「ホーリビス隊長。出発の準備、整いました」
「ふむ、では出立しようか」
 まだ若い副官に促され、片目を眼帯で塞いだ男は立ち上がった。
 詰め所の外に出ると、明るい日差しと共に、潮の香りが鼻をつく。
 ここは、神聖都市ラブフランジェ。海に面した都市国家で、高い戦闘能力を持つ騎士たちによって構成された神聖騎士団を有することでも有名な場所である。
 騎士団はいくつかの部隊に分けられ、それぞれを部隊長が率いる。リット・ホーリビスは、そんな騎士団の内のひとつ、四番隊を任せられている。
 背中にはルーンを刻んだ盾。腰には剣。白い鎧は神聖騎士団の証であり、鮮やかな金髪は彼の自慢だ。
 小高い丘の上にある詰め所から、リットと副官は商店の並ぶ通りまでやって来た。旅人や住民たちが入り乱れるこの場所は、騎士団によって治安が保たれている。
 だが、それでも犯罪は後を絶たない。そのため、隊長であるリットも、休んでいる暇はなかった。今日も、ここ最近になって連続的に発生している、窃盗事件の調査に向かうところだ。
「隊長。まずはどちらから?」
 副官がたずねると、リットはご自慢の金髪をいじりながら、さらりと答えた。
「最初の被害者から、順に行こう。いつまでも盗人ごときにコケにされるわけにもいかないからな、気を引き締めて行くぞ」
「了解です」
 ふたりは立ち並ぶ商店通りの、中ほどにある八百屋に入った。
 店の中は、様々な野菜で埋め尽くされている。珍しい品物も多いのは、行商人から買い取ったものだろう。鮮やかな色合いのものや、異様な臭いを放つものまである。
 ふたりが店の奥に声をかけると、カウンターの向こう側から、頭の光る小柄な店主が現われた。
「これはこれは、騎士団のお方が、こんなちっぽけな店に何のご用で?」
「先日の窃盗事件に関して話を聞きたいのですが、お時間に余裕は?」
「へえ、構いません。奥にどうぞ」
 店主は、ふたりをカウンターの奥に案内した。休憩室なのか、机と椅子がいくつか並んでいる。だが、店員の姿はどこにもなかった。
「騎士団四番隊長、リット・ホーリビスです。早速ですみませんが、事件の前後の状況について話してくれませんか?」
「へえ。あれは、五日ほど前のことです。私どもは二階で寝起きしているんですが、夜中に下でごそごそと物音がしましてね。そんでまあ、降りてってみたら、誰かがいるじゃありませんか。
 『誰だ!』って叫んだら、そいつはすぐさま出てっちまいましてね。その時に、売り上げをやられちまったってわけです」
「その人物の特徴は何か覚えていませんか? 顔や性別、体格、癖。なんでも構いませんが」
「はあ、それが暗かったし、相手も黒っぽい服装だったみたいで、よう覚えとらんのですよ。せいぜい、男のような感じだった、ってくらいで」
 店主は、申し訳ないとばかりに頭を下げた。リットは反射光に目を細めつつ、
「お気になさらず。緊急の事態に素早く対応できる人間は、訓練された者だけです。犯人は我々が捕まえますから、ご安心下さい」
「へえ、お願いします。ここんとこは景気も悪くって、あんなちっぽけな売り上げでも大切なんでさぁ」
 それから店主に、被害のあった場所を見せてもらい、リットと副官は八百屋を後にした。

 次にふたりが向かったのは、二件目の被害者。商店街の外れにある酒場だった。
 開店前の酒場は閑散としている。夕暮れ時にでもなれば、気の早い酒飲みたちが集まって賑やかになるのだろうが、この時間ではマスター以外に人はいない。
「ウチがやられたのは三日前のことです。閉店の直後をやられました」
 マスターはコップを拭きながら、リットたちの質問に答えた。頭には、白い包帯が巻かれている。
「失礼、その包帯は?」
 気になった副官が聞くと、マスターは頭に手をやった。
「ああ、これですか? これは犯人にやられたんです。最後のお客さんを帰して、さあ片付けだってところで、後ろからガツンとやられましてね。目が覚めたら、その日の売り上げが綺麗さっぱり、なくなっていたんですよ」
「なるほど」
 リットは口元に手を当て、何事かを考えている。代わりに、副官が質問を続けた。
「それでは、犯人の特徴なんかは何も覚えていない?」
「ええ。いきなりですからね、せいぜい硬い何かを持っていたってことくらいしかわかりません。売り上げだって隠してあるわけじゃないですからね、ちょっと探せばすぐに見つかりますよ」
 はあ、とマスターはため息をつき、コップを置いた。次のコップを手に取り、拭き始める。
「それにしても、嫌な世の中になっちまったもんですね。昔は治安が悪いっつっても、せいぜいチンピラ同士のケンカくらいだったってのに。それが、連続窃盗事件でしょ? このあたりも段々と悪くなってきてるんですかねぇ」
「それを食い止めるために、我々のような人間がいるのですよ」
 胸を張る副官に、マスターは不安げな視線を向けた。
「失礼。私からもひとつだけ、よろしいですか?」
 リットが口を開くと、マスターも視線をリットに向けた。
「その手。どうかされたんですか?」
「え?」
 マスターの、コップを拭く手が止まった。
「……よく気がつきましたね」
 マスターはコップを置くと、ナプキンをその上にかぶせた。布に隠れていたマスターの手にも、包帯が巻かれていた。
「コップの拭き方がおかしかったですからね。あんな拭き方では指の痕がつく。それでは、プロの拭き方とは呼べないでしょう?」
「さすが、騎士団様ですね。この手は昨日、酔った客が倒した酒瓶を片付ける時にやっちまいましてね。ほら、今でも酒のにおいがするでしょう?」
 くんくん、とふたりは鼻を動かす。
「――隊長。わかります?」
「ああ。ワイン、かな。この独特の香り、かなりの上物と見た」
「正解です。なかなか、良い鼻をお持ちで」
 苦笑を浮かべるマスターを、リットはじっと見つめていた。

 三件目は、商店街の裏通りにある薬屋だった。リットたちが店の扉を開くと、途端、独特の強いにおいに包まれた。
「う……、これは、何だ?」
 リットは思わず鼻を押さえる。と、女性店長が奥から出てきた。
「ああ、すみません。さっき、アケイロトビクサの汁をこぼしちゃって」
 店長はすまなさそうに頭を下げた。女性にしては背が高く、細身だが、なかなか魅力のある顔立ちをしている。
「これは、外でお話を聞かせてもらえませんかね?」
「すみません、そうして下さるとこちらも助かりますわ」
 三人が揃って店の外に出ると、リットは改めて話を聞いた。
「ウチがやられたのは、一昨日の晩です。夕方に店を閉めて、翌朝、つまり昨日の朝、店に出てみたら店の金庫が荒らされていたんですよ」
「金庫は破壊されて? それとも、開錠されていましたか?」
「壊されていました。こう、何かで握りつぶしたみたいに」
「ふむ。それで、被害金額は、どれほどですか?」
 リットが聞くと、女性店長は顔を伏せた。
「正確にはわからないですけど、二日分くらいの売り上げが入っていました」
「なるほど。夜間、この店は無人ですね?」
「はい。でも、今までは騎士様のお力もあってか、何事もありませんでした。だから金庫も置きっぱなしにしていたんですが……。こんなことがあるなら、持ち帰っておけばよかったですわ」
「なに、犯人は我々が捕まえます。そうなったら売り上げも返ってきますよ」
 安心させるようにリットが言うと、店長は弱々しく微笑んだ。
「よろしければ、破壊されたという金庫も見せて頂けますか?」
「はい、持ってきますわ」
「お願いします。おい、手伝ってさしあげろ」
 店長が中に入る。隊長の指示に従い、副官も店の中に消えた。
 しばらくして、副官は金庫を抱え、店長と共に戻ってきた。
「これは、酷い」
 副官が地面に置いた金庫を、リットはまじまじと見つめた。
 店長の言葉通り。まさに、馬鹿力を持つ誰かが握りつぶしたように、強引に破壊された痕跡がある。
「何かのルーン、ですよね」
「だろうな。鉄製の金庫を砕く力を持った人間がいるとは考えたくない」
 立ち上がり、リットは店長に向き直った。
「ご協力ありがとうございます、店長。犯人は必ずや捕まえてみせますので」
「お願いします。ウチも経営がギリギリで、本当に死活問題ですから」
 頭を下げる店長は、どこか疲れたような雰囲気をまとっていた。

 連続窃盗事件の起きた三件の店を巡ったリットと副官は、詰め所に向かって歩いていた。
「結局、犯人についての情報は何も得られませんでしたね」
「そうだな。せいぜい、男らしい、ということと、攻撃的な力を持ったルーンが使える、というくらいか」
 それはすなわち、何もわかっていないというのに等しかった。
「どうしますか、隊長。このまま逃げられたら、捕まえる手立てがありませんよ」
 都市の中にいるならば騎士団の手も届くが、旅人を装って外に逃げられたら、追いかける手立ては何もない。騎士団の力とて万能ではないのだから。
「ふむ。だが、今のところ犯人は手がかりらしいものを残していない。味をしめて、再び犯行を繰り返すということも十分に考えられる。今は、それに賭けるしかないな」
「そんなぁ。絶対に捕まえる、なんて言っておいて、それはないですよ」
 言うと、リットはちらりと副官を見つめ、髪をかき上げた。
「安心したまえ。なにせ、私はエリートだからね。この私に捕まえられぬ窃盗犯など、そうそういない」
「大口を叩くのはいいですけど。これで捕まえられなかったら、本当に騎士団の信用が落ちますからね? しっかりやって下さいよ?」
「君は心配性だな……。それより、四番隊各員に通達だ。今夜は商店街で張り込みを行うぞ。君も覚悟しておきたまえ」
 リットが言うと、副官は嬉しそうに敬礼した。
「はい、隊長! それでは、自分は一足先に戻って、通達の準備をして参ります!」
 駆け足で走り去る副官の背中を見つめ、リットは呟いた。
「とは言ったものの。また犯行を行うなどという確証は、何もないんだがね」
 頭をかき、リットも詰め所に向かって歩みを進める。