古びた佇まいの小さな町。その入口に、馬に乗った少年少女と、それを見送ろうとするふたりがいた。
「よーやくせいせいするな」
「こら、セロ。そういう口のきき方はないでしょ」
 ミズキに小突かれ、セロは口を尖らせる。
「でも、これでしばらくは会えませんね」
「んー、まあな」
「いっそロッドガルドに住め。永住しろ。戻ってくんな」
「バカ言うな。ってかセロ、お前って本当に口が悪いな」
 なあ、と少年は後ろに座る少女に問いかけた。
「うーん。カズマ君がいいならそれでもいいかも」
「……お前、なんか主体性ってもんが前よりなくなってないか」
「気のせいじゃない?」
 はぁ、とため息をつき、少年は馬の手綱を握る。
「じゃな、ミズキ。ついでにセロ。クレタスにもよろしく」
「またねっ!」
 馬を走らせ、少年たちは遠ざかっていく。その様を眺めながら、ミズキはぽつりと呟いた。
「本当に、仲の良いふたりね」
「ああ。でもありゃ、恋人って言うより親子だよな」
 しばらくふたりが消えた方角を眺めていたミズキとセロは、くるりと振り返る。
 そこには、住み慣れた武芸の町が広がっていた。
「セロ。道場の再興、できると思う?」
「さあなぁ。でもこの町にゃ剣術道場はあそこだけだし、姉貴だって人に教えるの上手いしな。後はこの町の人間がどんだけ剣術やるかって問題か」
「そうね。セロ、ちゃんと手伝ってね?」
「あー、はいはい」
 答えるセロの頬が赤く染まっていることに、ミズキは気付いているのだろうか。
「さあ、これからが忙しい時期よ!」
 元気に歩く姉弟子の後を、弟弟子がついて行く。


 首都の南、今は使われていない旧街道のさらに先。そこに、炎の洞窟と呼ばれる灼熱地獄のような場所がある。
 そんな、人が立ち入ることなど絶対にない場所に、少年の姿があった。
『フィロミネンス』
 クレタスの呼び声に、炎の中から魔獣が姿を現す。
『何の用だ。監視者』
『何を言っておるのじゃ。もうお主とわししかおらんのに監視も何もないじゃろう。わしだけではお主は倒せぬしの』
『……ふん。それよりなんだ、そのわざとらしい話し方は。もっと普通に話せないのか?』
『癖になってしまったんじゃよ。それよりお主こそ、どうしてこんなところにおるのじゃ?』
『何を言っている。ここが我が住処』
『それは紋章を守っていたからこそ、じゃ。もう紋章などここにはない。お主がここにいる理由もないはずじゃろう』
 魔獣は沈黙し、嘆息する。火の息が地を焦がした。
『わかっているだろう。もう我々が生きる時代ではない。だからこそこうして隠れ住む必要があるのだ。言うなればお前が塔に閉じこもるのと何も変わらん』
『そう。そのことなんじゃが。せっかくじゃ、お主も塔に住まんか?』
『何?』
 うんうんとクレタスは勝手に頷き、
『ここ数カ月、人と接したがの。キリュウが人と生きる道を選んだ理由もわからんでもないのじゃ。確かに人といるのは楽しい。じゃが、わしらはそう人と接するわけにもいかぬ。じゃから、お主とわしで過ごしてみないかの?』
『やめろ気持ち悪い』
 フィロミネンスは化物の顔を本当に不快そうにゆがめ、
『腐ってもお前は敵だぞ。そんなものと住めるか。第一、この体は外に出るのに適していない』
『じゃから、こんなものを用意した』
 クレタスが取り出したのは、照明器具カンテラだった。
『この中に炎の状態で入ればいいじゃろう?』
『……お前。我が存在をなんだと思っている』
『適材適所じゃろ?』
 ふん、と鼻を鳴らし、フィロミネンスはクレタスに背を向けた。
『ふざけるのも大概にしろ』
 そのまま炎に戻ろうとする魔獣。その前を、白刃がよぎる。
『あんたさー、固いこと言ってないで聞いてやったら? どうせ寂しいんでしょ。カズマなんかに協力するくらいなんだから』
 聞き慣れぬ、しかもどこか発音のおかしい古代語に、フィロミネンスは首をかしげた。その発生源に目をやり、
『誰だ、お前は。人間か?』
『あったりまえでしょ。ボクはノエル=リーチェ。古代語は自学自習しただけだよ。一応はわかるでしょ?』
 フィロミネンスは頷き、クレタスに視線を移す。と、こちらはわなわなと震えながら驚きを示していた。
『ノ、ノエル!? なぜお主がここにおるのじゃ!』
『君を追ってきたに決まってるでしょーが』
 ノエルはつかつかとクレタスに歩み寄り、
『まったく困ったことしてくれるよね。おかげでルイーズとは離れ離れになっちゃうし、今さら行く当てもないし君にやられた傷はいまだに痛むし! 本当に嫌になっちゃうよ、どう責任を取ってくれるわけ!?』
『そ、そんなことをわしに言われても困るのじゃが』
『君たちがやったんでしょうがっ! 男なら胸を張って責任くらい取りなさい!』
 自分の何十分の一しか生きていない少女を前に、けれどクレタスはおろおろとうろたえるばかり。
 そんなクレタスを見て、フィロミネンスは快活な笑い声をあげた。
『はーっはっはっは! これは愉快だ! あの魔獣殺しのクレタスが人間の女にも負けるとはな!』
『ま、負けてはおらんぞ! わしはきちんとこやつに勝った!』
『そうして人間の女に手傷を負わせたのか? それが何の自慢になると言うのだ』
 ぐっと言葉に詰まったクレタスに、追いうちをかけるようにノエルが迫る。
『ぐはは、面白い。ああ、面白いとも! こんな光景を生きている間に見られるとは思っていなかったぞ!』
『フィロミネンス! 見てないで助けてくれんかの!?』
『ああ、そうだったな』
 フィロミネンスはくるんと回ると、炎の姿になった。そして、クレタスが手に持っていたカンテラに収まる。
『ってフィロミネンス、そういう意味ではないぞい!? ちょ、なんでわしがこんな目に遭うのじゃぁ!?』
『いいから! さっさと来なさい!』
『嫌じゃ! なんでわしがノエルの面倒をみなければいけないのじゃああああ!』
 賑やかな声は洞窟に反響し、音とも知れぬ音になって消えた。


 首都にいくつか存在する学術院のひとつ、マルクス学園。その教員用の個室に、ルイーズ=アークライトの姿があった。
「……はぁ」
 深くため息をつく。その重みは果てしない。
「負けた、のね」
 完全に。
 力ではなく、心で。
 その事実が、想いで子供相手に勝てなかったという事実が、ルイーズの心を重くし、体にまで影響を与えている。
 コンコン――。
 喪失感が張り付いた顔が、戸をノックする音に反応して上がった。
「どうぞ」
「おう、邪魔するよ」
 中に入ってきたのは中年の男性だった。行商人なのか、後ろに荷物を背負っている。
 その顔を見た途端、ルイーズが固まった。
「あ、なた……、どう、して?」
「いやな、風の噂でお前がちょろちょろと何かをしでかしたって聞いてなぁ。こりゃちょっと顔を見に行った方がいいんじゃないかってんで、わざわざやって来たんだよ」
 行商の男を見つめ、ルイーズは震える。
「だって、え? 嘘、あなたは私なんて見てもいなかった……」
「――情報屋ってのはお前らよりよっぽど危険な商売でなぁ。そう自由に恋愛だのなんだのできる身分でもないんだが。そんな半端なことしたせいで、余計に傷つけたみたいだな。悪かった、すまん」
 頬を染めて頭を下げる行商の男を見つめ、ルイーズは瞳に大粒の涙を浮かべる。
「じゃあ、あなた、最初から全部を知っていたの、ね? 私の想いも、何もかも!」
「あー、まあ、な。これでも情報を売って生きている人間だ。わからんことは、だいたいないんだ」
 言いにくそうに、なおも口を開きかけた男は、途中でその動きを止めた。
 そんな男に、ルイーズはよろよろと歩み寄る。
「いい、もういい……。あなたが、いてくれれば、それでいいの」
 行商の男は優しげな笑みを浮かべ、ルイーズをそっと抱きしめた。
「苦しめて、ごめんな。ルイーズ」
「キスケ……」
 男の腕の中で、ルイーズは泣き続けていた。
 いつまでも、いつまでも。



 馬に揺られて幾日か。
 やっとのことで、行く先に大きな河が見えてきた。
「見えるか、クルル。あれが国境だ」
 河川の向こう側は、もう別の国。古き伝統の残る大国、ロッドガルドだ。
「あの先にカズマ君の故郷があるんだよね」
「まあな。つっても、オレもあんまし覚えてないんだけどよ。覚えていることと言えばろくでもない思い出ばっかだ」
「それを、いい思い出に変えよう? カズマ君」
「んー、ま、お前がいてくれりゃ、嫌でもそうなるだろ」
「え? えへへー、そうかなっ!」
 カズマは鼻をこすり、
「それよか、魔法学校を辞めちまってよかったのか? そりゃ、オレは連中と手を切っちまえばあんなとこ行く理由もないんだけどよ」
「うん、いいの。お母さんもお父さんも反対しなかったし」
「そりゃお前が押し切り……、いや、なんでもねえ」
「それこそカズマ君は? その、連中って人たち、そう簡単に諦めないんじゃない?」
「あー、それなんだけどさ。オレ、実は完全に騙されていたみたいだぜ」
 カズマは恥ずかしげに頬をかき、
「実はあれらの仕事、どれもルイーズに送られてきたものであって、オレなんざ上の連中は存在さえ知らなかったんだと。オレをいじくりまわしたのも、仕事を回したのもサポートしたのも、どれもルイーズの仕業だったってんだからさ」
「じゃあ、ルイーズ先生に踊らされていたみたいなもの?」
「クルル。そ、そういう言い方は、だな。さすがに、ちょこーっと傷つく、ぞ」
「えー? なんだって?」
「……いや、なんでもねえ」
 苦笑交じりに言って、カズマは視線を少し下げた。
 クルルの胸の上では乙女の姿を刻んだ石が、カズマの胸の上では騎士の姿を刻んだ石が、それぞれ揺れている。
 カズマは手綱を握りながら、もう一方の手でそっと騎士の紋章をなでた。
 ――グレン。また、三人旅だな。
 顔を上げ、前を見る。にごっていた、光を失っていたはずの瞳は、いつからか輝くようになっていた。
「よっしゃあ! そんじゃあ行くぜ、クルル=コクーン! 振り落とされんなよ!」
「任せなさーい! カズマ=クライフォード!」
 胴を蹴飛ばすと、馬は加速を始めた。
 大きな河に向かって、馬は草原を駆けて行く。