「――――ッ!!」 ゆっくりとエルフ兵が倒れる。今度こそ正真正銘、完全に気を失った。すぐに戦うどころの話ではない。 「ヒカルさん、ヒカルさん!」 エレナはヒカルに駆け寄り、その崩れ落ちかけた身体を支えた。エレナの手に、温かい粘液が触る。それが何であるか、エレナには見るまでもなくわかった。 「ヒカルさん、しっかりして下さい!」 ほとんど揺さぶるように、エレナはヒカルに声をかけた。反してヒカルは、今にも消え入りそうな声で返す。 「……はは、ごめん。エレナ。また足を引っ張っちまった」 顔は白っぽく、額には汗が浮かんでいる。その安らいだ表情からはよくわからないが、おそらくは相当の激痛が走っているだろう。 「ヒカルさん、しっかり!」 エレナはヒカルをそっと横たえると、服を破いて傷口をあらわにした。 「……ッ!?」 途端、エレナすら言葉を失った。 職業柄、エレナは様々な傷を見てきている。もちろん、戦争の前線で戦う兵士たちは、もっと深手の傷を負った者もいたし、さらに見るにたえない傷を負った兵士もいた。 それでも、エレナは今のヒカルの傷を見て絶句した。剣で切り裂かれた身体からは、本来なら空気に触れる事のない部分が見えている。傷口からは洒落にならない出血が続いていた。 「今、助けます」 エレナは表情を引き締めると、ヒカルの傷口に手をかざし、呪文を唱え始めた。 「…………、これは、まずいですね」 治療に入ってすぐ、エレナは気付いた。今のヒカルは、先ほどの毒矢による体力の消耗と、出血が激しい。この上で魔法による治癒をしても、血が足りないのだ。 魔法で傷口を塞ぐ事は可能だ。だが、増血には負傷者自身に血を作ってもらう他にない。技術的には血の生成を促すだけだから可能だが、今のヒカルにはそれだけの体力が残されていないのだ。 「何か、魔法薬でもないと……。でも、増血剤なんて持ち合わせにないですよ!」 隠密の旅行だったため、荷物は最低限度しか持っていない。ガラス製の薬瓶では馬を走らせると割れてしまうため、持ってこなかったのだ。元々、怪我をすればエレナが治療をする予定だった。エレナの魔法で直せない傷はそうそうない。 だが、現実に今、この場にあった。傷口を塞いでも、今のヒカルでは長くは持たない。 「どう、したら?」 焦るエレナの背後で、空気が揺れた。それはすぐに轟音となってエレナに襲いかかる。 驚愕と焦燥、様々な感情が入り乱れつつもエレナが振り向くと、そこにはさらに最悪の展開が繰り広げられていた。 「そん、な!?」 アリシアとギルが戦っている。劣勢なのは、どう見てもアリシアだった。衣服はところどころ破れ、血が流れている。 もちろん、ギルとて無傷ではない。だが、目立つほど大きな負傷がない事もまた、事実だった。 ふたりが斬りあっている場所の近く、地面がえぐれている。先ほどの轟音は、この地面をうがつ一撃の音だろう。それをどちらが放ったのかなど、考えるまでもない。 「まさかあのエルフ、それほどまでに?」 アリシアはディラータでも有数の魔法戦士だ。剣の腕前だけなら、ディラータのどこを探しても右に並ぶ者はいない。あの兵士団を束ねるダイナスでさえ、アリシアには剣では勝てない。しかも、アリシアには魔法もある。攻撃系が得意ではない彼女は決定打になる攻撃魔法を使えないが、剣術に組み合わされた魔法は相手に決定的な隙を作り出す。 だが、あのギルという男は、少なくても剣の腕前はアリシアと完全に互角だった。アリシアの流麗な剣技に対し、ギルは力を用いた圧倒的な威力の技。双方とも種類の違いはあれど、確実に最高レベルの剣士だった。 しかも、今のギルはアリシアの魔法を警戒し、その対策を練っている。アリシアの魔法は基本的に相手の虚を突くためのもの。だが、来るとわかっているもので虚を突かれる者などいるはずもない。 おまけに、ギルにはもうひとつの武器があった。それが、魔力を込めた斬撃である。エルフは基本的に魔力を練る技術がないため、魔法を使う事はできない。が、圧倒的な魔力を用いて、魔力を魔力のまま使う技術なら持っている者もいる。武器に魔力を込めるだけで、その威力は桁違いに上昇する。ギルの本来のパワーをあわせれば、アリシアでは受け止められないほどの威力となる。 「この、ままでは……!」 エレナとて何とかアリシアの援護をしたい。が、最高クラスの剣士が戦っているところには、下手に横槍を入れる事ができない。結果として、エレナには見守る以外の事はできなかった。 このままでは、まずい。頭で理解しつつも、エレナには打開策がなかった。 「どう、すればいいんですか! 誰か、誰か教えて下さい。竜神、様――!」 涙交じりに呟き、エレナは合掌した。祈ったところで打開できるわけでもないと、頭の隅では理解しながら。 (仕方ありません、ね) 「え?」 どこかで聞いたような声に、エレナはきょろきょろと見回した。だが、誰もいない。 「気のせい、ですか……?」 (それは違います。エレナ・テスタロッソ) 確かに聞き覚えのある声に、エレナは振り向いた。そこには、倒れるヒカルの姿がある。 「ヒカル、さん?」 (私は橋本ヒカルではありません。私の名はエルウェン。エルウェン・フェルナンデス) その声は、ヒカルの口から洩れていた。けれど、頭に直接的に響くような声は、どこかヒカルのものとは違った。 「エルウェン、さん――?」 (ええ。エレナ。すぐに馬に乗り、ここから北方にある山を越えた先まで運んで下さい。彼の命のともし火が消える前に。急いで!) 「はい!? で、でも、アリシアさんが!」 アリシアは今も苦戦を強いられている。その状況を、エレナに見過ごせるはずもなかった。 アリシアは横目に、エレナが焦っているのを見ていた。何か困った事態が起きたらしい。 とは言え、彼女自身も困った状況下にある。助けたいのは山々だが、とてもそんな甘い事を言えた状態ではなかった。 「ドコヲ見テヤガルンダア!」 はっと、アリシアは横に跳ぶ。そのすぐ後、たった今までアリシアの立っていた空間を白刃が通り過ぎ、大地を砕いた。つぶてがいくらかアリシアの身体を叩く。 「くそッ!」 アリシアの斬撃はことごとくギルに防がれてしまう。もちろんギルの攻撃が直撃したわけではないが、つぶてのような小さなダメージは確実に積み重なっている。このままでは、敗北は確実だった。 「その、前に――」 ちらりとエレナに視線を送り、アリシアは叫んだ。 「エレナ殿! 逃げて下さい!」 今、この場で最も大事な事。それは、エレナとヒカルを生かす事。 アリシアはただの護衛だ。斬られたところで代わりはいる。 だが、あのふたりは違う。エレナは教会にとって、国家にとって必要な人材だ。そして、ヒカルは、あるいはエレナ以上に守りたい存在。 二度とあの悪夢を繰り返さないために。そのためには、ギルの手が届く範囲からふたりを逃がす必要がある。 「エレナ殿、早く!」 アリシアが叫ぶのと同時、空気すら巻き込んだ斬撃が、彼女に襲いかかった。 「逃げろと、言われても!」 (何を迷うのです。早くせねば、彼は死んでしまいます!) エレナにとって、アリシアは見捨てられない相手だった。いや、彼女には誰も見捨てられない。 アルフレッドを助けられなかったという想いは、未だエレナの中にある。そんな彼女に、これ以上の命を見捨てろなどと言うのは、酷な話だった。 (エレナ・テスタロッソ。今、この場であなたが動かなければ、失う必要のない命まで失われるのですよ?) 「で、でも! 捨て置いたら、アリシアさんは――!」 (何を言っているのですか!) エレナはびくりと肩を震わせた。まるで、怯える子猫のように。 (もっと仲間を信じなさい。あなたの仲間のアリシア・アレンは放っておいたところで死ぬような相手なのですか!?) 「それ、は……。でも、今は状況が違います!」 (どう違うと言うのです。仲間を信じなさい。この程度の逆境は跳ね返せると。もし、これ以上の危険が迫ったとしても、決して屈しないと。仲間とは、人間にとっての仲間とは、そういうものではないのですか?) エレナは震えながら、目に涙すら浮かべてじっとヒカルを見つめた。 (さあ、手綱を取りなさい。今、あなたにできる事は。この体を、運ぶ事です) 「…………、ッ!」 強く、血が滲むほどに唇を噛み。そしてエレナは、ヒカルを抱きかかえた。 「道を、教えて頂けますか」 (もちろんです) エレナは自分にもたれかかるようにヒカルを馬に乗せ、手綱を手に取った。 「アリシアさん、ご無事で!」 小さく叫び、エレナは馬を走らせた。戦場から、逃げ去るように。 逃げ去るエレナの背中を眺め、アリシアは小さく呟いた。それでいい、と。 そして、アリシアは目の前の敵を見つめた。幸福そうな、戦いそのものを楽しむ笑顔を持つ男。 勝てない。そう、アリシアは思った。 技術的には互角。戦いは長引くが、一度は勝った相手。やって勝てない事はないかもしれない。 けれど、勝てない。 この男は、ギルという男は、戦闘を楽しんでいる。それに、勝てないと思ってしまった。 ふっと、アリシアは笑った。一度、ギルと大きく距離を開く。そして、呪文を紡いだ。 ギルは仕掛けない。アリシアが魔法を唱え終わるのを待っている。 だから、勝てない。 アリシアなら、相手が魔法を唱えていればここぞとばかりに斬りかかる。それがどんな魔法であろうと、不利益になるのは間違いないのだから。 けれど、ギルは待っている。アリシアが最大最高の力を発揮できるよう、時間を与えている。それは、アリシアには絶対に真似できない。 魔法の威力には心理的なものが大きく影響する。勝てると思わなければ、あるいは勝ちたいと強く思わなければ、魔法は思う通りの威力を発揮しない。 今のアリシアは、心でギルに負けていた。戦いを楽しもうとするギルに、アリシアは心で勝てなかった。だから、魔法も強い威力を引き出せない。そして、魔法がなくなれば、アリシアはギルに勝つ要素がなくなる。 だから、勝てない。 それでもアリシアは魔法を唱えた。呪文を紡ぎ終え、ギルを見る。ギルは満面の笑みを浮かべ、大きな剣を担ぎ上げるように構えた。刃が鈍い、血を求めるような光を放つ。 「さあ、これで終わりだ」 アリシアは剣を強く握った。守りたいものは、守れただろうか。 地を蹴り、アリシアは跳ぶ。その結果が、目に見えたものだとしても。 |