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夜の神社は暗い。 それは、観光地化した平等院も同じだ。月明かりしかない。 それでも、僕の目には、見たいものがはっきりと見えていた。 「茨。これで」 「ええ」 僕の声に、暗がりから返事がくる。 平等院の前にある池のほとり。そこに、一本の松がある。古い松だ。これが、鬼の封印。 普通、妖怪が封印されたなんて聞いたら、たいていの人は社に封じられていると思うだろう。けど、それは間違いだ。 日本の神社は定期的に立て替える。もちろんそのたびに神様を移す儀式はするけれど、封じられた鬼そのものは移動させることができない。 そこで、昔の武士たちは、神社の前庭に鬼を封印させる道を選んだ。境内はすべからく神域であり、鬼の力を制限する霊力が満ちている。そのうえで、神様が見張ることのできる場所に石や木といった印を置き、封じてきたのだ。 「いつでも」 「では」 暗がりから妖気が漂う。これは、鬼を蘇らせるための道しるべ。呼び水だ。 そこに霊力を混ぜながら、祝詞を唱える。 「……」 口の中で、小さく唱える。それで十分だ。 本来、祝詞は神様に捧げるためのものだ。これを、鬼に捧げる。 すると、鬼は霊力を受けとることができる。霊力は鬼にとって毒だ。だけど、少量の毒を受けとれば、鬼の霊力はむしろ力を増す。 その力強さは、長年の封印を内側から押し開く。 「ッ!!」 膨れ上がった妖気は限界を超え、封印を内側から弾き飛ばした。 松の木がへし折れ、根本から髑髏が転がる。 それは力を成し、肉を取り戻し、存在感が増す。 「るぅぁぁぁぁぁぁ!!」 爆発的に膨れ上がった妖気は、人間のような形を取り戻した。 身の丈は2メートル近い。ゴツゴツとした筋肉に、濃紺の作務衣から覗く赤黒い肌。額に伸びるのは一本の長大な角。 百鬼の長とも呼ばれる、鬼の中の鬼。酒天童子。 「初めまして、酒天。お目覚めはいかがかな」 「あー、あぁ?」 酒天童子はボリボリと首をかくと、僕を見つめた。 「お前が俺を蘇らせたのか?」 「そうだよ。もっとも、僕だけじゃないけどね」 すると、僕の後ろから、すっと影が出た。 こちらは酒天童子ほど大きくない。背丈は僕と大差ないし、着物の隙間から垣間見える肌は白く、柔らかそうだ。頭の左右からは角が飛び出している。 女性の鬼。名を茨木童子。 「おお、茨か。なるほどな、お前が俺を蘇らせたわけか」 「ええ。あなたがわたくしの全てだもの」 くすくすと笑う彼女は、妖艶という言葉がよく似合う。妖怪ではあるのだけど、まるで人間の美女みたいに魅力が溢れている。 「でも、わたくしの力だけではあなたを蘇らせることはできなかったわ。そういう意味で、彼女の手助けは必要だった」 「人間か。俺を封じたのも人間だがな」 「まあ、人間には色々といるんだよ」 「ふん。いいだろう。鬼は義理を返すもんだ。人間、俺を蘇らせた礼に、願いを叶えてやろう。何を望む?」 酒天童子の問いかけに、僕はにこりと笑った。 「死が」 「ほう?」 「たくさんの人に死んで欲しいんだ。一人や二人じゃダメだ。もっと多くの人間から、生を奪い、尊厳というものを思い出させて欲しい」 「何故だ?」 酒天童子の問いかけに、僕はすぐに答えず、月を見上げた。 「……今の日本では、自殺は認められていない。それだけじゃなく、尊厳死というものも認められていないんだ」 「尊厳死?」 「体が動かなくなった老人。若くして難病にかかった人。延命治療を受け続ける者は、人だけでなく獣もいる。そういう、まともに生きることはできないのに、死ぬことも奪われた命が、この国には本当にたくさんいるんだ」 人間も。ペットも。医療の進歩により、今では本当に長生きできる。 そのこと自体は素晴らしいことかもしれない。でも、それは弊害だってある。 目が見えなくなっても死なせてもらえない。ベッドから起きることができなくなっても死なせてもらえない。大好きだった散歩に行くことも、美味しい食事を口にすることもできなくなっても、死なせてもらえない。 何故か? 命は尊いから? でも、それはーー生きていると言えるの? 「この国ではね、死ぬことがタブーなんだ。議論さえ認められない。縁起でもない話をするな、ってね。馬鹿みたいだろう? 死ななければ何があってもいいのか? どんなに苦しくても生きていなければいけないのか?」 「だから殺すってのか?」 「そうだけど、そうじゃない。この国はね、死というものを特別視し過ぎなんだよ。死ぬというのは当たり前の過程に存在するものだ。誰にでも必ず訪れる、避けようのない人生の一部なんだ。その位置を前にするか後ろにするか、それは自由に決めていいものなんだ」 だから僕は、鬼を蘇らせた。 「酒天童子。君にはたくさんの人々を殺して欲しい。死ぬということを特別なものとして扱い、忘れ去ってしまった馬鹿な国民たちに、思い出させて欲しい。死ぬことは祝福なのだと。それもまた、避けられないものなのだと」 僕の話を聞いた酒天童子は、にやりと笑った。 「はん。良いだろう。俺の得意なことだしな。茨、手を貸せ」 「いつでも」 「他の鬼共もかき集めろ。なるべく多くな。祭りの始まりだ」 ふと、酒天童子は僕を見つめた。 「おい、人間。お前の名は?」 「ああ、風野。風野祈」 「じゃあ祈。お前に見せてやろう、地獄ってやつをな」 酒天童子は僕を肩に乗せると、地面を強く蹴飛ばした。 空を飛ぶ酒天童子を、茨木童子が追いかけてくる。 「……奇跡か」 人間の誕生は、命は、奇跡と呼ばれる。 でも、奇跡は二度と起きないから奇跡なんだ。人間は、生まれながらに奇跡という一度きりのカードを使いきってしまっている。 そこから先、人生に起きることは全て運命と呼ぶべきだろう。全ての出来事は、起こるべくして起きる。 多くの人間は、そのことを忘れている。見て見ぬふりをしている。 だから、僕らが思い出させてやろう。 お前たちに、奇跡なんて二度と起きないんだということを。 鬼の足は車のように早く、一晩で京都から関東まで走り抜けてしまった。 「ここが今の都だよ」 東京に辿り着いた僕らは、手近なビルの上に降り立ち、あたりを見渡す。 東京23区のど真ん中。ビル群が立ち並ぶあたりでは、平日の昼間でも数多くの人々が行き交っている。 「なんだこりゃあ。祭礼か何かか?」 「いや。人間が増えたんだよ」 「はぁん。人間ってのはほっときゃあ、いくらでも増えやがるな」 「そうさ。人間は死なないように死なないように、さんざん努力をして、命を守ってきている。でも、そのひずみを解消できていないままなんだ」 「ま、平安の時代とは違うからな。俺たちみてえのが人間を食い散らかしてるってわけでもねえんだろ」 「酒天の時代はそうだったの?」 「ああ。人間って言えば妖怪の食料だったもんだ。ま、鬼のように人間を食う妖怪もいれば、獣どものように人間は食わないって連中もいるが」 「でも、現代で鬼が人間を食べたなんて話は聞かないね」 僕が言うと、茨木童子がうなずいた。 「今は妖怪なんていくらも残っていないし、鬼なんて数えるほどしか残っていなかったもの。不用意に暴れれば霊力を持った人間に狩られてしまう」 「今の時代に、霊力を持った人間がそれほどいるとは思えないけど」 「それは人間だから分かるのよ。妖怪からすれば、霊力持ちの人間がどれだけいるかなんて分からないわ。それに、酒天童子が倒れるまでは、人間にやんちゃをしても酒天童子が守ってくれていた。酒天童子が倒れてからというもの、自由に活動できなくなった鬼は多いわ」 「なるほどね」 「でも、こうして彼は蘇った。何匹でも狩れるわ」 「それはいいけど、どうせなら、人間に布告したいね」 「布告?」 「これから祭りが始まるよってさ。せっかくだもの」 「いいわ。どこに行けばいい?」 「えーと」 僕はスマホの地図アプリを開き、方角を確かめる。 「こっちの方に行くと、丸っこい建物があるはず。そっちに向かってみて」 「おう」 コンクリートを爆砕しながら、酒天童子はまっすぐ跳び跳ねて行く。 見えてきたのは、テレビ局の建物だった。特徴的なフォルムのそこを指差し、 「あの中に飛び込んで」 「任せろ」 酒天童子は僕を肩に乗せたまま、建物の外壁に飛び蹴りをかました。 鋭い蹴撃はコンクリートの外壁を粉砕し、そのまま中に飛び込む。続けて茨木童子が飛び上がってきた。 「な、なんだ?」 怖々と覗き込む男性。酒天童子はその頭を無造作につかむと、 「ぴっ」 握り潰した。ぐしゃりと死体が崩れ落ちる。 「ははははは!! さあ、どっちだ!!」 「適当に行こうよ」 「おう!!」 血を見て興奮してきたのだろう。酒天童子は楽しそうに通路を進む。 「はっはぁ!!」 目についたアナウンサーらしき女性を蹴り飛ばした。女性は壁に叩きつけられ、破裂した。 警備員らしき人は体を掴まれ、天井に投げられた。ボードを突き破って天井裏に飛び込んだ警備員は、もう降りてこなかった。 何かで見覚えのあるようなタレントがいたようだけど、すぐさま弾き飛ばされて肉塊に変わったから、確かめる余地はなかった。 見学に来ていたらしい学生は、茨木童子が半分にひき千切った。 酒天童子が進む先、死と血が撒き散らされる。むせ返るような匂いが充満していく。 テレビ局の通路は狭く、逃げ場がない。車並の速度で走ることができる酒天童子が相手では、ただの人間に逃げ場などない。 「あ、ここがいいね」 ふと見つけた、赤いランプがついていた扉を指す。酒天童子が扉を蹴飛ばすと、扉はヒンジがへし折れ、轟音と共に室内へ転がっていった。途中にいたカメラマンらしき人が犠牲になる。 そこは生放送のテレビスタジオだった。タレントやアナウンサー、職員たちが僕らを見つめる。 「要求だよ。このまま放送を続けて。放送を切ったら全員殺すね」 スマホで番組配信アプリを開く。画面に、唖然としたタレントたちの顔が映る。 僕は酒天童子から降りると、カメラの前に立った。スマホの画面に僕の顔が映る。 「やあ、こんにちは。これから僕たちは、あなたたち人間に対してお祭りを開催します」 しん、とスタジオが静まり返る。あまりに異常な事態に、誰もが呆然としている様子だ。状況を理解できていない。 そういうところが、お前たちが平和ボケしているって言うんだ。 「お祭りの期間中、誰かが死にます。死ぬ人はランダムだよ。男も女も、子供も老人も、例外なく死ぬ可能性があります。そういうお祭りさ」 そう、それが、僕の望んだことだ。 僕はスタジオにいた男性に目をやる。どこぞで戦争が起きた時に、命は大事だ、国を捨てて逃げろなんて言っていた人だ。 「命が一番だ、何より大事だとのたまっていたコメンテーターさん。どうする? 逃げる? 今まで大切にしてきた全てを捨てて、必死に命乞いしてみる? そうやって、命だけはと拾ってみる?」 くすっ、と思わず笑ってしまった。 「構わないよ。命乞いするなら、死だけは勘弁してあげよう。かわりに、家畜として飼ってあげるよ。可愛げがないから、飽きて殺してしまうかもしれないけどね」 その光景を想像すると、おかしくてたまらなかった。 「あるいは今から必死に国外へ逃げれば、まあ命は助かるかもしれないね。もう二度とこの国に戻ることはできないだろうけど。それを望むならそうすればいい。その瞬間、お前たちは人間として培ってきたあらゆるものを捨て去ることになるんだ」 「き、君は」 「慈悲はない。何故か? お前たちが、そう望んだからさ!!」 僕は手を上げ、まっすぐに男性を指す。 「酒天童子!! 殺せ!!」 「はっ!!」 直後。男性の首は消し飛んだ。鬼の拳が貫通したのだと気づいたのは、男の死体が椅子から滑り落ちた直後だ。 「誰も彼も死ぬ! 死ねばいい!! それが僕からの祝福さ!!」 「はっはー!! 良いぜ!! 茨、皆殺しだとよ!!」 「仰せのままに」 人が、物が、瞬く間にゴミ屑へと変わっていく。 数分後。建物の中に、動く人の気配はなくなっていた。 |