そうして、一年。


 王の間に、長い机が運び込まれていた。その上には書類の山が。
 そんな、各地の魔族からの陳述書を前にアイザードはうなる。
 もちろん、仕組みを変えると宣言したところで素直に従うような連中だとは思っていなかった。思っていなかったが、それを事実として目の前に持ってこられると気持ちが折れる。折れてもいられないので手に取るが。
 などと仕事をしていると、ノックの後に大きな扉が開いた。
「アイザード様」
「なんだ。オレは忙しいんだけどよ」
「届け物です」
「またかぁ?」
 呟き、アイザードは視線を移す。見れば、ソフィが戸惑った表情で包みを手にしていた。
「誰が持ってきたんだ」
「持ってきたのは下級兵ですが、それよりこの包み……、差出人の名前が書いてあるのです」
「そりゃ、そのくらい書いてあるだろ」
「はい。それが、グレイス・フェイリアー、と」
「――グレイス? 本物なのか」
「おそらく。中身が、中身ですので」
 言って、ソフィはそれをアイザードに手渡す。その包みを解くと、現われたのは鞘。
「剣?」
『剣じゃない。私だ』
「なんだ。ラジールか」
 そのまま包みを戻し、ソフィに手渡して……。
『アイザード! 貴様、言うに事欠いてなんだだと!? ふざけるのも大概にしろ、出せ! どこまで私を侮辱するつもりだッ!?』
「冗談だよ。んで、なんでお前がここにいるんだ」
『……グレイス・フェイリアー。あいつだ。あいつが、私は魔族と在るべきと言ってのけた』
 人と魔の間に生まれ、長い時間を魔族として過ごしてきたラジール。
 その彼にとって家と呼べる場所、帰るべき場所は、人間の側にはなかった。
「あいつも色々と考えてんだな」
『いや。何も考えていないかもしれない。どちらにせよ、構わないがな』
 ふう、と息を吐き、アイザードは腰の剣を引き抜いた。
 暗黒に染まっていない、ごく普通の剣。それをソフィに投げ渡し、代わりにラジールの剣を受け取る。
「暗黒とラジール、か」
 両腰の剣を眺め、アイザードは満足そうに頷く。
『言っておくが、アイザード、私はお前に協力するつもりはない。機会があればその首を頂くぞ』
「負けたんだから勝者の命令くらい聞け」
『その仕組みはやめたのだろう? それに、私はお前に負けたわけではない』
「そうかい」
 それでも満足であるように、アイザードは椅子に座りなおした。
「ま、ずっと一緒にいれば気が変わることもあるだろ」
『それは加害者の言葉だ。……まあ』
 言いよどみ、小さな言葉が漏れる。
 ――仕組みを変えたことに関しては感謝しておいてやる。
「あ? 何か言ったか」
『寝ぼけたか』
「……?」
 書類の山のかたわらで、ひとり、魔族の女性は笑んでいた。


 湖で水浴びをしていた竜は、畔の影に気がつき、動きを止めた。
「パリティ、どうした」
「別に。気配を感じ取ったから寄ってみただけよ」
 湖畔に佇むユニコーンの姿はそれだけで絵画のような美しさがある。が、お互いにそんなことはまったく意識していない。竜の美的感覚は人と微妙に違う。
「それで。あなたは結局、眠りにはつかないのね?」
「うむ。面白そうな連中がいるのだからな、ここで眠ってしまってはもったいないだろう」
「なるほどね。確かに彼女たちは面白い」
「そうとも。先代が苦しんで苦しんで出した結論とは全く異なる答えをあっというまに出してしまった。しかも、戦いながらだぞ?
 彼女はまさに世界を変える存在。旧態依然としたこの世界をぶち壊す仲間たちだ」
「あるいは、人と魔の境さえも越えてしまうと?」
「ありえるかもしれないな。その、かもしれない、というのが非常に楽しいのだ」
 答えが見えたゲームはつまらない。
 この先、どうなるかわからないから。何が起きるかわからないから。だから楽しい。だから楽しめる。
「どうだ、パリティ。付き合うか?」
 陸にあがった竜は小さく吼えた。と、その体が徐々に縮んでいく。
 しばらく待っていると、人の手の平に乗るほど小さな姿となった。そのままパタパタと浮き上がり、ユニコーンの背中に乗る。
「この姿なら目立つまい!」
「……イシュキール。そもそも人の里に竜はいません。小さくなっても同じです」
「そういえば、人里に住む竜の話は聞かないな。何度か人里にも行ったが、見かけたこともない」
 はあ、とため息をつき、パリティは首をひねる。
「イシュキール、今度、獣族の変身術を教えるわ。獣には人と交わって生きる者もいるから」
「ほう、それは便利だな! 是非とも教えてくれ!
 ふむ。竜はそういった気の効いた魔法が苦手だから困るな」
「竜にそんなことをされても困るわ。竜と人の混血なんて生まれたら獣の手に負えないもの」
「獣に手があったか?」
「振り落とすわよ」
「ぬおおおおお!?」
 騒がしく、仲睦まじく、獣と竜は森の中に姿を消していく。


 神聖都市ラブフランジェ。の、近くの森にて。
「姉御。グレイスからの手紙です」
「ん、どれだい」
 クルートから手紙を受け取り、グレイスは口元を緩める。
「へえ。あいつ、自分で字が書けるんだね」
 中身に目を通し、ふうん、と鼻を鳴らす。
「なんですって?」
「クローディアのボスがアタイを逆恨みして狙っているから気をつけろってさ」
「ああ、手遅れでしたね」
 言って、クルートはミスティアの足元に視線を落とす。
 そこには、気絶した上にロープで縛られた男が転がっていた。
「姉御ぉ、他の連中はどうするんすかー?」
「ああ、街道に転がしときな。後でリットのダンナが持ってくだろ」
 手紙を懐にしまったミスティアは、ボスを踏みつけ仲間たちを見渡す。
「いいかい、野郎ども。まだまだラブフランジェ転覆を狙ったバカの残党は残ってる。これからそいつらを狩り出すよ」
「お言葉ですが、それは騎士団の仕事とかぶるのでは?」
「だからこそだよ。騎士団に任せていたんじゃアタイらの顔が立たないじゃないか」
 きっぱりと言い切り、ミスティアは楽しそうにナイフを握る。炎のルーンが刻まれた、激戦の最中で友人の命を救った名刀。
「他の連中は騎士団がいる間、何もできなかった腰抜けどもだ。そんなのにアタイらが負ける可能性はないね。片っ端から狩って、ラブフランジェが誰の者か知らしめるんだよ! いいね!?」
「はーい、わかりやした姉御!」
「姉御、カッコいいっすよ!」
「姉御、痺れるっす!」
「姉御、結婚してくれー!」
「姉御、もう少し体ぁ成長してくれー!」
「最後の台詞を言ったの誰だぁ!?」
「姉御! 森の中で炎は危険ですッ!」
 男たちに囲まれるミスティアは、絶えない笑顔を浮かべていた。


 暖かな執務室に入り、副長は書類仕事をしている隊長の机にティーカップを置いた。
「隊長。いいんですか、見送りに行かなくて。今日なんでしょう、彼らが行くのは?」
 副長の言葉にリットはちらりと視線を上げ、
「必要ないよ」
「ですけど、しばらくは戻らないんじゃ?」
「だが戻ってくる。なら今、慌てて会う必要もない」
 それに、とリットはここで初めて笑顔を見せた。
「連中の話は嫌でも聞こえて来るだろうさ」
「……? どういうことですか?」
 リットはやけにゆっくりとした動作でカップを持ち上げ、香りを楽しむ。
「連中はおとなしくしていられる人間じゃないからね。だから旅立つくらいだ。そんな連中が、外に出て何も起こらないと思うかい」
 カップを傾け、一息。
「魔族との戦争は集結したが、お互いにわだかまりは残っている。一年やそこらでは変化さえ見えないからな。
 せいぜい、彼らには溝を埋める掛け橋にでもなってもらおうじゃないか」
「とかなんとか言っちゃってぇ、本当は心配なんじゃないですか?」
「君は自分より強い人間の何を心配しろと言うのかね」
「生活とか」
「……」
 沈黙。カップから湯気がゆらゆらと立ち上ぼる。
「やっぱり見送りに行った方が?」
「いや、いい」
 再びカップを傾けるが、その指が微妙に震えていた。
 カタリと皿の上に戻し、リットは書類に手を伸ばす。
「彼らは希望だ。我々が縛れるような代物ではないよ」
「神聖が暗黒に対して希望とは面白い言い草だなん」
 ふたりの視線が扉に集まる。
 開いた扉にもたれかかるように、銀髪の男が立っていた。
「何の用件だ、ディック。逮捕して欲しいのか」
「まさか。お届け物っす」
 リットは懐に手を突っ込むと、きらきらとした金の指輪を取り出した。
「そら」
 放り投げたそれを空中で受け取り、リットはじろじろと眺める。
「何だね、これは」
「今朝、市場で見かけたんだよん。安かったし、旅するならその前にってグレイスが」
「……?」
「絆の証。俺たち五人の。そういうことらしいなん」
「ほう」
 改めて指輪を眺める。特別な品というわけではなさそうだが、彫りは独特の雰囲気があった。
「彼女にもそんな女性らしいところがあるんだね」
「知らなかったのかなん? あの子はとても女の子らしいぜぃ。可愛いだろ?」
「はん」
 鼻を鳴らし、リットはひらひらと手を振る。
「いいからさっさと行け」
「はいはい。じゃ、またにゃー」
 同じように手をひらひら振り返し、ディックは扉を閉める。直後、リットは深くため息をついた。
「面白い連中ですね」
「疲れる連中だよ」
 言うリットの瞳は優しい。
 そのことに気づきながらも、副長は口を閉ざすことにした。
 後で仕事を増やされるのはごめんである。


「ただいまだにゃー」
 町外れ、ラブフランジェを見下ろせる位置までやって来たディックは、そこで待っていた馬車に声をかけた。
「お帰り、ディックー」
 真っ先に迎えたウィルの頭をなでながら、ディックは視線を町に移す。
 さほど長くいたわけでもない。が、暗黒騎士として滞在した町としては、最も長かった。
「それもこれも、グレイスのおかげってわけかなん」
「オレがどうしたって」
 ふと視線を落とすと、精悍な顔つきの騎士が見上げていた。腰に当てられた手、そこにはきらりと輝く金の指。
「いいや。たいしたことじゃないなん」
「……? まあいいけどよ」
 返し、グレイスは馬車に視線を移した。
「本当にこんなもん借りていいのかな」
「リットの厚意だなん。素直に受け取っておくといいんじゃないかにゃー?」
 本当は犯罪者の持ち物だったものだが、その事を知っているのはディックだけだ。
「それよりグレイス。もう心残りはないかなん?」
「ま、とりあえずはな。それに今生の別れってわけじゃない。戻りたくなれば戻って来ればいいんだろ」
「それは、死ななければ、だなん?」
 鋭い眼光で暗黒騎士はにらむ。
「この世界。いかに強い人間でもすぐに死ぬこともある。心臓を突き刺すだけで、炎で焦がすだけで、空気で押し潰すだけでも死ぬなん。それでも確実にこの場所に戻ってこられるって?」
「当たり前だろ」
 さらりと。本当に悩まずグレイスは答える。
「オレは、死なない。何があってもだ。そう信じてるし、信じてくれる奴もいる。だから、死なないんだ」
「言葉じゃそう言っても現実はわからないけどなん?」
「そりゃそうだ。だから信じるんだよ。信じて、信じまくって、それを現実にしてやる。何より強い感情がオレを守るんだ。オレは、そうやってこの未来を作ったんだぜ」
 事実、激戦の中で生かされ生き抜いてきた少女の言葉。
 それは、重みがある。他の何よりも。
 だからこそ、ディックもため息しか出ない。
「ま、我らが姫君がそう言うなら。こっちも全力で守るしかないなん」
「そういうこった」
 頷き、笑い合うふたり。と、そんなふたりに、御者台から飛ぶ声。
「いつまでのんびりしているんだ。そろそろ行かないと日暮れまでに到着できないぞ」
「わかってるよ。お前がぶっ飛ばせばそれで済むだろ?」
「馬鹿を言うな。馬には適切な速度というものがある。それ以上じゃ疲れるだろう。それに、その男みたいな口調はいい加減に改めろ」
「文句が多いな……」
 呆れながらもグレイスはウィルと共に荷台に。ディックはサイモンと共に御者台に。
「それで、グレイス。目的地の確認だが」
「適当!」
「――いや。だから。適当ではなく」
「なら、サイモン、お前に任せる! とにかく魔族と人間が争ってるところだ! そいつをぶん殴ってでも止めるぞ!」
 はあ、と息を吐き、サイモンは視線を前へ。
「くっくっく、姫の名前は伊達じゃないってところかなん?」
「そのわがままに付き合う君もよほどの愚か者だよ」
「そこんところはお互い様かにゃー?」
 サイモンは薄く笑みを浮かべ、答えなかった。
 馬車はゆっくりと動き出す。目指す先はいずこか。
 知る者は、誰もなく。

 ガタガタ揺れる馬車は、今日も街道を元気にひた走る。