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冷たく刺すような空気がなくなり、風に豊かな香りが混じり出す季節。 どこか人々も浮かれた空気がただよう中で、ただひとり、険悪な空気をまとう少女がひとり。 言わずもがな。有沢光子であった。 今日はバイトの時とは違い、崩しながらも制服を着ている。染色している髪もおろしていた。それだけなら多少は人の目を引く外観と言えなくもないのだが、いかんせん、雰囲気が悪すぎる。 教室の一番端、窓際の最前列席。前方をにらみながら着席する彼女に、そもそも平然と話しかけられる者がいない。 不機嫌、というものではない。たとえるなら殺気に近い。話しかければすぐさま殺人事件に発展しそうな気配。 始業式が終わり、ホームルームの開始を待つ間。さほどの時間があるわけでもなく、クラスメイトたちは揃って教室の中にいるが、誰もが遠巻きに有沢を見るばかり。 この学校に通う生徒たちは、キリスト教系の学校だから、というわけでもないだろうが、おしなべて大人しい生徒が多い。言い換えれば、有沢のような態度の生徒がいないのだ。 と、そんな風におびえる生徒たちを見かねたのか、その中の一人が有沢に近づいた。 「……有沢」 眼鏡をかけた、他生徒よりは背の高い少年。真面目な顔つきで、どこか高校生らしからぬ落ち着きがあった。 そんな少年を前に、有沢は視線を上げる。 「何」 「君が先頭で殺気を撒き散らしているとクラスメイトがおびえる。やめろ」 「座席を決めたのはあたしじゃないし、あんたに命令される筋合いもない。ついでに目ざわり」 眼鏡をきらりと輝かせ、少年はずい、と有沢に迫る。 「何が気に入らないのか知らないが、君の態度は一般常識が欠落していると言わざるをえないな」 「女子にそれだけ近づくのは一般常識が足りないと思わないの、生徒会長閣下」 有沢の眼力にひるまない彼。名を神山宗佑、一年生ながら生徒会長選挙に立候補し、あっさり当選してしまった秀才である。 年齢にそぐわない落ち着いた振る舞い、真面目な生活態度、それでいて生徒の要望を聞き入れ教師にさえ進言する態度。彼女とは逆の意味で有名な生徒であった。 「いいか、僕はだな、生徒会長としてではなく――」 ガラリ。 ちょうど神山の言葉を遮るように、教室の扉が開き、教師が姿を見せた。 「ほらバ会長、教師が来た、よ……!?」 有沢は目を見開き、その様子に神山は眉をひそめる。 入室してきたのは二人だった。一人は担任である体育教師。そして、もう一人は、有沢の知った顔だった。 「ほら、みんな座れー。転入生を紹介するぞ」 転校生は、ガタイのいい体育教師の横で、いっそう頼りなく見えた。 細身の体、ぼさぼさの髪。他の生徒と比べてもあまり特徴はないが、にこやかな表情は親しみやすさがあった。 「はじめまして、笹森明人です。よろしくお願いします」 平然と名乗りをあげる彼を眺めながら、有沢は脱力しかけていた。 ◆ その日は始業式だった。要するに、学校側に時間的拘束を受けるのは午前中だけなのだ。 生徒たちはそれぞれ、友達同士で街に繰り出している。そんな中、有沢光子は自分の席に座ったままだった。 言うまでもないが、彼女に友人はいない。ならば帰宅すればいいのだが、それも気が進まない。平日はバイトもないから、やることもなかった。 「……いっそバイト増やそうかな」 特に何をするでもなく、何かすることがあるわけでもなく。ボーッと、なかなか進まない時計の針を眺めている時間。 教室にはすでに誰もいない。せっかくの午前授業、教室に残る理由のある生徒はいなかった。 「ん?」 人の気配がない廊下。そこを歩く足音が聞こえてきた。 珍しいこともあるものだ、と思いつつ、有沢は何気なしに扉を見た。 「げ」 ガラリ、と開いた扉。入ってきたのは、笹森だった。 「あ、有沢さん。まだ残っていたんだ」 「――あんたこそ、なんで残ってるの」 「先生に呼ばれてね。転入初日だと、やることも多くってさ」 「うかつだったわ……」 よくよく見れば、彼の席には鞄が残っていた。鞄があるのだから、持ち主が帰っていないのは予想してしかるべきだったのだ。 「そんなに嫌そうな顔をしなくてもいいじゃない」 「変人とクラスメイトになった上、親しくもないのに親しげに話しかけられて喜ぶバカがどこにいるの」 「でもほら、知らない仲じゃないし」 「ほとんど何も知らないでしょうが!」 「僕は有沢さんが美味しいミルクティーを淹れられるって知っているよ」 イライラしている。注視するまでもなく、すぐさま伝わってくるほどの状態である彼女を前に、笹森は引く気配がない。 「帰らないの?」 「大きなお世話」 「時間に余裕があるなら、僕と一緒に来る? 変なところには行かないから大丈夫」 「変な奴と一緒の時点で説得力がないってのは自覚している?」 「それほど近くはないけどね、歩いて行けない範囲でもないから」 「あんたは一度、あたしの話をちゃんと聞け」 「じゃ、行こうか」 「今の流れで、どこに同行するって結論が出るんだ!」 ふい、と振り返った彼は、ごく何気ない調子で言ってみせた。 「だって、家には帰りたくないんでしょ?」 「――ッ!」 大丈夫、わかっている、と言わんばかりの態度で、笹森は鞄を手にした。有沢は当然ながら動かない。ただ彼をにらむだけだ。 それでも笹森は、彼女が付いて来ると信じて疑っていないようだった。鞄を手にしたまま、教室を出て行く。 残された有沢は、開いたままの扉をにらんでいた。 彼についていく道理はない。初めて会った時からずっと、一貫して人をイラつかせる態度を取っている。そんな人に付き合っても、だいたい不愉快になるだけだろう。 それに、こんな時間に学校に残っているのだ、何か事情があるのは誰でも推測できる。彼の言葉も、あるいは特別な意味などないのかもしれない。 それでも。 「……ちっ」 舌打ち交じり、有沢光子は薄っぺらい鞄を手に席を立つ。 彼のことを信じるつもりなど毛頭ないし、気に入らないことでもあれば、すぐに別れるつもりだ。 だが、事実として時間に余裕はあるし、何より彼の態度は気にかかる。 「いいじゃない、乗ってやろうじゃないの」 誰に言っているのやら。彼女は言い訳がましく呟き、教室を出た。 「や」 「!?」 ごく当たり前のように笹森がいた。 「あ、んた……、待ち伏せしてたの!?」 「そんな人聞きの悪い。待ち合わせ、って言って欲しいな」 「一方的に待っていることを待ち合わせとは言わないでしょうが!」 「まあまあ、血圧が上がるよ」 「……」 やっぱりすぐさま帰ろうか、とすでに心の中で考え始めている有沢。敏感に感じ取った、わけでもあるまいが、笹森は先導するように歩き出す。有沢はほんの少し迷い、結局はその後を歩き出した。 |