、ありましたか」 由佳の鋭さは尋常ではない。真紀の微妙な変化をすぐに見抜く。真紀は、少しだけ息を飲んだ。 本人は隠し通しているつもりでも、言葉で聞かれてしまうと大きく動揺してしまう。それは、質問に対して肯定していると同じ事だった。 「――由佳さ、学園長の孫娘と仲が良かったわね」 「神楽先輩ですね。確かにそうです」 しばしの静寂。由佳も急かす事なく、ただ時の流れるままに待った。 しばらくして、真紀の瞳に決意が宿る。 「由佳、そいつのとこに案内して」 「・・・わかりました」 由佳は躊躇なく頷き、先導して歩き出した。 公園から見下ろすと、昨日よりも人出が多い事がわかる。時刻は間もなく午前10時。時間を経るほどに客足は伸びていくだろう。 桔梗は昨日、行人と訪れた公園にひとりでいた。理由は特にない。強いて言えば、する事はないのだ。 昨日から行人とは逢っていない。新藤は出張、秀一と天原は昨日から見かけない。聡たちはどこかにいるのだろうが、桔梗は逢いに行く気がしなかった。 自然と当てはなくなり、足は公園へと向いてしまった。 こうして見ていると、どこからこれだけの人間が沸くのは不思議に思えてくる。幸せそうな人々を見ていると、桔梗はなんとなく不安になった。 「・・・あれ?こんなとこでどうしたの」 聞き知った、それでいて今はあまり聞きたくはなかった声がした。振り向くと、そこにはやはり予想通りの顔。 「大きなお世話」 額にシワを作り、不機嫌を声に滲ませて言った。 神楽は気にする事もなく、桔梗の隣で柵に寄りかかった。 「暇なの?」 「否定は、しないけど」 公園の中は昨日と同じようにカップルが多い。しかし、それだけに静かだ。 「そんなに暇なんだったら昨日は何をしていたの?」 神楽の問いかけが、桔梗の記憶を呼び覚ます。 変わった半獣との会話。いつもなら嫌な筈の人混みを、嫌とも思わず歩いていた事。そして・・・夕日に消えていった、男の後姿。 紅に消えた行人の背中に、女の影が重なる。行人と仲が良さそうな雰囲気だった、自分と同年代の少女の姿。 「・・・何でも、ない」 ぷいとそっぽを向き、桔梗は記憶を掻き消すように首を振った。心に沸いた、僅かな疑問も一緒に。 神楽はあえてその顔を覗きこむように動いた。桔梗は嫌がるように、神楽から離れる。 「・・・桔梗。もしかして、恋でもしてるの?」 刹那、桔梗の頬に朱が差した。その色はすぐに消え、微かな殺意を含んだ瞳が神楽を睨んだ。 「誰に言っているの。私には最高に似合わない言葉じゃない」 「でも、そんな感じがするから」 しばしの沈黙。やがて、桔梗がゆっくりと口を開いた。 「・・・そんなのじゃ、ない」 これは、恋とかそんな感情ではない。しかし、その感情そのものを認めたくはない。誰かを信じるなんて、『紅蓮』がする行為じゃない。そういう、人生を送ってきた。 考えてはいけないと自分に言い聞かせる。こんな感情は、邪魔にしかならない。戦うにも、生きていくにも。 初めての知らない感情。わけのわからない、暖かいような冷たいような感覚に、桔梗は戸惑っていた。 「気になるじゃないの。そんな微妙な台詞を吐かれると」 ニヤリと笑い、神楽は詳しく話を聞きたそうにしている。もちろん、桔梗に話をするつもりはない。 「あんた、殺されたいの?」 「・・・それはパスかな」 本当にやりかねないと思ったのか、神楽は両手を挙げて少し下がった。 丁度、その時だった。遠くから、駆ける足音が聞こえてきたのは――。 |