「……なんですの、これ」
 立派なお屋敷の一室。豪奢なソファに身を沈めたミニャは、ローテーブルに置かれた封書を見つめながら言う。
「わたくしには辞職願と書いてあるように見えるのだけれども?」
「は、はい……」
 ミニャの前に座っているのはハルト・ファイル。彼女が雇用している運搬ポーターだ。
 冒険者としては一応、ミニャの先輩に当たる。のだが、いかんせん役には立たない。
 力が強いわけでもなく、集中力がなくて焦りがちなところもある。特に重要なシーンでもないのにパニックを起こしては、先日のように問題も起きる。
 正直に言えば雇っていたところであまりメリットのある男ではないのだが……。
「わたくしのところを辞めてどうするつもりですの? あなたのような男を雇うところなんてそうそうありませんわよ」
「それは……。理解しています。いざとなったらソロでも」
「パニック症候群のあなたが一人で冒険に向かっても、自爆して死ぬのがオチですわよ」
「はい……」
「悪いことは言いませんわ。わたくしならあなたを雇ってあげられますもの、荷物持ちとして余計なことをしなければ問題もありませんわ。今のまま頑張ってみるつもりはありませんこと?」
「すみません……。でも、先日のように、お嬢様を危機に陥らせてしまっては、従者失格です。これ以上のことを引き起こす前に辞職させて頂けないかと……」
「従者失格、ね」
 まあ事実はその通りなのだが、ここでそう言っても仕方あるまい。
 ミニャは少しだけ考え、パチンと指を鳴らす。すると音もなく従者が現れる。
「お呼びでしょうか」
「イー、ハルトを送りなさい」
「かしこまりました」
「あ……」
 ハルトはゆっくりと立ち上がる。イーはその隣に立ち、一緒に部屋を出た。
「すみません、イーさん」
「いや、構わない」
 無言のまま屋敷の外に出る。庭を抜けた先にある門を出たら、もう戻ることもないだろう。
「ハルト。この後は決まっていないのだったな」
「ええ。まあ、なんとかなりますよ」
「それならここに行ってみるといい」
 イーは紙片を取り出し、ハルトに渡す。
 そこに書かれていたのは住所らしき文字列だった。
「イーさん、これは?」
「行けばわかる」
 イーはそれだけ告げると、仕事を終えたとばかりに屋敷へ戻っていく。
 ハルトはそんな、寡黙な従者に黙って頭を下げた。

☆   ☆   ☆   ☆


 翌日。ピースとミリアは大通りを歩いていた。
 意外と言うべきなのかなんなのか、本当にミリアには何の障害も出ていなかった。単純に魔力を使いすぎただけ、というのが医者の論。
「ったく。で、どこに行きたいんだ?」
「もー、デートなんだよデート。もっと楽しそうにしてよ」
「抱きつくなっての」
 ベッドで横になっていれば気にならないが、ミリアは実のところピースより頭ひとつ背が高い。そんな彼女がピースに抱きつくと、のしかかるような形になって普通に重い。
「じゃあ、とりあえず服屋さんいこーよー」
「お前の服か? 十分かわいいだろ」
「えへへ! デートだからラリーにお願いして気合い入れてきたのよ」
 今日のミリアは足にスリットの入った赤い貫頭衣だ。太ももまで露になるデザインで、退院したてにして少々いかがなものかと思わないでもない。
 ただ、彼女の好む服装はこういうものばかりなので、ピースとしてはもはや何を言ったらいいかもよくわかっていない。
「それに、行くのはミリアの服じゃないよ。ピースの服を買うの!」
「はぁ? なんで俺の服なんか」
「だってせっかくのデートなのに、いつもと同じベストってないでしょー!」
「いいだろ、これ。丈夫なんだよ」
「ダメダメ、女の子とデートするならもっとカッコよくしないと」
「そんなもん、俺に求めるなよ……」
 ふう、と息を吐く。
「どうしたの? 重い?」
「重いっつってんだろ。でも、ま、ちょっと昔を思い出した」
「昔?」
「お前と冒険してた時のこと」
 昔はこうやって冒険に出ていた。
 ミリアは迷宮でもべたべたしてきて、索敵の邪魔になったことも何度かあったっけ。
 もっとも、出てきた雑魚はミリアが蹴散らしてしまうのだが。
「本当に、なんでこんなになっちまったんだか。お前、これからはどうすんだ?」
「冒険のこと? どうしよっかなーって」
「お前ならソロでもやれるだろ。俺が一緒じゃかえって上級の迷宮には行けなくなるし」
 迷宮にもぐるためには、その危険度に応じて資格を要求される。
 レベルの低い迷宮なら有資格者が一人いれば十分だが、上位の迷宮になると全員が有資格でなければいけない。資格停止処分を受けているピースは、実入りの良い上位の迷宮にもぐることができないのだ。
 一方で、ミリア一人ならばそれも可能だ。彼女は本来ならば魔力量も多く、戦闘力も高い。採取は難しいが、討伐ならソロでもやれるーーというより、彼女の場合は足手まといがなくなる、とさえ言える。
 だからこそ、無理をして誰かと組む必要がない。
「でもなー。ピースも冒険に出られないのに、ミリア一人で冒険しても楽しくないもん」
「楽しいとかで冒険してたのか、お前は」
「ピースは違うの?」
「俺は……。それしか生き方を知らなかったしな」
 今から思えば、自分は随分と狭い世界しか知らないのだと感じる。
 冒険によってあちこちの迷宮を歩き、誰も見たことがない景色を見てきた。そんな自分でも、世界はこんなに狭かったのだと今更ながらに気づく。
「まあ、無理に冒険する必要もねえけどな。お前が冒険に行くなら支援くらいするぞ」
「いいよ、そんなの。だいたいピースお金もあんまりないんでしょ、どうせ」
「ちっ……」
 まあ事実ではある。冒険者としての利益はないし。
「今日はミリアがお洋服をおごってあげるからー、それでラブラブデートするの! で、夜は繁華街で……。きゃー♪」
「……夕飯食ったら解散だからな?」
 そう言いつつ角を曲がると、なにやら騒ぎが聞こえた。
「ん? なんだありゃ」
「あれ、チドリンじゃない?」
「ああ、あのアホか」
 冒険者というのはガラの悪い人間が多いというか、良くも悪くも他の仕事が勤まらなかった人間は存外に多い。彼もそんな性質の男で、あまり評判のよくない男だ。
「おぉ、お前!? 何してくれてんじゃ!!」
 そんな男が、誰かと揉めている。そこにいたのはーー。
「あれ、彼、ハルト君か」
「知り合い?」
「まあな。この前、少しだけ冒険を一緒にしたんだ」
「ふうん。ま、ピースの知り合いならちょっとだけ助けてあげよっかなー」
 ミリアはピースから離れると、つかつかと禿頭の男に近づく。
「ちょっとそこの熊男、どきなさいよ」
「あん? なんだ、と……」
 熊男がミリアの顔を見たとたん、青ざめる。
「げっ、鬼女……」
「なんか言った?」
 熊男の顔面をひっつかんでのアイアンクロー。100キロ近い巨体が簡単に浮いていた。
「いだだだだだ! ご、ごめんなさい何も言っておりません!」
「あっそ」
 ぱっ、と手を離すと熊が地面に倒れる。
「じゃ、ミリアの視界から消えてくれる? じゅーう、きゅーう、はーち」
「は、はい、すみませんんん!!」
 猛ダッシュで逃げていく熊。ミリアはふん、と鼻を鳴らした。
 その間に、ピースはハルトに駆け寄る。
「大丈夫だったか?」
「え、ええ。助かりました、ピースさん」
「なんでこんなガラの悪い通りに来てんだ。お前さんみたいなおとなしそうな男は格好の獲物だぞ」
「すみません。でも、ピースさんの家が近くだと聞いて」
「なんだ、俺に用事か」
「あ、あの、はい……」
 小さな声で答える少年に、ピースは首をかしげた。