エレナはひたすらに馬を走らせた。小さな山を駆け上る。後ろは決して振り返らない。
 まるで何か恐ろしいものに追われているように、エレナはひたすらに馬を走らせた。
(この先に私の知人がいます。そこまで辿り着けば、彼も助かるでしょう)
「それが誰か、と聞いても無駄なのでしょうね」
 相変わらず頭に直接的に響くような声に、エレナは聞いた。
(ええ。私の一存で話すわけにはいきません。そもそも、あなたを助ける事すら契約違反なのですから。それでも、彼が死んでしまえば全てが無に帰してしまう。そうしてしまえば、彼の暴走は、決して止まらない。それでは、困るのです)
「彼の、暴走――?」
 少し躊躇うような間の後、声は言った。
(……彼は、世界全てを崩壊させかねない力を得ようとしています。私たちは、それを止めねばなりません。いえ、勝手に止めたいと思っているだけなのかもしれませんね。どちらであろうと、私たちのする事はひとつです。そして、そのためには彼の、ヒカルさんの力が必要なのです。身勝手かもしれません。正しくないかもしれません。それでも、私たちには彼が必要なのです)
「そう、ですね。身勝手でしょう。例え世界のためであろうと、ヒカルさんの意思は気にしない時点で、それはヒカルさんを犠牲にするという事なのですから」
 けれど、とエレナは呟く。
「それをわかってやっているのなら、それもまた信念です。他人の信念に口出しできるほど、私は偉くないですから」
(……あなたは良い道を歩んできましたね、エレナ)
 少し羨ましいです、と声は言った。
 馬は走り抜ける。やがて、小さな山の頂上へと辿り着いた。眼前には崖。その先には、広大な森が広がっている。
「あれ、は?」
 エレナは思わず声を漏らした。
 森の入り口、つまり崖を降りきった場所に、ひとりの男が立っていた。遠目で見る限り、青髪の普通の人間に見える。
(彼が待ち合わせの相手です。急いで)
 エルウェンに急かされ、エレナは馬を崖下へと走らせた。
 小さな山を下りきる頃には日も傾きかけていた。エレナは一層、馬の速度を上げた。
 森の直前に立つ人影の前まで一気に走り抜けると、エレナは馬を止めた。
 改めて見ると、やはり人間にしか見えない。年齢は三十半ばといったところだろうか。青空のような色の髪だけが人間離れして見える。
「あなた、は?」
「今はそれどころではないのだろう」
 男の低い声が響く。エレナは仕方なくヒカルを馬から降ろし、男の前に横たえた。顔にはすでに血の気がなく、呼吸も荒い。
「生半可な回復術ではどうにもなりませんよ」
「安心しろ。我が回復術を超える回復術は存在しえない」
 男は両手をヒカルにかかげると、ぶつぶつと呪文を唱え出した。すると、ヒカルの身体が淡い青色に包まれる。回復魔法の光だ。
「――!? そんな、これって!?」
 ヒカルの顔色がみるみる良くなっていく。呼吸も落ち着き、苦しげな表情は安らかな眠りの表情へと変わった。
「そんな、早過ぎる。私の数倍、いえ、数十倍の回復力……。あなた、何者です?」
「そうだな、本来なら人間に正体は明かせぬのだが、仕方あるまい。お前を置いていくわけにもいかぬからな」
 男は手を離した。すでにヒカルは、見る限りでは、ただ眠っているだけのようだった。
「ただし、二度も三度も説明するのは面倒だ。ヒカルが目覚めた後にしてくれ」
 あれほどの重傷を治した後だというのに、男には疲労感というものがまるでなかった。
 エレナは頷き、ヒカルの額に浮かんだ汗をそっと拭った。

 暗い通路の左右には鉄格子が並んでいる。空間にはカビ臭いにおいが満ちていた。
 その薄汚い通路を歩く影ひとつ。大きなシルエットは、小柄な兵も多いエルフ軍において一際、目立っている。言わずと知れたエルフ軍の統括、ギルだ。
 ギルはとある牢の前で足を止めた。暗い空間に目をこらすと、鎖に手を繋がれた人物が目に入った。
「気分ハドウダ、ニンゲン」
 ギルは牢屋の中の人物に向かって、そっと問いかけた。ちゃら、と鎖を鳴らし、その人物はギルの方へ目をやった。
「――上々だ、エルフ」
 絶望的状況において、なお尽きない闘志が、その人物――アリシアの目をギラギラと光らせている。その姿に、ギルは嬉しそうに、ふっと笑った。
「ニンゲン、名前ハ、何ダッタカ?」
「アリシア・アレンだ。エルフは物覚えが悪くていけないな」
「威勢ガイイナ。状況ヲ理解シテイルノカ?」
「知っているよ。殺したければ殺せ。拷問でも構わないぞ。どちらにしろ、貴様らに教えてやる事など何ひとつ存在しないが、な」
 とうとう、堪えられなくなったようにギルは大声で笑い出した。快活な笑い声が牢屋に響き渡る。その声に、アリシアは不快そうに眉をひそめた。
「貴様ハ変ワッタニンゲンダナ。安心シロ、殺シハシナイ」
 チャリ、と金属がこすれる音が鳴った。ギルは懐から取り出した鍵を牢屋のカギ穴に入れた。
「……? どういうつもりだ」
「ナニ、悪イヨウニハシナイ。安心シロ」
 断言すると、ギルは鉄格子を開いた。

「ん……?」
 目を覚まし、ヒカルは上半身を起こした。そして、きょろきょろと左右を見渡す。
 そこは川のほとりだった。ヒカルが寝かされている場所は下草の生えた土の上だが、すぐそばからごろごろと石が転がっている。反対側には木々が生い茂っていた。その木のひとつに、エレナがよりかかって眠っている。疲れているのだろうか、ぐっすりと眠っていて、簡単には目を覚ましそうにはなかった。
 時刻は何時頃だろうか。すでに周囲は暗闇に覆われ、ぱちぱちと燃えるたき火だけが唯一の明かりだ。たき火のそばには、青い髪色の、ヒカルにとって見知らぬ男が座っていた。
「……目覚めたか」
 青髪の男は低い声で呟き、枯れ木を火にくべた。
「あんたは? ここはどこだ? オレはどうしてこんなところに――!」
 寝ぼけた頭が覚醒するに従って、ヒカルは記憶を呼び覚ました。エルフ兵との戦闘、自分は負傷し、その後?
「そうだ、アリシアさんは!? アリシアさんは無事なのか!?」
「知らん。まずは落ち着け」
「知らんって――!」
 ヒカルが叫びかけたその時、ヒカルの声のせいか、エレナが目を開けた。
「ヒカル、さん?」
 はっと目を大きく見開き、エレナはヒカルに抱きついた。
「わ、ちょ、エレナ!?」
「よかった、本当によかったです。もしかしたら死んじゃうかもしれないって……。私、私の力じゃどうしようもなくて……!」
 涙声で言うエレナに、ヒカルは焦りを抜かれた。
 そっとエレナの頭に手を置き、ヒカルは青髪の男に視線を戻した。
「とりあえず、わかっている事を説明してくれねーか」
「いいだろう」
 大仰に頷き、男は枯れ木を火にくべた。

 エルフの建造物は木製のものが多い。森を切り開いて作ったであろう里は、元の地形を活かしつつ作られた家々が目立つ。
 その中を、ギルとアリシアは連れ立って歩いていた。と言っても、アリシアは全身をマントのような布地で隠しているが。
「ギル。私をどこに連れて行くつもりだ」
「少シ静カニシロ。ニンゲンヲ外ニ出スノハ危険ナンダカラ」
 その一言で、アリシアは押し黙った。何が目的かわからないが、とりあえずギルには害意がないらしい。
 何人かのエルフがすれ違う際に敬礼していく。普段の行動や言動を見るとあまり地位があるように見えないが、やはり彼も権力はあるのだ。人間側の地位にたとえるなら、彼はダイナスと同じ位という事になる。もっとも、ダイナスもあまり地位が高そうな行動はしていないが。
 しばらく里を歩き続け、とうとうふたりは里の外れにまで来てしまった。そこには他の建物よりは大きな、神社のような建物がある。木で組まれていて、窓らしきものも見当たらない。見た目には他の建物と大差ないが、人間大の入口は二重の鍵で閉ざされていた。完全に他の建物とは異質だ。
 ギルはふたつの鍵で扉を開くと、アリシアを中に入れた。続けてギルも入り、扉を閉めると周囲は暗闇に閉ざされる。
「アリシア、魔法デ照ラセルカ」
「魔法を、使っていいのか?」
「構ワン」
 頷き、アリシアはぶつぶつと呪文を呟き、素直に明かりをともした。剣もなく、両手首を拘束具で繋がれた現状では、ギルにたて突いたところで意味がない。それに、ギルが何をしたいのか、少しばかり興味もあった。
 明かりに照らされた通路をふたりは歩く。通路はすぐにらせん階段へと続き、下へと繋がっていた。
 しばらく階段を降りたところで、広い空間に出た。アリシアが生み出した魔法光だけではその全容が知れぬほどの大きな空間だ。
「照ラス範囲ヲ限界マデ広ゲテミロ」
 言われた通り、アリシアは追加で呪文を紡ぐ。先ほど生み出した魔法光はふよふよと上に上っていき、突如としてまばゆいばかりの光を放った。
「な、んだ!? なんだ、これは!?」
 思わず、アリシアは声を漏らした。
 魔法光に照らされたのは、巨大な石像だ。大型の船すら収納できそうな空間なのに、この石像は天井近くまで背がある。
 外見はまるで狼のようだ。横たわるその姿は、まるで今すぐにでも動きそうだ。
「コレガ何ダカワカルカ、アリシア」
「こ、れは、ただの石像ではない、な。石化魔法でも使ったのか? だが、ここまで巨大な生物は見た事がないぞ」
 現状すら忘れ、アリシアはただただ目の前の光景に驚いていた。狼の憎しみすら感じられる瞳が、アリシアの瞳に映っている。
「コイツハ『しーふ』ト呼バレテイル。コイツノ存在ハ俺タチノ中デモ、ゴク一部シカ知ラナイ」
 ギルもアリシアと同じように狼を見上げた。
「コイツハナ、世界デ唯一、魔法ヲ弾ク毛皮ヲ持ッテイル化物ダ」
「魔法を、弾く?」
 ギルは頷き、説明した。
 魔法は魔法でなければ相殺できない。だが、こいつは魔法を相殺するのではなく、触れたそばから消し去ってしまうのだと。
 理屈はいまだにわからないらしい。ただ、どうやらこの獣の毛皮は、魔力で引き起こされた異常を正常に戻してしまう効果があるようだ。
「どうしてそんな事がわかる?」
「記録ガ残ッテイル。コイツヲ生ミ出シタ馬鹿野郎ノ記録ガ、ナ」
「生み出した、だと?」
「ソウダ。コイツハ、大昔ノえるふガ戦用トシテ作ッタ化物ナンダヨ」
 その昔。その頃すでに、エルフと人間は戦い続けていた。
 長引く戦乱を終結させるために考え出されたのが、人間の優位点・魔法を封じるという方法だった。
 そうして作られた生物こそが『シーフ』。だが、この超生物兵器は、ついに使われる事はなかった。もともと使用に反対派のエルフも多く、当時の族長も反対派だったというのが最大の理由だ。
「ダガ、アル日、事故ガ起キタ。コイツガ里カラ逃ゲ出シタンダヨ」
 逃げたシーフはエルフでは押さえられなかった。エルフ領は荒れ果て、蹂躙され。壊滅の可能性すら見えた時、奇跡が起きた。
「奇跡……?」
 淡々と、ギルは当たり前のように言った。
「竜神ダ」
 天から舞い降りたのは、巨大な一頭の竜。竜神はその圧倒的な力でシーフを封印したが、自身も深くダメージを負い、結果として命を落とした。
 それが、エルフに伝わるシーフの伝説。
「オ前モ見タ、アノ大樹。アレハ竜神ノ死骸カラ生エテキタモノラシイ」
「じゃあ、すでに竜神は――」
 ギルは頷き、言った。
「スデニ死ンデイル。一頭ハ、ナ」
「――、一頭?」
「ナンダ。竜神ニツイテクライ知ッテイルダロウ。六頭イル竜神ノウチ、一頭ハ死ンダト言ッテイルンダ」
 アリシアはしばらくほうけた。疑問に思ったギルの視線すら意に介さないほど、思考に没頭していた。
 やがて、小さく笑い出す。それはそれは、楽しげに。
「はは、それはそうだ。なんでこんな簡単な話に気付かなかったんだ? はは、当たり前の事じゃないか。死んだとは言ったが、全滅したなんて誰も言っていないじゃないか」
「……?」
 ギルにはアリシアが笑う理由がわからない。それはそうだ。ギルは、禁書の話は知らないのだから。
 当たり前の事実に気付いてしまえば、あれほどの深刻な悩みも、血涙すら流れそうな痛みすら、馬鹿らしく感じられる。これではまるで道化だ。
 アリシアは、改めて口に出して確認した。
「竜神はまだ生きている。そうなんだな、ギル」
「アア。ヤツラニ寿命ガアルナラ話ハ別ダガ」
「ならば、まだ可能性はあるわけだ」
 竜神が、ヒカルを召喚した可能性が。
 最後の文句は口に出さず。それでもアリシアは、顔を覆う布地の下で嬉しそうな笑みを浮かべていた。
 アリシアはひとしきり喜ぶと、鋭いまなざしをギルに向けた。
「それで。私にこんなものを見せて、私にそんな話までして、何が目的なんだ」
「……現族長近辺ニ出入リシテイル奴ガイテナ。噂デハ、ソイツハコレト同ジ化物ヲ作ッテイルラシイ」
 竜神すら命を捨てなければ封印できない相手。そんなものがエルフ軍に味方すれば、人間軍はたちまち壊滅するだろう。
「重要、機密事項じゃないのか」
「単ナル噂ダ。ソシテ、ココカラ先ハ独リ言ダガ。俺ハ化物ヲ使ウッテノハ反対ダ。俺自身ガ斬レナイノモ気ニ入ラナイガ、何ヨリモ、コノ計画ニハ多クノえるふガ犠牲ニナルトイウ前提ガアル。俺ハソイツガ何ヨリ気ニ入ラナイ」
 ギルはシーフの石像を憎々しげに見上げた。
「コイツハナ、俺タチガ手ヲ出シテ良イ領域ジャアナイ。ダガ、族長ハアイツノ話シカ聞カナイ。俺ガ何ヲ言オウト知ラヌ存ゼヌトキタモンダ」
「……それで。私にどうしろと言うんだ?」
 ギルはアリシアを見下ろし、ニヤリと笑った。
「簡単ダ。しーふヲ殺セ」
 さらりと言い、ギルは背に負う大剣に手をかけた。



  
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