学校に行くと、ヴェチルは普通に登校していた。
 教室の片隅。彼女の席に近づくと、向こうも顔を上げる。
「あら、おはよう、ロアン。ゴリラ」
「人の名前を覚えるところから始めましょうか?」
「ごめんなさいね、まだ日本語が不自由なの」
 くすくすと笑ったヴェチルは僕らを等分に見て、
「それで、何の用事? 技術のことを教えてくれる気になった?」
「君に教えるのはリスクであるという考えに変わりはないよ」
「あら残念」
「でも、君を放置するのもリスクだからね。ウチに盗聴器とかつけてないだろうね?」
「盗撮カメラと盗聴器くらいなら設置しているわよ。三人でお話ししていたことも聞いていたわ」
「嘘をつくなよ。そのへんはテーラが調査しているから存在しないってわかっている」
 これはハッタリだ。だけど、彼女が我が家に盗撮・盗聴する装置を設置している可能性は低いと見ている。
 単純にそれらは犯罪になるというのもそうだが、その程度で理解できる情報じゃないからだ。
 僕が変身するシーンを見ていても、声を出せば服装が変わり、超人的な力を手に入れるというだけ。そうなる理屈が知りたいのだから、盗撮や盗聴にはあまり意味がない。
 実際に魔法のアイテムを手に入れて、その動きを調べ上げなければ彼女の目的は達成できないのだ。
 ヴェチルはふうん、と僕を見上げる。
「まあいいわ。そこは重要じゃないし。それに、私はあなたと仲良くなりたいだけよ」
「僕が寝ている間にリボンを盗むとか、そういうことを考えてるのかな?」
「そんなのもっと簡単よ。あなたに薬でも盛ってしまえば奪うことはできる。でも、それだけじゃ無駄でしょう?」
「……?」
「私がこの国に潜伏して一ヶ月になるの。そう言えば理解いただける?」
 僕がカーバンクルとなったシジョーさんと出会ったのはちょうど一ヶ月くらい前。同じ頃だ。
「その頃から魔女の組織ーーそう、テーラが所属しているよう組織の活動が活発になっていた。だからこの国に潜伏し、情報を集めていたの。この学校に来たのは最終段階。それ以前の予備調査で、リボンはあなたが使わなければ意味がないことも判明しているわ」
「……!!」
 もしかして、リボンはすでに調べられていた?
 そのうえで僕に近づいてきたのか……。僕しか使えないということはテーラも知らなかったのか? それは無理もないかもしれない、彼女に僕のリボンを渡したことはないし、そもそも彼女の調査対象は魔法じゃなくて、僕が所持しているという里の重要なアイテムだ。 
「あなたがこちらに協力してくれるならなんでもしてあげるわ。金銭、女、権力。こちらで用意できるものは用意しましょう」
「……それこそ僕を薬漬けにするとか、人質を取ろうとかは思わなかったんだな」
「それが魔法とやらにどんな影響を及ぼすかわからないので。影響がないことが確認できれば拉致くらいするけど。里の魔女たちってさらっても拷問しても、特に情報が出せなかったのよね」
 さらう。拷問。
「冗談だと思っている? こちらは本気よ。お金で解決しようって言っているのは非常に紳士的な段階。言うなればこちらが金銭的にも時間的にも余裕があるから提案してあげているだけ。履き違えないようにね?」
「もし、切羽詰まったら……」
「拉致って薬打って、それでも情報出さないなら刻んでおしまい。マフィアのやり方とか知っている? 彼らって意外と紳士的なのよ、お金が全てだからね。でも私たちに倫理観なんて期待しないで」
 その時、予鈴のチャイムが鳴った。
 ヴェチルは妖艶な笑みを浮かべながら、
「ほら、もうすぐ先生がいらっしゃるわ。席に戻ったら?」
「……君は」
「金曜日まで待ってあげる。回答がないなら次のステップに進ませて貰うわ」
 そう言う彼女に、僕と蛍石は何も言うことができなかった。

☆   ☆   ☆   ☆


 それからの数日は、本当に身が入らなかった。
 テーラの調査でもヴェチルの弱点はわからず、僕らは彼女と交渉すらできなかった。
 彼女は組織をバックに持っている。学校に来ている彼女は組織の先端に過ぎない。それに個人で対抗なんてできない。
 警察だってあてにならないだろう。というか、ただの中学生に過ぎない僕が外国のスパイに追われている、なんて言っても相手にしてくれるはずがない。
 そうこうしているうちに、金曜日の昼休みとなってしまった。放課後にはヴェチルに何か回答しなければならない。
 僕と蛍石は学校の中庭にあるベンチに座り、頭を抱えていた。
「どうすればいいんだろ……」
「どうって言っても。魔法少女に変身して、ヴェチルをどうにかしちゃうとか」
「彼女をロープで縛ったって、代わりの人が来ちゃうだけだろ」
「そうだよね……」
 僕らはため息をつくしかない。
 彼女はあくまで組織の一部。彼女だけを削り取ったところで意味はない。
 でも、じゃあどうすればいいのか……?
「もう、ヴェチルに協力するしか……」
「ダメよ、そんなの! そんなことしたらロアンがどうされちゃうか……」
「でも、それ以外の方法でみんなを危険に晒すわけにはいかないし、他に方法も……」
「だからってロアンだけが犠牲になればいいって話じゃないでしょ!」
 そうやって僕らが議論していると、
「あのー、お二人さん?」
 誰かが声をかけてきた。
 顔を上げると、どこかで見たような女子が立っていた。長めの黒髪で、制服をきちんと着ている。他に特徴らしい特徴はメガネくらいで、全体的に地味な感じの子だった。
「何か困りごと? 相談に乗りましょうか?」
「え? 相談って言っても……」
「大丈夫ですよ。生徒会は生徒の悩みならなんでも聞くから」
 よくよく見れば、襟のところに小さなバッヂが光っていた。生徒会の役員がつけているものだ。
 僕はこっそり蛍石に耳打ちする。
「誰? この人」
「生徒会の副会長。黒木さん」
 副会長か。道理で見た覚えがあるわけだ。
 とはいえ、生徒会に相談できる話でもない。
「えっと、すみません、大丈夫です。僕らで解決しますので」
「不安ですよね。でも秘密は守るし、誰かに話すだけで楽になることもあるでしょう?」
 そこを不安に思っているわけではない。というか解決できるとも思っていない。
 と、蛍石が口を開く。
「えっと、友達とちょっと険悪になっちゃって。私たちが秘密にしていることが、その子には気に入らないみたいなんですよね。でも私たちも、なんでも話したくないっていうか」
「ふんふん、なるほど」
 副会長は頷き、
「それは嫉妬ですね。友達と思っていた相手が、自分が思うほど自分を信じてくれなかった。その悲しさでしょうか」
 ぜんぜん違うと思うけど、まあ勘違いしてくれるならそれはそれでいい。
「秘密を話すことはできないんでしょう?」
「そうですね。その子にはちょっと話せないです」
「じゃあ、その子とだけの秘密を作りましょう」
「……は?」
 副会長はにやりと笑う。
「話せない秘密があっても、他に共有する秘密があれば人の仲は自然と深まります。秘密を共有する相手、言わば共犯者です。これは友達関係よりも強い縛りがあります。それならその子も納得ーーとは違うでしょうけど、親しくはなれると思います」
「秘密って……」
「犯罪行為はさすがに生徒会として推奨できませんけどね。夜の学校に忍び込んでちょっとイタズラするくらいならどうでしょうか」
 おいおい。不法侵入も犯罪だぞ。
「学校に忘れ物しちゃった、大事なものだから取りに行かなきゃ。そんな体裁で学校に侵入して、ついでにちょこっと黒板に落書きしておくとか。今日は金曜日ですから、土日に部活で来た誰かがやったと思われるでしょうし」
「なるほど……。それは面白いかもしれませんね」
「蛍石!?」
 何かを考えている蛍石。お前本気か!?
「ふふっ。参考になったのならよかったです。それでは」
 颯爽と立ち去る副会長を尻目に、僕は蛍石に詰め寄る。
「蛍石、本気で学校に忍び込むの!? というか、そんなことしても何の解決にも……」
「そうだけどそうじゃない。夜の学校で魔法について教える、とでも言えば彼女を誘い出せるでしょ? で、夜の学校ならテーラと協力できる」
「協力って……」
 役に立つんだろうか。あの魔女、今のところただの運転手だぞ。
「ヴェチルが怖いんじゃない。その後ろに得体の知れない組織があることが怖いだけ。彼女を組織から切り離せるならちっとも怖くないわ」
「それはそうかもしれないけど……。スパイをやめさせるってこと?」
「それは話をしてみないとわからないけど」
 僕には蛍石の考えが読めなかった。けど、とにかくできることがあるわけでもない。
 仕方なく、彼女の案に乗ることにした。