部屋の中は雑然としていたが、今でも住めそうな雰囲気があった。
 ベッドがひとつ、机がひとつ。それ以外の壁は全て書棚に囲まれており、見上げるほどの高さまでぎっしりと魔術書が並べられている。
 部屋の中央には魔方陣が描かれているものの、半分かた消えていて、何の術式だったのか判然としない。
 本を一冊、手に取ってみる。魔方陣と比べるまでもなく、書物は劣化していない様子だ。
「なんで昔の書物がこんな綺麗なのかしら」
「状態保持の魔法……? それにしたって、これほど長く維持できるなんて、そうとうスゴい魔術師だよ」
「本だけ守っていたの?」
「あるいは、魔方陣は必要に応じて書き換えたりしていたのかも。それだと状態保持はかえって邪魔だから」
「ああ、それってフォークかナイフか持ち変えるみたいなイメージ?」
「そうだけど食べるイメージである必要あった?」
 リンは黙って机に近づく。何か書き物でもしていたのだろうが、メモの類は見当たらない。今までこの魔術塔に入った冒険者たちが持ち帰ってしまったのだろう。
 そうなると、ここで見つけられるものがあるのだろうか。
「……逆の発想」
 ここにいた魔術師は、少なくてもリビングメイルを作れるほどの技術はあった。あれが階下で守っていたなら、ここにたどり着ける冒険者はそう多くない。
 そして、ミハイルがここに来ていたのなら、何か目的があったはずだ。リビングデッドを操作する技術とも受け取れるが、それだけとも思えない。
 なぜなら、ローズが言う通り、リビングデッドとリビングメイルは、厳密な魔術理論的には別の魔法であるからだ。
 似通った部分は多く、魔術を知らない人間からすれば同じ魔法とも受け取れるだろう。だがもともと骨格があるスケルトンやリビングデッドのようなモンスターは、形はそのまま体を動かすだけで済む。
 一方でリビングメイルは、中身がなければ崩れ落ちるただの鎧だ。これを人間のように動かすとなれば、骨格のかわりになるものを必要とする。これを魔力だけで補うのは難しく、おそらくは何か他の魔法で補助していたはず。
 その研究をしていたとすれば、それはリビングデッドを操作する魔法とは少し違う。応用はできるかもしれないが、わざわざ身を隠したいミハイルが探しにくるほどの情報なのだろうか。
「あるいは、別の目的……?」
 リビングメイルとは異なる魔法。
 それは何か?
 並んだ魔術書。仮に必要なものがあったとすれば、ミハイルは持ち帰っているだろう。
 つまり、これはそこにないものを探さなければいけないということ。
「あるべきものがない……。ううん、あるはずのものがない……?」
 あるはずのもの。ここで生活していた魔術師は何を考えていた?
 よくよく見れば、書棚には空いている空間もあった。普通に考えればそんなものかと思うところだが、もしかしてそこにも書物があったのか?
 だとしたら、そこには何の魔術書があったのか……?
「そこにないものを考えろなんて無理じゃないの?」
「そこにないもの……。そうか!」
 リンは懐から薬瓶を取り出し、その場に広げ始めた。どうやら調合を始めるらしい。
「リン?」
「ハルト、アイテム。ウェザー液とキノク草、それからコヒールの骨も」
「あ、はい」
 ハルトは荷物の中から言われたアイテムを取り出し、次々とリンに渡していく。
 なにやら複雑な調合をしているらしく、彼女の表情は真剣だ。ミヅホやハルトも横やりを入れることをやめ、ひたすら完成を待つ。
 あっちの骨を粉末にし、こっちの草をちぎり……そんな調合をしばらく続ける。やがて調合が終わったのか、リンは二種類の薬瓶を手に立ち上がった。
「今からこの二種類の薬を混ぜます。それで完成です」
「何をするの?」
「モノにも記憶が宿ると言われています。この薬は、それぞれの書物から記憶を取り出す薬です。隣に何があったのか……。本の中身まではわからずとも、タイトルくらいはわかるはず」
 赤い薬と青い薬、それぞれを混ぜ合わせると紫色の煙がたちのぼる。
 煙が本にかかると、うっすらと空いていたはずの空間に書物の影が見えた。あれが本の記憶というものだろうか。
 リンは目を細めながら、
「……読めます。【既存術式……介入……】それと【効果……反射……】かな? 論文のような学術書が二冊ありません」
「介入と反射?」
「その、ようです」
 魔力を使いきったのか、リンは顔から吹き出た汗を拭う。
「本当に本の記憶なんて読めるんだね」
「状態保持の魔法がかかっていたことも幸いしました。劣化した物品はボケ老人のように記憶が薄れます。ここの書物は状態が最高のまま保管されていたから、記憶も高い純度で取り出すことができたんです」
「なるほどねぇ。で、本のタイトルがわかっても、それをミハイルが持っていったとは限んないしね。それに、持っていったのがミハイルだったとしても、何の目的があるかなんて分かんなくない?」
「あなたの言う通りです。ですが、理論的に考えてミハイル以外の人物が持ち去った可能性は低い。なぜなら状態保持の魔法が残っているからです」
「……どういうこと?」
「保持の魔法というのは、全てが揃った状態でこそ術式が安定します。今は本が抜かれた状態ですから、徐々に魔法が解けつつあるはず。それが今も残っているのだから、術式が破られたのはごく最近ということです」
「なるほどね。ここ最近でこの魔術塔に来る用事がある人物といったらミハイルの他にない、と。じゃあ持ってったのがミハイルとして、何をしたいかなんて想像できるもの? 魔術書のタイトルがわかったって中身まで知っているわけじゃないんでしょ?」
「そのあたりは先生に聞いてみないとなんとも言えませんけど、私は読んだことのない魔術書です。あるいは写本のない、個人が記したものかも……」
「あの、介入と反射……ですよね?」
 すると、ハルトが手を上げた。リンは頷き、
「そう読めました。何か心当たりでも?」
「心当たり、というわけではありませんけど。介入というのは、すでに起動している術式に対して効果を変更させるという意味でしょう。通常の魔法は効果時間が数秒ないし数分なので後から介入する意味は薄いですが、長時間効果がある魔術には意味がある……。
 それに反射。これは本来なら敵の攻撃魔法を跳ね返すという意味でしょうが、違う見方をすれば……。魔法の向きを逆にする、とも受け取れます」
「それはそう、なのかな? それで?」
「既存術式を反転させる、反転術式。その研究をしていたとしたらどうでしょう」
「反転ねぇ。それが何か問題なの?」
 ハルトの言葉に、リンはその意味を理解したようだった。
「帝都で反転させてはならない術式がひとつ存在します。絶対的に、帝都の安全に関わる話です」
「はい。もし帝都の防御結界魔法を反転されたら……。侵入は無制限となり、中の人は脱出できない。最低最悪の檻が完成してしまいます」