高校の教室なんてのは、まあ賑やかなもので。
 動物園なんて言う人間もいるが、それもあながち間違いではないのではと言いたくなるほど楽しげな声に満ちている。
 そんな、楽しそうな声の中心に、女の子がいた。全体的にふわふわとした柔らかい印象を残す女の子だ。男子に特別な人気があるようなタイプではないけれど、いつも賑やかな空気の中心にいる。そんな、良くも悪くも明るい子だった。
「相変わらずだよね、まひる」
 その様子を窓際の席から眺める男子がふたり。
 片方はいかにもおとなしそうな、弱々しい男の子。近頃の言葉で表すところの草食系だ。文芸部に所属しているために体を鍛える必要もなく、体力は男子平均の並以下。頼りないタイプと言えた。
 もう片方は隣の男子とは違ってそれなりにがっしりとしたタイプ。ラグビー部に所属しているおかげだろうか、それほど背は高くないのに、骨太な印象を与える生徒だった。
 話しかけられた骨太男子は骨細男子を見やり、
「相変わらず、の先は何だ? 相変わらずうるさい? 賑やか? 可愛い? 最後のだったらぶっ殺す」
「とりあえず、可愛いはない」
「そうかそうか可愛くはないのか。ぶっ殺すぞ」
「前後のセリフに矛盾が見受けられるんだけどそこのところはスルーしていいものかな?」
「女子に対して可愛くないなんて言う奴は俺か清水に殺されてしかるべきだろ」
「なんでさ。だいたいどうしてそこで清水さんが出てくるの」
「そこにいるから」
 は、などと言う前に、骨細男子の頭に手刀が振り下ろされた。
「星ってさ、繊細な顔つきしてるくせにそういう細やかな配慮はぜんっぜんだよね。どうなってるの、詐欺か何か?」
「……見た目で中身を判断されても困るんだけど」
「なーに言ってるの。世の中は見た目が十割なのよ」
 堂々と言い放ち、その向かいの席に座ったのは女子生徒。こちらは先ほどから話題にあがっている人気者とは別の意味で人気のあるタイプ。
「だいたいさー、何? 星はまひるのことしか見えないーとか言いたいわけ?」
「そんなんじゃないよ。ただ、いつも賑やかの中心にいるよなぁ、って」
 星の回答に清水は口を尖らせ、
「そりゃ、まあ、ね。なんて言うかあの子、男女とか関係なく引きつける魅力みたいなものがあるんだよね。太陽か月かって言われたら間違いなく太陽。陽だまりみたいな子」
「そのセリフだけ切り取るとすっげー恥ずかしいセリフだなー」
「うっさい中林。脳みそ筋肉は部室でダンベルでも持ち上げてなさいよ」
「そーいう発言はテストの順位で俺を超えてから言うよーに」
「う、うるさいッ! 数学だけは負けてないでしょ!」
「数学だけ、な」
「あー、ムカつく!」
 このふたりもたいがい賑やかだよな、なんて顔に浮かべつつ、星は話題の少女――上原まひるを眺める。
 付き合いはそこそこ長いけれど、ふたりは対照的だった。常に話題のちょっと外にいる星に対し、まひるは常に話題のど真ん中にいた。万人に好かれる人間などそうはいないが、少なくても星の知る限りでまひるを嫌っている人間はいない。
 清水の言葉ではないが、彼女にはそれだけ人を引き付ける何かがあるのだろう。
「ぼくとは大違い、だよね」
「あ? 何が?」
 いつの間にか清水の猛攻を受けていた中林が、それさえ気にせず星に問いかける。
 いや、と答え、細面の少年は視線をそらした。
「そーいや上原、なんでか知らないけど星だきゃ気に入ってるんだよな」
 じっ、と中林は星を見つめる。星はその視線から逃れるように、
「別に。小学校の頃から付き合いあるから、話しやすいだけじゃないの?」
「上原が話しかける相手を選ぶようなタマか。そういうの関係なく、なんかお前にはよく話しかけてる気がするんだよ」
「じゃ、ぼくがあんまり輪に入っていかないのを心配してるとか」
「あー、それはあるかもしれないね」
 と、中林に対する攻撃の手を休めた清水が話題に乗った。
「あの子さ、なんていうか、変に面倒見がいいよね。星はすぐ引っ込んじゃうし、気にはなるんじゃないの」
「そりゃ俺も思うな。もっと前に出てきゃいいのに、って。それで損しまくってるだろ、お前は」
「そうでもないよ。それこそまひるとか中林が助けてくれるし」
「助けられる前提かよオイ」
「親切な友人を持ってぼくは幸せだねっていうアピール」
「幸せならその友人にちょっとくらいおごってもいいとか思わないか?」
「ちょっとくらいなら今もたまにおごってるでしょ」
 貰いものとかだけど、という言葉は飲み込む。
「ま、俺はいいけどよ。星はそれでいいのか? 昼行燈ひるあんどんどころの話じゃないよな」
「何? 昼行燈って」
 中林は清水を見やり、
「昼間に光ってる行燈、つまりは明かりのことだよ。要するに役にも立たず目立たない奴ってこと」
「目立たないってとこは合ってるわね」
「いいんだよ、それで。ぼくは目立たないけど、それも『ぼくらしさ』なんだ」
「そりゃ、そうかもしれないけどよ……」
 なおも言いかける中林の言葉を遮るように、チャイムの音が鳴り響いた。
「ほら、授業が始まるよ」
「星……」
 友人の視線から逃れるように、星は鞄に手を入れた。

 星が上履きから靴を履き替えていると、背中から声をかけられた。
「コージ。帰るの?」
 見るまでもない。声の主は上原まひるだ。
「うん。まひるも帰る?」
「いえーす。一緒に帰ろ」
 部活動に精を出す生徒たちを横目に、星たちは校門を抜ける。
「まひる、部活は?」
「今日は休み」
「文化祭前で普通は忙しいんじゃないの?」
「うちはあんまり派手なことやるわけじゃないからねー。それに、たまにはコージと一緒に帰りたいじゃない?」
 その言葉に、星は先ほどの友人たちとの会話を思い出す。
 ――なぜだか知らないが、まひるは星を気に入っている。
 それは星も薄々ながら感じていることだった。まひるは誰とでも親しいが、星には特に積極的に関わってきているような気がする。
 ただ、前に出ない星のことを心配しているだけなのかもしれないが。
「てか、聞いてみればいいんだよね」
「ん? どしたどした、何か悩み事かい? おねーさんがどーんと聞いちゃうよ」
 薄い胸を張るまひるを横目に眺め、
「お姉さんって、同い年じゃないか。しかも見た目だけならどっちかいうとぼくの方が年上に見られると思う」
「違うよ! あたしの方が一ヶ月半だけ早く生まれたもん!」
「大差ないじゃないか」
「一ヶ月半もお姉さんなんだってば! で、何を悩んでるの?」
「うん?」
 一瞬、星は口ごもった。言うべきか言わざるべきかを迷い、
「別になんでもないよ」
 結局、言えなかった。
「あー。何よ、隠し事? ずーるーいー」
「そんなんじゃないよ。本当に何もないだけ」
「何もないわけないじゃない。そんな顔しといて」
「何もないわけないわけないでしょ」
「何もないわけないわけないわけないわけ……あれ? どっちだ?」
 あれあれ? と首をかしげるまひるを見ながら、星はぼそりと口にする。
「なんで、かな」
 なんで、聞けないのだろう。
 簡単なことなのに。
「って、そういうことじゃなくて! ごまかさないでよ!」
「今日はごま料理は食べてないかな」
「ごまじゃなくて! もう、本当に素直じゃないんだから!」
 と、まひるは途端にまなじりを下げ、
「とにかく、本当に困ることになったら相談してね。何も知らないままなんて、そんなの絶対に嫌だから」
「うん。大丈夫、そんなに深刻なことじゃないよ」
「そう?」
 なおも心配そうにするまひるに手を振りながら、どうしてここまでかたくなになっているのだろう、と心の隅で思う。
 それでも、言葉は口の外に出ようとしなかった。喉元まで出て、そこで止まってしまう。
 その理由は、当人である星にさえわからなかった。

 星はその後もモヤモヤとした気分を抱えたまま、けれどまひるとゆっくり話す機会を得られなかった。
 というのも、文化祭の準備が始まったためだ。
 星のクラスはお化け屋敷をやることになった。
 順路決め。どこにどのようなお化けを配置するか。何を飾り付けるか。そのための予算はエトセトラ。
 考えること、決めなければいけないことが多かった。まひるは当然のごとくその中心近くに携わり、一方の星は買い出しやらの地味な仕事を請け負うことになる。
 時間は矢のように過ぎ去っていき、とうとう文化祭の当日になってしまった。
 脅かすのに向いた性格じゃないとクラスの女子に断言されてしまった星は、早々に当番を済ませてしまい、校舎の中を歩き回っていた。
「退屈、かな」
 それなりに歴史のある学校のおかげか、訪れる人の数はかなり多い。そんな、普段とは違う浮足立った空気を吸い込みながら、しかし星の表情はさほどかんばしくもない。
「中林もまひるも教室だし、な」
 文化祭。けれどひとりぼっち。
 歩いている生徒は呼び込みか勧誘か、はたまた友人と一緒か恋人と一緒か。あるいは家族。ともかく、単独で行動している人をとんと見かけない。
 かといって、中林やまひる以外に親しい友人もあまりいない。家族は仕事が忙しく、今日は来ない予定だった。ともなると、暇を持て余す。
「やっぱり教室にいればよかったかなぁ」
 ひとりごちたところで、今さら戻るわけにもいかず。
 さてどうしたものかと歩いていると、向かいから見知った顔が歩いてきた。
「あ、清水さん」
「お。星」
 クラスメイトの少女を見て、星は少しだけ周囲に視線を巡らせる。
「あれ? 清水さんもひとりなの?」
「それがさー、一緒に見て回る予定だった子が急に彼氏が来たとかで。のけ者にされちゃったの」
「それは災難だったね」
 頷く星を、清水は睨みつけるようにして見つめる。
「災難じゃ済まないわよ。おかげでロンリーウルフ状態なんだから」
「ぼくも似たようなものだけどね」
「そりゃあんたが普段から後ろ後ろに下がりまくってるからでしょうが。ツケよ、当然のツケ」
 清水はふふん、と鼻を鳴らした。そして、手を伸ばす。
「じゃ、特別にこのあたくしがあなたにエスコートさせてあげますわ」
「……清水さん。ごめん、似合わない」
 無言で張り手が一閃。
「清水さん。痛い」
「余計なことを言ったら往復ビンタに変える」
「ごめん、もう言わない」
 言いつつ、星は清水の手を取った。途端、清水の顔が赤くなる。
「ちょ――!?」
「ぼくもひとりで困ってたんだ。清水さんが一緒にいてくれると嬉しい」
「だ、からって、手! 手!」
「え? だってこんなに人がいたらはぐれちゃうかもしれないじゃない」
「い、いいから! 手を握られてんの嫌いなの!」
「あ、そ、そうなの? ごめん」
 慌てて星は手を放す。清水はジトっと星を見つめ、
「ま、まあいいわ。そこまで言うなら付き合ったげる」
「ん、ありがとう」
「き、気にしないの。こっちだって事情があるんだから」
 いまだに若干ながら顔の赤い清水と、正反対に涼しげな顔の星は、揃って肩を並べながら人混みの中に分け入って行った。





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