たき火の周りに三人の人影がある。
 男は感情の薄い瞳で座っていた。
 ヒカルはその男を、なかば睨むように見つめている。
 エレナは気恥ずかしげに頬を染めながら、炎を見つめていた。先ほどヒカルに抱きついて泣いたのが、素に戻ったら恥ずかしくなったらしい。
「状況はわかった。んで、つまりあんたは何者なんだ?」
 気を失っていた間の説明を聞いた後、ヒカルは質問した。それに対し、男は至極あっさりと答える。
「我が名はラテュー。水竜だ」
「――……、は?」
 男は初めて視線をヒカルに送ると、繰り返した。
「聞こえなかったか。我が名はラテュー。水の力を持つ竜神だ」
「りゅーじん。そうかそうかりゅーじんかなるほどだからばかみたいにまりょくがたかいのか」
 ヒカルは抑揚のない棒読みで言った。
「ってえ! 嘘つくならもうちょいマシな嘘つけやドアホ!」
 ビシッと男を指差しつつ叫ぶ。エレナは慌てて、失礼ですよ、と言った。
 男は困ったように眉を八の字にして、
「嘘ではない。どう言えば信じるのだ?」
「寝言は寝て言え。あんたさ、今の自分がどういうカッコかわかってる? 逆立ちして見たってただのおっさんにしか見えねーよ」
「む、そうか。ならば、こうすればよいのだな」
 男は立ち上がり、すたすたと火から離れた。ヒカルたちが疑問に思いつつも眺めている。
「むんッ!」
 そんなものは意に介さず、男は全身に力をこめる。そして、ありえない事が起きた。
 男の身体が大きくなっていく。法衣のような衣は堅そうな皮膚に、青空のような髪は同じ色のウロコに変わった。
 数瞬の後、ヒカルたちの前から男は消え去り、巨大な竜が立ちはだかっていた。
 その姿は恐竜図鑑に載っている魚竜を思い起こさせる。長い首、アザラシのようなヒレ。ウロコだけが恐竜図鑑の生き物と異なっている。
『これで満足か』
 轟くような音波は、ただのうめき声にしか聞こえないのに、何を言いたいのか理解できた。
 ヒカルもエレナも、ぽかんと口を開けたまま答えない。さすがに何の反応もないのは嫌なのか、ラテューは重ねて聞いた。
『……まだ信用できぬのか?』
「あー……」
 ようやく、声と言うよりは音を吐き出した。
「確かに竜、だな」
『だろう。まったく、近頃の人間は疑り深い。昔はすぐに信じてくれたものだが』
 嘆かわしいと言わんばかりに首を振り、巨大な青い竜神は人の姿に戻った。
 すたすたと歩き、ラテューは再びたき火の前に座った。
「では、話を再開しよう。少し話をする。面倒だから途中で口を挟むでないぞ」
 宣言し、ラテューは深呼吸をしてから語りだした。
「お前を召喚したのは我々だ。目的は、エルフと人間の戦争を止める事。それだけだ」
「戦争を止める?」
 ラテューはちらりとヒカルに視線を送った。エレナが小声で、邪魔しちゃ駄目です、と言った。
「我々とて戦争が続くのは心苦しい。様々な者が苦しむだけの争いなど不必要だ。ところが我々ではエルフの戦闘行動は止められぬ。奴等は我々の話を聞こうともしない。そこで、人間を呼んで戦闘を止めて貰おうと考えたわけだ」
 何か質問は、とラテューが言ったので、ヒカルは口を開いた。
「何でオレの前に姿を見せなかったんだ?」
「お前の目で、お前の足で、この世界を歩いて欲しかったのでな。自分で見聞きし、心から戦争を止めたいと思って貰わねば計画が成功せなんだ。そういう可能性を持つ者こそがお前というわけだな」
 実際、今のヒカルは心から戦争を止めたいという意思がある。それは、自らがエルフを殺したという経験、目の前で人々が死んでいく光景、それらを目にした事が理由だ。そういう意味で、竜神の計画は成功していたと言える。
「じゃあ、オレの口を勝手に使って喋ったとかいう、エルウェンってのは誰なんだ?」
「先々代のエルフ族長だ。死後も魂の状態で我々に協力してくれている。お前が知らぬ魔法を使えるのも、知らぬはずのエルフ語や人間の公用語を使えるのも、全てエルウェンの知識のおかげだ」
 ヒカルは少し眉をひそめた。魂うんぬんの話が理解できないわけではない。ここまで異常だらけの世界で、今更オカルト話のひとつやふたつに拒絶反応を示したりはしない。
 問題は、エルウェンが勝手に魔法を使ったという事だ。
 そのせいで、エルフは死んでしまった。殺さなければ殺される状況だった。それでも、エルウェンは同族であるエルフを、何の躊躇も見せずに殺してしまった。その恐ろしい、悲しい事実が、ヒカルに嫌悪感を抱かせた。
 それでもヒカルは気持ちを立て直す。過ぎた事、しかも目の前の竜神には何の罪もない事。割り切れるわけではないが、責められない。
「エルウェンは先代の召喚されし者にも協力していた。生前の頃だ。だが、失敗した。エルフの作り出した怪物のせいで、な」
 瞬間、ラテューの面持ちに殺意にも似た色が走った。
 シーフを、憎むが故に。
 ラテューは炎を見つめつつ、そっと語りだした。エルフの犯した過ちと、対抗した竜神の話を――。

『完成の目処は立ったのか』
 窓の外に目をやりつつ、エルフの男は問いかけた。その男の背中を見つめつつ、青年は不快感だけを覚えている。
 しかし、そんな様子は全く見せずに答えた。
『目処どころか、すでに九割方は完成だ。ただ、最後の調整に密度の濃い魂が欲しいな。せめて百、できれば三百』
『そうか。ならば、こちらから仕掛けてみるか』
『そうしてくれるとありがたい』
 男はくるりと振り返った。
 年の頃は三十台といったところか。だが、エルフは見た目と実年齢が合致しない。実際は何百年も生きているかもしれない。
 その頬には傷跡があった。剣で裂かれた者にのみ残る、刀傷が。
 彼は彼で、様々な戦いを経てきたのだろう。争いの上に立った彼は、争いでしか解決できない。
『……どの程度の規模を望む?』
『できれば最終決戦に相応しい規模がいいな。人間を皆殺しにするような勢いがいい。族長、あんたの権限で残存勢力の全てを動かせないか?』
『お前が望むなら、そうしてやろう。今の私は、お前に見捨てられれば終わりだからな』
『自覚しているんじゃないか。それなのに、オレにあれを作らせるのか?』
 男は薄く笑いを浮かべた。温かみなど微塵も感じられない、悪魔だって浮かべるのをためらいそうな冷笑を。
 それが完成すれば、エルフも人間もあらゆる生物は戦いに巻き込まれる。その果てには、おそらくは何も残らないだろう。
 男はそれでも構わない。ただひとつ、得たい者のために他の全てを捨てる覚悟はできている。
 エルフは自嘲的に笑った。
『どうせどちらに転ぼうが私には破滅しか待っていない。ならば、お前に暴れさせてやるのも一興だ。我々という存在がこの世界に在ったという事実を、お前が作り出してくれ』
『そこまで覚悟ができているなら、仕方ないな。いいぜ、オレの研究成果の全てをつぎ込んでやるよ。オレはオレの目的を果たす。お前はお前の目的を果たす。それで十分だろ?』
『――もちろんだ』
 青年もまた、薄く笑いを浮かべた。優しさなどとうの昔に忘れてしまった者だけが浮かべる、悲しげな笑みを。
 窓から、真っ赤な西日が差し込んでいた。まるで世界を血色に染めるように。

 各種族が領土を争う中、どこにも属さない領土がある。
 ドラゴンズ・ピーク。誰が名付けたか、古の頃からそう呼ばれるようになった場所だ。
 生物が住むのに適さない山肌は、草木の一本すら見当たらない。まさに生物など存在しえない、死んだ土地だ。
 そんな山々に囲まれた中に、緑に覆われた山がある事を知る者はエルフくらいしかいない。四方八方を死した山に囲まれていながら、けれどそこは楽園のように花々が咲き誇っていた。
「こりゃ、すげぇ。でーもよ、こんなのをマジで登るのかぁ?」
 長い山道の麓に立ち、ヒカルはため息混じりに言った。
 水竜と一晩を明かした、その翌日。奇怪な魔法によってヒカルが運ばれた場所こそが、この場所、ドラゴンズ・ピークだった。
「いや。間もなく迎えが来るはずだ、連絡をしておいたからな」
 その隣に立ち、ラテューは同じように山を見上げた。
 ヒカルは隣に立つ男を見つめた。
 正直なところ、今でも彼が話した内容をヒカルは信じきれていない。彼が竜神である事くらいは目で見て納得したが、それでも彼が話した内容を異常が過ぎた。
 ヒカルは、ラテューからエレナに視線を移した。
 ラテューと反対隣に立つエレナの顔には、すっきりしたような清々しさが漂う。やはり、教会の一員としては竜神がまだ存在していたという、その事実が嬉しいのだろうか。
「ん?」
 ばっさばっさと羽音が聞こえてきた。ヒカルが顔を上げると、巨大な影が近付いてくるその姿が目に映った。
「なんだよ、あれ……」
「竜神だ。風を支配する竜、すなわち風竜だな」
 白い鱗に巨大な翼。大きな手足はまさにドラゴンと呼ぶのに相応しい風格がある。
『水竜、迎えに来てやったぞ』
 白い竜神は重苦しい音を発した。
 大きな翼で空気をかき混ぜるように降り立ち、竜はヒカルたちを見下ろした。
 その大きさは水竜と同じくらいか、あるいはさらに大きく見える。エメラルドグリーンの瞳ににごりはなく、純粋で綺麗だった。
「それでは、行こうか。我らが宮殿に」
 言い、水竜はヒカルたちを風竜の背に乗せた。
 三人が乗った事を確認し、風竜は羽ばたく。
 と、途端に風竜は急上昇を開始した。その速度はまさしく自動車並み。水竜が気を利かせて壁を張らなければ、ヒカルなどは落とされたかもしれない。
 瞬く間に竜は三人を山の頂へと連れて行った。頂上を見下ろすところまで飛び上がると、その背でヒカルは感嘆の声を漏らした。
「これが、竜神の宮殿?」
 ヒカルたちの眼下に広がっていたのは、白亜の城、という形容が最も相応しい建物。大きさはそれほど広くないようだが、上空から見てもわかるほどに美しく白く輝いている。
「降りるぞ」
 感慨のない水竜は冷静に言った。



  
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