結果的にだが、清水に出会えたことは星にとって幸運だった。
 やはり文化祭のような行事は、ひとりでいるより誰かと一緒の方が絶対に楽しい。星自身はそう感じた。
 ひとりでうろちょろしていた時には味気なく感じた空気も、気分を高揚させるスパイスに。
 呼び込みを断ったり応じたり。屋台で軽く食べたり、ブラスバンド部の演奏を聴いたり、色々な教室に入ってみたり。
 どれも、ひとりでは味わえない楽しさがあった。
「清水さんがいてくれて助かったよ」
 あちこちを見て回った後、星は心からの感想を口にした。
「そ、そう?」
 言われた清水も、まんざらでもない顔をしている。
「こ、こっちこそ! 星が一緒で助かったよ。ひとりだとさ、やっぱまわりの目がキツいじゃない?」
「あー、それはあるよね。やっぱりこういうとこは誰かと一緒でないとさ」
 と、そこで星は少しだけ表情を暗くし、
「でも、ごめんね。ずっとぼくに付き合わせちゃって」
「そ、そんなことないって! どうせ暇だったしさ! ほら、みんな彼氏いるんだけど、アタシはまだいないから……」
 そう言って、清水は肩を落とす。
「もー少しさぁ、素直になれるといいんだけど」
「あれ? ってことは、好きな人がいるんだ」
「ふぇ?」
 不思議そうな顔をする清水に、むしろ星の方が首をかしげ、
「え? だって、素直になるって告白するってことじゃないの?」
「あ、そ、それはっ!」
 自分が何を口走ったのかようやく気付いた清水は慌てて手を振る。
「そ、そんなんじゃなくて! その、なんて言うか、それは――!」
「そんなに隠そうとしなくてもいいじゃない。ぼくにできることなら協力するよ」
「な、なんでこんな時だけ積極的なのよあんたはッ!?」
「そりゃ、清水さんにはいつもお世話になってるし」
「ああああもうッ! とにかく、星は余計な心配しなくていいの!」
「そう言われても、気になっちゃうよ」
 星はうーんとクラスメイトの顔を思い浮かべ、
「清水さんと仲がいいのっていうと、やっぱり中林?」
「はぁ? なんであんなの!」
「だって仲いいじゃない。よく喧嘩してるし」
「……星。普通は喧嘩してるのって仲が悪いって言うんじゃないの」
「普通はそうだけど、ふたりを見てるとなんか楽しそうだから。ほら、喧嘩するほどっていう言葉もあるし」
「違う違う! そんなのじゃない! だいたいあんな筋肉バカはアタシの好みじゃないのよ!」
「まま、そう言わず。とりあえず教室に戻ろうよ。そろそろ時間も時間だしさ」
「うー……とにかく! そういうのじゃないからね!」
 なおも力強く宣言する清水をなだめつつ、星は共に教室に向かう。
 西日が影を伸ばしている。もう夕刻。すでに薄暗くなりつつあった。
 中庭を抜け、近道でもある一階の渡り廊下を歩いていると、急ぎ足で校舎の裏に向かう友人の姿を見かけた。
「あれ? 中林だ」
「はぁ?」
 清水も視線を向ける。間違いない、彼だった。どうやら向こうはこちらに気づいていないらしく、どこか緊張の面持ちで校舎の裏にまわる。
「あれ、もしかして」
「ん? 何か心当たりあるの、清水さん?」
「いや、そんなんじゃないけど、なんかこう、告白でもするような雰囲気じゃなかった?」
「告白ぅ? 中林が?」
 イメージに合わない。けれど、なるほど、確かにそのくらいの緊張感はある。
「ねえねえ、ちょっと見に行ってみない?」
「えー? 告白するならぼくらが見てない方が……」
「いいじゃないの。あの筋肉バカがどんな告白をするのか見物じゃない」
 今度は清水の方が積極的に後を追う。仕方なしに、星も後を付いて行った。
 校舎の裏にまわると、中林の背中が少し離れたところに見えた。そのちょっと前に女子生徒がいる。顔は陰になっているせいでよく見えないが、かなり小柄な生徒のようだ。
「お。ありゃマジじゃない」
「ねー、やっぱりまずいよ、こういうの」
「しっ。バレるよ」
 清水は目を輝かせ、一向に動く気配がない。星は諦めの嘆息をすると、中林の背中に視線を戻した。
「あ、あの、さ。驚かないで聞いて欲しい、んだけど」
 緊張しているのか、相手の女の子は話さない。中林は一方的に、
「えっと、ずっと言いたかったんだ。けどよ、その、言えなくて。今までの関係を壊すの、怖かったんだよ。今までならただのクラスメイトとして話すこともできたけど、断られたら、もう話すこともないんだろうなって思って」
 けど、と言葉を続ける。
「このままじゃ、いけないと思ったんだ。だから、思いきって言っちまおうと思って、呼び出した」
 すーっと深く息を吸い、中林はその言葉を一挙に吐き出す。
「俺は上原が好きだ。付き合って欲しい」
 びくん、と星の背中が震えた。
「星……?」
 清水が心配そうに星を見る。けれど、その声も星には届いてなかった。
 視線はただ一点、相手方の女の子に注がれて。
 暗がりから前に出てきたのは、上原まひるだった。
「――ッ!!」
 それ以上、そこにはいられなかった。
「あ、星!」
 何もかもに構う余裕もなく、ただ星は走り出していた。

 どこをどう走ったのか、記憶にはなかった。
 とにかく人から逃げるように逃げるように走り続け、ようやく足を止めたその場所はどこかの空き教室の中だった。
 荒い息を吐きながら、背中を壁に預ける。そのままぐったりを座り込んでしまった。
 部屋の中には弱くなった西日が差しこんでいる。星はぼんやりとしながら、先ほど見た光景を思い浮かべていた。
 中林が、まひるに告白をした。
 ただそれだけのこと。友人が友人に告白をしただけで、それは星には何の関係もない出来事。
 なのに、どうしてこれほどまでに動揺しているのか。その理由を彼は理解できないでいた。
 ただ、どうしようもなかった。感情が体を突き動かしていた。何かを考える余裕なんてなかった。
「ぼく、どうして、こんな……」
 息が整っても、体があまりに重くて、動くことができなかった。そろそろ教室に戻らないとまずいと頭ではわかっているのに、教室には行きたくなかった。
 戻れば――中林や、まひるがいるかもしれないと思うと。
「もう、今日は早退扱いでいいや……」
 重い息と共に言葉を吐き出し、身を沈める。
 と、廊下を歩く足音が聞こえてきた。先生だとまずいかもしれない。そんなことを考えながら、ほんの少しだけ顔を向ける。隠れようにも、空き教室の中にはカーテンも机も教卓もなかった。
 もういいや、となかば捨て鉢な気分で手足を放り投げていると、狙い澄ましたように扉が開いた。
 ちらとだけ視線を送る。その瞬間、全身がこわばった。
「まひ、る……」
 入ってきた人物の名前を呼ぶ。声は少しだけかすれていた。
 まひるはどこか気まずそうに扉を閉めると、そのまま動かなかった。
「まひる、どう、して?」
 口からこぼれたのは、そんな間の抜けた問い。
「え、っと、コージが心配で」
 まひる自身、星を見ることはできていない。それでも質問には律儀に答える。
 星は顔をそむけ、
「中林はいいのか」
 質問をしておいて、失敗したと思った。胸が余計に重くなる。
「うん。雄介君には、悪いんだけどさ」
 ゆらゆらと揺れるように歩き、まひるは窓際に立った。星の位置からでは逆光になり、顔が見えなくなる。
「驚いた? コージ」
「そりゃあ、ね」
 少しずつ言葉がなめらかになっていく。それでもだるさは変わらない。
「中林、ずっとまひるのことを見ていたんだな。まひるだけを」
「そうみたい。あはは、気付かなかったよ。全然」
 かつん、と石を蹴る真似事をするまひる。
「ずっと見ていたならさぁ、気付いてもいいと思うんだけど。あるいは、気付いていたのかな。だから整理するために言ったのかもしれない。雄介君ってさ、そういうとこあるよね」
「――何の話?」
「告白のこと」
 案外と抵抗なく『告白』という言葉を使ったまひるを、星は見詰めようとする。
 見えたものは、黒い影だけだったが。
「あたしね、ずっと恋をしていた。鈍感で頼りなくて情けなくて、本当になんでこんな人を好きになっちゃったんだろうってくらいな人を」
「随分な言い草だね」
「だって事実だもの」
 まひるの顔が星に向く。
「あたしさ、いつも笑ってるように見えるでしょ」
「まあ、実際に笑ってるよね」
「うん。でもさ、昔は割と泣いていたでしょ」
 そういえば、と思いだす。
 ふたりが小学生の頃、まひるはよく泣いていた。そのたびに星の後ろに隠れ、そしてそのたびに星まで一緒に泣いていた。
 ふたりとも、よく泣いた。
「いつ頃だっけね、まひるが泣かなくなったの」
「中学に入ってからじゃないかな。笑うようにしてたら、友達も増えたの」
「そりゃたいしたもんだ。ぼくは進歩していないから」
「そうでもないよ。泣かなくはなったし」
 くすり、と笑い声が漏れる。
「あたしが笑えたのはね、コージのおかげなんだよ」
 ぽつりと、静かな教室にまひるの声が流れる。不思議と喧騒も聞こえなかった。
「コージがそばにいてくれたから、あたしは笑えた。安心できた。あたしが暗くなった時はコージが慰めてくれた。嬉しかった」
 すっと窓際を離れ、まひるが近づいてくる。
「あたしは太陽みたいってたまに言われる。それくらいに笑ってるって。でもね、太陽だって常に輝けるわけじゃないんだ。たまには雨だって降るし、曇りの日もある。そんな時にあたしを輝かせてくれるのは、コージなんだ」
 西日が横から当たるようになった。赤い顔が星の前に現れる。
「太陽の隣で、目立たないかもしれないけど……、でも、ずっとそこにいてくれる。あたしが暗くなった時はコージが輝いてくれるって、知ってるから!
 だから、大好きだよっ!」
 しん、と静まり返った。
 星は、震える手で自らを指す。
「ぼ、く?」
「うん。だから、雄介君には悪いんだけどね」
 星はゆっくりと立ち上がる。並んでみると、まひるは小さかった。昔は同じくらいだったのに。いったい、いつ追い越したのだろう。
「まひ、る?」
「コージの返事、聞きたいなっ」
 明るいまひるの声に、星は自制できなかった。
 手を伸ばし、抱きしめる。
「素直に、言えば、よかったんだよね」
「それができないのがコージらしさじゃない?」
 『自分らしさ』。
 自分でない方が、よくわかっていた。
「そう、だね」
 強く、強く抱きしめる。もう離さないように。
「好きだよ。まひる」
 世界が、音を取り戻した。

「おっはよー! コージ!」
 朝早く。学校の近くで、星の背中を明るい声が叩く。
 星は足を止め、穏やかな笑みを後ろに向けた。
「おはよ、まひる。よく眠れた?」
「うん! えっと、えへへ」
 まひるは手を差し出してきた。星はそれを軽く握り返す。
「あたしからしといてあれだけど、恥ずかしくない?」
「見られるのはあんまり慣れてないんだけど……。でも、まひると一緒なら」
「え? あー、うん、そっか!」
 うふふ、と嬉しそうな笑みを漏らすまひるを見つめ、星はそっと笑みを浮かべる。
「じゃ、行こうか」
「うんっ!」
 ふたりは仲良く学校に続く坂道を登り始める。
 目立つことのない真昼の星が、空にうっすらと輝いていた。

 おまけ ―空き教室の扉の外―
「で、あんたもふられたわけだ」
「そりゃお前もだろうが、清水」
「うっさい。ほら、あんまり大きな声を出さないでよ。見つかっちゃうじゃないの」
「大丈夫だよ。あいつら自分らの世界に浸りきってるから。それより、お前も失敗したな。完璧に」
「そうそう。まったく、あんたがふがいないからいけないのよ。そうすりゃアタシが星をゲットできたのに」
「知るかバカ。お前こそ、きちんと告白して先にゲットしときゃ、こんなことにはならなかったんじゃねーのか」
「……やめよ、この話。なんかお互いにダメージしか残らない気がする」
「……俺もだ」
「あーあ。おかげで退屈になっちゃったなー」
「なんだよ。じゃあ俺と付き合うか?」
「はぁ? ふられた数十分後に違う女の子を誘うとか、どんな節操なしなのよ、あんたは」
「うるせぇ。ただのやけだよ、やけ」
「やけに付き合わされちゃたまったもんじゃないわね」
「だよ、なぁ。はぁ……」
「――中林。アタシと付き合いなさい」
「あ?」
「うるさい。やけよ、やけ」
「はは。付き合わされる方はたまったもんじゃねーな、オイ」
「んなのお互い様でしょ」
「生意気ばっか言ってると別れるぞこの野郎」
「そりゃこっちのセリフよ、脳みそ筋肉」





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