秋口。夜になると、少し冷える。
 太陽の下ならば存在する温かさも、月に求めるわけにはいかない。だが、そんな空気も、自分にはふさわしいのかもしれない。
 夜の街を、一人の青年が歩いていた。量販店で売っているシャツにジーンズ。ポケットの中に入った財布の中身は、小銭が数枚。
 金はない。仕事もない。さらに言うなら――生きる気力も、あまりない。
 黒崎誠一は、先ほど見た父の顔を思い出す。勘当され、家を追い出されて。一時間ほど歩き続けたが、どこか目的地があるというわけでもなく、むしろ他にすることがないというだけ。
 当てはなかった。だが、こんな自分を助けてくれる人がいないということも、よくわかっていた。
 親にさえ見放されたのだ。つまりは、自分がそれだけ、人間として成立していないということ。犬猫ならまだ可愛げもあるが、無表情で薄暗い自分には、何もない。
 そう、何もないのだ。自分には。
 そんなことをつらつら考えながら歩いていると、ふと、コンビニの明かりが目に留まった。
 なんとはなし、店に入る。夜半のコンビニには人の姿もなく、店員が品出しをしていた。邪魔になるのは気が引けて、雑誌コーナーへ足を向ける。
 手に取った雑誌は、若い男性向けのものだった。セクシャルな女性がグラビアを飾っているが、そんな気持ちも起きない黒崎は、ぱらぱらとページをめくる。
 最新の快眠方法。話題のデートスポット。どれも自分には縁のないものばかり。
 いや、自分に縁のあるものなど存在するのか――。そんなことさえ疑問に思いながらページを繰っていると、風変わりな広告にぶち当たった。
「……?」

 世界を律する権利が欲しい者は来たれ。

 そんなタイトルの下に、場所と期限が書いてある。場所は隣町の山中、期限は――今晩か。ただそれだけしかない記事だった。
 ゲームの宣伝ならば、発売日やメーカーの名前、ジャンルなどが書いてあるだろう。漫画か何かの広告ならば出版社か。イベントならば内容くらいは書くだろう、普通は。だが、そのいずれもない。これでは、何をどうするのか、さっぱりわからない。
そういえば、この広告は以前にも見かけたことがある。日付と場所しかない意味不明の広告は、インターネットでは話題になっていた。だが、家から出るつもりのなかった自分には、興味もなかっただけだ。
「世界を、律する」
 己も律することのできない自分に何を言うのかとは思うが、逆に言えば、それほどの人物は、自分と正反対に思えた。
「……」
 今の自分が正しいはずはない。だが、少し変えたくらいでは、きっと自分は救われない。
 人間は、環境を変えれば、その通りになるともいう。つまるところ、父が自分を勘当したのも、そういう甘えられない環境に放り込むためだろう。
 ならば。自分と正反対の存在、そんなものを目標にする者たちが集まる場所ならば。
 ――自分は、少しくらい変われるだろうか。

◇ ◇ ◇


 会場として指定されていたのは市街地から離れた山の中だった。交通費をかけることなく到着できる場所だったのは幸いだ。というか、そうでなければ断念し、思い余ってトラックにでも飛び込んでいたかもしれない。
「……それも、ありかもしれないけれど」
 疲れた足をひきずりながら、そんなことを思う。死んだら異世界あたりに転生したりしないだろうか。
 暗い山道だが、街灯が存在していた。昼間ならば優雅な散歩道になるかもしれないが、夜半は人気もなく、むしろただ怖い。
 内心でびくびくしながら歩いていると、ログハウスが目に入った。明かりが漏れているし、人がいるのだろう。
 近づいてみると、扉に、『大会受付』と書いてあった。何の大会かは書いていない。それが、件の大会らしいな、と思った。
 扉を開くと、カウンターと、横に扉がひとつ。休憩スペースらしいソファが一組。カウンターの奥には、スーツ姿の女性が座っていた。
「いらっしゃいませ。参加しますか?」
「はい」
 黒崎が答えると、ショートヘアの女性はにこりと笑った。安心感のある笑顔で、少し可愛い。
「いいですねいいですねー。ごちゃごちゃ聞いたりしないあたり最高です。どうやって調べましたか?」
「雑誌の、記事で」
「ああ、あの超絶いかがわしい広告ですねー。あれだけで参加する人、本当にいたんですねー。それとも、あれをきっかけに独自の情報網とか使っちゃいました? まあ、国のデータベースにハッキングすれば、いくらでも情報ありますもんねー」
 パソコンは人並みに扱えるが、逆に言えば人並み程度。ハッキングなど、どうやればいいのかも想像できない。だが、会話が苦手な黒崎は、イエスともノーとも言えなかった。
「ま、答える義務も義理もありませんねー。それに、情報は秘匿しておくほうがベターです。誰が参加しているか、わかりませんからねー」
 そう言いながら、受付嬢はキーボードを叩き、パソコンを起動させる。
「はい、ではお名前は? これは通称でもリングネームでも、なんでも構いません。本名を知られることで不利になると思うなら、イチローとかでもいいですよ」
「……黒崎、誠一です」
 本名を知られることによるデメリットは想像できなかったが、さしあたって隠す理由もない。というか、イチローなどと呼ばれて、返事できる自信もない。
「はい、黒崎誠一さんですね。種族は?」
「種族?」
「人間とかエルフとか。見た目だと人間っぽいですけど、先日来た参加者さんなんか、人間と間違えたら殺されそうになりました。ヴァンパイアさんなんですって」
「ヴァンパイア」
 ……吸血鬼?
 何を言っているのか。まさか、本当に吸血鬼が存在するとでも? それとも、自分はからかわれているのだろうか。
「人間、です」
 とりあえず、そう答えた。むしろ人間以外の種族が存在しうるのか、そんなことを疑問に思いながら。
「はい、人間ですね。じゃあ、お仲間は……、いらっしゃいませんよね?」
 こくりと頷く。父に勘当され、友達はもともといない。妹くらいは味方してくれたかもしれないが、出てきた時には寝ていた。
「はい、オッケーです。では、これをどうぞ」
 受付嬢が取り出したのは、革袋とネックレスだ。ネックレスの先端には透明な石が輝いている。
「革袋はお金です。会場では中に入っている通貨しか使えません。具体的には金貨とか銀貨ですね。それとネックレスですが、これは参加者であることの証です。神の魔法で、あらゆる言語を自動的同時翻訳してくれる便利機能付き。それと、詳しいルールは会場内で説明があると思いますけど、大会の条件はひとつ」
 びしっ、と指を立て、受付嬢は言う。
「参加者全員を自分のレギオン――、要するに自軍に自分以外の全員を引き入れること。これだけです」
「参加者、全員を?」
「あ、詳細は、もうすぐ大会開始のセレモニーがあるので、そちらでどうぞ。それよりレギオン名……、うわ、というか、本気でもう時間ないですね。こんなギリギリだと、たぶんあなたが最後かな? 時間ないので、そこの扉から直接どうぞ。時間が過ぎたら、私たち受付組も中に入るので、また会うこともあるかもしれませんねー。あ、そうそう、中に入ったら、大会終了までは出られませんので、悪しからず」
 そう言って、受付嬢は横の扉を指す。不思議な気はしたが、黒崎は黙って会釈すると、扉を開けた。
 扉の向こうは薄暗い廊下が続いていた。こんなに大きな建物だっただろうか、などと疑問に思いながら、先に進む。
 10分ほども歩いただろうか。暗いトンネルを抜けると、急に明るくなった。
「ッ!?」
 そこは、明らかに山中ではなかった。
 林立する高層ビル群。その只中にある広場だ。周囲には数多くの人々が集まり、パーティらしきものを開いている。
 ありえなかった。山中に、というかこんな田舎町に、これほどのビル群があるはずもない。それに、ここに集まっている人々はなんだ?
 自分と同じような、いわゆる普通の人間はわずか。あちらに見えるのは、どう見てもゲームでしか見かけないドラゴン。そちらにいるのは、赤い肌に金棒を持った鬼。その隙間を大きすぎるミミズが通過し、刀を振りかざした人間と杖を持った人間――いや、耳が尖っているからエルフか――が、何やら喧嘩をしている。
「こ、こは」
 こんなところが、本当に存在したのか?
 黒崎が一歩も進めぬまま立ち尽くしていると、
「あれ、まだこんなところにいたんですか」
 後ろから女性の声。振り返れば、先ほどの受付嬢がにこにこと笑っていた。
「あの、これはいったい」
「ああ、オープニングセレモニーです。大会は今夜から開始ですけど、それを祝って運営がお食事を用意しています。参加者なら無料ですよ、無料。食べなきゃ損ですよ? 私は運営側だから食べてたら怒られますけど」
 損とか得とか、そういう話ではなく。
 そんなことを漠然と考えていると、スピーカーの割れるような音が聞こえた。