街の中を歩くという行為を、有沢光子は好んでいない。
 特に学校の近所では、有沢は顔も名前も知られている。そういう、自分が注目されるような場所を出歩くのが嫌なのだ。
「もう少し笑ってみたら?」
「あんた、人の心が読めるってわけじゃなさそうね」
 だから、この状況でそういう発言をする彼を、有沢は無神経とさえ思ってしまう。
「あたしはね、目立つのが好きじゃないの」
「その割には態度とか服装とか、目立とうとしているようにしか見えないよ」
「ようし、そのケンカは買ってやる」
「えーと、遠慮しとくね」
 ちょっと本気で殴りたくなった。
「……。まあ、いいわ。んで? これからどこに行くのよ」
「そうだね、強いて言うなら、秘密基地かな?」
「その歳で秘密基地ごっこ? 痛々しいよ、あんた」
「人目は気にしていないから大丈夫」
「んなの知ってる」
「おお、よく知っているね」
「んなもんわかるわ!」
 やはり、この相手は疲れる。
 有沢は、午後のデート相手を確実に間違えた。どう考えてもストレスがたまるだけだ。しかし、いまさらUターンするわけにもいかない。かといって、帰宅するのはもっと嫌だ、となれば、相性の悪いパートナーについて行くほかに時間潰しをする方法があまりない。
「……ちっ」
 結果、ストレスになるとはわかっていても、ついていってしまう。それに、なんとなくではあるが、そうさせる何かが笹森にはあった。
 二人で小一時間ほども歩くと、隣町との境に着く。そこには小高い山というか丘というか、ともかく小規模の山道があった。近隣住民が散歩コースにしている遊歩道もある。
「大丈夫だよ」
「あんたに何ができるとも思わないわよ」
 遊歩道に入ると、視界が緑色に埋まる。
 うっそうとはしていない。ところどころに差し込む光が心地いい。
 と、その途中で笹森は足を止めた。そして、視線を右に向ける。
「何?」
「こっち」
 そこで、笹森は草木をかき分け奥に入り込んでしまった。
「はあ?」
 不可解に思いながらも、有沢は笹森が潜り込んだ場所を見る。なるほど、獣道とでも言えばいいのだろうか、人間が進むには少しばかり狭い、道らしきものがあった。
「こんなところを通るわけ……」
 引き返したくはなったが、せっかくここまで来たのだから、と、有沢は獣道に足を踏み入れた。
 やはりと言うべきか、常日頃から彼が使っているらしく、ただの獣道よりは通りやすい。
 いっとき視界のすべてを草が埋める。その場所を抜けていくと、突如として視界が開けた。
 そこは猫のたまり場だった。
 背丈の高い草に囲まれたその場所は、日当たりのよい丘になっていた。あちらこちらに野良猫が転がり、あるいはひなたぼっこ、あるいは昼寝、あるいはじゃれあいを楽しんでいる。
「こんにちは」
 笹森はそんな猫たちに声をかけるように入っていくと、まっさきに丘のてっぺんにいる、特大の猫のところまで歩いていった。
「こんにちは、大将。今日は何かありました?」
 大きな猫はけだるげに顔を持ち上げ、少年を、そして少女を見る。
 しばし有沢を眺めた猫は、
「にゃうん」
 顔向きを変え、笹森に聞いた。
 正しくは“鳴いた”というべきなのだろう。猫が人間に質問をするということはありえない。しかし、猫の態度を見るに、どう考えても何かを質問しているようにしか思えなかった。
 彼も手馴れたもので、有沢に手招きしつつ、
「この人は有沢さん。僕の新しいクラスメイト。仲良くしてあげてください」
 有沢が不審げに近寄ってくる。猫の目の前まで来ると、大将はなにやら品定めするような目で彼女を見つめた。
「な、なによ」
 猫の視線に何もあったものではないのだが、彼女はそう言わずにはいられなかった。猫はしばし有沢を見つめ、やがて、しっぽをひとふりして丸くなってしまった。
 笹森は顔をほころばせ、
「よかったね。認めてもらえたよ」
「別に認めてもらわなくてもいいわよ。てかなんで猫に許可をもらわなきゃいけないわけ」
「だって、彼はここの親分猫だから」
「……。そもそも、ここは何なの?」
「ここ? ここは陽だまりの丘」
 少年はぐるりと見渡す。つられて、有沢も周囲を見渡した。
 陽だまりの丘。その名前は、この場所にふさわしいように思えた。常にぽかぽかと日差しが降り注いでいるのに、暑いということはない。心地よい気候の中で、猫たちが思い思いの姿勢でリラックスしている。まるで、この場所にだけ光がやわらかく降り注ぎ、猫たちもそれを知っているかのようだった。
「どうせ時間をつぶすなら、味気ない教室よりはここのほうがいいでしょう?」
 そういうと、笹森は大将の隣に座り、かばんの中から文庫本を取り出した。
「ふう、ん」
 見渡す限り猫・猫・猫。彼女とて猫は嫌いではない。この光景に不満もないが……、少年の言葉を認めるのはどうにも癪に障る。そのせいで、彼女は口を開くことができなかった。
 そんな彼女のところに、一匹の猫がすり寄ってきた。茶色のトラ猫だ。猫はちょこんと彼女の前に座り、
「なーお?」
「いや。なーお、とかいわれても」
 当然、有沢に猫語が理解できるわけもない。助けを求めて笹森を見たが、彼は文庫本を読んでいた。
「うにゃ?」
「だから! あたしゃ猫の言葉はわかんないっての!」
「にゃあう」
 猫は不満げのしっぽをふると、前足で有沢の足をぺしりと叩いた。爪は出しておらず、痛いということもない。教師が出来の悪い生徒をこづいて叱るような感じがして、なんとはなしに有沢は口をとがらせる。
「なーお」
 最後に注意するように鳴いて、トラ猫は離れていった。 
「もう、なんなのよ、ここの猫たちは!」
 有沢はどっかと腰を下ろす。どうにもここの猫たち、その態度が人間くさい。逆立ちして眺めてもただの猫であることに間違いはないのだが、まるでこちらの言葉を理解しているかのような態度を取る。それが気に食わない。
「ちょっと、ここの猫はなんなの? 何か特別な訓練でもしてるわけ?」
「ううん? ただの野良猫」
 文庫本のページを繰りながら笹森は答える。ただの野良猫が人間相手にこんな態度を取るだろうか。そういいたかったが、何を言っても無駄なような気がしたので、有沢もそれ以上を重ねることはしなかった。
「それよりも、リラックスしたほうがいいんじゃないかな。自然体、というか」
「あたしはいつでも自然体よ」
「ここには僕と、猫しかいない。猫たちの言葉を人間は理解できないし、僕を相手に気取っても仕方ないと思うよ」
「だから! あんたは人の話を聞け!」
「まあ、僕がいると気になるっていうなら、今度はひとりでここに来てみるといいよ。ここの猫たちは勝手なものでね、僕たちがいようがいまいが、お構いなしなんだ」
「あんたが勝手ってところは完全にスルーなわけ?」
 と、そこで笹森は視線を伏せた。今までの態度と明確に違う気配に思わず有沢はどきりとする。彼は一言、
「人間って……、身勝手だよね」
「お前がいうなー!」
 有沢の叫び声は丘中に響いたという。



 
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