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4月9日 火曜日 PM4時00分 南須原さんと発表会の内容を決めた翌日の放課後。 昨日はスケジュールを決めただけで時間切れになってしまったので、本格的な資料集めは今日からだ。 図書室のテーブルにはいくつかの本と、一緒にスケジュール表が置かれている。そこに書かれた内容はかなりぎっしりで、日々のスケジュールや原稿の作成予定、ページ数までもが事細かに決められていた。 今日の目標は資料集めだけ。南須原さんはメーリアンという人物についてある程度は知っているようだけど、僕はそもそもまったく知らない。 そこで、彼女について書かれている本の一節を読み込むとこからスタートしている。 「……」 概要は南須原さんから聞いていたけど、改めて読むとなるほど偉人というのもしっくり来る。 普通の人は、他人から否定されると消極的になる。自分が確立していない人ほど、圧力には負けてしまうだろう。 でも彼女は負けなかった。主張は変えず、研究に理解を示さない夫とは離婚までして、自分の研究を信じた。 その後、初老になってから南米に渡り、研究を続けている。とてつもないエネルギーだ。 「南須原さん。このくだり、発表に使えるんじゃない?」 僕は本の一節を示す。南須原さんもそのくだりを読み、 「そうね。参考に使いましょう」 と頷いた。 ふと気づけば、彼女は別の本を読んでいた。数学の本に見える。 「メーリアンって数学者でもあるの?」 「いいえ。彼女はあくまで画家であり生物学者よ。彼女の孫が有名な数学者の妻なの。その人の話に、メーリアンのくだりが出てこないかなと思って読んでいるのよ」 「そ、そこまで?」 言っては悪いけど、たかが授業の発表だ。しかも成績に関与するものではなく、どちらかというとクラス交流の意味合いが強い課題。 なのに、そこまで真剣に取り組んでいるのは南須原さんくらいではないだろうか。 「こう言っちゃ悪いんだけど、もう少し肩の力を抜いていいんじゃないかな? さすがにそこまで調べてもたいした情報は出てこないだろうし……」 「でも、言及される可能性はあるわ。知っている? メーリアンはドイツの紙幣に描かれるほどの人物。他の生物学者にも強い影響を与えているわ。だからこそ、外堀にも情報が入っていることが多い」 「原稿だとどう使うの?」 「○○という人物はこう評している、っていう書き方になると思うわ。数行だろうけど」 「す、数行……」 そのために本を一冊読むのか? 真面目というか、さすがに度を越していないか……。まあ、彼女にとっては本を読むことは苦痛ではないんだろうけども。 「レポートや資料を作る際に、実際に使えるくだりはそう多くないわ。でもそのためには本を一冊読み込む必要がある。そうやって知識を蓄えることがレポートの目的でもあるのよ」 「たぶんだけど、今回の課題はそういう目的じゃないと思う……」 「それでも、やることは同じよ」 南須原さんは真剣だった。ひとつの課題に対して手を抜けない性質なのかもしれない。 まあ、彼女がそう言うなら僕も付き合うか……。幸いと言うべきか、僕も南須原さんも部活には所属していないし、僕に至っては委員会活動なんかもない。 時間は空いているし、彼女がそれだけ真剣に取り組みたいというのなら、同じグループになった以上は僕も付き合わなければいけないだろう。 そうして本に視線を戻そうとした時、視界の端に人影がよぎった。 顔を上げる。本棚のかげに、女子生徒がいた。 黒髪をおさげにしている。クラスで見たことがあるような気がするけど、名前までは思い出せなかった。そもそも僕はクラスメイト全員の顔をきちんと覚えていないし、名前との一致なんて夢のまた夢だ。 そんなおさげの女子が、僕のことを見ている気がした。こちらが見返すと、すっと本棚の裏に消えてしまう。 「……?」 なんだろう。クラスメイトだから声をかけようか迷ったのかな? 特別に親しいわけでもないし、やめたとか。 まあ、用事があれば声をかけてくるだろう。そう思い、僕は本に視線を戻した。 4月9日 火曜日 PM5時00分 下校時刻になり、今日は解散することになった。 いくつかの本を僕と南須原さんの名前で借り、スクールバッグに詰め込む。肩に食い込む重さは教科書購入の日に匹敵する。 「南須原さんはこのまま帰るの?」 「ええ。家で弟も待ってるから」 「弟がいるんだ」 「そうよ。まだ幼稚園なんだけど、お姉ちゃんにべったりな子でね。私が帰らないと不満そうなの」 「ああ、それじゃあ今日はお姉さんを借りちゃって悪いことをしたかな」 「今日は仕方ないわ。用事があったのだしね。明日以降は家で資料を読み込むから、少し時間を作れると思うけど」 「そうだよねぇ……」 家に帰ったらこの本を読まないといけないんだよな。そのために借りたんだし。 とはいえ、普段は教科書くらいしか読まない僕に、これだけの本を読めるんだろうか……。 今日は図書室という空間で、しかも隣にドがつく真面目さんの南須原さんがいた。だから僕もサボるわけにはいかなかったけど、家に帰れば当然一人だ。そこまで真面目にやれる自信がない。 「いい? 宮崎くんも、ちゃんと資料作りをしてね? 分担は決めてあるんだから」 「あ、う、うん」 そう、南須原さんのスケジュールは、分担も事細かに決められているのだ。なんとなくだけど、彼女は決まっていることを遂行するタイプなんだろう。逆にアドリブは苦手なのかもしれない。 校門を出て、駅に向かう道を並んで歩く。ふと、隣にいるのが女子なんだな、と意識した。 「……」 女友達もろくにいない僕は、やっぱり少しだけ意識してしまう。これが南須原さんでなければ、もう少し仲良くとか下心も涌くところだ。 そういう気持ちには一切させない潔癖さを感じるから、声をかけられないだけで。……別に僕が人との交流が苦手とか、そういうことは関係ない。はず。 「宮崎くんは家、杉乃台よね?」 「え? ああ、そうだけど」 「私は東塚だから、反対方向なのよね」 「じゃあ駅まで一緒か」 「ええ。ほら、スケジュールのここ。20日、原稿作りをするでしょう。場所だけ決められなかったなと思って」 「そういえばそうだね」 そんな先のスケジュール、見てもいなかったよ。 「うーん。土曜日だから学校は使えないだろうし、そもそも1日使いたいしね」 原稿作りだけで1日かけるのか……。 「ここだけスケジュールをあとで確認させてちょうだい。あと、宮崎くんのおうちって使えそう?」 「え?」 女子が家に? 一瞬そう思ったけど、喜ぶのはたぶん母さんだけだな……。 「まあ、僕は構わないけど、南須原さんが大変なんじゃ? 資料も持ってこなきゃいけないし」 「それはそうなのよね……。とりあえず家に帰ってから、うちが使えるか確認してみるわ」 「あ、ありがとう」 当たり前のように自宅でやる相談しているけど、これ、僕が女子の家に行くってことか……!? まだ少し先とはいえ、すでに緊張してきた……。 そうこうしているうちに駅に到着してしまった。改札を抜け、階段の前で分かれる。 「じゃあ、私はこっちだから。さよなら、宮崎くん」 「うん、さようなら」 階段を上っていく南須原さんを見送り、僕も階段を上ろうとして気づく。 ホームに、さっきのおさげ女子がいた。彼女も最後まで残っていたのか。 ちょうど電車が来たので、別々のドアから乗り込む。その瞬間に、僕の記憶から彼女の姿は消えてしまっていた。 |