静かな住宅街。高い建物などいくらもないこの街の外れに、その店がある。
 喫茶『lien』。よく言えば風格のある店、悪く言うのなら古ぼけた店で、使われてる木材やその他のくすみ具合が、年月の経過を感じさせた。
 店の中も外観と大差ない。客席もあまり多くなく、全体的にこじんまりした印象を与える。内装も質素なものだ。
 カウンターの向こう側にいる店員は、今はひとりだけ。高校生くらいの少女だった。こんな店にはあまり似つかわしくない、派手な外見をしている。明るい髪色に、短いスカート。
 何を考えているのやら、ひたすらに不機嫌そうな表情。コップを磨く手だけは止まらないが、入ってきた客を追い出しかねない表情では、とても仕事中には見えなかった。
 と、そんな店に、一人の客が入って来た。
 こちらは、少女とは正反対に、柔和な表情の少年だった。いまどきの若い人間にしては珍しく、髪を手入れしている様子がない。黒い頭髪の左側が、少しはねたままになっていた。
 少年は微笑みを浮かべたまま、スツールに腰掛ける。キシリ、と少しだけ軋んだ。
「ミルクティーを貰えるかな」
「……」
 ちらりと少年を見た少女は、
「親切までに言ってあげるけど、うちの自慢はコーヒーよ」
「そうなんだ」
 にらまれても、ひるむことのない少年。笑みも崩れない。少女はますます額の縦ジワを増やしながら、
「ま、いいけど」
 手だけは仕事を始める。
 まず、少女は手始めにお湯を沸かし始めた。小さな鍋に水とミルクを入れ、火にかける。同時、電気ケトルのスイッチも入れた。
 程なく、電気ケトルの湯が沸いた。少女はその湯を、棚から取り出したカップとポットに注ぐ。
「本格的だね」
「金を貰う以上、ティーバッグとお湯の入ったカップを出すってわけにゃいかないでしょう」
「全国展開のお店なんかは、そんなところもあるけどね」
「そういうところには時間つぶしに行けばいいのよ。貰う料金の大半は場所代でしかないようなところに」
 やがて、鍋の湯も沸いた。
 少女はカップとポットの湯を捨て、中に茶葉を入れる。そこに、鍋で沸かした薄いミルクを注いだ。ミルクを注ぎ終えると、すぐさま蓋を閉める。
「店長さんは?」
「アレの知り合いなわけ?」
「いや。ただ、女の子がひとりで店番をしているお店ってのも珍しいかなって」
「……。今は出かけているだけ」
「そうなんだ。じゃあ、君の名前は?」
 ギロリ、と今までで最恐のひとにらみ。だが、少年はたじろぐ様子がない。
「あ、そうだ、先に名乗らないと失礼だね。僕は笹森。笹森明人ささもりあきと
「勝手に名乗らないで」
「で、君は?」
「……ッ!」
 額に青筋、顔は赤みを増したが、少女は堪えることに成功したらしい。はぁ、とため息ひとつ、しぶしぶ名乗りをあげる。
「有沢」
「下の名前は?」
「光子よ。有沢光子ありさわこうこ!」
 なかばヤケになって、叫ぶように名乗る。ちょうどそのタイミングでタイマーが鳴った。
 すぐさま少女――有沢光子は茶こしを使い、ポットのお湯をカップに注いだ。最後の一滴まで、ポットの中身を全て注ぐ。紅茶のよい香りが漂い始めた。
 スプーンで軽く混ぜ合わせ、ソーサーに乗せて少年の前に置く。
「はい、ミルクティーよ」
「ありがとう」
 笹森は、まず紅茶の香りを確かめる。そして、ゆっくりと茶を味わった。
「うん。美味しいね」
「そう」
「これはなんて茶葉?」
「アールグレイ」
 微笑みを浮かべながら、少年は首を横に振った。
「嘘はよくないね」
「じゃあ、なんだってわけ?」
「アッサムでしょ、これ」
「わかるなら聞かなくていいじゃない」
 ティーカップをソーサーに戻し、
「アールグレイっていえばフレーバーティーだ。名前だけは有名だね。これは茶葉にかんきつ系ベルガモットの香りがついている。そして、ミルクティーには向いていない」
「そういうこと。知らない連中は、アールグレイなんだ、なんて言って、わかりもしないくせに通ぶる。ストレートとフレーバーの違いも知らないくせにね」
「僕がそういうタイプの人間か、確かめようとしたんだ」
「知らないくせに知っているフリをする奴はムカつくでしょ」
「そうでなくても、有沢さんは常にイラついているように見えるけどね」
 それは間違いない。彼女の額に刻まれたシワは、もはやなくなったところが想像できないほどに深い。
「何をそんなに怒っているの?」
「怒ってなんかない」
「だって、ここ」
 笹森は自分の額をトントンと叩き、
「凄いことになっているよ」
「大きなお世話」
 有沢は先程までのコップ磨きに戻っていた。笹森はゆっくりとミルクティーを楽しんでいる。
 静かな時間。
 他の客が来る様子はないし、店の前を誰かが通りかかる気配さえなかった。有沢がコップを磨く音と、時たま笹森が紅茶をすする音だけが響く。
「ごちそうさま」
 カチャリ、とカップを置いた笹森。綺麗に飲み干されていた。
「美味しいミルクティーをありがとう。お礼に、ちょっとした話をしようか」
「言っている意味がまったく理解できないのは、あたしの頭が悪いせいかね」
「ある屋敷で殺人事件が起きた。警察が第一発見者に話を聞いたところ、こんな風に供述した」
「というか、初対面の相手にいきなり殺人事件の話ってどういうもんなのよ」
「『ご主人に用事があってこの家に来た。前もって連絡したのに、呼び鈴を鳴らしても返事がないので、不審に思って家の中に入った。家に入った瞬間、真っ赤な色が目に入って、最初は絵の具でもぶちまけたのかと思った。明かりをつけたら、主人の死体を見つけた』」
「……ふうん」
 笹森は机の上で両手を組み、ニコニコとしている。有沢は変わらず不機嫌そうに、
「おかしな話ね」
「どこが?」
「明かりをつけなければ主人を見つけられないくらいに暗かったのに、家の中にぶちまけられた赤色は見えたっていうんだから」
「正解。頭いいんだね」
「どこが? 話を聞いていて変に思わない奴の方がおかしいくらいの話でしょ」
「キツいね」
「200円よ」
 笹森は財布を取り出し、そこから100円玉を二つ、カウンターに乗せた。
「で、今の問題に何か意味はあったわけ?」
「人は真実だけを語るとは限らない、かな?」
「そんなもの、いまさらあんたに教えてもらわなくても理解してる」
「そうかな?」
 意味深な態度を残し、笹森少年は店を出て行った。
「――変なやつ」
 100円玉をレジに放りこみつつ、少女は素直な感想をこぼす。




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